第38話 キングとクイーン②
「成る程……そういうことですか」
ただ、クイーンの放つ《ソニック・プレス》は、直線状にしか効果がないようだ。その分、軌道も読みやすい。逃げ回ることもできなくはないが、この暗闇では瓦礫に足を取られる危険性もある。
オリヴィエは新たに《スティグマ》を発動させた。自らの足元に広がる血溜まりから薄い膜を作り出し、半円形のドームを作って自らの身を覆う。
即座にクイーンの放った《ソニック・プレス》が牙を剥き襲い掛かってきた。だが、《スティグマ》による半円状の障壁は、全ての衝撃波の威力を悉く相殺していく。
「……へえ、そーいう使い方も出来るんだ? でもそれだけじゃヤバいんじゃね? どーすんの!? ねえ、どーすんのよ‼」
クイーンは狂気に表情を歪めると、ケタケタと大騒ぎをする。
そこからは、《死刑執行人》に狩られるのだという自覚が、全く感じられない。まるで友人と悪ふざけでもしているかのようだ。
一方、オリヴィエの障壁は、クイーンの《ソニック・プレス》を受けきった後、強度に限界をきたし、シャボン玉のように弾けて霧散した。クイーンはそこから勝機を見出したのだろう。ますます、にい、と唇を吊り上げる。
「ひゃはは、ザンネ~ン! てか、弱点まる分かりなんですけど! ヤバくね? 超・ヤバくね!?」
ネジが飛んだような叫声を上げると、クイーンは再び《ソニック・プレス》を発動させた。三発の衝撃波が暗い地下空間の空を斬り裂き、オリヴィエへと猛攻をかける。
だが、オリヴィエも瞬時に《スティグマ》を展開。血の膜で再び障壁を作り、《ソニック・プレス》の威力を押さえながらそれを避ける。
クイーンの《ソニック・プレス》によって、地下通路の壁や天井は激しく損壊し、ボコボコになっていく。粉塵が立ち込め、暗い地下を更に視界不良にしていく。今や、月明かりも殆ど届かない。しかも尚、悪いことに、オリヴィエの《スティグマ》よって作り出したナイフも、《ソニック・プレス》によって全て破壊されてしまう。
大勢は逆転したかに見えた。しかしそれでもオリヴィエには、焦りや動揺は無い。代わりにクイーンに向かって、静かに問いかけた。
「……一つ聞いてもいいですか」
「何よ? なに、何!?」
「どうしてこのような事を?」
「う~~ん……オモシロそーだったから?」
「面白い、ですか」
塵の煙幕に遮られて、クイーンの姿は目視できない。だが、少年が嬉しそうに声をしゃくり上げるのが聞こえてくる。
「うん、そーだよ。俺達がやったことに《東京》全体がビビってんじゃん。スゲエ、まじウケるし! なんつーの? 俺らが世界の中心ってカンジ!?」
「つまり、あなたは己の自己顕示欲を満たす為に、罪もない人々を殺したという事ですね」
「は? 何言ってんの?別に俺が実際殺したわけじゃねーし。っつーか、そんなカリカリするような事じゃねーだろ。どうせこの《東京》じゃ、いつだって誰かが死んでんだ。ゴーストだろうと人間だろうと、馬鹿な奴は死ぬ。俺たちみたいに賢い奴が正義なんだ。つまり、俺らが大正義ってことじゃね? マジ、超ウケるし‼」
「そうでしょうか。あなたたちの一体どこに正義があるのですか? それとも、それすらも判断がつかないとでも?」
オリヴィエの冷ややかな反論に、クイーンはニタリと邪悪な笑みを返す。
「あんた、バカ? どーでもいいって言ってんじゃん! 俺の言う事が気に入らない? ……だったらこういうのはどう? 《東京》が――社会が俺を駄目にしたんですぅ! この腐った世の中に、復讐したかったんですぅぅ~~‼ ……なあ~~~んてな‼」
ぎゃっははははははははは、とクイーンの嘲笑が、がらんとした地下空間に幾重にもこだました。オリヴィエは怒ることも悲しむこともなく、ただ無表情にそれを見つめた。
「それがあなたの答えですか。―――……残念です」
オリヴィエはそのスカイブルーの瞳を、そっと閉じた。
その刹那。
笑い転げていたクイーンの二の腕が突然裂け、血がバタバタと音を立てて飛び散った。
「……あれ?」
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「ってえ! な……何だよ、今の!?」
クイーンは慌てて腕を押さえた。
見るとそこには、刃物でスパッと切られたかのような裂傷ができているではないか。
何故、突然こんなことに。不審に思い、周囲を見渡す。そして、その時初めて気づいた。
自分の身の周りに、蜘蛛の巣のように極細の何かが張り巡らされている事に。
「な……何だこれ……?」
