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東亰PRISON  作者: 天野地人
監獄都市収監編
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第8話 失われた居場所

 三十分後、シロが夕飯の膳を運んで来た。

 シロはどうやら深雪の世話を焼くのが楽しいらしく、やたらと張り切っている。


「お待ちどーさま! はい、どーぞ!」

「あ……ありがと」

 深雪はコートとシャツを脱いで黒いタンクトップの格好のまま、ベッドから起きあがった。


 そこで、始めて部屋の中が肌寒い事に気づく。窓を開けたままにしていたのだ。それを閉めようと、窓際へと向かう。


 その時、ふと視線を感じて背後を振り返った。シロがじっとこちらに視線を注いでいた。何かを言いたげな、しかしそれをどう言葉にしていいのか分からない――そんな、曖昧な表情。


 ああ――深雪はすぐに察しがつく。深雪の背中一面に彫られた刺青(タトゥー)――彼女はそれを見ていたのだ。

 それは二匹の蛇の刺青だった。互いに尾を食い合い、一つの輪っかを形成している、二匹の蛇。ウロボロスだ。


 しかし、それは背中の辺りで皮膚ごと剥ぎ取られたかのようになっている。剥ぎ取られた部分の皮膚は抉れ、鈍い赤色に変色していた。深雪も斑鳩科学研究センターの鏡で何度か目にしたから知っている。自分で言うのも何だかおかしいが、壮絶な傷跡だった。


 シロは心配そうな表情で、「背中……痛い?」と聞いて来た。

「痛くないよ。今はもう。昔の……黒歴史ってヤツ」

 深雪は苦笑いをして彼女から視線を外し、そう答えた。


 できる事なら、ウロボロスの刺青(タトゥー)の事は話したくなかった。それは深雪にとって辛い記憶を伴うからだ。だが、普通ならそんな尋常では無いものを見せられたら、聞かずにはおれないだろう。一体何があったのか、と。


 深雪はてっきりシロもそうするだろうと覚悟していたが、意に反して彼女は深雪の瞳を覗き込んで来たのだった。

「ホントに痛くない?」

 深雪はぎょっとし、心持ち仰け反りながら「う……うん。痛みは、もう無い」と答えた。


「そっか。良かったね!」

 シロは嬉しそうに微笑む。深雪の安否が一番気になるのだというように。そして彼女はそれ以上、何も尋ねては来なかった。まるで、何も聞かれなくないという深雪の心中を見透かしたかのように。


(まさか……な)

 おそらく、単に興味が無かっただけだろう。それとも、関わり合いになりたくないと思われているのかもしれない。いずれにせよ、説明せずに済むならそれに越したことはなかった。 

 深雪はほっと胸を撫で下ろした。


 一方、シロは手にしていた膳を深雪に手渡して言った。

「オルがね、お食事作ってくれたんだよ。オルはお料理がとても上手なの」

 膳の内容は焼き魚に菜っ葉の煮びたしの付け合せ、漬物、ご飯に味噌汁と、まるで学生食堂のメニューの様な内容だ。窓を挟めば外は廃墟の山という異常な光景が広がっているのに、こうやって時折ごく普通の日常も顔を覗かせる。このギャップが、どうにも慣れない。


「ここで一緒に食べていい?」

 深雪は少し迷ったが、「いいよ」と答えた。するとシロは嬉しそうに跳ね、部屋の外にすっ飛んで行き、すぐに自分の膳を持って戻ってきた。深雪と同じメニューだ。そしてそれを抱え、二人してベッドに腰を下ろす。シロは白米を口に運びながら、話しかけてきた。


「ねえねえ、ユキは《壁》の外から来たの?」

「うん」

「外で何してたの?」

「外って言うか……最初は東京にいたんだ。それから気付いたら壁の外にいた。それで、戻ってきたんだ」

「ふうん……? 何だかややこしいね」

 シロは不思議そうに首を傾げる。そして次に、鮭の身をほぐしながら言った。


「シロは《壁》のお外、全然知らないんだ。最初からここにいたから」

「………!」

 深雪は、はっとしてシロを見つめる。


 《壁》ができ、隔離政策が始まったのは、深雪が冷凍睡眠(コールド・スリープ)に入ってすぐだ。あれから二十年、そういう子どもがいても理屈上はおかしくは無い。

 彼女はここで生まれ育ち、外の世界を全く知らないのだ。この異常な世界で生きる事を強いられてきて、普通の幸せを全く知らないのだ。そう考えると、胸が締め付けられる思いだった。


