新年度が始まって一週間経ちましたが
時はおおよそ一週間前に遡る。
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小学生の頃買ってもらった戦隊ヒーローもののアナログ式の目覚まし時計のアラームが、六畳半の自室につんざくように鳴り響く。二つの針で時刻を示す液晶の形も、ジリリリリという音も古くなりつつあるのだろうかとどこか懐かしさを感じながら起床する。実際は、そんな郷愁より二度寝欲の方がもちろん強いんだけどな。あと5分だけでも寝ていたい……。だが、とにもかくにもそんなことは言っていられない。渋々と重い体を起こし時計を確認する。
家を出るまできっかり45分。うん、いつも通りジャストぎりぎりといったところだな。と脳内で家を出るまでの手順を組みつつ、着始めてから約一年が過ぎて体に馴染んだ制服に袖を通す。
きしんでいる気がしないでもない自室の木製の扉を開き、続く廊下を通って階段から見慣れたリビングに降り、キッチンに立ちいつものようにエプロンを被る。
さて、新年度が始まって一週間経ち「新しい時期だから、気持ちを切り替えて何か頑張ろう!」と張り切っていた心持ちが徐々に緩み始め、慣性の法則のごとく元の自分に戻りがちなこの時期。かくして俺も弁当のおかずのレパートリーがいつも作り慣れたもので固定されつつある。だ、だって、いつものなら頭を使わずに作れて楽なんだよ……。新しいレシピに挑戦して幅を広げるべきなのかとも思うんだが、どうにもおっくうに感じてやらずに済ませる毎日だ。変える、変わるということは今までのものを失うことではないかと思うとなんだか身動きがとりづらい。
「ま、今日も煮物が艶やかで素晴らしいってことで」
と、ゆらゆらと具材の揺れる鍋を見つめつつ今の幸せを享受するのは、それはそれで楽しい。……って、いつもこうして見惚れて計算が狂って遅刻しそうになるんだよ! なにやってんだ俺! そうセルフツッコミしながら、おかずを手早く二人分弁当に詰め、弁当のおかずの残りと白米で朝食を取る。うん、日本人に生まれてよかったと思える旨さだ。
「今日分の弁当だぞ、と」
テレビの天気予報を見て雨が降らないことを確認しつつ、カウンターのメモ帳を一枚引き裂いてもう一人分の弁当の持ち主にさらさらさらとメモ書きを残す。よし、これで持って行き忘れる確率は減るだろう。相手が相手なので、ゼロとは断定できない。ま、忘れたとしてもいつもの通り夕飯に回せばいいだろ。
ボールペンを胸ポケットにしまい、中学から使っていてくたびれている鞄を手に取って家を出る。いつもと同じ何気ない日常のはじまりだ。
春が来て通学路に桜が降りしきろうと、草木が芽吹き、まるで単調な色合いだった冬とのコントラストを見せるかのようにその色彩の鮮やかさを主張しようと、俺の毎日は平坦で、相変わらずだ。でも、そんな日々を悪くは思わない。
時々変わらないことを、退屈だ。つまらない。と言う人間がいる。それどころか、悪である。とさえ言われることだってある。それを聞くたびに俺は、だからどうした。実に平穏でいいじゃないか。平坦万歳万々歳。と言ってやりたくなる。確かに、街を歩けば「新技術を活かして、もっとよりよい生活へ」「これを飲んで激やせ! 人生変わりました!」「美肌になって新しい私へ」等、変化を美徳とする文字が山の様に並ぶが、変わらないことはそこまであくどいことなのだろうか? むしろ、変わらない方がよかったことだってたくさんある気がするんだがな。
まあ人類は環境に適応し変化し続けたことによって、生き延びていることは事実だと思う。だけど現代社会は便利になりすぎて「これ以上変える必要はあるのか?」と感じることだってある。もうとっくに俺の素人目には、スマホの画質の進化は認識できん。
そんな感じで激しく変化する世の中だが、進学して働くという子供から大人になるルートはまだ健在だ。きっと俺はこのまま可もなく不可もない成績で高校を出て、いつだって無難な選択肢を取り続けて、やがては働いて暮らしていく。平凡と言われたって、自分で働いて飯を食って生きていけたら上等だろう。それでいいはずだ。そうだろ?
……だが、全く変化がないというのは味気ないという感覚も正直持ち合わせてはいて。
少しだけ……ほんの少しだけでも、新しいことがあってもいいかもしれないとは思うんだがな。




