第34話 強行②
(さっすが、所長!)
失敗はできない。でも、それくらいである方が、緊張感があっていい。
何より、そういった『縛り』があった方が、『ゲーム』に勝利した時の喜びや達成感も倍増するというものだ。
マリアは一人、冷やりとした武者震いに酔いしれた。
(でもま、それは置いといて)
流星が再び六道に異議を唱えることはなかったが、マリアは若干、内心の苛立ちを引き摺っていた。
思わず、親指の先をがりがりと齧る。
それは苛々したり、考え込んだりしたときに出る、マリアの悪癖だ。仲の良かった兄にも、それはやめろとよく注意されていたが、結局治ることの無いまま今に到っている。
(何で、流星ってばあんな事……? まさか……深雪っちのせい!?)
マリアは事務所に新しく入った、ぼやっとした顔の少年の顔を思い浮かべた。流星が六道に盾突くなんてこと、今までになかった。
明らかに、これまでになかった不純物――深雪の言葉が何らかの作用を及ぼしたとしか考えられない。
先ほどの会議室での茶番劇を思い出すと、今でも吐き気がする。
ああいう、無意味な理想論をぶちかます奴は、マリアの最も嫌いなタイプの人間だ。代案も示せない馬鹿のくせに、文句だけは声高に叫ぶ。
それでも、六道の強い意向もあったし、第二の能力とやらも興味がないではなかった。今まで通り大人しくしているなら、と、大して役に立たなくても大目に見てきたのだ。
だが、あれは些か調子に乗りすぎだ。
(ムカつく……ムカつく、ムカつく!)
腹立ちまぎれに部屋の壁をガンガンと蹴りつける。
マリアはこの事務所のメンバーをそれなりに気に入っていた。
何と言っても、チームワークが良く、実行力がある。『駒』としては最高だと言っていい。
人間関係がドライなのも、気に入っている点の一つだ。程よい緊張感が、更に良好な結果をもたらす。馴れ合いなんて気持ち悪いこと、死んでもご免だ。
理想のチーム、理想の『駒』。それがあってこそ、ゲームで勝利を収めることができる。今までは、それがうまい具合に保たれていた。
それなのに、あの無能なガキが加わったせいで、すべて台無しになってしまうかもしれない。
(深雪っちの存在は、今後、要注意かもね……)
言葉というのはつくづく厄介だと、マリアは思う。
深雪のゴタクを聞いたからと言って、流星やオリヴィエらが直ちに考えを改めるとは思わない。あれは所詮、偽善に凝り固まった綺麗事に過ぎないということは、《監獄都市》で生きる者なら誰でもみなよく知っている事実だからだ。
だが、だからと言って油断は禁物だ。
言葉というものには『力』がある。
それを目で見、耳で聞き、或いは口で発した人間の意識の奥底に、いつの間にか言葉はするりと入り込むのだ。そして、いつしかその人間の思考や人格を、じわじわと変えてしまう。
そして時には社会を、或いは世界さえも変質させていく。
まるでそう――凶悪なウイルスのように。
(ふざけんじゃないよ)
必要であれば、異物は排除する。そうしてこそ、集団の機能は保たれる。
ウイルス退治はお手のものだ。確かに、マリアには奈落や神狼らのような腕力はない。だが、手の内にある情報を最大限に活用すれば、人ひとり抹殺するなど容易いことだ。
腹が立って仕方なかったが、今はもう、そんなことを言っている時間はない。あんなガキ、いつでも対処できる――そう思えば、少しは溜飲も下がる。
やや機嫌の回復したマリアは、所長室が映し出されたものとは別のディスプレイに意識を集中させる。
そろそろ、可愛い分身たちが、色よい結果を教えてくれる頃合いだ。
そして要望通り手に入ったそれに、歓喜の声を上げたのだった。
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三十分後、深雪たちは予定通り再び集められた。
ジャックのいる部屋とは別のミーティングルームで、いつもの部屋の三分の二ほどの広さだ。
入口の脇に簡素な机といすがあるが、それ以外に目立った家具はない。天井に3Dホログラムの投影機が設置されていて、ランプがちかちかと数回点滅すると、部屋の中央にウサギのマスコットが現れた。
先ほど、マリアから痛烈な批判を受けた深雪は、ウサギの出現にどきりとする。だが、当のマリアは、それを気にした様子は全くなかった。
深雪の方には見向きもせず、上機嫌でくるくると回転する。
「ビンゴ‼ ……あった! 見つけたわよ! 奴らが次に使う犯行現場と監視カメラ‼」
「本当か!?」
流星が聞き返すと、今度はマリアの上空に、大きな地図が浮かび上がった。新宿を中心とした路線図で、その上に赤い点が点々と散らばっている。
それが、一か所にやたらと集中していた。渋谷駅の南、恵比寿駅の周辺だ。
「これを見て。ここ一週間でハッキングを受けた地下街の監視カメラの位置情報ね。ここだけ、突出して接触回数が多いのよ。場所は元JRの駅ビルだった施設ね。ジャックって奴の話とも一致する!」
よほど煮え湯を飲まされたのを根に持っているのか、マリアはいつもより数倍テンションが高かった。
「……そこから接触のあった端末を特定して、個人情報引き摺りだして、端末の持ち主の位置特定! そこから逆に監視カメラハッキングしてやって、録画記録やら通信記録やら、何やら何まで身ぐるみぜーんぶ剥がしてやって、残り二人の犯行メンバーを特定してやったってわけ!!
