第40話 ジョーカー①
(まあ、いいか。手駒はいくらでも替えがきくしな)
キングやクイーン、ジャックは所詮、ジョーカーが考え出した企画を遂行するだけの兵隊だ。札束をちらつかせば代わりをやりたいという輩など、この《監獄都市》には大勢いる。
(そういや、《新八洲特区》の近くに、ボロいアパートあったっけ。あそこがいいな)
犯罪者ゴーストを追い回す《死刑執行人》だったが、《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》とは衝突を避ける傾向がある。
《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》は面子を重要視する組織だ。ひとたび縄張りを荒らしたなら、壮絶な報復が待ち受けている。いかな《死刑執行人》といえども、簡単には手を出せないのだ。
《アラハバキ》に忠誠を誓うつもりは毛頭ないが、その縄張りの近くでしばらく雨宿りをさせてもらおうと考えた。
行先が決まるとなんだか安心してきて、歩調も緩む。するとまるでタイミングを見計らったように、腕に嵌めた装着型端末が派手な着信音を発する。ジョーカーはそれを操作し、表示された発信者名を見て、思わず立ち止まった。
「ジャック……? 何だ、無事だったんじゃんよ」
ジャックとは、夕方から連絡が途絶えたままだった。ディスクを買いたいという新規の客が来たと、報告してきたのが最後だ。
てっきり《死刑執行人》に狩られたのだと思っていたが、無事だったようだ。もっとも、ジャックにはひどいサボり癖があり、こういったことは珍しくなかった。
「もっしー、ジャック? おま、何やってんのよ。いま、どこ」
そろそろガツンと言ってやるか。非難も顕わに通信に出ると、全く聞きなれない声が耳に飛び込んできた。
「ふうん……喋り方はどこにでもいるバカなガキってとこね。何だか、がっかり」
それは女の声だった。若いが、口調から察するに、自分よりはいくらか年上だろうか。ジョーカーの言葉に、俄かに警戒が入り混じる。
「………。何。誰よ、あんた。ジャックはどうしたんだよ?」
「聞いてどうするの、そんな事? それより自分の心配した方がいいよ。これからどうなるのか……分かってるよね?」
ジョーカーはパソコンを持つ手に思わず力を入れた。
この通信はジャックの端末を介して発せられている。という事は、ジャックの身にも何かあったのだと考えるのが妥当だろう。
このまま会話を続けていたら危険だ。いっそ通信を切ってしまおうかとも考えるが、まだ相手の情報も分からないし、自分の居場所がバレていると決まったわけでもない。そう考え、もう少し様子を探ってみることにした。
それに何より、女の声からは自分と同族の臭いがする。情報を収集し、それを駆使してゲームに興じるのが大好きなタイプだ。おまけに、こちらを明らかに挑発しているではないか。
こんな奴に負けてたまるか――そんな対抗心がむくむくと湧き上がってきて、ジョーカーは会話を続けることに決めた。
「何、やけに冷たいじゃん。俺に用があるんじゃないの? だったら、それくらい教えてくれたっていいじゃん。それとも、ただの構ってちゃん? まじイタイよ、それ」
「えらく余裕ね。さすがリーダーは他のザコとは違うわ。ねえ……相庭新太郎くん?」
「………‼」
背中が凍り付いた。確かにそれはジョーカーの本名だ。こいつはヤバいかもしれない。そう思うが、今更、会話をやめられなかった。
「お……俺の名前、知ってんだ?」
「あんた、監視カメラの制御システムにハッキングしたでしょ? それも、いくつも。ああいうことするとね、あちこちに『足跡』が残るのよね。知らなかった? おかげで端末の特定も、さして難しくなかったわ」
ジョーカーは内心舌打ちをしつつ、抱えていたパソコンの記憶媒体を引き抜く。そして本体を足元の側溝に投げ捨てた。側溝には黒々としたどぶが流れており、パソコンを即座に吞み込んでいく。何度も改造を施した愛用のマシンだったが、足がついては仕方ない。この腕輪型端末の通信もすぐに切った方がいいかもしれないが、一つだけどうしても気になったことがあったので、確認をしておくことにした。
「何だよ、あんたもしかして《死刑執行人》?」
「ま、そんなとこね」
「はは、やっぱり。っつーか、俺いま忙しいんだよね。 悪いけど、ヒマな高齢者の話し相手とか、やってる場合じゃないワケ。また今度相手してあげるよ、お・ば・さ・ん」
「それはいいけど……今更端末捨てたって無駄よ。それに仮にも逃亡するつもりなら、黄色いパーカーはあんまお勧めしないわね」
「……‼」
ジョーカーは自分の行動が相手方に筒抜けになっている頃に驚いた。おまけに自分が着ている服の色まで言い当てるとは。
(俺の姿が……見えてる……!?)