目を凝らしてみると、極細の蜘蛛の巣は、鈍い黒色をしていた。それが月明りを受けると、血のような赤みを帯びる。視線でそれらの元を辿ると、全て神父の掌にある聖痕へと繋がっていた。
クイーンはそれが神父のアニムス、《スティグマ》の能力の一つであるとすぐに気づいたが、その時は既に手遅れだった。
そうする間にも身の回りをびっしりと、蜘蛛の巣の糸が覆っていき、もはや身動ぎ一つ許されない程の密度になっていたからだ。
「クソッ、いつの間に………ぎゃああっ‼」
クイーンは驚き、我知らず身を捩ってしまった。その弾みで今度は脹脛に深い切り傷が入った。
そこを抑えようと体を捻ると、肩や太腿にも容赦なく裂傷が入る。動かなければいいだけなのだが、痛みがそうさせてくれない。
身体が苦痛で反射的に動く度に体のあちこちに切り傷が増えていく。クイーンはパニック状態に陥った。蜘蛛の糸はその動きを緩めることなく、更に触手を広げていき、今やクイーンの体のあらゆる部位と接触していた。
「いてえ……何だよ、何なんだよおぉぉぉぉぉ!?」
このまま、自分はどうなるのだろう。クイーンはそれを想像すると、発狂しそうだった。
この鋭利な蜘蛛の糸で出来た網が、もし、きゅっと一気に萎んだら。柔らかい人間の体は、みじん切り器にかけた卵のように、一瞬で粉々になるだろう。想像するだけで、恐怖が走り、全身がガクガクと震えを帯びる。そして、その度に新たな切傷が増えていくのだった。
クイーンの全身は瞬く間に、己の血で真っ赤に染まっていった。体が震える度に、あちこちに鋭い痛みが走り、大きな悲鳴を上げた。先程のふざけたような言動を取る余裕は微塵も残っていない。恐怖と焦りが冷静な判断を失わせ、緊張が頂点に達する。無意識に浅く速い呼吸を幾度も繰り返し、全身の毛穴から汗が噴出する。
もう限界だ――大声で叫びだしそうになった、その時だった。暗闇の向こうから、ゆっくりと人影が近づいてくる。それは先ほどまで対峙していた、《死刑執行人》を名乗る神父だった。
「あ、あのさあ……これってやりすぎじゃね? ってか、超ヤバくね!?」
声にも震えが走る。だが、オリヴィエは無表情を崩さない。
「そうでしょうか? あなたたちのやったことに比べれは、だいぶマシだと思いますが」
端正なその顔立ちは、月明かりの下で見ると、逆に彫像のような無機質さを際立たせる。それが今は不気味で仕方なかった。最初見たときは、この神父のことを生っちょろい天使のようだと思ったが、それは大きな間違いだったかもしれない。こいつは死神だ。大きな鎌を持ち、命の火を残酷無比に刈り取っていく。身の毛もよだつ、恐ろしい死神なのだ。
「あ……ああ……やめてくれよ、悪かったよ! 何でもするよ! だから……だからコレ、何とかしてくれよおおおぉぉぉぉぉぉ‼」
しかし、どれだけ懇願しても、神父はやはり無表情だった。すっと細めた眼には、身震いしそうなほどの冷徹な光が灯っている。息をのみ、それを見つめるクイーンに、神父は低い声で囁いた。
「……地獄で裁きを受けるがいい」
そして、右手をくいと動かす。その瞬間、クイーンの周囲に、網のように張り巡らされていた血の糸が、一気に収縮した。悲鳴を上げる間もなかった。クイーンの体は、壊れたマネキンのようにバラバラになり、肉片と化す。地下通路の床は、瞬く間に血の海に沈んでいった。
その中でただ一人、オリヴィエだけが身じろぎもせず立っていた。
地上から差し込む月の光が、その凄惨な光景を寡黙に照らしだしていた。
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大橋は暗闇に包まれた地下通路の中を全力で走っていた。
足元には瓦礫がごろごろと転がっていて、引っ切り無しに足を取られる。仕方がないので、腰のポーチに忍ばせておいた小型の懐中電灯で足元を照らさなければならなかった。
それが『相手』に、己の存在を知らせる目印になってしまうということは分かっていたが、転倒して八つ裂きにされるよりはいくらかマシだ。
(クイーンの奴、何やってやがる!? ゴーストの相手は俺の手には余る。こういう時のアニムスだろーがよ‼)
胸中でそう罵るが、クイーンが現れる気配は一向にない。一刻も早く地上に出て合流したかったが、『相手』がそうさせてはくれなかった。地上に向かう通路や階段へ向かおうとすると、不気味なガスマスクを装着した黒い大男たち――《レギオン》が進路を塞いでしまうのだ。
結果、大橋は地下の中をぐるぐると走らされているのだった。
(畜生……これじゃ、ドッグランで走らされる犬ッコロと、大差ねえぞ!)
