ヤクザと一般市民?
翌日の放課後。人気のまばらな職員室に静かに入り、昨日山城に教わった通り鍵を奥のボックスから取り、ノートに今の時間と名前を記載する。15時47分、初霜っと。
さて、佐倉と柊はもう来ているだろうか……。
「あ、やっと来た! 遅いじゃーん」
『掃除当番、お疲れ様』
もう二人とも先に来ていたようで、ドアの前で待っていた。多目的資料室が目立たない場所に配置されていてよかったぜ。こんなところも、誰かに見つかったらなにかとめんどくさいからな。二人の間にあるドアにカギを差し、かちゃりと扉を開けながら答える。
「おう、遅くなって悪かったな……っと。柊の言う通り、掃除当番だったからな」
「そうだったんだっ。そうそう、こっちでは教室を自分たちで掃除するって最初知った時びっくりしたよ~」
『なんだか新鮮……』
「あれ、イタリアはないのか? そりゃ羨ましいな」
てっきりどの国でもある文化だと思っていたんだが……。掃除当番をやらなくて済むなら、その方がもちろんありがたいだろうな。自由な時間はいくらあっても困らないだろう。
「用務員さんの仕事だよ~」
『何かの罰として掃除させられることはあるんだけどね』
「あ、罰としてやることはこっちでもあるから、そこは同じなんだな。なんか面白いな」
確かに、余程の掃除好きじゃなきゃ掃除がご褒美になることはないだろう。
「それより、双葉! 今日みっちゃんが早口言葉を教えてくれたの! 隣の客はよく柿食う客だ隣の客はよくきゃ……噛んじゃったっ」
『リリー……、早口…………』
そしてここで冒頭のくだりに戻るわけだ。案外ここまで長かったな。
「滑舌回らないよな……。あ、でも英語とか日本語より母音多いって聞いたことがあるぞ。 イタリア語も同じように母音が多いなら、滑舌が日本人よりは発達しているんじゃないか?」
どこで聞いたかは思い出せんが、日本よりは多そうだろう。だが、そこで柊が首を振った。
『イタリア語の母音は、基本的には日本語と同じく5音だよ』
「え、そうなのか⁉ てっきり、日本語より多いと思ってたぜ……」
『でも、eとoの音は閉口音と開口音の二種類があって、それを含めると7音と言われているんだけどね』
「へ、へいこうおんと、かいこうおん? 待って、置いてかないでセレナっ」
ふりがなつきの柊の文字に、混乱する佐倉。確かにやや勉強っぽい単語だから、佐倉が分からないのは当然と言えるだろう。
「あーっと、閉口音と開口音は、口を閉じて出す音か開いて出す音かどうか、で合ってるか? 柊」
『それで合ってるよ。ごめんね、リリー……』
「大丈夫だよセレナ! 二人ともありがとう~。 そうそう、だから早口言葉の難易度は変わらないし、イタリア語は日本人にとって英語より発音しやすいと思うよー?」
「なるほどな……って、そういえば英語の母音の数を正確には知らなかったな。10音以上はあったと思うんだが……」
「えーっと、確か16音じゃなかったかな? なんと日本語の約三倍!」
「そりゃ発音が難しいわけだ……」
佐倉の説明にそう納得しかけたら、柊がホワイトボードを掲げて再び自分の存在を主張する。そちらの方に顔を向けると、
『分類方法によっては20音と言われるんだよ』
と、ありがたく補足を入れてくれていた。いずれにせよ、あまり変わらない気もするが……。
「言語って奥が深いのかもしれねぇな……」
同じアルファベットのはずなのに、使われ方によって発音が違うなんて不思議極まりない。そう思ってふとこぼした俺の発言に、目をきらきらさせる柊。
『そうだよね! 私も日本語を知ってから驚きの連続でいつもそう思うんだ!……話せないけど』
「お、おう……。まあそうへこむな。これから徐々に徐々に練習すれば話せるようになるだろ。実際、自己紹介の時だって、さっきだって単語ぐらいなら声に出せたじゃねえか」
『え? さっき私声出てた?』
「『リリー……早口……』って言えてたぞ」
『そっか……。うん、徐々に頑張るね!』
「ふ、ふ、ふ…………」
どうやら何か言おうと口をもごもごさせ始める柊。
「どうした?」
「双葉君!……言えたぁ!」
名前は言語関係なく言えるのではないか、とツッコむのは無粋だろう。と思わせるほどの輝かしい笑顔で俺の名前を呼ぶ柊の姿に、思わず心臓が跳ねそうになる。
「よ、よかったな……言えた! も言えたから今日は+10点だ」
「いや何その唐突な……加点方式、だっけ?」
「合ってるけど……。なんでその言葉の意味を分かっていて、読み書きができないんだよ」
「そんなのあたしが聞きたいよー」
