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東亰PRISON  作者: 天野地人
トウキョウ・ジャック・ザ・リッパー編
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第31話 タイムリミット②

 何を言ってやがる、この阿呆――そう罵られるだろうと思っていた。

 

 或いは、舐めんじゃねえ、と殴られることもすらも覚悟していた。


 しかし、奈落は深雪に一切手を挙げなかった。ただ、ぞっとするほど静かな目で深雪を見返した。


「……だったら、お前がやるか?」


 そして、再び手の内にあるナイフを一回転させると、柄のほうを深雪へと向ける。


 そういう反応をされることを全く想像していなかった深雪は、思わず半歩、後ずさった。その弾みで、後ろに隠れていたシロと軽くぶつかるが、それを謝る余裕すらなかった。


 暴力は無ければ無いに越したことはない。しかし、ジャックに口を割らせる方法が他にあるのか。深雪にそれができるのか。目の前の血に濡れたナイフが、容赦なくその問いを突きつけてくる。


 だが言うまでもなく、深雪にはどうしたらジャックの口を割らせることができるかなど、分からない。そもそも、尋問の経験すらないのだ。


「で……でも、これは人として……」

 深雪は抗うようにして声を上げるが、奈落の冷徹な瞳はびくともしない。


「そんな事はどうだっていい。できるかできないか、それを聞いている」


 突き刺すような、鋭い声音。綺麗事や誤魔化しは一切、通用しない。偽善や欺瞞は瞬く間に炙り出されてしまう。深雪も経験上、それはよく知っていた。

 しかしそれでも――いやだからこそ、叫ばずにはいられなかった。


「できないんじゃない……しないんだ! 方法なんて分からない……でもだからって、こんなことするべきじゃないだろ! みな、これでいいのかよ? 本当はおかしいって思ってるんじゃないのか!?」


 しかし、奈落は何も答えなかった。

 奈落だけではない。

 流星もオリヴィエでさえ、何の反応も示さない。


 おそらく、深雪がどんなに叫んでも、この絶対零度の殺気が消えることはないだろう。そう考えると、まるで分厚い鉄の壁に向かって話しかけているような徒労感に襲われる。


 自分では彼らの考えを変えることができない。少なくとも、今の無力な自分では。


(でも、たとえそれが事実だとしても、これ以上はとても黙って見ていられない……!)


 深雪とてジャックに対し強い憤りを感じるし、情報を引き出さねばならないことも分かっている。次の殺人まであまり時間が残されていないことも、重々承知だ。ただ、だからと言って、《ウロボロス》で起こったことと同じことを、二度と繰り返して良い筈が無い。


 確かにこの場にいるものは皆、かつての仲間のように我を忘れることはないだろう。だが、重要なのは他人がどうかではない。自分がどういった行動をするかだ。


 先ほどとはまた違った種類の緊張が、部屋を包んだ。誰も、一言も発しない。しかし、深雪を含め、皆がみな互いに次の行動を探り合い、牽制し合っている。


「……もういい」

 やがてその沈黙を破ったのは流星だった。荒々しく息を吐き捨てると、再びジャックに迫る。


「聞いてたか、ブロッコリー? お前に肩入れしてくれる人間がこの場にいるうちに、喋った方がマシだって思わねえかな~? これ以上、痛いのはご免でしょ?」


 するとジャックは、顔を奇妙な具合に引き攣らせた。

 錯乱するあまり正気を失ったのか――一瞬そう思うが、すぐに奇妙なほど冷然とした瞳になり、こちらを見返す。そして、くひゃひゃひゃ、と喉の奥で下卑た笑い声を立てた。


「へ……へへ。くそっ! や……やってみろよ。やれるもんならな! 俺が死んだら、お前らの欲しがってる情報は絶対手に入んねえぞ!?」


 そして、ふてぶてしい態度で床に唾を吐いた。再びその場の空気が凍りつく。


 この期に及んでも、ジャックの態度は頑なだった。そこには、是が非でもお前らの思い通りになってたまるかと、そんな強固な悪意が満ちている。


 深雪は気づいた。おそらくこの男は、自分が手を染めた犯行が悪事であるという自覚が殆どないのだろう。だから当然、反省も後悔もない。それどころか理不尽な『拷問』を加える深雪たちを逆恨みし、自分が被害者になったつもりでいるのだ。


 いわれのない扱いを受けていると、心の底からむくれかえっているのだろう。


 深雪は両手を拳にし、握りしめた。非人道的な手法を取ることは今でも間違っていると思う。だが、ジャックの態度を見ていると、憎しみにも似た途轍もない怒りを感じずにはいられないのだった。


