第28話 ジャックとジョーカー①
しかし、二人の反応は思わしくなかった。
奈落はうんともすんとも言わずに紫煙を燻らせたままで、シロもますます難しそうな顔をしている。まるで、解けない算数の問題と格闘する小学生のようだ。
(俺、そんなに頼りないか?)
肩が、がくりと脱力しそうになるが、すぐに気分を入れ替え、ネガティブな感情を払いのけた。ここで諦めたら、いつまでたっても何も前進しないままだ。
「でも……大丈夫? 逃げられたりしないかな?」
遠慮がちに訪ねてくるシロに、深雪は辛抱強く説得を重ねる。
「相手にとって、客は金づるだ。それが一番警戒されにくいと思う。多分、この中では俺が適任だし。相手方の内情が分かれば……他に仲間がいるかどうかとか、どれくらいの規模で動いてるとか、そういう情報を把握しておいた方がこっちもいろいろ動きやすいだろ?」
ジャックが単独で動いているのか、それとも他に仲間がいるのか。今の時点では分からない。
だが、監視カメラをハッキングし、被害者の少女たちを誘拐して何らかの方法で三人のゴーストに殺害させ、その映像をブルーレイディスクに落とし込んで独自のルートで販売するという一連の手の込んだ犯行を考えると、単独犯だというのは考えにくい。
ここはやはり、ジャックには仲間がいると考えるのが妥当だろう。
待ち構えてひっ捕らえるのも悪くはない。しかしそれでは、複数犯だった場合、仲間に逃げられてしまう恐れがある。
どこで少女たちを誘拐したのか、どうやってゴーストたちに殺害するよう仕向けたのか。それらの重要な証拠も失われてしまうだろう。
せっかく掴んだ手掛かりも、すべて水の泡と化してしまう。
そうならない為に、得られる情報はできるだけ得ておきたかった。
「――でも、念のために二人には待機しておいて欲しいんだ。もし仮に戦闘になったら、奈落は俺に加勢してジャックを制圧する。シロはもし仮にジャックが逃げ出した場合、後を追跡して根城を突き止める。
……どうかな?」
深雪は一人ではないし、全て単独でやりきってしまおうと考えるほど、己の力を過信しているわけでもない。それぞれの持ち味を生かして協力すれば、失敗する確率は劇的に減らせるだろう。悪いアイディアではないはずだ。
深雪はシロと奈落の反応を待つ。
やがてシロは、にこりと笑って大きく頷いた。
「うん、ユキがいいなら、シロもそれでいいよ。おもしろそう!」
「奈落は?」
深雪はドキドキしながら、奈落へと視線を向ける。しかし、やはりその表情には何の変化もない。
これは望み薄か――深雪が心の中で軽くへこんだその時だった。奈落は煙草の煙をフーッと吹き出し、ぼそりと一言口にした。
「まあまあだな。六十点だ」
「ってことは……赤点回避?」
深雪は頬を紅潮させ、ぱっと顔を上げた。
奈落の言う六十点というのが、どれほどの評価なのかはよく分からないが、及第点であるなら作戦決行も可、という評価を下されたのだと考えていいだろう。
言い換えれば、ジャックと接触するという最も重要な役を、深雪に任されたということでもある。
「あくまで成功すれば、の話だがな。……行くぞ」
奈落は冷笑交じりの返答を寄越すと、くるりと向きを変え、足早に歩き出す。態度こそ悪いものの、どうやら深雪の案は採用決定らしい。奈落のことだ。駄目なら駄目とはっきり否定するだろうし、もっとあからさまな罵詈雑言も飛んでくるだろう。
それが無いということは、深雪の提案に、特に異論はないということだ。
深雪は心の中で、よっしゃ、とガッツポーズをした。
地図で指定された場所に到着したのは、待ち合わせの十分前だった。
ビル街の一角だが、立ち並ぶ雑居ビルは大半が崩れかけており、沢山の瓦礫で道路が塞がれ、入り組んだ迷路のようになっている。
(嫌な場所だな)
深雪は直感的にそう思った。
瓦礫はうず高く積もって山のようになっている場所も多くあり、迂回せねば通れない。足場と視界はともに悪く、進路はうねうねと蛇行している。土地勘の無い者であれば、簡単に迷ってしまうだろう。
裏を返すと、不測の事態が発生した際、地理さえ把握していれば、逆に瓦礫が障害物となり逃亡しやすくなる。
だからこそ、ジャックもここを取引の現場として指定してきたのだろう。
深雪はパーカーのフードを深くかぶり、指定された待ち合わせ場所で待機した。そこだけはちょうど瓦礫も少なく、小さな広場のようになっている。
奈落とシロの姿はない。ただ打ち合わせ通りなら、近くに潜んでこちらの様子を窺っている筈だ。
まだ、少々時間があるせいか、他には誰もいない。深雪は腕の端末で何度も時間を確認しながら、今か今かとジャックの出現を待った。
一体、どんな奴なのだろう。一人で現れるのか、それとも仲間を連れてくるのか。自分はうまく客を装うことができるだろうか。
待たされれば待たされるほど余計なことが頭に浮かび、今更ながらに緊張してくる。
ようやく十分経った。深雪にとっては、三倍以上に感じるほど、長い時間だった。
ところが、待ち合わせの時間が過ぎても、一向にジャックは現れない。瓦礫の山を注意深く観察するが、人の気配はないし足音もしない。
(もしかして、勘付いて逃げられた……とか?)