俺のツッコみに、口を尖らせながら答える佐倉。天才なんだかそうじゃないんだか謎な奴だ。
「はいはい。それで、今日から教えていくぞー。って言っても、俺にメソッドがあるわけじゃないから手探りなんだけどな」
「はーい」
『うん。ところで双葉君……』
いざ教えん。と張り切った矢先に、柊からちょんちょん、と制服の裾をつままれた。
「どうした?」
『バルコニーから、覗いている人がいるけど……平気?』
バルコニー? ああ、ベランダのことか。と脳内で納得し、窓に目をやる。こんな古びた誰の目にも止まらないような教室を覗くなんて、いったいどんな暇人なんだ――
「若葉⁉」
ガラス越しに目が合った友人は、いたずらが見つかった子供のような顔をしていた。
――
「なんで覗いてたんだよお前」
うっかり俺たちに覗いているところが見つかった若葉は、窓から入ってきて、今はもはや開き直ったような表情でふんぞり返って椅子に座っている。なんで覗いてたのにそんな堂々としていられるんだよお前。
「だって……、昨日から双葉明らかに怪しかっただろ。放課後途中まではよく一緒に帰るのに、残るって言うからつけてきたんだよ」
「そんなことせず、普通に聞いてくりゃよかっただろ……」
教室で毎日話す俺らだ。興味があったなら別に聞けば――でも、聞かれても口を開かなかっただろうな……。そうするとこいつの言い分も正しいとも言える。ちっ。
「お前は素直に聞いたとて話すようなやつか? ていうか、なぜ教室で『興味ないですけど?』みたいなこと言っていた美少女に囲まれてるんだよ!」
「いや、それは理由があってだな……」
やはり、俺が言わないことを見通したうえでの行動か。だけどこれを説明するには高カロリーのエネルギーを必要とするワケで。要するにすげぇめんどくさいな……。
「あのー二人で仲良く話してるのはいいんだけどー……私たちを置いてけぼりにするなー。ねえセレナ、この男の子名前何だっけ?」
後半は声を落とし柊に問いかける佐倉。こいつが人の名前を覚えるのが苦手なのか、俺たち二人が目立たないだけなのか、理由は……まあ後者なのかね。
「聞こえてますよ佐倉さん⁉ 俺、双葉程は影薄くねえんだけどな……」
「俺に失礼だなおい」
『近石若葉君だよ、リリー』
「よかった、柊さんは覚えてくれていたぜ。天使かな?」
「急に崇めるな」
佐倉に名前を覚えられてないことに傷つき、柊に覚えられていることに喜び、なんとも忙しいやつだ。でもその気持ちは分からんでもない。
「で、なんでお前が二人と居たんだ?」
そして嬉しそうな顔から一転して、俺をにらみつけて質問を振ってくる若葉。あー……ここまで来られたらしょうがない。もう言わざるを得ないか。
「この二人に日本語を教えろって、山城に頼まれたんだよ。で、火曜以外の放課後に教えることになったってわけ」
「なるほどな。でも、なんでお前……ああ、国語の成績か?」
意外と頭の回転の速いこいつは、一言言っただけで俺が割り当てられた理由にすぐたどり着いたようだ。
「そういうこと。国語ができるから日本語を教えられるだろうっていうのは、正直暴論だと思うんだがな」
「そうかもしれねえけど、できないよりはできるやつの方が適任じゃね? それはそれとして……」
「?」
「よくこんな面白そうな話を黙っていたな?」
眼前に広がる今にも「面白いおもちゃ、みーっけっ」とでも言いたげな、にやついた若葉の顔。ああ、こうなるからこいつにだけは言いたくなかったんだよな……。
「お、俺だって話したかったんだけどな? ほら、放課後お前は忙しいだろうし黙っておいた方がいいと思ったんだヨ」
「嘘つけ目が泳いでいるぞ」
「双葉がタジタジだ……」
『力関係が謎だね……』
「というか、お前はどちらかというと理系だから関係なくね?」
「いや、そういうことじゃねえ。俺は友人に隠し事をするお前の精神性を疑っているんだよ。分かるか? 俺のおもちゃを見つけた喜び……じゃなかった、悲しみが」
「心の声漏れてるぞオイ」
『二人って友達なんだよね?』
「ヤクザと一般市民に見えなくもないよね……」
二人が視界の端でなにやらこそこそしているが俺の耳にまでは届かない。というか悠長に見ていないで助けてほしい。ヘルプミー。
「ま、とりあえず俺もたまには遊びに来るから、そこんとこ覚えてろよ。せーんせい?」
「そんな呼び方すんな。気持ちわりぃ」
そして、若葉は軽やかな足取りで多目的資料室を後にした。
厄介な奴に見つかった、窓辺のカラスもそんな俺の内心に同調するかのごとくカーカーと鳴いているように思えた。




