第26話 コレクターの男
「――それで、さっきの話なんだけど……『見せられちゃった』って、どういう意味?」
深雪が本題を切り出すと、久藤は困ったような顔をする。しかし、奈落にぎろりと一瞥されると、「ひえっ!」と短い悲鳴を上げ、すっかり項垂れて口を開いた。
「その……職場の先輩に見せてもらったんすよ。スゲえ映像があるって」
「それが、例の無差別連続殺人の殺害現場の映像だった……?」
「先輩はそうだって言ってました。ただ、ホントかどうかは分かんねえっす。俺、別に本物の殺人現場見たわけじゃないんで……」
「職場の先輩……ってことは、一般人か……?」
「室井さんっていう人です」
話によると、その室井という先輩は久藤を自宅に招き入れ、いろいろな動画を見せてくれるらしい。中でも残酷動画が大好きで、記録媒体に落とし込んで収集しているほどなのだという。
久藤はその時に見た映像を思い出したのか、渋面を作った。
「……ただ、確かにすごかったすよ。すげえリアルで、もう、気持ち悪くて……! 俺、ああいうの苦手なんすよ。なのにすごいレアい映像で、世界中探してもこんな映像ぜったい無いって自慢されちゃいました。スプラッタっていうんすかねえ。ホント理解できませんよ、ああいう世界って」
「今、店にいるの、その人?」
「いえ、今日はシフト入って無かったと思います。けど、家なら知ってますよ。何度か遊びに行ったんで」
「………」
深雪は箸を止め、頭の中で情報を整理した。
久藤の目にしたスプラッタ動画が、本当に今起きている連続猟奇殺人事件のものだったとすると、事件の映像がすでに一部で出回っているということになる。
一体、誰がそんなことを――深雪は怒りを覚えずにはいられなかった。人の死を娯楽に転じて金を稼ぐなど、決して赦されることではない。打ちひしがれる永野エリの両親の姿を思い出すと、余計に憤りが募った。箸を握る手にもつい力が入り、細かく震えだす。
情報屋の誰かの仕業だろうか。奈落は、最近はその様な映像が出回る事は無いと言っていた。悪質な情報屋は《リスト入り》する為、それを恐れて手を出さないのだと。それを承知で何者かが、殺害現場の映像を故意に流しているということのだろうか。
確かにそれで多少は稼げるかもしれない。だが、《リスト入り》するリスクを考えたなら、決して割のいい儲け話だとは思わない。敢えて人道にもとる行為をとり、命を狙われるリスクを冒すことに、一体何の意味があるのか。深雪にはさっぱり分からないし、理解したいとも思わない。
それに、もしに仮にそうだとして、ネット上にそういう映像が出回っているとすれば、すぐに警察や事務所の誰か――マリアや流星が気付く筈だ。どうして、今の今まで発見されることがなかったのだろう。
おかしい、何か妙だという違和感と、そんな事をしている人間がいるという事に対する、抑えようもない怒りが激しく交差する。
すると、深雪の怒気が伝わってしまったのか、久藤はバツが悪そうに俯いた。深雪は久藤に向かって身を乗り出す。
「その人のとこ、連れていって欲しいんだけど」
「それが、その……口止めされてるんすよね。映像を見たこと、絶対誰にも話すなって。バイトで面倒見てもらってるんで、あんまトラブるのもどうかっていうか……」
「分かってる。……そこはうまくやるから」
久藤は尚も渋っていた。ようやく見つけた仕事場だ。そこの先輩と揉め事を起こしたくないという気持ちは当然だろう。だが、深雪たちとしても他に事件の手掛かりはなく、どうしても情報を得ておきたかった。再三に頼み込んで、久藤はようやく首を縦に振ったのだった。
ちょうど、あと小一時間ほどで久藤のシフトは終了するという。深雪たちはそれまで店で待たせてもらうことにした。
「……ここっすよ」
バイトを終えた久藤に連れられ、向かった先は、古びた一軒屋だった。同じ家屋ばかり四つ連なった長屋のうちの一つだ。築五十年は経っているだろうか。
瓦も外壁も、全てが長い年月によって劣化しており、くすんだ色を放っている。風雨に晒された痕だろうか。黒い筋があちこちについて、縞模様を作っていた。地震が来たら真っ先に崩れ落ちそうな家屋だ。
深雪は小声で奈落に話しかけた。
「どう思う?」
「何がだ」
「映像だよ。本物かな……?」