ああん、マリアちゃんってば、マジ・天っ才ッッ!!」
確かにマリアの力なくしては、犯人たちの特定は不可能だったろう。だが、人目を一切憚らないあまりの自画自賛ぶりに、その場にいる全員が呆れ返る。
ところがそんな中、奈落は冷ややか且つ尊大不遜に言い放ったのだった。
「そうだな。確かに、ごくごくたまに、役に立つな。誉めてやろう」
すると、やはりと言うべきか、ウサギの表情は俄かにムッとする。
「いっちいちムカつくわね、あんた! でもまあ、いいわ。凡人は天才に嫉妬するものよね~!!」
「おい、その辺にしとけよ、二人とも。まだ終わってねえんだぞ」
さすがに見かねた流星が、釘を刺した。
マリアによると、キングとクイーン、ジョーカーの三人は頻繁に会って連絡を取り合っていたらしい。そして、彼らの通信記録から音声データを抜き出し、ジャックに聞かせたところ、キングとクイーンの声で間違いないと認めたという。
「ま、それで証拠として認められるかどうかは正直、微妙だったけど……一刻を争う事態だし、所長も《リスト登録》をかなり強引に押し切ったみたいね」
まさに綱渡りだな、と深雪は思った。何が何でも次の犯行を阻止する。その考えが間違っているとは思っていないが、何か不備が合った時に取り返しのつかないことになるのではないかと、懸念を抱かずにはいられない。
「……どうしますか? ジャックの話だと、今日にも犯行が行われてしまう。すぐにでも乗り込んだ方がいいのではないですか」
オリヴィエは捕らえられた少女のことが気になるのだろう。表情を険しくし、語気を荒くした。しかし、奈落が冷静に、それに待ったをかける。
「待て。不確定要素が多すぎる」
「ああ。特に……問題はジョーカーだ。ジャックの話だと、奴は現場には現れない」
「居場所分からない、危険。最悪、逃げられる」
流星と神狼の言葉がそれに続いた。どちらも、苦虫を嚙み締めたような表情だ。
ジョーカーの洗脳系のアニムス、《ブレイン・ウオッシャー》がなければ、今回の犯行そのものが成立し得なかった。ジャックや波多洋一郎といった『実行部隊』はみな、所詮、替えの利く『部品』に過ぎない。どれだけ狩っても、代わりはいる。
犯行の連鎖を止めるためには、ジョーカーを抑えることが必須となる。
「……ジョーカーはあたしに任せて。どこにいるか分からないものは、引き擦り出せばいいのよ! さんざんナメた真似してくれたからね。今度はこっちが攻める番よ!」
マリアは自分の計画によほど自信があるのか、ニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
「よし……それじゃ、各員の配置といくか」
流星のその一言で、部屋の空気が一変する。そしてそれとほぼ同時に、先ほどまで浮かび上がっていた路線図は姿を消し、リスト登録された二人のゴーストが浮かび上がった。
一人はジャックこと長谷川康介、もう一人はクイーンを名乗る少年だ。外見はジャックよりさらに幼いように見える。
キングとジョーカーの姿は、そこには無い。ジャックによれば、キングはごく普通の人間だという。そして、ジョーカーは―――
(……《リスト登録》は間に合わなかったのか)
六道がそれに対してどう対処するつもりであるのか。深雪には知らされていなかったが、皆の様子から想像はついた。
六道は《リスト登録》の有無などお構いなしに、ジョーカーを狩るつもりなのだ。
そうでなければ、部屋に充満するこの異様な密度の殺気はおかしい。
だが、たとえその事実を知らされたところで、今や走り出してしまった車輪を止めることはできないだろう。
「頭は俺が貰う」
「……それでは、私はクイーンを」