 犯行の内容といい、罪を犯したという自覚が欠如している事といい、この男は何もかもが、余りにも幼稚で身勝手すぎる。こんな奴の為に失われた命があるのだと思うと、怖気が走る思いだった。


 奈落が手を上げる理由も全く分からないではない。


 いずれにせよ、ジャックの口を割らせるのは相当に骨が折れるだろう。ジャックも、こちらが情報を喉から手がせるほど必要としていることをよく理解している。多少痛めつけても、あの手この手ではぐらかし、少しでも時間を稼ごうとするだろう。


 このままでは完全に手詰まり状態に陥ってしまう。


 ただでさえ、時間はそう多くは残されていない。部屋の雰囲気は、極限状態の緊張と殺気に焦燥が加わり、今にも爆発しそうだった。限界まで引き絞られた弓のように、いつ矢が飛び出してしまってもおかしくない。


 そんな時だった。

 不意に、がたんと窓の開く音がし、人影が滑り込んできた。


「……始めているカ?」


 深雪は窓際に目をやってぎょっとした。

 そこには、真っ赤なドレスに身を包んだ見慣れぬ美女の姿があったのだ。


 クリスタルのふんだんに散りばめられた妖艶なドレスは、目のやり場に困るほど胸元が開いており、スリットの深く入った裾からは、豊満な太ももが覗いている。


 格好はともかく、一体誰だろうと内心で首をかしげていると、マリアがいつものハイテンションで口を開いた。


「神狼ってば、おっそーい‼」


「え、神狼!?」

 驚く深雪の目の前で、美女の姿が一瞬、激しくぶれる。すると次の瞬間、そこには黒のチャイナ服を纏った少年――神狼が立っていた。


「《新八洲特区》を出るのに、時間、かかった。これでも最速ダ」


 言われて気付いたが、神狼は少し息が荒かった。よほど急行してきたのだろう。深雪は神狼が息を弾ませるところを始めて見た。


 神狼の担当は主に潜入や諜報による情報収集だ。《アラハバキ》の拠点である《新八洲特区》は品川一体に広がっており、移動距離だけを考えてもかなりある。特に今の《監獄都市》である東京は、インフラが悉く破壊され、交通手段が限られているため、簡単に移動することができない。

 神狼といえど、物理的な距離によるタイムロスはいかんともしがたかったのだろう。


 神狼は息をつくのもそこそこに、会議室の中にざっと視線を通す。そして、部屋の中央で拘束されているジャックと、その右側頭部や腿から流れる多量の血を認めた。神狼はそれを一瞥しただけで何が起こったのか悟ったらしい。すっと切れ長の目を細めると、紙飛行機が空を滑るような動作で、ジャックに歩み寄った。


「時間、ムダ。俺がやる」

 

 神狼はそう言うと、右手の掌を開いて、ジャックの顔に被せる。


「なっ……何すんだよ!?」


 これから一体、何が始まるというのか。ただ一人、理解できないジャックはぎょっとし、焦ったように怒鳴った。神狼の手から逃れようと暴れるが、拘束は容易には解けない。

 

 神狼はそんなジャックにはお構いなしだ。その瞳孔の淵が一瞬真紅に光ったかと思うと、そのまま《ペルソナ》のアニムスを発動させ、ジャックの容姿を写し取っていく。


「………ッ‼」


 ジャックは息を呑み、目を剝いて神狼を見上げた。そこにはジャックと全く同じ姿をした、もう一人のジャックが出現していた。

 神狼は《ペルソナ》のアニムスを用いてジャックをコピーしたのだ。


 完全に瓜二つで、本物が縛られていなかったら、どっちがどっちか全く分からないほどだ。


「……で? 何が知りてえんだよ、お宅ら?」


 気怠そうに踏ん反り返る神狼。


 口調、声、仕草、全てが完全にジャックだ。


 何度見ても、その完成度には度肝を抜かれる。しかし、同時に疑問にも思った。今ここでジャックの姿を写し取ることに何の意味があるのだろうか、と。

 必要なのはジャックの容姿ではなく、情報のはずではないか。


 すると、戸惑う深雪にマリアが説明してくれる。

「神狼がコピーできるのは相手の身体的特徴や声紋だけじゃないの。記憶もある程度読み取る事が出来るのよ」


「そうなんだ……」


 確かに、コピー対象の記憶がなければ、言動を真似ることなどできないだろう。ただ、何もかも得ることができるわけではないらしい。あまりにも古く、コピーした媒体すら覚えていない情報や、対象が心の奥底に仕舞い込んでしまった記憶などは、得ることが難しいのだと言う。