「それを今から確かめに行くんだろう」
何を今更、と眉を吊り上げる奈落に対し、深雪は「それはそうなんだけど」と、言葉を濁す。
永野エリや上野ヒカリの殺害現場は凄惨極まりなく、深雪も思わず吐きそうになったほどだった。あんな陰惨な映像が堂々と出回っているなど、あまり信じたくはない。
「……とにかく、せっかく掴みかけた手掛かりなんだ。今度は勢い余って別人を脅すみたいなことしないでよ。あくまで穏便にいかないと」
ここで先ほどの牛丼屋のような騒ぎを起こしてはなるまい。今回は完全に他人の家なのだ。そう思って念を押すと、奈落は舌打ちをして深雪に応じた。
「お前が掴んだ情報だ。好きにしろ」
奈落には、その言葉に他意はなかっただろう。しかし、深雪は何だか仕事を任せてもらえたような気がした。現に、組んだばかりの頃であれば、天地が逆さになっても奈落がそんな台詞を口にすることはなかっただろう。
「マジで? ありがと!」
喜びが沸き上がってきて、つい声も弾んでしまうのであった。
一方の奈落は、思い切り顔をしかめる。何故、ここで礼を言われるのかさっぱり理解できない――そんな表情だ。奇妙な生物でも見るかのような目でこちらを見返している。だが、深雪はそれも以前ほど気にならなかった。
長屋の前には庭や門がなく、玄関扉がそのまま路地に面している。人けはまるでなく、あちこち修理箇所があり、壁面が崩れていたりして一見すると廃屋かと見紛うほどだ。
だが、よく見ると窓ガラスの向こうに台所洗剤が置いてあるのが見えたりして、人が住んでいることが分かる。
久藤は右から二つ目の家の玄関に近づいていくと、インターホンを鳴らした。表札に目をやると、『室井』の文字が見えた。
「ぅおーい」
すぐにくぐもった低い声がし、扉が開かれた。
中から現れたのは、眼鏡をかけた小太りの男だった。二十代後半くらいだろうか。長髪を後ろで縛っている。今日は完全にオフなのか、灰色のスエットの上下を身に着けていた。
「あ、どうも室井さん。久藤です。差し入れ、持ってきたんスけど」
久藤は道中で買った、ビールとポテトチップスの入ったビニール袋を掲げて見せる。すると、室井と呼ばれた男は、ぽっちゃりした顔をほころばせた。
「おう、上がれや」
そう言って室井は顎をしゃくり、久藤を招き入れようとする。ところが、すぐにその笑顔は凍り付き、怪訝な表情へと変わった。久藤の後ろにいる深雪と奈落、シロの三名に気づいたのだ。見知らぬ人物の集団を目にし、あからさまな警戒の色を浮かべる。
「誰だよ、そいつら」
声をとがらせる室井に、久藤はきまり悪そうな表情を返す。深雪はすかさず、その間に割って入った。そして、挑むように室井を見つめる。
「あんたが室井さん? 何か、すごい映像持ってるって聞いたんだけど」
すると、室井はぎょっと目を剥いた。そして次に、顔を紅潮させて久藤を怒鳴りつけた。
「おまっ……喋ったのかよ!」
「すんません!」
久藤は反射的にそう叫んでがばっと頭を下げる。深雪は何だか申し訳ない気持ちになった。悪いのは久藤ではない。頼み込んでここまで連れてきてもらったのは深雪たちの方なのだ。
ここで室井が機嫌を損ね、扉を閉めてしまったら元も子もない。深雪は間髪入れず、言葉を挟んだ。
「俺も、見たいんだけど」
「知らねえよ。関係ねえだろ」
室井は冷ややかに吐き捨てる。すっかり警戒し、取り付く島もない。だが、深雪も相手が白を切る可能性は考えていた。そこで前もって用意していた、とっておきの一言を放つ。
「……嘘なんじゃないの」
「あ?」
「大した映像じゃないんだろ? だから、見せられないんだ」
深雪の言葉が相当気に障ったのか、室井はむっとして顔を歪めた。想定通りだ。深雪は内心でにやりと笑う。室井が聞いていた通りの、筋金入りの収集家なら、自分のコレクションにケチをつけられるのは最も我慢ならない事の一つだろう。
やがて室井はじろりと深雪を睨みつけると、家の中に顎をしゃくった。
「……入れよ。そこまで言うなら、見せてやる」
そして玄関の扉を開いたまま、奥に引っ込んだ。
作戦が成功し、深雪はほっと胸を撫で下ろす。まずは第一関門突破だ。室井が単純な性格で助かった。室井も深雪たちに対する用心はあっただろうが、それより自分のコレクションを見せつけたいという欲求の方が勝ったのだろう。
