第32話 タイムリミット③
「だから……加害者役のゴーストを使い捨てにしたのか」
深雪は嫌悪感と共に呟いた。
洗脳のアニムスは一度しか使えない。だから後は用済みとばかりに、自ら死を選ぶよう仕向けたのか。
するとジャックは、フンと、小馬鹿にしたような視線を深雪に向ける。だったらどうしたと言わんばかりだ。どうやら、深雪の推測は当たっているらしい。
ジャックは腹立ちまぎれに床を蹴りつけた。
「殺し役にゴーストを選んだのは、その方が話題性があるからだよ。いずれ波多洋一郎が自殺した事はバレる。肝心なのは、その後もどうやってディスクを売り続けるかって事だ。フツーの人間の殺しなんてツマンネエだろ。お茶の間のワイドショーと同レベルだっつの」
「……随分とくだらねー理由だな」
怒気の籠った声で、鋭く囁く流星。さすがのジャックも、その気迫に恐れを成したようだった。慌てふためき、付け加える。
「お、俺じゃねえって。ジョーカーの奴がそう言ったんだよ!」
だとしたら、波多洋一郎はともかく、洗脳させられ、強引に犯行に及んだ池田信明や堀田悠樹も被害者――という事になる。
ジャックは面倒臭そうに溜め息をつくと、苛々した様子で貧乏ゆすりを始めた。
「……そもそもは波多の奴がポンコツだからこうなったんだよ。計画を思いついて、俺達は必死で波多洋一郎を探しまくった。けど、ようやく見つけ出して話を持ち込んだら、波多の奴、もう二度と殺しはしたくねえとかほざきやがったんだ。《アラハバキ》の制裁が余程堪えたらしいな。
仕方ねえからジョーカーが《ブレイン・ウオッシャー》を使って洗脳をかけた。
けど、《ブレイン・ウオッシャー》が有効なのは一回きりだ。こっちとしちゃ波多が犯行後、すぐに捕まっちまったら困るんだよ。盛り上がりに欠けるだろ。『祭り』が続かないと、ディスクの価値が下がっちまう。だからと言って、俺らがわざわざ始末をつけるのも面倒だった。《リスト登録》のリスクは極力避けてえしな。
……だからその後、自分で死んでもらったんだよ」
「自殺も洗脳によるものという事か」
奈落が問うと、ジャックはまたナイフで切り付けられるのかと、びくりと身を竦ませつつ答えた。
「あ、ああ……ジョーカーの能力は、そういう細かい調整は割と融通が利くからな」
この期に及んでも、ジャックには驚くほど罪の意識が希薄だった。
波多洋一郎の事を役立たずと、なじるその姿からは、そもそも自分たちが犯罪に手を染めているのだという意識が些かも感じられない。
例えどれだけ痛めつけられ、詰問されても、ジャックがそれを自覚することは永遠にないのではないか。そう思うと、薄気味悪ささえ覚える。
ジャックにとっては所詮、一連の犯行は小遣い稼ぎであるせいだろうか。それとも自らが直接、手を下していないことが原因の一端なのだろうか。
いずれにせよ、この少年には罪の意識が無い。そしてそれはおそらく、ジョーカーや他の面々にも共通しているだろう。放っておけば、いくらでも同じことを繰り返す。それこそ、室井のような客がいる限り、延々とだ。
「ジョーカーって奴が言ってた。近々、新作をリリースする予定で、早ければ今日中にも撮影を開始するって」
深雪が指摘すると、流星は眉間にしわを寄せる。
「新作……新たな殺しだな。どういう計画になってる?」
椅子に縛り付けられたジャックは、流星をちらっと一瞥し、憎たらしく鼻を鳴らした。だが、奈落が首筋にナイフを突きつけると、血相を変え慌てて口を開いた。
「よ……よくは知らねえ! でも、今回は地下だって言ってた。地上よりはロケーションがいいって……!」
「ロケーション……?」
オリヴィエは不可解そうに眉根を寄せる。すると、流星がすぐに口を挟んだ。
「監視カメラや照明の残っている場所が多いってことか」
「もう、ゴーストも女も用意してある。早けりゃ今日の夜にでも撮影に入るはずだ!」
――今夜。深雪は反射的に、窓の方へと視線をやった。外は既に茜色に染まっている。ジャックの口ぶりだと、まだ被害者は生きているのだろう。その点に於いては一安心だが、いよいよもって時間まではごく僅かだ。
「場所はどこだ」
時間が無い事が判明したせいだろう、奈落の声が更に獰猛な気配を帯びる。それに当てられたのか、ジャックはすっかり血の気の引いた顔を、大仰に横に振った。