奈落とオリヴィエは、まるでチェスの先手と後手を決めるかのように、淡々と言った。計画の打ち合わせは着々と進む。そして、その進行具合と比例するように、室内の空気はどんどん冷え込んでいく。
(―――まただ)
深雪は身震いをした。冷房を入れているわけでもないのに、この冷え込み具合はどうだ。
《ウロボロス》も、他のグループと抗争になった時などに、殺気立つことがよくあった。しかしその時感じたのは燃えるような熱さだった。身を委ねていて、心地よいほどの熱の奔流。
しかし、今この部屋を覆っているものは、それとは対極のものだった。まるで触れる者全て、一瞬で凍てつかせてしまう様な絶対零度の冷気。
(もう、後戻りはできない―――………)
ジャックやジョーカーは、自主的には犯行を止めないだろう。誰かが止めねばならないのは分かる。それが間違った手段であったとしても、この《監獄都市》ではそれしか手段が無い。
空しさが急速に広がり、心の中に幾重にも染みを作っていく。
最早、深雪にこの大きなうねりを止めることはできなかった。できることといえば、被害者の少女がせめて助かるようにと祈るだけだ。先ほど会議室でぶった大演説も、マリアに向けた反論も、全てが無意味で無価値だったように思えてくる。
《死刑執行人》はこの《監獄都市》の中で一つの歯車となり、複雑に影響を与え合って、今やこの街を支える存在になっている。それを覆すのは、並大抵のことではない。
それでも、いつか――いつかは、終わらせなければ。
誰も手を汚さなくとも、成立し得る街を取り戻さなければ。そうでなければ、いつか何もかも崩壊してしまう。
それはきっと一度失われたら、二度と回復することは難しいのだから。
深雪は部屋にひとつだけある窓へと視線を向けた。すでに外の景色は濃紺色に沈み、夜の息吹を感じられるほどになっている。時間はもうない。
あとはただ、動き出すのみだ。
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腕の端末を確認すると、時間はちょうど午後十時を回った頃だった。
男は、バンを走らせていた。名は、大橋亮也。
仲間内ではキングという名で通っている。
今年で二十八だ。そろそろ、青年を過ぎ、中年へと足を踏み入れる時期であるせいか、最近、腹が妙に出っ張ってきた。
子供の頃からずんぐり体形だったおかげか、外見上の見た目はさほど変わりないのだが。
グレーの車体は、荒れ果てたアスファルトの凹凸をこれでもかというほど丁寧に拾い、ゴトゴトと派手に揺れている。
最初は『積み荷』が目を覚ますのではないかとヒヤヒヤしたが、どうやらその程度では目覚めない仕組みになっているらしい。
あのジョーカーとかいうイカれたガキの仕業らしいが、詳しいことは分からない。
ゴーストのことなど、特に知りたいとも思わない。
昼間、宅配の仕事をしている時にジョーカーから電話があり、今日の夜に『仕事』が入れると連絡を受けた。
《東京》の中にも宅配業者はいる。もっとも、《壁》の外から流入する物流のルートは限られているので、発送人と受取人、双方ともに東京内部の人間だ。それでも需要はあるにはある。大橋亮平の職場もごく小規模だが、それなりに忙しかった。
大橋亮平の宅配の仕事は、不特定多数の、大勢の人間と関わり合う。そこでターゲットとなる女を物色し、選定するのも大橋の仕事だった。
と言っても、大橋がピックアップした少女たちの中からどれを選ぶかはジョーカーに決定権があるのだが。
やがて車を走らせると、前方の通りにふと男が突っ立っているのが見えた。引き摺りそうなほどのだぶだぶのズボンを履き、ドピンクのパーカーを目深にかぶっている。
顔を見なくても分かった。クイーンだ。
(あの野郎……今日も目立つ格好しやがって……!)