深雪は奈落やシロと目くばせしあい、長屋の中へと足を踏み入れる。
長屋の中は薄暗く、どことなく埃臭かった。掃除云々の問題ではなく、建物自体がかなり古いせいで、臭いが染みついているのだろう。玄関はもともと手狭なようだったが、ごちゃごちゃと段ボール箱や新聞の束が積み上げられている為か、余計に狭い。そこから奥に向かって一直線に廊下が伸びており、その途中に折り返し階段が設置してあって、二階へと続いている。
室井は深雪たちに、二階へ上がるよう促した。どうやらそこにコレクションルームがあるらしい。
古い民家にありがちな急勾配の階段を上っていくと、そこには六畳ほどの部屋が二つある。右側の部屋の、僅かに開いた襖の隙間から中を覗くと、棚がいくつも並んでおり、何やらびっしりと並べられているのが見えた。
男が深雪たちを招き入れたのは、階段から向かって左側の部屋だった。どうやら収集した映像を観賞するための部屋らしい。壁にはいっぱいに大きなスクリーンが設置してあり、窓はみな黒い暗幕で覆われていた。その為、昼間とは思えないほど薄暗い。
反対側の壁には巨大な本棚があり、ブルーレイディスクがぎゅうぎゅうに並べられている。間には事細かに手書きのポップスが挟んであり、壮観な眺めだった。
それが室井の言うコレクションなのだろう。
「何だ、これ……」
本棚の物量に圧倒され、思わずそう呟くと、室井は得意げに頬を緩ませた。
「これが俺のコレクションだよ。すげえだろ。全部《東京》で起こった殺戮事件の映像だよ。今じゃ滅多に手に入らないけど、昔はすごかったんだ。ほとんどがゴースト犯罪。もう、普通の殺戮とかとはレベルが違うワケ! これ見るとさ、映画とかドラマなんて所詮作り物ってよく分かるよ」
奈落も同じことを言っていた事を思い出す。昔は情報屋がこぞってその手の情報を流し、商売をしていたらしい。その事を指しているのだろう。室井はその時に出回っていた映像をこうやって後生大事に保存しているのだ。
深雪は高校時代の友人を思い出していた。スプラッタ映像やホラー映画に異常な興味と執着を抱いていた同級生。この男も同じくそういう映像が純粋に好きで、自己満足のためにコレクションしているのだろう。
陳列棚の空きスペースには、何かのアニメのキャラクターと思しき美少女フィギュアも並んでいた。シロがそれに気づいて、手を伸ばす。
「可愛い! 何これ?」
すると室井は、激怒して声を張り上げた。
「あ、おい! 触んな! 激レアなんだぞ! 壁が出来る前の時代のものなんだ。マニアの間では、ちょっとした外車と同じくらいの値段がついてるんだぞ‼」
どこにそんな金があるんだ――深雪は雨漏りのしそうな天井を見上げつつ、内心で突っ込んだ。するとそれを読み取ったのか、室井は「世の中、マニアばっかじゃないからな。物の価値の分からねえ奴もいるんだよ」と付け足した。
その口調は荒々しく、今にも爆発しそうだ。ここで腹を立てられ、追い出されでもしたら、全てが水の泡となってしまう。深雪は慌てて、シロに向かって頼み込んだ。
「し、シロ! ちょっと一階に降りててくれる? ……すぐ終わるから」
「むう……分かった……」
シロは若干むくれた顔をしたが、大人しく、とんとんとん、と木造の階段を下りていく。仲間外れをしたみたいで可哀想だと思ったが、今から流れるであろう映像の残虐性を考えると、やはりシロには席を外しておいてもらった方がいい気がする。
一方の奈落は二階に留まったものの、まるで空気だった。独特の威圧感はすっかり鳴りを潜め、一言も発さず、完全に気配を消している。いつも無駄に恐怖を振りまいているというのに、今はまるで影のようだ。そのせいか、室井も全く奈落の方を気にした様子がない。
案内人である久藤も二階に留まった。本人の意志ではなく、成り行きで同行したものらしい。不安そうに部屋の中をキョロキョロしている。深雪は無理をしなくてもいいと言ったのだが、久藤はただ曖昧に笑うばかりだった。
どうやら深雪ではなく、室井の機嫌を気にしているようだ。勝手に帰ったら怒られると思っているのだろう。
深雪と奈落、久藤を前にし、室井は大袈裟に両手を広げた。