 しかし、当のシロはそれを気にした風もなく、無邪気に言った。

「外って広い? どんなんだろ?」

「俺も東京で生まれ育ったから、よく知ってるわけじゃないけど……二十年前はグローバル社会で、外国にもすぐ行けた。俺も、修学旅行とかで台湾とオーストラリアに行った事がある。今は……どうだか分からない」

「外国⁉ すごいね! でも、二十年前って……?」


 それはさすがに妙だと気づいたのか、シロは深雪をじっと見つめる。

「あ、えっと……」

 しまった、うっかりしていた。深雪はどう誤魔化したものかと焦るが、急にまあいいか、と投げやりな気持ちになった。一々嘘をつくのも面倒だし、どうせ説明しても信じては貰えまい。正気を疑われたとしても、それで何かペナルティが課せられるわけではないのだ。そこで、ありのままを口にする事にした。


「俺……さ。冷凍睡眠(コールド・スリープ)で眠らされてたんだ。二十年前からタイムスリップしてきたみたいな感じで、さ」

「コ……ルド……ス……? 何、それ?」

 シロは困ったような顔をしている。

「………。ほんと……何それ、だよな。俺もワケわかんねーよ……」

 深雪は力なく笑った。それを見たシロは一瞬悲しそうな表情をしたが、すぐに励ますように明るく言った。


「でも、ユキが二十年前から来た人って言うのは分かったよ」

 深雪は驚いて顔を上げる。

「……俺が言った事、信じるの?」

「うん。だって、ユキの目は嘘ついてなかったよ。だから本当なのかなって」

「シロ……」


「二十年って、すっごく長いね。シロが生まれる前だもん。そんなとこから来たんだ……?」

「………。うん……」

「まるで浦島太郎だね。でもそういうの、きっと、すごく……淋しい、よね……」

 深雪は彼女の横顔を見つめた。悲しそうに目を伏せている。いつも幼い彼女がのぞかせる、少し大人びた表情に、深雪はどきりとしてしまう。


「シロはね、ユキが淋しくならないようになったらいいって思う。 だからシロ、ユキのお手伝いするよ! ユキが元気になるように……!」

 そしてシロは元の無邪気な表情に戻ると、にこっと笑った。

「ごはん、冷えちゃうよ。食べよ!」

そして両手で味噌汁の椀を持って、口に運ぶ。深雪はシロの横顔を見つめた。


(いい子だな)

 自然とそんな思いが湧き上がってきた。確かに言動が子供っぽいが、それは独り善がりの幼稚なものではない。人を思いやったり、気づかったりする心がそこにはある。


 何より、彼女は人の心の痛みを知っている。


 深雪は少しずつ、シロに対して好感を抱くようになっていた。彼女がもし近所に住む普通の子だったら――もしくは、同じクラスの同級生だったら。きっと何のわだかまりもなく仲良くできただろう。

 

 シロがゴーストでなく、深雪もまたゴーストでなかったなら。

 

 もっと、彼女にうまく微笑むことができたのだろうか。





 あてがわれた部屋で監獄都市での最初の夜を明かしたが、あまりよくは眠れなかった。

 翌朝、コートを羽織って一階に降りると、昨日の部屋には誰もいなかった。


「今のうちに……!」

 宿を提供してもらえたのはありがたいが、かといって昨日の彼らとあまり深くかかわり合いになる気も無かった。早くここを出て、家と学校を見に行こう――そう思ったのだ。

 しかし、玄関へと向かう深雪をシロの声が制止した。


「あ、ユキだ! おはよ、ユキ。よく眠れた?」

「シロ……!」

 深雪はしまったと思ったが、もう遅い。シロは軽やかに階段から下りて来ると、こちらに走り寄って来た。


「どこかにお出かけするの?」

「あ、うん。えっと……」

「シロも一緒に行っていい?」

 深雪は思わずシロを見返す。シロは昨日と変わらず、にこにこと邪気のない様子だった。見張りかと思ったが、どうやらそうではなく、純粋に同行したいというだけのようだ。


 最初は断るつもりだったが、彼女のあどけない笑顔を見ていると、まあいいか、という気持ちになってくる。今のところ、シロは深雪に対して悪い感情を持っていないようだ。深雪はまだこの東京に不慣れで、道案内がいた方がいいだろうし、彼女一人なら途中で撒く事もできるかもしれない。