「し……知らねえ! それは俺の仕事じゃねーし‼」
「お前らの拠点は。どこにある?」
「それも……知らねえ。ジョーカーとのやり取りは端末を介してたし、売り物のディスクはクイーンから手渡されてた。あいつらの根城がどこにあるか、俺は一切知らされてなかったし、ジョーカーに至っては実際会ったこともねえんだ。これ以上は、本当に何も知らねえんだよ‼」
ジャックは悲鳴交じりの怒声を放った。先ほどまでの偉そうな態度とは違い、全く余裕が感じられない。事実を口にしているようにも見えたが、その真偽を確かめる術は無い。
すると、もう一人のジャックが動いた。神狼は、再び掌を広げると、それをジャックの顔にぴたりと覆い被せ、目を閉じる。もう一度、情報を読み取ろうとしているのだろう。しかし、暫くして目を開くと、元の紅神狼の姿に戻った。
「こいつの言ってること、本当。ジャック、しょせん雑魚」
そして、単純な役割しか宛がわれていなかった代わりに、知らされていた情報も少なかったようだと、説明を付け加える。
「こいつはキングやクイーンに比べると、下っ端って事か」
流星の指摘が図星だったのだろう。ジャックは小さく舌打ちをすると、顔を歪め、忌々しげに視線を逸らす。そして、そのまま黙り込んでしまった。
その小さな目には拗ねたような、投げやりになった色が浮かんでいる。話すことを全て話してしまい、後はどうにでもなれとやけになっているのだろう。どうやら、これ以上いくらこの青年に聞き質しても、有益な情報は得られそうになかった。
「どうしますか、流星?」
これから、何をすればいいのか。オリヴィエが尋ねると、マリアが会話に割り込んだ。
「手掛かりが何も無いわけじゃないわ。奴らが今までと同じ手口を使うつもりなら、使える監視カメラの近くを選ぶはず。それに遠隔操作が可能かどうか、事前に試している筈よ。《東京》の地下施設に残ってる監視カメラの中で、ここ最近ハッキングを受けた形跡のあるものを探せば、場所は絞り込める……! 三十分時間をちょうだい。絶対、付き止めて見せるわ‼」
よほど自信があるのか、マリアの口調は自信に満ち、興奮すらしている。しかし、それは彼女が言うほど簡単な作業ではないのではないか。
「でも、地下施設の監視カメラったって、かなりの数になるんじゃ……?」
かつて首都であった頃、東京には、数百万台に及ぶ数の監視カメラが設置されていたという。そしてそれは、年を追うごとに爆発的な数で増加し続けていた。
それでも地上にあるものは既に故障や機能不全に陥っているものが多数を占めるが、地下は空間が密閉しているが故に、かなりの数がそのまま生き残っているらしい。それを全部調べるなど、本当に僅か三十分で実現可能なのか。
深雪が困惑を浮かべそう尋ねると、マリアはニヤリと不遜な笑みを返した。
「まっかせなさーい! マリアちゃん、こういうのは超・得意だから‼」
そして、おほほほほほ、と、どちらが悪役かさっぱり分からないほどの高笑いを残し、ぷつりとその姿を消してしまった。
マリアのアニムスは《ドッペルゲンガー》だ。電脳空間にいる己の分身を用いて、大量の情報を高速で解析することが出来る。その程度たるや、スパコン並みの数値解析が可能なのだという。
「後はマリアに任せよう。一旦解散、三十分後にまた集合だ」
流星の号令を、深雪は何処となくほっとして聞いていた。
これでようやく、この凍り付いた部屋から解放される。三十分後、再び集まらねばならないのだとしても、取り敢えずは外の空気を吸えることに強い安堵を覚えていた。
深雪の他の面々も、長居は無用とばかりに、みな部屋を後にする。椅子に縛られたジャックだけがそのままだ。
最後に部屋を出ようとした深雪は、ジャックに声を掛けられた。
「よう、まんまと騙されたぞ。お前が《死刑執行人》だとは思いもしなかったぜ。虫も殺せねえようなツラしてよ」
ジャックの言葉は悪意に満ちていた。小さい目には、深雪に対する恨み辛みが濃く滲んでいる。深雪は顔をしかめた。やはりこの男は、自分が何をやってここまで連れてこられたか、さっぱり分かっていない。そして、おそらく永遠に理解することは無いのだろう。