慌てて周囲を見回す。通りに人けは無い。誰かいたとしても、この暗闇では見通せないだろう。
では、一体どこから。
その時、赤く錆びたシャッターが下りている薬局の前を通りかかった。廃業して十年は経つだろうか。店先には比較的きれいな状態の監視カメラがぶら下がっている。
何のことはない。相手は『撮影』に用いた手段と全く同じ方法で、こちらを監視していたのだ。
「もしかして、監視カメラのハッキング? それでこっちの事監視してんだ? うっわ、俺のやり方パクって恥ずかしくないワケ? 《死刑執行人》ったって、大したことねえのな~~~‼」
これでもかと馬鹿にしてやったが、女にはむっとした様子もなければ、苛立った風も無い。
「どう思おうとそっちの勝手だけど。そういうチマチマしたやり方ってあたしの趣味じゃないのよね~。って言うか、ぶっちゃけそうやって監視カメラの死角を移動するのってあんま意味ないからね? ……あらら、キョロキョロしちゃってぇ。怖くなった? でもそれも、あんま意味ないんだ、これが」
(な……!?)
確かに大黒は薬局の店先にぶら下がっている監視カメラの死角を縫い、周囲を注意深く見回しながら移動していた。しかし、相手にはそういった自分の細かい行動が全て把握されているようだ。
「監視カメラじゃない……?」
「は~~い、ヒントはお空です」
「空……」
(まさか……‼)
ジョーカーは一つの可能性が脳裏に浮かび、上空を振り仰いだ。深い闇に閉ざされた上空には月がぽつんと浮かぶのみだ。だが、それは確かにこの闇の向こうにあって、今も地上の様子をつぶさに観察しているのだろう。
女がハッキングしたのは、監視カメラなどというちゃちな玩具ではない。おそらく、地球の軌道上を周回している軍事衛星だ。今どきの軍事衛星は、高解析度の赤外線カメラを搭載しているのが当たり前になっている。それがあれば、夜でも昼間の様にはっきりと地上の映像が捉えられるだろう。思わず上空を見上げたジョーカーの驚愕に満ちた顔も、全て女にはお見通しのはずだ。
「……! クソッ‼」
今では、数十年前より軍事衛星を保有する国の数は増えている。とはいえ、それがサイバー上の重要な軍事拠点であることに変わりはない。それに干渉するとなると、かなりの技術が必要だ。いくつもの防壁をかい潜り、目的を遂行した後、痕跡を残さずに撤収せねばならない。少なくとも、ジョーカーには成し得なかった事だった。一度サイバー攻撃を試みて、返り討ちにあったことがある。
(まさか、そのことを知っていて、わざとやってんじゃないよな……?)
こちらとの実力差を思い知らせる為に、わざと難易度の高い手段を用いたのではないか。それを考えると、歯噛みしそうなほど悔しかった。
モノにも服にも興味はない。だが、才能には自信があるつもりだった。
だから、能力をひけらかす輩の存在には虫唾が走るのだ。相手が《死刑執行人》でなかったら、即行でやり返しているところだ。
とにかく、今は逃げ切ることだけを考えなければ。このまま地上を移動するのはまずい。どこに逃げても、上空で把握されてしまう。
ジョーカーは腕輪型通信機器の電源を切ると、それも側溝の中へと投げ捨てた。そして大きな通りに出ると、躊躇なく地下道への階段を下っていった。
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一方、衛星を介し、その様子を監視していたマリアは、薄っすらと酷薄に笑んだ。
そしてジョーカーが地下道へと潜るや否や、奈落への通信へと切り替える。そしてジョーカーに対するふざけた口調とは打って変わって、鋭く真剣な声で囁いた。
「こちら、マリア。聞こえる? 目標は地下に潜ったわ、……予定通りね。待ってて、今から地図をそっちに送るから」
「……その必要はない」
「え、ちょっ……奈落!?」
マリアの声を無視し、奈落は一方的に通信を切った。そして、その場で銃の安全装置を外す。
目の前には、地下へと続く階段がある。先ほど、ジョーカーと思しきヒョロヒョロした男が慌てて降りて行った地下道の入り口だ。紫の片目に、瞬く間に朱の光が差す。
「野兎狩り、か。久しぶりだな」
我知らず、唇が吊り上がる。《ヘルハウンド》にいた頃は、最年少だったため、よく食料調達に駆り出されたものだ。