不安がざぶざぶと満ち潮のように押し寄せてきて、瞬く間に胸の内を侵食していく。更に五分ほど経ったが、人っ子一人現れる気配はない。
これは一度撤収し、奈落やシロと相談した方がいいだろうか、などと考え始めた時だった。
「おい」
不意に声をかけられ、深雪は慌てて周囲を見回した。
しかし、前後左右、どこにも人影は見当たらない。幻聴にしては、いやにはっきり聞こえた。どういう事か――深雪が戸惑っていると、視界の端で、風景に変化が起きる。
ぐにゃりと瓦礫の山が歪んだかと思うと、そこに立体感を帯びた半透明の塊が浮かび上がった。それはどんどん大きくなり、少しずつ人型になる。一見すると、まるでゼリーでできた人形のようだ。そしてそこに、肌の色や髪の色が加えられていく。
「………‼」
深雪は息を呑み、それを見つめた。
(もしかして、アニムス……ゴースト、か?)
やがて深雪の目の前に、ひとりの男の姿が浮かび上がった。
大きなな英語のロゴの入った、だぶだぶの緑のシャツに、ショッキングピンクのハーフパンツ。足元は素足にスニーカーで、全体的にストリート系のファッションで統一している。
やたらと派手な男だが、しかし何といっても特徴的なのは、その髪型だろう。男の頭は、ブロッコリーのような巨大なアフロヘアだったのだ。
顔にはトンボの眼球のような、大きなレンズのサングラスをかけ、首元にはこれまた大きなイヤホンを引っ掛けている。
肌には初々しいニキビの跡。おそらく、かなり若い。まだ十代ではないか。
「お前だろ、ムロの紹介って」
案の定、まだ幼さの残る声音だった。ムロというのは先ほど会ったコレクターの室井の事だろう。この若者がジャックで間違いないようだった。
深雪は逸る心臓を抑えつつ、口を開く。
「波多洋一郎の伝説の映像が手に入るって聞いたんだけど」
「伝説……? 大袈裟なんだよ、ムロの奴も。ま、ああいう奴らが口コミで広げてくれるおかげで、こっちは宣伝費が浮くからいいんだけどよ」
ジャックはまんざらでもなさそうに、口元を笑みで歪ませた。うまく深雪の事を客だと思ってくれているようだ。深雪はそのことに安堵しつつ、客のふりを続ける。
「今んとこ、三件起こってるだろ。例の猟奇殺人。全部あるの」
「ああ、あるよ」
「……本当?」
すると、ジャックはちっと舌打ちする。
「……ほら」
そしてだぶついたハーフパンツのポケットから取り出してきたのは、文庫本ほどの大きさの、小型のタブレットだった。画面は真っ黒だが、ジャックが画面に二、三度、触れると、映像が浮かび上がって再生され始める。
それは三人目の被害者、上野ヒカリの殺害現場だった。室井の家で見た永野エリの殺害映像と同じ、真上にある監視カメラで撮影した映像だ。
最初に映り込んだのは、堀田祐樹と思しき頭部で、すぐにそれが移動し、上野ヒカリの姿が映り込む。全裸である事といい、猿ぐつわといい、シチュエーションやアングルも永野エリと酷似している。
音声も無い。
ただ一つ違うのは、室井の披露したものより、更に鮮明な映像だという事だ。
「これ、一番最新の奴だよ」
ジャックは、どうだと言わんばかりに胸を逸らす。深雪はそれに嫌悪を抱きつつも、慎重に言葉を重ねる。
「でも、この事件があった頃、波多洋一郎は既に自殺してただろ。これはトウキョウ・ジャック・ザ・リッパーの殺しじゃない」
「分かってねーな。最後がすげえんだよ、これは」
そう言うと、ジャックは再びタブレットの画面を操作する。そして画像をすっ飛ばして、最後の方を再生した。
その頃になると、上野ヒカリは五臓六腑を引き摺り出され、ほとんど動かなくなっていた。映像が明瞭であるせいか、周囲に溢れ返った臓物や血の具合が、より生々しく感じられる。
(気のせいか……何かいろいろグレードアップしてる……?)