「別に……まだ正式採用ってわけじゃないけど」
警戒しつつ答えると、ジャックはわざとらしく肩を竦めた。
「ふうん。いや、向いてんじゃねー? 正義ヅラっつーの? そういう、俺曲がった事嫌いなんですぅ、的なとことかよ」
「何が言いたいんだよ」
「――お前、人を殺した事はあるか」
不意に放たれた言葉には、心臓をひやりと撫でるような、妙な凄味が籠っていた。深雪は改めてジャックを見つめる。すると、ジャックの粘着性を帯びた視線と真正面から交叉した。
「お前らのやろうとしている事はただの人殺しだぞ。分かってんのか」
ジャックの口調は、まるで仕事に慣れていない後輩に対する先輩の説教のようだった。右も左も分からない若輩者に、わざわざ教えてやるのだといった様子だ。深雪はムッとして言い返す。
「お前らだって人殺しだろ」
「俺は犯罪には手を染めたかもしれないが、実際にこの手で人を殺した事は一度も無い。お前らとは違うんだよ。《死刑執行人》は、ただの人殺しだ。正義なんてない」
どの口でそんな事を――あまりに厚顔不遜な物言いに、深雪はとうとう吐き気を催しそうになった。
自分が他人の正義などあれこれ言えた立場ではないという事が、どうしてこの男は理解できないのだろうか。どうしたら、そこまで自分のことを棚上げにできるのだろう。自分は悪くない。ただちょっと小遣いを稼いだだけ。その醜い自己弁護で塗り固められた主張には、汚らわしささえ覚える。これ以上、会話をするだけで、肺が毒に汚染されそうだ。
「勝手なことばっか言ってんじゃねーよ。人殺しか否かじゃない。お前は悪そのものだ。お前らのような奴らがいるから、《死刑執行人》のような存在が生まれるんだろ!」
深雪は強い口調で吐き捨てる。だが、ジャックはやはり、心境の変化を起こすことは無いようだった。深い洞のような瞳で、無表情に深雪を見つめ続ける。
これ以上会話を続けたところで、ただの時間の無駄遣いにしかならないだろう。冷え冷えとした感覚の中で、深雪はそれだけを確信していた。
どれだけ努力しても、世の中の全ての人間と分かり合えるわけではない。
すべての人間が、分かり合えるわけではないのと同じように。
そして踵を返すと、二度と振り返ることは無く、乱暴に部屋の扉を閉めたのだった。
廊下に出ると、既に二階には誰もいなかった。さほど広さのある廊下ではないが、先ほどまで濃密な空気の中にいたせいか、やけにがらんとしているように感じる。
階段に向かい、一階に降りると、ちょうど流星が東雲六道の書斎に入るところだった。
「流星……!」
用があったわけではない。ただ、気づいたら声をかけていた。
先ほどの会議室での事が深雪にそうさせたのかもしれない。流星のいつもの飄々とした態度を見ることができたら、やはりあれは緊急事態で、一時的な事だったのだと安心できるような気がした。
すると、深雪の呼びかけに応えて、流星の垂れ目がちの目がこちらを向く。だが、そこにはいつもと違って、人懐こさや親しみやすさは無かった。
「お前とシロは何もするな。……いいな?」
事務的な口調でそれだけ言うと、流星は所長室へと姿を消した。
何だか冷たく突き放されたような気がして、深雪は項垂れた。
百歩譲っても、流星は機嫌が良いとは言えない状態に見えた。その原因の一端は、深雪がジャックに対する尋問を引っ掻き回したせいではないかと、そう思ったのだ。
自分が間違ったことをしたとは思わないが、皆がそれを理解してくれるとは限らない。
「やっぱ、怒ってんのかな。俺のせいで……」
階段を下りきったところで、我知らず呟くと、すぐ目の前に、ころころとしたウサギのマスコットが飛び出して来た。
ムギュっという間抜けな音と共に現れたそのウサギは、心なしか冷ややかな視線を深雪に向ける。
「あのさ~、深雪っちのそういう、世界の不幸は何もかも自分のせいみたいな自己陶酔、ちょっとキモイっていうかあ~」
「マリア……!」
何だかマリアの口調も、いつもよりどことなく刺々しくかんじる。気のせいだろうか。
「流星が難しい顔してんのは、《リスト登録》絡みっしょ。精神操っちゃう系のアニムスって、登録認定されにくいのよねー。実際、証明するのも手間かかるし」
