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その日、シンディさんが寝室から出て来る事は無かった。

まだそっとしておいた方が良いと思ったのもあるし、少し僕自身も混乱していた。


「れー、ママは帰って来てるの?」


「うん。けれど、少し疲れて……部屋で眠ってる」


「そっかぁ。じゃあ、しずかにしてた方が良いのね」


きつね色に焼けたトーストをさくりと囓りながら、ニナは少し悲しそうに、笑って言った。

朝食を食べ終わると、いつものように赤いランドセルを背負い、登校の支度をする。


「いってきまぁす」


「行ってらっしゃい」


僕はニナを見送り、それからいつものように家事をこなす。

いつもと変わらない、それでいてしあわせな一日―――




―――一本の電話が入ったのは、その日の夕方の事。

担任だと名乗る声の主は、「ニナが事故に遭った」と短く告げる。


それからの事は、記憶がぼやけていてあまり覚えて居ない。

記憶プログラムは作動しているのに。



(ああ、何処か回路が異常を起こしたのかも知れない)



ぼんやりとそんな事を思う僕の目の前で、それでも時は目まぐるしく廻り続けた。

宏一さんに咽び泣き取り乱すシンディさんを任され、病院に半ば強引に連れて行く。


集中治療室に居る彼女は、沢山の管に繋がれ、ガーゼや包帯をあちこちに巻かれていた。

ニナの小さな身体は、痛々しくて生々しかった。

医者の話によると、信号無視をしたトラックに跳ねられたのだとか。


「右半身の損傷が酷いです。あとは全身のあちこちに打撲傷と、他にも臓器が……」


悲惨な状況を示す言葉に、途中からシンディさんは聞いて居られなくなったのだろう、ふらりと眠るように気絶した。

医者の説明を全て聞き終えた後、僕ら二人は治療室の前に設置された長椅子に腰掛ける。

気絶したシンディさんは、睡眠不足や貧血が見られるとかで、病室のベッドに運ばれ、点滴を受けている。


「……ニナは、死ぬんでしょうか」


宏一さんも、静かに、けれど大粒の涙を流していた。


「死ぬんだろうか。……あの子はまだ、小さいのに……」


「……ニナが死んだら、哀しいですか?」


「お前は、哀しくないか?」


「……分かりません。シンディさんは、僕には喜怒哀楽の"哀"のメンタルデータが搭載されていないと」


「シンディが?」


「"哀"と言う辛くて痛くて苦しい感情を、自分達の都合で作り出した僕にプログラミングしてまで与える必要があるのか、と」


「そうか……」


「―――けれど……」


僕はこの何かむず痒い感じ―――これからニナと過ごして埋まる筈だった記憶のメモリスペースが、空のままになるという、そんな空虚さは確かに感じて居る。


それを上手く言葉に出来ずに先を濁す僕の頭を宏一さんは撫でて、「“哀しい事”は哀しいけれど、哀しめない事は、ずっと辛いのだね」と呟いた。


「そう……なのでしょうか」


分からない事だらけだ。

"哀"も、彼が言う"辛い"と言う気持ちも、何もかも。


―――けれど。


けれど胸に確かに宿るものがある。


「……宏一さん」


「なんだい?」


「僕の身体を、ニナに使って下さい」


「な……」


「僕の身体なら、人間の制約に縛られない。融通がきくでしょう?」


「だけどゼロ、ニナの身体の損傷部分は沢山あるんだ。お前がその全てを提供してしまったら」


「……涙は人の哀しみの結晶で、それが流れないのは哀しみが胸の奥深くにずっと沈んでいるということ。愛を失った時、人は哀に浸るのでしょう?僕は愛を知っているけれど、哀を知らない。なら、胸の辺りに重く募るものはウイルスか何かだ。僕のメンタルデータはバグを起こしてしまった」


「違うよゼロ、それはお前が」


「だけど身体はぴんぴんしている。そのうち、もしかしたらボディもバグを起こしてしまうかも知れない。だから、早く」


「違う、違うんだよ、それはお前が哀を学んだ証だ。これからメンタルデータを書き直せば、お前は人に」


「―――宏一さん」


「なんだい」


「例えば貴方の言おうとする事が真実だとして」


僕は宏一さんの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「僕は哀を知りたいとは思わない。シンディさんみたいにあんなに泣き叫んで、綺麗な顔をくしゃくしゃにしてまで、そんな欝陶しいもの、欲しいとは思わない。うんざりするくらい邪魔だ」


「ゼロ…………」


「……それで良いんです」



それが、良いんです。


哀しみを知らないから、もしニナが死んでしまっても泣いてあげられないけれど、愛を知っているから、生きている彼女に何かしてあげられる、してあげたいと、思うのです。




だから僕は、喜んでスクラップになろう。







その日の内にニナの身体は宏一さん達の勤める研究所に運ばれ、そこのドクター達によって手術が行われた。

此処はそこらの病院よりずっと施設が整っているし、何より僕の解体を普通の医師が出来る筈も無いからだ。


手術台にのせられ、まばゆい程のライトが当てられる。

先ずは僕の痛覚を司る回路を切断した。

これで、麻酔せずに意識のあるまま手術を受けることが出来る―――つまり、最期までニナを見届ける事が出来る。


これは、僕のたっての願いだった。

視覚の遮断は最後の最後に、とも。



「さようなら、ニナ」



バニラビーンズ入りのカスタードがたっぷり入ったシュークリームは作ってあげられなかった事は、少し心残りだったけれど。



(愛してるよ、)





あいしている。




















―――手術台に残された僕の頭。

右目からは人間の体液を真似た化学物質が垂れ流れて、まるで涙を流しているみたいだと、誰かが言ったのを聞いた気がした。




end

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