19「この宿の娘か?」
一通りの買い物が終わり、オールの案内で次にやってきたのが一軒の宿屋だった。
【猫の長靴亭】というのが名前らしく、オールはなんの迷いもなく中に入っていく。俺とティルもあとに続いた。
「いらっしゃい、猫の長靴亭にようこそ。ーーって、あら、オールじゃないか」
「女将、久しぶりだな」
俺たちが中に入るとオールと女将と呼ばれた女性が親しげに会話をしていた。どうやら知り合いらしい。
「女将、部屋は空いているか? 二人部屋と一人部屋、一部屋ずつあるといいんだが」
「ああ、ちょうど空いているよ。そっちの二人がオールの連れかい? おっと、従魔もいるんだね」
ティルの横にちょこんと座ったルビーを見て、女将が驚きの声を上げた。
「え、だめなんですか……」
女将の反応に従魔は泊まれないと思ったらしいティルは、どうしようと不安な表情をする。
「そんなことはないさ。うちは従魔も泊まれるよ。ただ、その従魔があまりにも綺麗だったから驚いたのさ。それはお嬢ちゃんの従魔かい?」
「はい、ルビーっていいます」
『ご主人共々よろしく頼むぜ、女将』
ルビーが口を開くと女将はぽかんとした表情をした。
「これは驚いた。言葉を話す従魔かい。いままでいろんな従魔を見てきたけど、しゃべるのは初めてだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、ーーさてオール、どのくらい泊まるんだい」
「そうだな、とりあえず十日間で頼む。それと食事はつけてくれ」
「はいよ、なら宿帳に記入しておくれ。知っていると思うが、うちは前払い制だからね。一泊食事つきで銀貨三枚、十日分で銀貨三十枚だよ」
「わかっている、クロム」
「ああ」
俺はアイテムボックスから銀貨の詰まった布袋を取り出した。きっかり三十枚女将に渡す。
「まいど、食事は朝と夜の二食提供、昼は事前に言ってくれれば出すよ。弁当にすることもできる。本当は別料金をもらうんだけど、オールの仲間ってことでタダでいいよ。食事場所はここ一階の食堂と部屋が選べるけどどうする?」
「食堂で」
迷いなしの即決。異世界の食堂での食事。体験するしかないじゃないか。
「わかった。もうすぐ夕食ができるから時間になったらきておくれ。ーーリアラ、ちょっといいかい」
「はーい、お母さん、何?」
奥にある階段からひょっこり顔を出したのは、活発そうな少女だった。年は美羽と同じくらいだろうか? 頭の上の方で結んだ焦げ茶色の髪を揺らしながら、こちらへ近づいてくる。
「お客さんを部屋へ案内しておくれ。場所は東側の一人部屋と二人部屋だよ。はい、鍵」
「うん、わかった。では、お客さんがたこちらですよ。ーーって、あ、オールさんじゃん。久しぶりー」
「ああ、大きくなったな、リアラ」
「へっへえ、発育は良いほうなんだよ」
見せつけるように胸を張るリアラ。丸みを帯びたそれがぷるんと揺れる光景は、男たちの目を釘付けにするのだろう。
だが、悲しいかな。この場にいる男は俺とオールのみ。どちらも少女の身体に欲情するような性癖は持ち合わせていない。
「この宿の娘か?」
「そうだ。名はリアラという」
リアラの行動になんの動きも示さず交わされる会話。いや、リアラ自身は可愛いと思う。思うが、だからといって興味があるかは別だ。
「ちょっ、そこっ、普通に会話すんな! オールさんは別としてそっちのあんた! なんで普通にしてんのよ! 男なら私のこの行動に顔を赤らめるなり動揺するなりしなさいよ!」
ええー、なんか逆ギレしだしたぞ、この娘。しかしあれだな。オールという知り合いがいるからか、気安く話しかけてくるな。
「いや、人には好みというものが……」
「むっ、好みと言われるとこっちとしても反論できない」
ん? なんだ、意外とあっさり引くな。もっと食い下がってくるものかと思っていたが。ーーちょっと待て、リアラの視線がティルに向いている。そして、俺へと視線が返ってきて……。
「しかも幼……」
「違うからな」
リアラがすべてを言い切る前に、俺は強い口調で否定した。なんなんだ、ルビーといい、この娘といい、人をそんなにロリコンにしたいのか。
「あ、ごめん、隠して………」
「ないから! いいからその考えから離れろ」
疲れる。マジで疲れる。俺が深く深く息を吐いていると、オールが慰めるように肩を叩いてきた。いや、そんなことするくらいなら一言言ってくれ。
「ほら、リアラ。バカやってないでさっさと案内する」
「はーい、ではこちらでーす」
リアラの案内で、俺たちはそれぞれの部屋へと入った。
俺とオールの部屋には、ベッドが二つとテーブルが一つと必要最低限の家具しか置かれていなかった。そのかわり掃除は行き届いているようで、清潔感に溢れている。きっと一人部屋であるティルのところもこんな感じなのだろう。
「しかし、お前、ここの女将と知り合いだったんだな」
「……まぁ、昔この街に滞在していた時の宿がここだったというだけだ」
ふーん、それはきっと、死を求めているいまよりもっと前のことなのだろう。女将のあの態度からして昔は真っ当な冒険者だったのかもしれない。
何がきっかけでいまのような死にたがりになったかはわからないが、まぁ、どうでもいいか。俺としては情報源としてしっかり働いてくれればそれでいい。
「しかし腹が減ったな。夕飯はもうすぐできるといっていたが、まだか?」
そういえば昼は屋台の串焼きしか食べていなかった。買い物途中につまんだだけで、ガッツリ食べたわけではないので、そりゃあ腹も減る。
空腹の腹を押さえていると、オールが怪訝な表情をしていた。
「朝も思ったが、吸血鬼も腹が減るんだな」
「? そりゃあ、減るだろ。一応吸血鬼は生きる死体だからな。死体だが、生きている以上、腹は減る。別におかしくはないだろ」
「それはそうだが、お前は朝に当たり前のようにスープを食べただろう。俺の認識が間違っていなければ吸血鬼の主食は血じゃないのか」
「別に血じゃなくても普通のも食べるぞ。受けつけないわけじゃないしな。ただ、やっぱり俺たちにとっては、生きている人間の血が一番のご馳走で、生命の源なのは確かだ。俺が普通の食事を摂るのは、まぁ、趣味みたいなものだな」
「趣味………」
難しい顔をして黙りこんでしまったオールに、俺は内心苦笑する。俺も昔は血しか飲まなかったが、あのへたれた男に出会って人間の食事の美味さを知った。味もさることながら相手を思って作られた温かさが気に入ったのだ。
世界が変わってもそれは変わらなかった。なにせ、この死んだ魚のような目をした男が作ったスープにさえ思いがこもっていたのだから。
さてここの料理はどうなのだろう。俺は楽しみにしながら時間がくるのを待った。