「けっこう歩くかもだけど……いい?」

 深雪が尋ねると、シロは「うん、シロ平気だよ!」と答える。

 そこで、二人連れだって歩くことにした。


 事務所の外に出ると、その一帯は比較的まともに建物が多く残っている区画だった。確実に古くはなっているものの、形が残っている。それだけでも奇蹟的な事だ。アスファルトもひび割れることなく、なんとかきれいな状態を保っている。


 その道の両側に、大きなオフィスビルが聳え立つようにずらりと並んで、断崖絶壁を形作っていた。決して道幅が狭いわけではないのに妙な圧迫感がある。東雲探偵事務所の建物を振り返ると、四階建ての古びた洋館はその中で、いっしょうけんめい居場所を主張するかのようにそこに居座っていた。上空を見上げると、晴れ渡った空と共に、更に巨大なビル群が林立しているのが目の中に飛び込んできた。


「ここ……もしかして、新宿……?」

 深雪がそう口にすると、シロは、「うん、そだよ」と頷く。

相変わらず人通りはまばらだ。昨日よりは増えてはいるが、二十年前を考えるとあまりにも淋しすぎる。新宿が日本有数のオフィス街であったことを考えると、尚更だった。おまけに、その僅かな人員はみなゴーストなのだ。深雪の胸中は複雑だった。


「……行こっか」

 深雪が歩きだすと、シロが後からついて来た。

「どこへ行くの?」

 そう尋ねられ、「家と学校」と答える。

「確かめたいんだ。もしかしたら……残っていないかも、だけど」


 今まで目にした光景を考えると、その可能性は高いと思っていた。これだけあちこち破壊されているのだ。自分の家の周りだけきれいに残っている事など、まずあり得ない。よしんば建物が残っていたとしても、そこにいた人々は、おそらくもうそこにはいないだろう。


 それでも、深雪は確認せずにはおれなかった。

 何でもいい、この目で事実を見なければ、先に進めない――そう思っていた。


「おうち、きっと残ってるよ」

 シロの言葉に、深雪は、「うん……そうだな」と頷く。

 そうして西に向かい、二人並んで歩き始めた。


 巨大ビルの麓を通り抜け、都庁の特徴的なツインタワーを見送って、高速環状線を横切る。中野に差し掛かると、はっきりと馴染みのある景色が増えてきた。


 この辺になると、再び壊れた家屋が多くなってくる。二階の一部が抉れていたり、傾いていたり。見覚えのある郵便局はしかし、看板が途中で折れてしまっているし、薬局は窓ガラスが悉く割れ、暗くなった内部は薬棚がいくつも折り重なって横倒しになっている。マンションも下の階は部屋が暗く、人が住んでいるようには見えない。上の階の方に、ちらほらと洗濯物が干してあるのが見えるだけだ。どこもかしこも一変している。


 深雪は嫌な予感に襲われ、知らず知らずのうちに足早になっていく。


 やがて実家の目の前に辿り着いた。

「ユキのおうち、ここ……?」

 一緒についてきたシロが、戸惑ったような声でそう尋ねた。無理もない。実家の家は全て崩され、更地になっていたのだ。

 家の基礎も、庭に植わっていた筈のミモザの木すら、見事に何も無い。長い間、誰も手入れをしていないらしく、敷地内には雑草が生い茂っていた。


 深雪は無言でそれを眺めた。すぐには何の感情も浮かび上がらない。目の前の光景を受け止めるので精一杯だった。


 しばらく呆然とそれを眺めた後、敷地内に足を踏み入れてみた。

「俺んちって狭いって思ってたけど、案外広かったんだな………」

 ぽつりとそんな言葉が漏れた。ふと、草の間にきらりと光るものを見つけ、近づいて拾ってみる。それは古いビー玉だった。誰かが落としたのか、よく見るとそこかしこに落ちている。

 

