第27話 コレクターの男②
「セキュリティがうるせえんだよ。オンラインメディアじゃファイルが開けない様になってる。ま、いいんだけどな。こちとら、せっかく手に入れたお宝をネットに流出なんて、絶対御免だからな。それじゃ、行くぜ」
室井はそう言うと、ブルーレイの再生を始めた。壁いっぱいの巨大なスクリーンに、映像が投影される。深雪は息を詰め、それを見つめた。
映し出されたのは、確かに監視カメラの映像だった。廃ビルの一角で、壁と床以外、何も映っていない。画面は思ったより鮮明だが、音声は無かった。ただ、色彩が全体的に灰色がかっていて、微妙に粗い画像と相まってリアリティを強く感じさせた。
やがて画面の中に、何かが映り込んだ。すぐに画面から消えたそれは、すぐに再び映り込む。何度か同じ動作が繰り返されるのを見ているうちに、それが男だと気づいた。
カメラの真下をうろついているせいか、頭部は見えるが顔がよく見えない。食い入るように見つめていると、今度は画面の左下から何か白いものが映り込んだ。全裸の少女――その顔を見て、深雪は背筋が凍りつく。間違いない、永野エリだ。だとすると、画面に映りこんでいるもう一人の男は池田信明か。
深雪は息を呑んだ。息をするのさえ、苦しかった。
永野エリは両手両足を拘束され、その手足に括り付けられた鎖が画面の外まで伸びている。壁かどこかに括り付けられているのだろう。口には猿ぐつわをされているのも見て取れる。意識ははっきりとあるらしく、恐怖で怯え、激しく身をよじって抵抗しているのが分かる。それを池田信明は強引にカメラの下まで引き摺ってくる。
ほとんど白黒に近い画面だったが、アングルのせいか、永野エリの表情の細かい変化までよく分かった。
「これ……もしかして、監視カメラ……?」
何とか咽喉の痙攣を抑え、言葉を発すると、室井は得意げに頷く。
「そう、スゲエきれいだろ。絵が。音声が無いのがちょっとアレだけど、その分リアリティが半端ねえっつーかさ……!」
室井は早口で喋りつつも、身を乗り出して映像を見つめ、決して視線を外さない。その口調の中には、うっとりと陶酔した響きすらある。一方、久藤は映像の中身をある程度知っているのか、早くも青ざめていた。
「おい、始まるぞ!」
室井の興奮した言葉で、深雪は映像に再び目を注ぐ。すると映像の中に、すぐに先ほどの男が現れた。手には厳ついアーミーナイフが不気味な光を放っている。それを見た永野エリの表情が大きく歪み、殊更激しく暴れ出す。
永野エリを殺したのは池田信明だった筈だ。《ディアブロ》というチームに所属していた、若きゴースト。しかしよく見るとキャップを目深に被っており、監視カメラの映像からはその顔がはっきり見えない。
体格は中肉中背で、これと言って特徴はなく、波多洋一郎だと言われたら、そう見えなくもない。
そして、殺戮が始まった。
男は大きく体を仰け反らせると、躊躇なく永野エリの体にナイフを突き立てた。永野エリの双眸が、がばりと大きく見開かれる。痙攣したように、激しく跳ね返る体。血が、溢れ返った。男は動じる様子も無く、まるで肉か魚でも捌くかの様に黙々と作業をこなしていく。永野エリは髪を振り乱し、狂乱状態に陥っている。
音声などなくとも、現場の様子は手に取るように分かった。過剰な演出や抑揚は何もなく、ただ淡々と出来事のみが映し出されていく。しかし、それが却って言い知れぬ説得力を伴っていた。監視カメラの映像であるという事実が、余計に冷たいリアリティを呼び起こさせる。これは本当に現実に起こった事なのだ。CGや演技ではない。本物の殺戮なのだ。
そしてそれ故に、とても正視していられなかった。
「お、俺、これ以上……ムリ……!」
久藤は蒼白になり、口元を押さえながら、慌てて部屋を出ていく。深雪も手が震えた。血の気が引き、じっとりと冷たい汗をかいている。室井はその反応に満足したのか、ニヤニヤと笑って言った。
「な、すげえだろ? マジもんなんだよ。でもま、見せられるのはここまでな」
そして室井は唐突に映像を止める。部屋の中に、ふつりと暗闇が落ちた。深雪はあまりの衝撃で、しばらく声も出せない。
ただ、いくつか分かったことがある。