苦々しいものが口の中で広がる。
自らが選択し行動しているようで、その実、何者かにそう行動するように仕向けられている。そんな状態が、快く感じるわけがない。どうにかしてこの追い詰められた状況を打開したいが、常に背後には《レギオン》の気配があり、それを考える余裕もない。
そうこうしている間に、大橋は突き当りに差し掛かった。通路はそこで、左右に分岐している。どちらに行くべきか。大橋は迷ったが、咄嗟の判断で右を選んだ。うろ覚えで確かではないが、こちらの通路を奥へ行けば、最初に足を踏み入れた広い地下空間に出られるはずだ。
しかしそこには既に《レギオン》が回り込んでおり、大橋の行く手を遮っていた。
「いつの間に……くそったれが‼」
大橋は懐中電灯の柄を口で加えると、左手に提げていたハンドガンを両手で構える。そして、迷うことなく引き金を引いた。妙に乾いた音を立て、銃弾が眼前に聳え立つ大男の体をぶち抜いていく。
「やった!」
四発すべて、確かに命中したのを大橋は見た。銃を常に所持してはいるものの、射撃の腕前自体はいまいちだ。それが一発も外さなかったのだから、歓声の一つも上がろうというものだ。
ところが、大男は痛がる素振りもなく、けろりとしている。銃弾の命中した部分から、血の代わりに黒い粒子のようなものが漂い出し、霧のように消えていく。ただそれだけだ。
「ちっ、この化け物が……!」
大橋は更に数発、大男に弾丸をお見舞いすると、踵を返して元来た通路を戻ろうとする。だが、そちらも既に大男が立ちはだかっていた。大橋に残されているのは、左側の通路を進むという選択肢だけだった。
(こっちに進めってことか……回りくどいことしやがって!)
大橋は顔をしかめるが、残る二つの通路を塞ぐ《レギオン》がゆらりと動き出したのを見て取ると、仕方なしに再び走り始めた。今まで黒い大男たちが何か直接、手を出してきた事はないが、万一捕まって、何か危害を加えられては堪らない。
時折、背後を振り返り、発砲する。銃弾のいくつかは《レギオン》の体に撃ち込まれるものの、やはり黒い大男が歩みを止めることはない。かといって何か攻撃してくるわけでもなく、ひたひたと大橋の後ろを追ってくる。
大橋は精神的に追い詰められつつあった。
最初は、こちらは人間なのだからと、心のどこかで高を括っていた。《死刑執行人》が合法的に手を下せるのはゴーストだけだ。人間を殺したなら、《リスト入り》するのはお前らのほうだろう。手を出せるものなら出すがいいと、嘲笑さえしていたのだ。だから、隙さえあれば逃げられる機会も十分にあると思っていた。
だが、それは少々甘い考えだったかもしれない。
《レギオン》の追跡は執拗だった。常に一定の距離を保って、ぴったりと後をついてくる。大橋が曲がり角を曲がろうとすると、先ほどのように先回りして進路を阻み、思うように進ませてくれない。直接危害を加えられないとはいっても、そういう風に後ろを追いかけられたら、強い緊張と圧迫感を感じずにはいられなかった。
ただでさえ暗闇を走り続けるのは気力と体力を消耗するし、ハンドガンもそれなりに重量がある。大橋は肩を激しく上下させながら、吐き捨てた。
「畜生……シャレになんねーぞ‼」
相手の目的が全く分からないのも気味が悪かった。こうやって延々と自分を走らせることに、何の意味があるというのだろう。まるでこちらを走らせ、弱りきるのを待っているかのようだ。
そう考えて大橋は、はたと、何かの本で読んだ話を思い出す。野生の狼は、猪突猛進に獲物へと襲い掛かったりはしない。じりじりと追い詰め、或いは待ち伏せをし、獲物を思う存分走らせて、弱ったところを一気に仕留めるのだ、と。
(まさか……本気で、殺ろうってんじゃねえよな……?)