 カラフルなガラス玉は全部で二十個ほど見つかった。透明で、中に色とりどりの羽のような模様が入っている。


「きれいだね」

 シロは優しく囁く様にそう言った。深雪は頷く。

 何となくそれを捨てる気にならず、ポケットに詰めた。

 

 二人はしばらくしてそこを離れた。


 高校もすぐに見つかった。耐震設計の施された校舎はしっかりとその姿を留めていたのだ。


 しかし一歩中に足を踏み入れると、内装は荒れ果てている。廊下のタイルはあちこちが剥がれ、窓ガラスもほとんどが割れて破片が飛び散っている。机や黒板は無造作に部屋の片隅に積み上げられ、電球はほぼ破損していた。その為、昼でも校舎内は暗く、視界が悪い。


 深雪は自分の教室に向かった。生徒達のざわめきが絶えることの無かった校内は、今は嘘のようにひっそりと静まり返っている。


 思えば、深雪がこの高校に通ったのは、僅か一年足らずの事だった。それ以上は高校生活を続ける事が難しかったのだ。深雪が初めてアニムスを使ったのがこの高校だったから。


 それまで深雪は特に学校の中で目立つ存在ではなかった。友人関係も問題なく、教師とも特に揉めたりすることは無かった。学業もスポーツも、全てが良くも悪くもほどほどだったのだ。だが今思えば、そんな目立たない生徒だったからこそ、餌食にされたのだろう。


 一年の秋、クリスマスも間近という頃だった。深雪は突然、上級生に呼び出され、金銭を要求された。彼らは元空手部で有段者であり、しかも複数で体格も良い、素行不良で有名だった三年だ。深雪は己の身を守ろうとして、無意識のうちにアニムスを使ってしまったのだった。始めは何が起っているのか、自分自身よく分からなかった。ただ、元空手部がアクション映画の悪役の様に清々しいほど吹っ飛んでいった事を覚えている。


 その一部始終を隠し撮りされた動画がネットで出回り、大騒ぎになっていると知ったのは一週間後の事だった。


 それまで当たり前の様に深雪を受け入れ、特段に顧みさえしなかった級友や教師たちは手のひらを返したように深雪を拒絶するようになった。当時はそれが余りにも衝撃的で、まるで世界中から裏切られたような気がしたものだ。

 しかし今となっては、彼らがそこにいたという痕跡すら残っていない。


 深雪は、そこでふと足元に目を向ける。誰かがここで火を起こしたのだろう、教室の床には火を起こした跡があちこち残っていた。他にも食べ物のクズやゴミ、空き缶が散乱している。今まで薄暗くて気づかなかったが、徐々に目が慣れてきてそれらの存在に気づいた。


 誰かがここに出入りしている。その事実に思い当たったのと同時に、シロが口を開いた。

「ユキ、ここ出よう」

 シロも警戒したかのように、盛んに頭頂部の耳を動かしている。


 深雪は舌打ちをしたい心境になった。昨日、溶けかけた髑髏の刺青(タトゥー)を持つごろつきたちに囲まれたばかりではないか。ここを出入りしているのがどういう者達かは分からないが、ゴーストである以上、用心するに越したことはない。


 長居はしない方がいい――そう判断した深雪は、すぐさま学校の校舎を後にする事にした。


 真っ暗だった校内から一歩外に踏み出すと、眩しい太陽の光が眼の中に飛び込んでくる。深雪は崩れかかった校門のところまで来ると、すっかり廃墟と化した母校を振り返った。

「何にもなくなっちゃったんだな……」

 静まり返った校舎を見上げながら呟いた。


 覚悟はしていた。そのつもりだった。しかし、頭の中で想像するのと、眼前で現実として突きつけられるのは大きく違う。深雪は茫然としたまま、生々しい衝撃から立ち直れずにいた。

 

 シロの小さな手が、深雪の手の平を握りしめた。

「事務所に戻ろう?」

 深雪は小さく頷く。最初は途中でシロと別れ、行方を眩まそうと思っていた。だが、今やそんな事は全く考えられなくなってしまっていた。


 むしろ、一人でなくて良かったかのかもしれない。一人だったら、どうしていいのか分からず、途方に暮れていた事だろう。もう、自分の戻る場所はどこにも無いのだと、その事実に打ちのめされ、一歩も動けず、くずおれていたかもしれない。

 そんな事にはとても耐えられそうになかった。


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