まず相棒を見つけてきて、二手に分かれる。そして、一方が囮役となり、ターゲットのウサギを猟犬よろしく追い立てる。野兎は巣穴に戻ってくるため、もう一方がそこを待ち伏せて捕らえるのだ。
今やっている作業も、それとほぼ大差ない。
深紅の隻眼が、暗い地下の底を冷徹に見つめた。その向こうにいる獲物の姿を見通すかのごとく。
そして、そろりと音もなく動き始める。
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「はあっ……はあっ……!」
ジョーカーは地下鉄の線路の上を、全速力で走っていた。
最初に入った地下道はすぐに行き止まりに突き当たった。引き返そうかどうしようかと悩んだが、途中で壁が崩落し、穴が開いている箇所があった。意を決しそれを潜ってみたところ、運よく地下鉄の線路上に出たのだった。
偶然にしてはできすぎている。誰かが勝手に穴を掘り進めたのだろう。首都だったころの名残か、《東京》の地下は広大で、複雑に入り組んでいる。商業施設の跡や地下鉄の跡。今ではそれに誰かが勝手に掘り進めた通路も加わり、まさしくモグラの巣と化していた。
どの道、地上は監視されている。ジョーカーは当分、このまま地下鉄の線路上を移動し、行けるところまで行ってみることにした。
ただ線路上は薄暗く、視界が悪い上に瓦礫が散乱している。今やすっかり使われることのなくなったレールも、歩くのには邪魔でしかなかった。地上と交わることのない空気が沈殿し、何だか妙に埃っぽい。息をするたび咳き込みそうになるが、今は兎に角、移動することが先決だ。
時折、頭上で古くなった白熱灯が明滅している。それが自分の姿を照らすたび、化け物のような巨大な影が浮かび上がって、ジョーカーはひやりとした。
周囲は不気味な静寂に包まれていて、ジョーカーの走る足音が響くのみだ。自ずと、独り言が多くなる。
「へ……へへ! 《東京》は地下も深いからな。衛星のハッキング程度で俺の事、捕まえられるとか笑わせんなっての。今頃悔しがってるだろーな、オバサン……!」
呟いた途端、ジョーカーは「……ってぇ!」と、派手に転倒した。
足元に転がっていた瓦礫に足を盗られたのだ。辺りはちょうど光源の無い地帯で、真っ暗だ。そのせいで気づかなかった。遠くで白熱灯が小さく瞬いているのが見える。だから、進行方向は辛うじて分かるのだが。
「くっそ、足場悪いな……!」
しかも尚悪いことに、右足が痙攣し始めた。最近、『撮影』の仕事に夢中で、碌に外にも出なかった。それが災いしたのだ。
「はあ、はあ……。間違いなく運動不足だな。全力疾走、キツイわー………」
ここで時間をくっている場合ではない。愚図愚図すればするほど、追っ手に遭遇する確率も高まる。分かってはいたが、一旦転んでしまうと、なかなか体が起き上がろうとしない。
「ま、いくらなんでもここまでは追って来てねえだろうけど……」
そして、何気なく背後を振り返った。その瞬間、ジョーカーは跳び上がりそうになった。
いつの間にか、背後に男が立っている。
長身で右目に眼帯をした、黒いコートの男だ。
遥か後方にある白熱灯が瞬く度、その光が逆光となり、男の姿を影のように浮かび上がらせる。
「あ……ひっ!」
ジョーカーは驚きのあまり、頭の中が真っ白になった。こいつは誰だ。見たことのない奴――顔もよく見えない。
だが、本能はジョーカーにしきりと危険を発してくる。こいつはヤバいぞ、一刻も早く距離を取れ、と。
ドッ、ドッ、ドッ――胸の奥で心音がヒステリックに鳴り響き、全身にしじまを描く。
ジョーカーは反射的に走り出そうともがいたが、痙攣した右足が空しくコンクリートの床を掻く。眼帯の男はそれを冷ややかに見下ろし、無言で右手に持った拳銃をジョーカーに向けた。
「ひやあああ‼」
逃げろ、逃げろ、逃げろ。
脳の出した緊急命令が功を奏したのか、痙攣した右足がうまく地を蹴った。
痛みは残るものの、辛うじて走行できる。ジョーカーは弾かれたように走り出した。ところが、それも束の間、パガンと背後から銃声が轟く。悲鳴を上げる間もなく、銃弾はジョーカーのすぐ足元にあるコンクリートの床を鋭く抉った。
「ま、マジかよ!?」
立ち止まったら、間違いなく撃ち殺される。足の痙攣による痛みにも構わず、ジョーカーは無我夢中で走り続ける。
(い……いつの間に! 気配どころか、足音だってしなかったぞ!?)