《死刑執行人》は人間を殺さない。それはこの街の大原則のようなものだ。だからこそ大橋のようなごく普通の人間も、イカれたゴーストどもと我慢して『共生』できるのだし、今回の『仕事』にも乗ったのだ。
しかしよく考えれば、いくら《死刑執行人》といえども、所詮はゴースト。そのルールをどこまで守るのか、知れたものではない。平気で人殺しを家業にするような連中だ。うっかりその中に本物の人間が混じったところで、痛くも痒くもないに違いない。
(何がゴーストだ! 何が《死刑執行人》だ! 全く……虫唾が走るぜ)
胸中で散々ついた悪態をまた一つ吐き出すが、すぐにそれどころではなくなった。自分の真後ろに、いつの間にか黒い大男が迫っていたのだ。
「くそっ‼」
大橋はその場に立ち止まると、背後を振り向いてハンドガンを両手に構え、大男に向かって再び発砲する。ところが五発ほど打ち込んだ後、急に弾が出なくなった。大橋は焦って何度も引き金を引く。しかし、撃針が空回りするばかりで、何の反応もない。
(弾切れかよ!?)
替えの弾倉を取り出そうとポーチの中を漁るが、出てくるのは細々とした文房具や工具ばかりだ。その時ようやく、銃弾を撃ち尽くしたのだということに気づく。逃げ回ることに必死で、状況を冷静に把握する余裕がなかった。
もっとも気づいたところで、他に対処のしようもなかっただろうが。
もう、身を守るものが何もない――そう悟った途端、猛烈な恐怖が足元から這い上がってきて、全身を雁字搦めに縛り付けた。これからどうしたらいいのか。自分はどうなってしまうのか。
呆然と立ち尽くし、《レギオン》を見つめるが、闇に溶けてしまいそうなほどの黒々とした大男は、やはり何もしてこない。
それどころか、大男は大橋を前にして数歩後退すると、そのまま闇の中に姿を消してしまった。全く想定外の事態に呆気に取られるが、闇の向こうからは物音ひとつ、聞こえてこない。
ここまで追いつめておきながら、なぜ。何故、留めを刺さない?
一体、どういうことなのか。こいつらは一体、何が目的なのか。大橋は混乱する。助かったという安堵感と、何か妙だという不審感が交互に押し寄せてきて、頭がおかしくなりそうだった。
とにかく、現状確認だ。大橋は逸る動悸を何とか抑え、深呼吸を数度繰り返した。《アラハバキ》にある場末のバーでバイトをしていた時、それなりに荒事にも遭遇した。俺には度胸がある。必死でそう自分に言い聞かせる。
そして口にくわえた懐中電灯を手に持ち直すと、周囲をぐるりと照らしてみた。方向感覚はすっかり狂ってしまったが、どこかに通路や階段が伸びているはずだ。諦めなければ、必ず勝機はある。しぶとさは自分の数少ない長所の一つだ。
女にモテるわけでも、金があるわけでもない。ただそれだけで生きてきたようなものだ。
しかしその瞬間、再び大橋の心臓が跳ね上がり、早馬の如く駆け出して鼓動を打ち鳴らす。大橋の懐中電灯は、床に落ちるあるものを克明に照らし出していた。半壊状態の、腕輪型端末。つい数刻前まで、自分の腕にあったはずの、最新テクノロジー。
「ここは……俺、元に戻ってきたのか……!?」
そこは大橋が『撮影』のために最初に足を踏み入れた場所――《死刑執行人》に待ち伏せされていた小部屋だった。《レギオン》に追い立てられ、ぐるぐると走らされた挙句、結局この部屋へと戻ってきたのだ。
「嘘……だろ……!?」
愕然と、そんな言葉が漏れ出した。あまりのショックで、緊張とそれまで駆けずり回っていたことによる疲労が、どっと押し寄せてくる。膝が笑い、その場にへたり込みそうになるが、何とか地を踏みしめた。背後に何者かの気配を感じたからだ。
そこには、三体の《レギオン》が大橋をずらりと取り囲んでいた。
背後を振り返った大橋は、その大男たちがいつ攻撃してくるのかと見構えるが、《レギオン》たちはやはり黙したまま何もして来ない。
とは言え、感情の揺らぎを微塵も感じさせない三体の影は、それだけで恐怖と威圧感を感じさせる。