内容の残酷さも、明らかに永野エリの時よりエスカレートしている。
胃の奥から込み上げて来るものをぐっと抑え、深雪は映像に集中した。
ピクリとも動かなくなった上野ヒカリの傍で、堀田祐樹がナイフを手にしたまま、うろうろとしているのが見える。
動揺しているのか、それとも興奮しているのか。その姿はカメラの中に出たり入ったりしている。
ようやく全身が上手く映像の中に収まったと思った瞬間だった。
堀田は手にしたナイフを躊躇なく己の首に押し当て、掻き切った。
ホースの水のように、鮮やかな血が勢いよく吹き出す。そして堀田は、その場で糸が切れた人形のようにどさりと倒れた。
(な……何だ、今の……? 何が起こったんだ……!?)
言葉もなく、ただ息をのむばかりの深雪とは対照的に、ジャックはずいぶんと余裕のある仕草でタブレットを小刻みに振って見せた。
「……な?」
ジャックは唇を半月状にし、ニヤリと笑った。それは悪魔のような残忍な笑みだった。
深雪は瞬時に理解する。これは娯楽なのだ。確かに最初は『顧客』の興味を引くために、波多洋一郎の犯行を模倣する必要があっただろう。だが、それも三回目となると飽きられてしまう。だから、新たな仕掛けが必要だったのだ。
こうなってくると、最早、犯行が波多洋一郎のものであるかどうかは関係ない。そんな事より、映像のインパクトが何よりも重要なのだ。そして上野ヒカリはただそれだけの為に八つ裂きにされ、手をかけた堀田祐樹もまた、映像に花を添えるだけの目的で自殺させられたのではないか。
(……こんな事が赦されていいのか!?)
深雪の全身を、冷ややかな激憤が包んだ。頭の芯はカッと燃え盛るような熱を帯びているのに、体はがくがくと震えだしそうなほどに冷たい。そんな感覚は初めてだ。
それは、今までのどの怒りよりも激烈に深雪を揺さぶった。ジャックから情報を引き出すという目的がなかったなら、躊躇なく殴り倒しているだろう。
実際、どれほどそうしたい衝動に駆られたか知れない。
だが、今はまだだ。まだ、目的を遂行しいていない。感情のままに動けば、全てが台無しになってしまう。
これは絶対にジャックの単独犯ではない。先ほど見せられた映像は、大胆不敵な『演出』の中にも緻密な段取りを要求される。目の前のこの短絡的な男に、そんな芸当ができるはずも無い。
こいつの後ろにいる奴を、引き摺り出してやる!
「この映像を撮ったの……誰?」
深雪が尋ねると、ジャックの態度に少々警戒の色が混じる。
「……。何でそんなこと聞くんだよ」
「話をしてみたいだけだよ。生産者の情報を知りたいと思うのは、消費者として当たり前の事だろ」
正直、この時まで理由など考えていなかった。だが、頭は妙に冴え冴えとし、自分でも驚くほど流暢に舌が回った。絶対に証拠を掴み取って見せる――強い使命感が深雪を駆り立てていた。
「それだけ……か?」
ジャックは尚も用心深く尋ねる。
「そっちこそ、何。まさか作り物じゃないよな、それ?」
深雪はそう言うと、挑発的な視線を向けた。ジャックはむっつりと黙り込む。大きなサングラスに隠れて目の表情は分からない。ただ、自分の顔をジロジロと観察されているのが感覚で分かる。おそらく、深雪がどれほどの客か、値踏みをしているのだろう。
「何だよ、室井サンの紹介だから期待してたのに……ガッカリだな」
深雪が更に挑発すると、ジャックは苦々しげに口元を歪める。
「……ちょっと待ってろ」
そして深雪から離れると、手にしたタブレット端末で、誰かとボソボソ会話を始めた。内容は詳しく聞き取れないが、何事か相談しているようだ。
ジャックは相手のことをしきりと「ジョーカー」と呼んでいる。
(やっぱり、単独犯じゃなかった!)