一つはこの映像は、誰かによって『創られた』ものだということだ。確かに、映像そのものに加工した様子はない。だが、アングルやシチュエーションなど、あまりにも出来すぎている。登場人物が、きれいに画面に収まりすぎているのだ。少なくとも、たまたま事件を捉えた映像ではないだろう。
事前に奈落やマリアの指摘していた通り、わざわざ監視カメラのある場所で故意に犯行が行われたとしか思えない。
もう一つは、やはりこの連続猟奇殺人事件は、間違いなく波多洋一郎が過去に起こした猟奇殺人の模倣だという事だ。それは室井の反応を見ても明らかだった。しかもそれは波多洋一郎の思想的な影響によるものでは、おそらくない。
波多洋一郎がやったものに見せかけなければ、商品価値が無かったのではないか。
ただ、まだ分からないこともある。
それは、三人の加害者はどうして犯行後に自殺したのか、ということだ。
室井の話を鵜吞みにしたくはないが、仮に波多洋一郎にプレミアがついていたのなら、全ての犯行を波多洋一郎ひとりで行えばいい話だ。
しかし、波多洋一郎は自ら命を絶った。そこがどうも腑に落ちない。
三年も《死刑執行人》から逃げおおせたというのに、なぜ今更という感覚が拭えないのだ。
池田信明と堀田悠樹にしても、何故、波多洋一郎の模倣犯となったのか。そして犯行後にどうして自殺したのか。
それに、自殺の状況もそれぞれ違う。波多洋一郎と池田信明は自宅で遺体が見つかったが、三番目の加害者――堀田悠樹だけは犯行直後にその場で自殺している。
どうして堀田だけは他の二人と自殺の仕方が違うのか。
そして最も重要なのは、一体誰が室井にこの映像を売りつけたのかということだ。
できればそれも室井から聞き出しておきたい。
だが、口を開けばありとあらゆる罵詈雑言を目の前のコレクターに浴びせかねなかった。
それほど深雪は憤っていた。軽蔑を通り越して、嫌悪すら覚えていた。この映像を創り上げた者に対しても、それを嬉々として鑑賞している室井に対しても。
激高すまいと何とか感情を押し殺し、深雪はやっとの声で室井に尋ねた。
「この映像……どうやって手に入れたんだよ。ネット?」
「んな訳ねえだろ。言ったじゃねーか。《東京》でしか手に入らねえ、超レアもん映像だって。ネットだったら誰でも手に入れられちまう。意味ねーよ、そんなん」
「じゃあどこで……」
「さあな。『にわか』には簡単に教えらんねーな」
室井は稀少なコレクションを見せびらかすのが楽しくてたまらないのか、腕組みをし、ニヤニヤと笑ったまま答えない。深雪はかっと頭に血が登る。こんな狂ったコレクターの優越感をくすぐるために、永野エリは殺されたのか。こんな風に殺害動画を娯楽として扱って、己が恥ずかしくはないのか。そう思うと、マグマのように突き上げて荒れ狂う激情を、抑えることができなかった。
深雪はスクリーンの前に鎮座した機材に手を掛けると、己のアニムスである《ランドマイン》を迷わず発動させる。ボンッという派手な音がしたかと思うと、ブルーレイプレーヤーは大きくへこみ、煙を上げ始めた。この様子では、中に入っているディスクも無事では済まないだろう。もっとも、深雪としては最初からそれが狙いだったので罪悪感はない。むしろ、これで映像が二度と室井の目に触れることはないことを考えると、せいせいしたほどだ。
「な……何しやがる!?」
室井は目を剝き、顔を真っ赤にして突っかかってくる。このコレクターは、興奮するとすぐに顔が赤くなる性質であるようだった。だが深雪も、もはやこんな下衆に遠慮するつもりはない。室井のスエットの胸元を乱暴に掴みあげると、目元に皴を刻み、存分に怒りを爆発させた。
「次はご自慢のコレクションだ。……大人しく喋れよ、クソ野郎!」
これまでとは雰囲気の一変した深雪に、さすがのコレクターもたじろいだ。そして、ようやく先ほど機材を破壊したのがアニムスだということに気づく。
「お前……ゴーストかよ? まさかそっちのデカいのも……!? 何でこんなとこに……まさか、《死刑執行人》か!?」
顔を引き攣らせる室井に、奈落は虫けらでも見るかのような冷ややかな視線を送る。室井はゴーストではなく、普通の人間のようだが、それでも《死刑執行人》に対してはそれなりに畏怖の念を抱いているらしい。