他人の精神や記憶、思考を操るアニムスは、稀に存在する。だが、アニムスを用いて特定の人間を操った、もしくは操られたという証明をするのは、そう簡単なことではないという。
理由の一つは、他のアニムス――例えば深雪の《ランドマイン》や流星の《レギオン》などと比べ、アニムスの存在を裏付けることが容易ではない点にある。
今回のことにしても、池田信明や堀田祐樹が操られているという明確な証拠は、映像の中にはなかった。本人たちの自由意思による犯行ではないかと言われてしまえば、それ覆すのは一筋縄ではいかない。
だから、精神系のアニムスは《リスト登録》に際し、よほど明快な証拠がない限り、何度も検証を重ね慎重に対処するのが一般的なのだとマリアは説明する。役所は膨大な手間と万が一のトラブルを恐れて、事件そのものを無かったことにしてしまうことも多いらしい。
いずれにしろ、どんなに急いでも今晩までは間に合わないだろう、と。
「……どうするんだろう?」
ようやくここまで漕ぎつけたのに、新たな事件が起きるのを、指を咥えて眺めていることしかできないのだろうか。深雪が懸念と共に呟くと、マリアは他人事のように肩を竦めた。
「さあ? ぶっちゃけそれって、所長の仕事だしね~。あたしたちがどうこう出来る話じゃないし。……ってか、流星は怒ってないかもだけど、あたしは違うよ、深雪っち」
「え?」
突如として苛立ちの顕わになったマリアの声に、深雪は面食らう。思わず目を瞬いていると、マリアはその深雪のリアクションが気に障ったのか、ますます語調を尖らせた。
「ああいうの、ホント超・迷惑なんだよね。何にもできないくせにしゃしゃり出るの、やめてくれる? もたもたしている間に人が死ぬかもしれないんだよ? 責任、持てるの?」
辛辣な一言だった。深雪は息を吞み、そのまま下を向きそうになる。
実際、数日前であればそうしていただろう。深雪が何もできないのは事実だのだから。
ただ、マリアの怒りはある程度、予測していたことでもあった。この《監獄都市》ではマリアの主張が一般的で、深雪のような考えを持った者の方がイレギュラーなのだ。
(でもだからって、下を向く必要なんてない)
多数派がいつも正しいとは限らない。深雪はマリアを静かに見つめ、口を開いた。
「……。じゃあ、マリアはああいうやり方が正しいと思ってるんだ?」
するとマリアは、剣呑な様子で両目を細める。そこには常の彼女にはない、禍々しいほどの毒気があった。
「ん~、なあんかズレてるよね、深雪っちって。そういう事じゃないのよね~。だってさあ、正しいことしてれば事件、解決するの? 犯人、捕まるの? そもそも深雪っちが正しさに拘るのってさあ、本当に誰か他の人の為? とてもそうには見えないよ。間違いが無ければ安心するもんね。自分は正しい、間違ってるのはお前らだって」
「マリア……」
「……でも結局、それって自分が気持ちいいだけだよね? 誰だって自分に正義があるって思えたら気持ちいいもんね。そんで、深雪っちの正しさの影で、非力な女の子が腹を掻っ捌かれて死んでいくんだ。そういうの、何て言うか知ってる? ……クズって言うんだよ!」
言葉が刃となって、身も心も容赦なく切り刻む。マリアの口にする言葉の一つ一つには、まさにそんな苛烈さと残忍さが渦を巻き、荒れ狂っていた。その凶暴な奔流を真正面から浴び、深雪は為す術もなく翻弄されていた。あまりの激しさに、ぐらりと眩暈すら覚えるほどだ。
「でも……俺は……やっぱりこういうのは駄目だと思う」
声が震えた。でも、言わなければと思った。
自分が正しいと思うからではない。このままではいけないのだということを、《ウロボロス》での経験で嫌というほど知っているからだ。
「確かに流星や奈落、神狼、オリヴィエ……この街の《死刑執行人》たちが犯罪者を殺し続けたら、一定の秩序は保たれるかもしれない。でも、誰かが手を汚すことでしか成立しない安定が、そう長く続くのかな? そういう『犠牲』の上に胡坐をかいてちゃいけないんじゃないかな。
俺は……やっぱり、いつか誰かがこんな事は終わらせるべきだと思う。そうしないと、こんなやり方……結局はみんな不幸になるだけだ」
マリアは無言で突き刺すような視線を深雪へと向ける。