しかも上手くいけば、そいつとも接触できるかもしれない。全ては深雪の機転次第だ。
心臓の音が、太鼓のようにドンドンと鳴り響く。
沸き上がる興奮を相手に悟られぬよう、視線を逸らせて顔を引き締めた。ジャックは深雪の感情に気づいた様子は無く、電話に夢中になっている。
やがて、すぐに話はついたようだった。ジャックはすたすたとこちらに戻って来ると、持っていた端末を深雪に突き付ける。
「ほら。いいってよ」
「何が」
「出ろよ、いいから」
深雪は言われた通りにタブレット端末を受け取り、それを耳に当てる。すると、間髪入れず、甲高い声が飛び込んできた。
「はい、もっしー! 俺のファンってお前? 動画見てくれた?」
その異様に高いテンションに、深雪は一瞬圧倒される。
まさか、そんなミュージシャンのライブMCみたいなノリで来られるとは思っていなかった。だが、ここで気圧されている場合ではない。勝負はここからなのだ。深雪は慎重に言葉を選ぶ。
「あれ……あんたが撮ったって本当?」
「マジだよ、超マジ! スゲエだろ!?」
「証拠は?」
「んっだよ、疑り深えなあ。俺に決まってんだろ。プロデュースから配役まで、全部俺が考えたんだ」
プロデュース。
その言葉に、深雪は背筋が凍り付くのを感じる。
奈落も「こいつはショーだ」と言っていたし、深雪自身もそれを感じてはいた。だが、こうも軽々しくプロデュースなどという言葉を使われると、やはり戦慄を禁じえない。
しかもこの相手――ジョーカーは、それをどこか誇らしげにさえしているのだ。
「プロデュース………ってどういう意味」
声が尖るのを何とか押し隠しつつ、深雪は尋ねる。するとジョーカーは嬉しそうに捲し立てた。
「だからあ、この企画は俺が考えたの! トウキョウ・ジャック・ザ・リッパー、レビュー! 監督は俺、脚本も演出もぜ~~んぶ俺がやったんだよ」
深雪は一瞬、絶句する。
こいつが、という衝撃、そしてそれを喜々として話す事に対する生理的嫌悪感と侮蔑。様々な感情がどっと堰を切ったように溢れだす。
お前はただの卑怯で薄汚い人殺しだ。それに無自覚などころか、監督を気取るなど、思い上がりも甚だしい――恥を知れクズ野郎と、そう罵倒してやりたかった。
だが、それを決して表に出してはならない。今のところ、深雪の演技はうまくいっている。もし不審な行動を取って疑われでもしたら、全てが元の木阿弥だ。
本当はこれ以上、ジョーカーとは口もききたくなかったし、その悪行を褒め称えるなど口が裂けても嫌だった。しかし、そんなことを言っていては、目的が果たせない。
深雪は奥歯を噛み締め、沸き上がる感情を必死で噛み殺すと、出来るだけ羨望の然が感じられるような声音を作って尋ねた。
「へ……へえ? 何でそんなスゲエ事、しようと思ったんだよ?」
「そりゃあ、アレだよ。みんなが待ち望んでいたからさ! 求められてるものは供給する。これ、経済のジョーシキ」
「わざわざ監視カメラを使ったのは?」
「その方が、断っ然リアリティ出るからだよ! CG技術の発達で、あの程度の映像は今やいくらでも量産できる。ゾクゾクするくらいのリアリティっての? 本物を求めてるんだよ、観客は。要はブランド戦略ってやつさ」
ジョーカーの口調からは、後悔の念や罪悪感が微塵も感じられない。こいつは人を殺し、それを動画にして金を稼ぐことに、何か問題があるとは思っていないのだ。
いや、そもそも自分が人を殺したのだという自覚すらないのかもしれない。
深雪はその事に戦慄を覚えつつ、次の質問を口にする。
「でも……リスク高すぎだろ。金を稼ぐなら他にも方法が……」
「大丈夫だって。俺、ゴーストだし。ぜってー《リスト入り》しねえから!」
「………?」
《リスト入り》しないとは、どういう事なのだろう。深雪は怪訝に思った。
ジョーカーがゴーストであるのは間違いない。一連の犯行は手が込んでいて、尚且つどれも短期間で実行されている。おまけに、その大胆さに反し、なかなか尻尾が掴めなかった。いくら複数犯とはいえ、生身の人間ではそこまで完璧に犯行を行えないだろう。ジョーカー自身もそうだと言っていたから、確実だと見ていいだろう。
しかし、それなら何故、かくも堂々とリスト入りしないと断言できるのか。これだけの事件を起こしたのだ。本来であれば、間違いなくリストに登録される案件だ。
ジョーカーの絶対的な自信は、一体どこから来るのだろう。