大橋は、ちっ、と舌打ちをした。
ゴーストという奴らはどうも警戒心や慎重さに欠けている連中が多い。アニムスがあるからと、己の力を過信しているのだろう。
それでも、ジャックのように姿を消せるアニムスであるならともかく、そうでないなら少しは自重して欲しいものだ。
実際、もっと地味な服装にしろと、口を酸っぱくして注意してきた。だが、効果は全くない。
(ああくそ、早速イライラしてきやがったぜ)
大橋は、荒々しく溜息をつく。
クイーンの本名は知らない。互いに、コードネームで呼び合っているからだ。
大橋はこの男が苦手だった。いつも耳にイヤホンをしていて、暇があれば大音量で音楽を聴いている。おまけに、その音楽に合わせてくねくねと体を動かし、些細な事で大袈裟なリアクションを返してくる。
ふざけているのか、やる気があるのかないのか、さっぱり分からない。本当に苛々する。
ただ今のところ、言われたことはそれなりにこなしている。思いの外、頭が回るのか、大きな失敗も無い。嫌いなタイプではあるし、ゴーストでもあるし、本来なら言葉を交わすことすらなかっただろうが、使えるとい点はまあまあ、評価している。
少なくとも、ジャックの奴よりはだいぶマシだ。
ジャックは何かというと反抗的で、こちらの命令を聞かない。かといって自主的に考えて動くわけでもなく、すぐにミスを犯す。
そしてその度に、大橋の命令の仕方が悪いとふてくされているのだ。
大橋にしてみれば、ジャックはただのお荷物でしかなかった。現に今だって、何度も連絡を取ろうとしているのに、一向に返事がない。今のところ、見張りや売り子をさせているが、それ以上のことを任せようとは絶対に思わないタイプだ。
ともかく、クイーンを拾って、早急に現場に移動しなければ。
金になる仕事だが、大橋としてはさっさと終らせてしまいたかった。
バンをクイーンの傍で止めると、クイーンが慣れた様子で助手席に乗り込んで来る。大橋は不機嫌さを隠しもせずに言った。
「ジャックの奴に連絡がつかねえ」
「……へー。どうするんすか」
「どうしようもねーだろ。通話に出ねえんだからよ」
「へー」
クイーンはイヤホンからシャカシャカと漏れる音楽に合わせ、首を前後させている。こいつはこれから何をするのか、本当に分かっているのだろうか。大橋は更に苛立ちを強めた。
まったく、どいつもこいつも緊張感というものがない。
「まあ、いなきゃいないでいいんだけどよ。ったく……遊びじゃねえっつの」
大橋はぶつくさ言いながらトラックを走らせた。暫くして、クイーンが思い出したように声をかけてくる。
「今度はどこですか」
「地下街だ。元JRの駅地下」
「何でまた、そんなとこで」
「地上はヤバい。ポリ公が嗅ぎまわってる。噂によると《死刑執行人》の連中もな」
すると、クイーンは何が面白いのか、突然両手を叩いて笑い始めた。ぎゃははは、と耳をつんざくような笑い声が、暗い車中を圧迫する。
「マジですか。チョー受けるし! ってか、俺ら大丈夫なんすか!?」
「何がだよ。今さら降りるってのか?……ああ?」
大橋は生来の細目を更に細め、クイーンを睨んだ。クイーンは笑い声を引っ込めると、対して動じた様子も無く、肩を竦める。
「……そりゃ、あんたはいいよ。人間だからさ。《リスト登録》されることもなけりゃ、問答無用でぶっ殺されることもないし? 気楽でいいよな~、マジで」
(またその話かよ……)
大橋は忌々しく思った。それはクイーンの常套句だ。何か自分に都合が悪いことがあると、すぐにその話題を持ち出す。
自分たちはゴーストであり、それだけで大橋よりも多大なリスクを負っているのだと。
「気楽なわけあるかよ。こっちだって、ゴーストと間違われてぶっ殺される可能性あんだぞ。それをわざわざ、協力してやってんのに……」
ぶつくさと反論する大橋の言葉を遮るように、クイーンは台詞を被せてくる。
「まっ、いいんすけどね~~。ちゃっちゃと終わらせましょうよ」
クイーンはそういうと、足を組んで優雅に目を閉じた。イヤホンからは、相変わらずシャカシャカと音楽が漏れる音がする。クイーンはそれに聴き入っているらしく、再びそのビートに合わせて首を振り始めた。
(あああ、ぶん殴ってやりてぇ……‼)
大橋の苛立ちは頂点に達し、胸の内で憎悪の如く燻ぶったが、それを直接クイーンにぶつけるわけにもいかない。
これから重要な『仕事』が待ち構えている。
つまらない諍いが原因でへまをすれば、こちらの命が危ない。