 どの情報が得られてどの情報が得られないのかは、実際に《ペルソナ》を行使してみないと判らないのだそうだ。


「それじゃ、まず名前からいこうか」


 流星は幾分、いつもの飄々とした態度を取り戻したようだった。椅子に縛り付けられているジャックではなく、神狼の扮したジャックの方を向いて口を開く。

 すると、神狼はジャックの居丈高な態度を忠実に再現しながら、すらすらと答えた。


「名前は、長谷川康介。ジャックというのは暗号名(コードネーム)だ」 


「よせ! やめろ‼」

 ジャックは血相を変えて叫ぶ。どうやら、つくづく演技のできない性質らしい。瞬発的な機転が利かないのだろう。


「……どうやら本名のようですね」

 オリヴィエも冷ややかに口を開く。


「………‼」 

 ジャックは自分の失態に気づいたのか、慌てて口を噤んだ。動揺からか、目がうろうろと泳いでいる。先程までとは打って変わって、動作が挙動不審だ。

 流星はそれを横目で確認しながら、神狼に問いを重ねる。


「仲間がいるだろう。これだけの犯行を一人で行うのは不可能だ。何人いる?」

「全部で四人だよ」

「お前がリーダーか」

「違う……名前は、知らない。でも、みんなは『ジョーカー』って呼んでた」


「本当か?」

「他の奴らとは、暗号名(コードネーム)で呼び合ってたからな。俺は奴らの名前を知らないし、奴らも俺の本名は知らない。まっ、この程度はジョーシキっしょ?」


 つまり彼らは、情報の漏洩を恐れてわざと本名を伏せていたということだろう。誰か一人でも捕まれば、芋づる式にリスト登録され、《死刑執行人リーパー》の餌食となる。それを防ぐための措置なのだ。

 そうであるなら、思ったよりも頭の回る連中だということになる。


 実際、ジャック以外の仲間はかなり慎重に動いているようだった。奈落とシロはジャックの後をつけたが、その間に仲間が直に接触してくることはなかったらしい。それでも、待ち続けていたなら、いずれは接触したかもしれないが、今はもう、状況的に待っている時間は殆ど言っていいほど無かった。

 だから、こうやってジャックから情報を得る他、手がなかったのだ。


 深雪は一時間ほど前に会話した、異様にテンションの高い男――ジョーカーのことを思い出していた。

 監督だの脚本だの、ふざけたことばかり言っていたが、そういった小賢しいことにまで頭が回るようには思えなかった。

 実際、端末を介して会話した時も、まるで自己顕示欲の塊で、自分の『作品』を知らしめたくて仕方ないという風だった。『アイデア』は豊富でも『作業』は苦手――そんな印象だ。

 

 だとすると、他にそういったことを得意とする人間が混じっているということなのだろうか。


「ジャックとショーカー……もしかして、仲間のうち残りの二人はキングとクイーンですか?」

 

 オリヴィエの指摘に、神狼は「お、鋭いじゃん!」と、茶化したようなポーズで答える。


「捻りの無い通り名ね~」

 マリアは呆れ気味に肩を竦めた。

 だが、覚えやすいという利点があるのも事実だ。通り名がそのまま力関係を示していると考えれば、ジャック――長谷川はグループの中で一番下っ端で、使い走りのような立場だったのだろうと、想像もつく。


 一方の流星は、ここからが重要なのだといわんばかりに、語気に一層、力を籠めて言った。


「まあでも、その他の三人の中のどれかにいたってワケだな。人を操るアニムスを持った奴が」


「……! な、なんで……」

 またもや、ぎょっと顔を強張らせる本物のジャックに、マリアはネズミをいたぶるドラ猫のような、凶悪な笑みを浮かべて見せる。


「犯行現場はどれも廃ビルの中だった。正常に作動する監視カメラと電気の付く部屋……あの崩れかけたビル群の中に該当する物件がそんなに沢山あったとも思えない。ところが何故だか、その条件に該当する場所でばかり犯行が行われている。偶然にしては出来過ぎてるわ。何者かの意図的な誘導でもなければ、絶対に無理よ。

