20 王太子の恋の噂
アリーとリオネル、二人の恋の噂が囁かれ始めた。
どうせいつもの火遊びだ。相手は社交場にほとんど顔を出さない男爵夫人、すぐに終わる――やれやれといったふうな貴族たちの態度が変わったのは、春が終わり夏の盛りを迎えた頃だった。
「リオネル殿下は、フェレリ男爵夫人にご執心なのではないか」
いつまでも別れる気配がない二人を世間はそう判断した。
リオネルの心をつかんだアリーにアルエ公爵夫人は上機嫌だった。あらゆる場所でボージェ社の製品を喧伝して回っていたほどである。
ボージェ男爵の名は社交界で広まりつつあったが、アルエ公爵夫人が睨みを利かせているせいで、彼がフェレリ男爵夫人の父親であると結びつける者はほとんどいなかった。
たまにアリーがリオネルのエスコートでどこかの夜会に現れると、庇護欲をそそる華奢な身体とこの国ではめずらしいストロベリーブロンドの髪に注目が集まった。ダークブルーの瞳はどことなく憂いを帯び、勝気な性格の王太子妃ジャクリーヌとよく比較されていた。
「やはり殿下は、可憐で儚げな女性がお好みなのだ」
「ジャクリーヌ妃殿下は、いつも気丈でいらっしゃるから」
そんな声がちらほらと上がった。
一方で、「どういうことなんだ!」と怪訝な顔で不服を申し立ててきたのは夫のローランである。だが、アルエ公爵夫人の紹介であると告げると口を噤んだ。
夫人がリオネルに浮気相手をあてがっていることを彼も知っているのだ。選ばれるのは立場の弱い男爵や子爵の夫人ばかりで、裏切れば報復が待っていることも。そして、図らずも度々社交界を賑わす王太子の火遊びの噂が、自分たちの恋の隠れ蓑となっていることを。
「好きに暮らせばいいとおっしゃっていたではありませんか。ご自分は愛人のもとへ行くから、と」
そ知らぬふりで嫌味を言うと、ローランは不貞腐れたように去っていった。
とはいえ、アリーのこの状況は魅了の術のなせる業であって寵愛を奪えたわけではない。
リオネルは言う。「ローランを愛しているのだ」と。
「君に頼まれると、なぜかそうしなければならない気分になるんだ。また会わなければいけないと思うし、訊かれればなんでも話してしまいたくなる。最愛がいるにもかかわらず君に魅入られてしまうなんて、私はどうかしているよ」
そして戸惑いながらも、アリーの手を取るのだった。
※※
アリーは、ブラン伯爵がフェレリ男爵夫人の醜聞を静観するつもりであるとダヤンに報告されて、ホッと胸をなでおろした。
ローランとの関係を知る伯爵は、この噂は故意に広められたいつものでっち上げであると確信しているはずだから、想定内の動きではあるのだが。
「わざと噂を長引かせるようなマネをして、アリアンヌ奥様は、一体何がしたいのです?」
ダヤンが焦れたようにアリーに問いかけた。
「もちろん、復讐よ」
アリーはきっぱりと答えた。
「この醜聞のどこが復讐になると言うんですか。アリアンヌ奥様を蔑ろにしたボージェ男爵は勢いを増していますし、こんな醜聞に巻き込んだアルエ公爵夫人はご満悦なのでしょう?」
「どうせ突き落とすなら、てっぺんからのほうがいいじゃないの」
「それはそうですが……あまり長引くと旦那様が動きますよ? アルエ公爵夫人も、さすがに高位貴族を敵には回さないでしょうから手を引くはずです」
「もうそんなに時間はかからないわ。あと一、二か月もあればいい」
ジャクリーヌに打撃を与えるという目的は十分に達成されているのだから、もうアルエ公爵夫人には、アリーがリオネルと一緒に過ごすことに旨味はない。
しかし、アリーが逢瀬を続けるのは、情報収集のためだった。あのあとリオネルから、ダヤンも知らないブルール領の話を聞くことができたのである。
「それよりもダヤン、ブルール領の兵の強化は王命だったそうよ。当初、陛下は辺境へ国軍を常駐させるつもりだったけれど、下手に国軍を動かせば隣国を刺激しかねないとリオネル殿下が反対なさったの」
隣国の王女だった王妃ロクサーヌの暗殺事件をきっかけにして緊張状態に陥った辺境をどうすべきかで、意見は割れた。混乱する王宮内は、密告による情報が入り乱れ、隣国の進軍を匂わせるものまであったという。
当時、国王マリウスは、たとえ戦争になったとしても国境の守りを固めるべきという旧臣たちの意見を取り入れようとした。
しかし、母親の暗殺が隣国との戦争に積極的だった前国王派の企みだと疑うリオネルが反対し、代案を呑ませたのだった。
「王命ですか。どうりで無理にでも兵を増やそうとしたわけですね」
「国軍の派遣を大幅に減らす代わりに、兵を増強した隣領のブルールが真っ先に援軍を送る手筈だったそうよ。ただ、王家が思っていた以上にブルール側の負担が大きくて、領民の反発を招く結果となった。そうしてあの暴動は起こったの」
両国の争いを避けたいリオネルにブラン伯爵が賛同したゆえの代案だった。
ブルール領では過去にも何度か領民による暴動が起きていたが、大きな騒動になる前に鎮火できていたため、伯爵は特に問題視していなかったのだ。
――――隣国に隙を与えないためにも、常備軍の被害を最小限に抑え戦力を温存するべき。
その助言を真に受けて不慣れな見習い兵に鎮圧を命じなければ、何度目かの暴動の一つとして終わっていたはずだった。
ブルール領主代行のカミーユに、進言ではなく助言できた人物――ブラン伯爵夫妻と国軍の元帥でもある国王マリウス、将軍のファロ公爵、それから……。
「カミーユ様に助言したのは、リオネル殿下なのよ」
アリーの顔がくしゃりと歪んだ。