この段になって、室井はようやく全てを察したようだった。深雪たちが何のためにここに来たのか、尚且つ、室井に何を望んでいるのか。
そして、得意気に自慢のコレクションを披露したことが、そもそもの失敗だったのだと。
室井は暫く身じろぎもせず、恨めしそうに深雪たちを睨んでいた。しかし、このまま睨み合いをしていても埒が明かないと諦めたのだろう。やがて渋々といった様子でのそりと動き出す。
室井が腕にはめた通信端末を操作すると、数分後に返信音が鳴り響く。それと間髪置かず、部屋の隅に置かれたプリンターが振動し始めた。室井はプリンターの排出口から吐き出された紙を手荒にひったくると、それを深雪に突きつける。
「これから会うとさ。向こうにはあんたらの素性は明かしてない。……興味があるなら、行ってみれば」
室井から手渡された紙には、簡素な地図が印刷されていた。この家からさほど遠くない場所だ。歩いて十五分ほどだろうか。
その中心には、赤いバツ印が打ってあった。そこに行けば、この映像を『商品』として室井に売った張本人に会えるということだろう。
そして、そいつはおそらく、事件の犯人とも繋がっている。
ようやく手に入れた手掛かりだったが、達成感や喜びは皆無だった。それよりは嫌悪感や後味の悪さのほうが圧倒的に勝っている。永野エリの殺害動画に興奮し、魅入っている室井の姿を思い出すと、その吐き気を催すような光景に憎悪すら湧いてくるほどだ。
室井は紙切れを寄越した後は、むっつりと黙り込み、こちらを顧みもしなかった。一刻も早くここから立ち去れということだろう。深雪としても、これ以上こんな忌まわしい場所に長居などしたくなかった。
室井の背中を一瞥すると、一言も発することなく足早に廊下に飛び出した。
階段に向かう深雪に、後ろから奈落が声をかけてくる。
「穏便にやるんじゃなかったのか」
「う、うるさいな。あんなの、冷静でいられるわけないだろ! 狂ってるよ、あいつ……‼」
深雪は思わず声を荒げた。室井の『観賞用ルーム』での事を思い出すと、強い憤りがぶり返してくる。もっと室井を締め上げた用が良かっただろうか。それとも、奴の目の前で、ご自慢のコレクションを徹底的に破壊してやるべきだったか。相手はゴーストではなく普通の人間だし、そうでなくとも暴力沙汰は好きではない。だが、久しぶりに心の底から、目の前の人間をぶちのめしてやりたいと思った。
「フン……さして珍しくもない話だ。連中にとっては、他人の死など娯楽の一環に過ぎない。派手な映像であればあるほど、群がる蠅の数も増える」
奈落はそう吐き捨てた。その口調はいつもと全く同じで一分の乱れもなく、それ故にどこか冷徹でもあった。そういえば、二階にいる間も、奈落が動揺したり怒りを表すことはなかった。彼にとってはごく慣れた光景であり、想定内の事態だったのだろう。
何とも言えない感情が胸の奥にずしりと音を立てて、圧し掛かってくる。脱力感や無力感、諦念の入り混じった、鉛のように冷たい塊。
深雪は無性にやりきれなくなって、俯いて呟いた。
「……。何でだろう……?」
「何がだ」
「だって普通はさ、誰かが死ぬって怖い事だろ。俺なんかさ、道端でバッタが死んでても怖いと思うよ。それなのに……あいつら、何がそんなに楽しいのかな……?」
現に久藤だって、途中で耐え切れなくなり、退出していった。それが普通の人間の一般的な反応だろう。道義的な問題もあるが、もっと根本的なところで理解ができない。人は――或いは生物はみな、死を恐れるものだ。死は命の終わりでもある。本能的に忌避するのが通常の反応ではないのか。
怖いもの見たさというのは誰にでもある。だが、室井たちのそれは、常識的なレベルをはるかに通り越している。
奈落はそれを聞いてしばらく無言だったが、やがて唐突に口を開いた。
「……。臭いがないからだろう」
「え……?」
「死体は臭い。すぐに腐敗が始まるからな。放っておいたら蛆が湧くし、蠅もたかる。野生動物が食い散らかして、どんどん原型は失われる。死とは本来、そういう生々しいものだ。そして大抵の人間は、そこに生理的嫌悪を抱く。実際に経験すれば……だがな」
「……」