現に、今でも通路に響いているのはジョーカーの足音と、荒い呼吸の音のみだ。音だけで判断するなら、同じ空間にもう一人いるなど信じられない。
しかし、後ろを振り返ると、怪物のように長く伸びた影が湾曲したトンネルの壁面に写り、確かに『奴』がゆっくりとこちらに向かっているのが見える。
自分は追われている。そして捕まったら、間違いなくその瞬間に殺されるのだ。その事実が、ジョーカーを震え上がらせた。
焦りと恐怖が肺の中で混ざり合い、ドロドロになって口から溢れ返りそうだった。それを何とか押し殺し、ジョーカーは再び走り出す。
ところが、日ごろの運動不足が気合で解消されるはずもなく、すぐに足が縺れてしまった。それに従って、走るスピードも遅くなる。するとその時、まるでそれを待ち侘びていたかのように、再び背後から雷鳴のような轟音が闇を裂いた。
「ひいっ!」
銃弾は、ジョーカーのすぐそばにあるコンクリートの壁面を抉った。
慌ててスピードを上げるジョーカー。しかし、何分かするとまた息が上がってきて、走るスピードが落ちる。すると、図ったかのように再び轟音がして、銃弾が脇を掠めていく。しかし、何故か弾は決してジョーカーには当たらない。
(クソ……わざとやってやがる……!)
相手はわざと銃弾を外し、自分を走らせているのだろう。足音も立てないやつだ。消音器を使うことだってできるだろうし、よろよろ走る自分を仕留めることくらい何でもないだろう。
だが、背後の男は何故か執拗に自分を走らせている。そこに、猫がモグラやネズミを弄んで遊ぶのと同じ陰湿さを感じるのは、気のせいだろうか。
「ちくしょう……!」
気配の無い、得体の知れない背後の敵に、余計に恐怖が募る。ただそれから逃れたい一心で、ジョーカーは走り続けた。
自覚は無かったが、冷静さには少々、欠けていたかもしれない。いやむしろ、パニックに陥っていたのだろう。
だから、その事実に気づいた時にはすでに手遅れだった。
目の前の壁が派手に崩落し、行き止まりになっていたのだ。
他に、横に逸れる道は無い。引き返そうと後ろを振り返ると、巨大な人影が泰然とした歩みで近寄ってくるところだった。再び前を向き、どこか少しでも潜り抜けられるところはないかと探ってみるが、地面から天井まで土砂でぎっしり埋め尽くされていて、隙間など全く無い。
逃げる場所は、もうどこにも無かった。
「う……うそだろ……!?」
心臓の鼓動が、俄かに大きくなる。激しく肩を上下させながらしばらく唖然としていた。眼前に広がる、有無を言わせぬ残酷な光景が、すぐには受け入れられない。だがすぐに、後ろを追う男の存在がジョーカーを現実に引き戻した。
奴は今、どの辺りにいるのだろうか。どれほど距離を縮めているのだろう。確認するのは恐ろしかった。あまりにも恐ろしくて、手足が小刻みに震えてくる。
(くそったれ……こんなの、俺らしくねえっての!)
自分はクリエイターだ。本物のクリエイターなら、恐怖に慄いている場合ではない。恐怖はこの手で創り出すものなのだから。
ジョーカーは全身を縛り付ける戦慄を振り払うようにして、思い切って後ろを振り向いた。
薄暗い周囲の闇を切り取ったかのように、一際黒い人影がそこにあった。身じろぎもせずに、ただそこに立っている。ジョーカーとの距離は僅か二メートルほどだ。銃など使わなくとも、拳を振り上げれば間違いなく直撃する間合いだった。
「く……‼」
ジョーカーは限界まで後退りする。恐慌状態に陥りそうになるが、必死で自分を落ち着かせようと試みる。そしてその瞬間、口を動かし喋り出していた。
それこそがジョーカーにとって一番心が落ち着くことだからだ。
沈黙には一秒だって耐えられない。