 それに犯行を行ったゴーストは皆、何故だか揃いもそろって不自然な自殺をしてるしね。

 彼らに犯行の意志はなく、何者かの操り人形だったのではないか……ってね。こっちだって、いくら何でもその可能性くらい、考え付くわよ」


 それは深雪も薄々、感じていた事だった。

 波多洋一郎はともかく、池田信明や堀田祐樹に自らの行動意思があったとは思えない。彼らには被害者との面識もなかったし、犯行動機となるような情報も何一つ出てこなかったからだ。

 自分で進んでやったというより、まるで誰かにやらされたような感じがした。


「他人の精神や記憶、脳を支配するアニムスも、世の中には存在する。お前の仲間にもそんな能力を持った奴がいたんだろう?」

 流星が問い質すと、神狼が扮したジャックがいとも簡単に答えた。


「……ジョーカーだ。アニムスは《ブレイン・ウオッシャー》」


「洗脳か」

 それを聞いた奈落は、眼を眇める。


 その後も神狼は数々の情報をジャックから読み取っていった。


 リーダーのジョーカーによって猟奇殺人の映像を撮って金を稼ぐ話を持ちかけられたこと。それまでは四人とも顔も知らない関係で、犯罪をする為だけに集められたこと。


 そして驚くべきことに、仲間の中にはゴーストだけでなく、アニムスを持たない普通の人間もいるらしい。


「人間が……?」

 不意打ちを食らったような衝撃が深雪を襲った。てっきり、犯行メンバーはみなゴーストだろうと思っていたからだ。


 基本的にゴーストと人間はつるまない。人間がゴーストを恐れ、忌避するのがその原因だ。少なくとも、二十年前はそれが当たり前だった。

 だが、その常識も今や通用しないのかもしれない。ゴーストの存在が珍しくなくなったこの時代、特にここ《監獄都市》では、ゴーストと関わりなく生きていくのは殆ど不可能だ。

 

 オリヴィエの孤児院がそうであったように、両者は良くも悪くも混じり合っているのが自然なのだ。


 神狼の変身したジャックは、それぞれの役割分担についても明かしていった。


 ジョーカーが『企画』を立て、映像を制作する役。キングとクイーン、ジャックがそれを実行し、或いは補佐するする役。

 中でも、キングとクイーンが被害者の少女や加害者のゴーストを確保する、重要な役に付いていたという。


「――ゴーストったって、完全無欠ってわけじゃない。酒に酔っぱらった奴を狙ったりとか、場合によってはこっちから眠剤仕込んだりとか……まあ、やりようはいくらでもあるってことだ」


 少女たちはともかく、どうやって池田信明や堀田祐樹を操ったのか。その質問に、神狼の扮するジャックはどこか得意げにそう答えた。勿論、神狼がそう思っているのではなく、コピー対象であるジャックがそう思っているという事だ。

 それを聞いた流星が、思い出したように呟く。

「そういや……朝霧んとこの堀田悠樹は失踪する前日、繁華街で呑んでたって言ってたな……」


 そしてあらかじめ入念に下見をし、犯行の『舞台』を決める。

 汚すぎず、かと言って不自然なほど綺麗すぎず。

 照明と監視カメラが機能する場所であるのは必須だ。外から照明機材やカメラを持ち込めば、それだけ目立つし、足がつきやすくなる。

 場所の確保は、最も重要で煩雑な作業の一つだったと言う。そして、定めた場所まで被害者と加害者の双方を運ぶ。 


 それから最後にジョーカーが加害者役のゴーストに対して、被害者を決まった方法で殺害するよう洗脳ブレイン・ウオッシャーを施す。


 ジャックの主だった役割は、出来上がった商品(ディスク)を売り捌くことと、《ステルス》を使って姿を消し、犯行現場を見張る事だったという。


 ジャックの説明が一通り終わった後、奈落が口を開いた。


「おい。何故、殺し役にゴーストを選んだ?」


「確かに……。加害者がみな、犯行後に自殺しているという点も気になります」

 オリヴィエも頷く。

 刃物を使って被害者を襲うのであれば、何もゴーストである必要はない。それにその状況下なら、人間にも波多洋一郎の模倣犯を務めることは可能だ。

 

 何故、加害者にゴーストを選んだのか。そして何故、自殺させなければならなかったのか。


 すると、神狼がそれに答える前に、下方から投げやりな声がする。


「――ジョーカーの《ブレイン・ウオッシャー》は一度しか効果が無いんだよ」


 それは、ジャック本人の声だった。これ以上黙っていても無意味だと判断したのか、諦めと自暴自棄の入り混じった表情をしている。


 観念し、自ら喋ることにしたようだ。



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