「……話を戻すけどさ。昔はすごかったんだよ、《東京》は。相当ヤバいものがフツーに出回ってた。《監獄都市》の名は伊達じゃないっつうかさ。世界中ここだけってカンジ!」
「………」
「俺……そん時に《東京》にいなくて、マジ良かったっす………」
深雪と久藤は同じように眉をしかめ、互いに顔を見合わせる。しかし、室井はその様子に気が付かない。どうやら好きなことに関しては、一度喋り出すと我を忘れる性質らしく、興奮し、早口で自ら収集した映像の禍々しいエピソードを喋り続けている。
深雪はその様子を不快に思いつつも、大人しく聞くふりを続けた。そして頃合いを見計らい、質問を繰り出した。
「そういう……マニアみたいなのって、結構いるものなのか」
「いるだろ、そりゃ。激レアだぞ? 外じゃ絶対手に入らない映像だぞ! ……まあ、その俺らん中でも、伝説のゴースト犯罪ってのがあるんだよね。波多洋一郎! ……知ってる?」
「……! ああ。でも、死んだだろ。自殺」
深雪が慎重に答えると、室井はやれやれという風に両手を上げ、お手上げのポーズをする。
「そうそう。しょっぺーよなあ。三年前、トウキョウ・ジャック・ザ・リッパーとまで呼ばれた殺人鬼の末路も、結局はあんなもんか」
「どういう風に伝説だったの。波多洋一郎って」
「三年前……丁度あの頃から、有名な情報屋が次々と《リスト入り》するようになったんだよな。
だから、波多洋一郎の起こした過去の猟奇殺人は、衝撃的な事件であったにも関わらず、ギリで映像が出回ってないんだよ。俺もすげー欲しかったんだけど、手に入らなくてさ。でもどっかにはあるんじゃないかって話もあった。噂だけどな。要するにプレミアがついてたんだよ。お宝ってヤツ?」
「………」
深雪の眉間に、さらに深いしわが寄る。
よく見ると、棚のブルーレイディスクには、AとかBなどとアルファベットが振ってある。最初は何のことかよく分からなかったが、すぐにそれがランキングだと悟った。室井は映像の衝撃度によってランク付けをしているのだ。
こいつは人の死を、食玩くらいにしか思っていない。そう考えると、胸の辺りがムカムカして、激しい怒りがこみ上げてくる。
しかし部屋が薄暗いせいか、室井は深雪の表情に全く気づいていない。一枚のブルーレイディスクを取り出すと、興奮気味に身を乗り出して来た。
「……それがさ、なんと! 手に入ったんだよ‼ あの波多洋一郎が戻ってきた! トウキョウ・ジャック・ザ・リッパーの再来さ! 外から来たやつにはピンと来ないかもしれないけど、スゲエことなんだよ、これは! アメリカ軍がUFOの存在を認めちゃった、ってくらいすごい事なの‼ まさに、歴史的大事件さ‼」
「は、はあ………」
男の例えは全くの意味不明で、久藤も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。だが、深雪は徐々に事態が飲み込めつつあった。
プレミアのついていた、波多洋一郎の犯行映像。伝説にまでなっていたそれがもし出回れば、どれだけ値が張ろうとも、絶対に手に入れたい――そう、室井と同じように考えている輩は、どうやら《東京》の中にもかなりいるらしい。
需要はある。そこに供給が追い付けば、商売が成り立つ。
奈落は言った。これはショーだと。被害者の少女たちは『女優』であり、誰かが監視カメラで殺害の様子を隠し撮りし、金を稼いでいるのだ、と。
正直、初めてその話を聞いた時は、まさか、と思った。いくらここが監獄都市で、陰惨な事件が頻発する危険な街だとしても、それでは余りにも常軌を逸している。
だが、今や奈落の推測は現実のものとなりつつあった。室井の手の中にあるブルーレイディスクを再生すれば、よりはっきりするだろう。深雪はその事実に、鳥肌の立つ思いがした。
室井はスクリーンに映す機材を操作し始める。深雪はそれを見て、ふと意外に思った。ブルーレイプレイヤーは、記録媒体としては旧式で、深雪の子どもの頃にはまだあったが、最近ではほとんど見ない。ブルーレイディスクの保管も場所を取る。現に、この室井の『観賞用ルーム』も、大半がそれらのディスクで占拠されている。
「ネットで管理した方が手軽じゃないか?」
純粋な疑問を発する深雪に、室井は小馬鹿にしたような視線を返してくる。