室井はおそらく、現実の『死』を自分の目で見たことがない。《東京》の中には死が溢れているが、全ての場所がそうだというわけではなく、危険地帯があれば、逆に安全地帯もある。特にこの旧新宿駅の周辺は監獄都市の中でも唯一開発が進み、実力のある《死刑執行人》が大勢事務所を構えているせいか、治安もいい。渋谷や秋葉原で現実に起こっている惨事を直視しなくても生きていける場所なのだ。
室井には『経験』が決定的なまでに欠けている。電子情報に溺れ、それが全てだと思い込んでいるのだろう。それが匂いや触感の欠如した不完全の情報だという認識を忘れ、まるで世の中全てを知り尽くしいたようなつもりでいる。それは、想像力の欠如などという生易しいものではない。あまりにも大量の情報に晒され、正気を保つのすら難しいのかもしれない。
深雪は何だか分からなくなった。片や己のアニムスを振りかざし、平気で他者の命を奪うゴーストがいる一方で、それを娯楽とし、高みの見物とばかりに鑑賞する人間もいる。一体どちらがまともで、どちらが異常なのか。それとも、この《東京》の中では、みな等しく狂っていってしまうのか。
奈落はどうでも良さそうに眼を眇めた。
「……閉塞した環境に身を置きすぎると、人間は狂う。ただ、それだけの話だ」
そのまま階段を下り進んでいくと、折り返しを曲がったところで、久藤が座り込んでいた。あまりのショックで、階下に辿り着く前に力尽きてしまったのだろう。背中越しにも、ぐったりと項垂れているのが分かる。
「大丈夫か?」
心配し声をかけると、久藤は二日酔いの後のようなげっそりとした顔をこちらに向けた。
「は、はは……何とか……。マジああいうの駄目なんすよ」
「……悪かった。ごめんな、付き合わせて」
「いや、まあ……。俺、戻ってもいいっすか。これからまた仕事があるんで」
「ああ、気を付けて。何かあったら、連絡してくれ」
久藤はフラフラと立ち上がると、心ここにあらずといった様子で室井の家を後にした。本人の言う通り、室井に見せられた映像による衝撃が、心理的に大きな負担となっているのだろう。もしかすると、目の前で死んだ田中や稲葉、河原のことを思い出させてしまったのかもしれない。
深雪は事件と無関係である久藤を巻き込んでしまい、申し訳なく思った。ようやく手に入れた手掛かりも、久藤の紹介があればこそだ。そう思うと、深雪はその頼りなげな後ろ姿に、感謝せずにはいられなかった。
(今度会ったら、何かお礼をしよう)
今は、室井から手に入れた地図の指し示す場所に、一刻も早く向かわねばならない。
急いで階下に降り立つと、待機していたシロが嬉しそうに近づいてきた。
「ユキ! お話、終わった?」
「うん。とりあえず、外に出よっか」
深雪は奈落、シロと共に室井の家から外に出た。
ずっと暗い室内にいたせいか、外の光がやたらと眩しく感じられる。解放感を感じながら空を見上げると、太陽はまだ先ほどと変わらず頭上にあった。長い時間を過ごしていたような気がするが、実際には三十分ほどしか経っていない。
室井の家の空気が淀んでいるように感じたのは深雪だけではないのだろう。シロは思い切り伸びをし、奈落もさっそく煙草を取り出している。
室井によると、連絡した相手は一時間後に、地図で指定された場所で会うと言ってきたらしい。『ジャック』と呼ばれている男だそうだ。今から移動しても、時間的には十分余裕はある。深雪はシロに紙切れを見せながら、これからそこへ向かうつもりだと説明した。するとシロは、むむ、と眉間に力を籠める。
「えっと……つまり、そのワルモノを捕まえればいいの?」
「そうなんだけど……俺にちょっと考えがあるんだ」
深雪は奈落とシロに向かって、説明を始める。
「室井は、相手方――ジャックって奴に俺たちの素性を明かしてないって言っていた。あいつにとって、画像の収集はあくまで趣味だ。その為に自分の身を危険に晒すとは考えにくいし、多分そういう根性がある性格でもない。《死刑執行人》が絡んでくると分かった以上、深入りはして来ないと思う」
つまり、ジャックには深雪たちが《死刑執行人》であると伝わっていない可能性が高い。それをうまく利用できないか。そう考えたときに、ふと思いついた事があった。
「俺、客のふりをしてジャックって奴に接触してみようと思うんだ」




