第25話 推測②
マリアは取ってつけたような、呑気な口調で答える。
通常の犯罪者は基本的に、監視カメラを忌避すものだ。そこには己の成した悪事が克明に記録されてしまう。そして監獄都市である《東京》は、カメラの監視が及ばない区域などいくらでもあるのだ。
しかし、この犯人は監視カメラに強い執着がある。それも、趣向として好んでいるというより、むしろ必要不可欠だったのではないか。
そしてそうであるなら、奈落も言っていた、事件現場は驚くほどどれも似ているという点も非常に気になる。
簡素な室内、電気の通った廃ビル、そして監視カメラ。これらの共通点に意味があるとすれば、それはいったい何なのか。
深雪は永野エリや上野ヒカリが殺害されていた現場を思い起こす。仰向けに寝かされ、内臓を引き摺り出された惨たらしい遺体。それに対し、顔は比較的きれいだった。部屋の中が簡素で寂れていたせいか、溢れ返った生々しい大量の血液が、やけにはっきりと目についた。
その時、深雪はある可能性を思いつき、蒼白になる。
「え、ちょっと待って……っていうか、話をまとめると、誰かが監視カメラを介して、殺人現場を覗き見していた可能性があるって事……!?」
監視カメラはどれも、事件現場の真上にあった。どの犯行も、はっきりそこに映っていたことだろう。
誰かがそれを持ち去ったのだとしたら。
そして、その映像こそが犯人の目的なのだとしたら。
「……そーゆーこと。その後、ご丁寧にもカメラを壊して映像記録も消して行った、と」
ニヤリと得意げに口の端を吊り上げるマリアに続き、奈落が隻眼を鋭く眇める。
「こいつはショーだ。殺された女たちはみな仰向けだった。そうでなければ、天井の監視カメラが捉えられないからだ。……映像を美しく撮るためには、照明も必要だった。電気系統のイカれているビルも多い。場所は入念に下調べをしていた筈だ。
女の顔がきれいだったのもそれが理由だろう。女優の顔に傷はつけられない。タイプがそれぞればらばらなのは、商品のラインナップを揃える為だ」
「胸の悪くなる話ね……‼」
マリアは嫌悪感も露わに吐き捨てた。まるで、奈落が犯人であるかのような憤りぶりだ。マリアはいつもふざけた態度で、真意がどこにあるのか分からないことも多い。そんな彼女がそれほど激しく怒りを露にするのは、珍しいことだった。
だが奈落は、それにも動じることなく淡々と告げる。
「そして、おそらくそれで金を稼いでる奴がどこかにいる」
「ま……まさか……」
深雪は思わず呟いたが、言葉とは裏腹に生々しい実感が悪寒となり、ぞっと背筋を這い上がってくるのを覚えた。
ずっと不思議だったことがある。犯人は、何故、被害者のはらわたを引きずり出すなどという殺害方法を選んだのか。ただ命を奪うだけなら、他に簡単なやり方はいくらでもある。それなのに、どうしてわざわざ手間のかかる方法を選んだのだろう。
かつてトウキョウ・ジャック・ザ・リッパーと呼ばれ、一部でカリスマ的人気を誇っていたという波多洋一郎の犯行を模倣しているのは間違いない。だがそれなら、池田信明や堀田祐樹が最後に自ら命を絶ったのは不自然だ。波多洋一郎は大胆な連続殺人事件を起こした後、ぷっつりと行方をくらました。その《死刑執行人》から生きて完全に逃げおおせたという事実も、波多洋一郎の人気をカリスマ的に押し上げている要因の一つなのだから。
結果的に波多洋一郎は自ら首を掻き切って死んだが、それはごく最近のことだ。池田信明に至っては、波多洋一郎が死んだことを知らずに自死した可能性すらある。
もし波多洋一郎の一連の犯行を模倣するなら、事件直後の二人の自殺は却って逆効果なのではないか。
ここからはあくまで推測だが、おそらく犯人は、波多洋一郎の犯行を模倣してはいるものの、それは波多洋一郎の思考や人格、行動を崇拝してのものではない。
むしろそれより、事件の視覚的なインパクトに着目したのではないか。
尚且つ、非力でか弱い少女たちが残虐な手口で殺されるという、ショッキングな話題性を利用したかったのではないか。
そして奈落の口ぶりからすると、おそらく犯人にとって犯行映像は金を稼ぐための『商品』なのだろう。以前はそういった残酷動画をばら撒いて、飯の種にしていた情報屋も存在していたという。
あり得ない話ではない。
深雪は自分の表情が凍り付くのを感じた。人が人の暴力によって命を奪われる――それだけでも十分恐ろしいのに、それを商品として売買し、金を稼いでいる者がいる。それが本当なら、マリアの言う通り、まさに吐き気のするような異常事態だ。
確かに生きていくには、金が必要だろう。ただ、ここが《監獄都市》で閉じられた世界だとは言え、仕事はないわけではない。現にゴーストを含め、まっとうな生活を送っている人々は大勢いる。
そもそも、例えどれほど困窮していたとしても、人の命を奪い、尊厳を踏みにじっていい理由にはならない。こんなやり方は、どう考えても狂っている。
確かに暴力でもって人の命を奪う奴は許せない。だが、それを商売にしてしまう奴はもっと許せない。
一刻も早く、こんな事件は終わらなければ……深雪は強い危機感に駆られていた。
更なる詳細を打ち合わせするために、一度、事務所へと戻ることになった。
人通りの多い通りに移動すると、昼時ということもあってか、様々な方向から芳ばしい料理の匂いが漂ってくる。
その中を歩いていると、深雪の後ろを歩いていたシロが、ちょんちょんと服の袖を引っ張った。
「シロ、お腹減った……お昼ご飯、何にする?」
「あ、そう言えばもうそんな時間か……」
午前中はあちこち移動したせいか、時間の流れがあっという間だった。指摘されて、初めて空腹に気づく。時計を見ると、すでに昼の二時を回っていた。
ところが、深雪が軽い疲労感を覚え、その場に立ち止まった時だった。足元を茶色いものが颯爽と潜り抜け、走り去っていく。
「な、何だ!?」
驚いて目をやると、少し離れたところで猫ほどの大きさの、ずんぐりとした動物が立ち止まり、こちらをちらりと振り返った。色は薄灰色で、目のあたりだけが真っ黒に染まっている。
「狸……?」
深雪は戸惑うが、シロがすぐに口を挟んだ。
「アライグマだよ!」
「アライグマって……あの?」
確かによく見ると、つぶらな瞳の周辺が黒く、体毛がふさふさしている点は狸によく似ている。ただ、尻尾が縞模様で、その点が狸とは違う。
「っていうか、よく知ってるね?」
深雪が感心しつつ尋ねると、シロは嬉しそうに微笑んだ。
「あの子、事務所の裏にもよく来るの。左の耳に切れ目が入ってるでしょ? だからすぐに分かるんだ。時々、ご飯も上げてたよ。 ピピっていうの」
「そうなんだ。知らなかった」
「最近はあまり事務所に来なかったから……どうしたのかなあ?」
シロの表情は一転し、憂いを帯びる。餌をやるほど可愛がっていたのだ。アライグマもそれなりにシロに懐いていたのだろう。しかし、片耳に切れ目の入ったアライグマは、無情にもそのまま踵を返すと、雑踏の中へと消えていった。
「先に行ってて!」
どうしてもアライグマの安否が気になるのだろう。シロは一声発すると、駆け去っていったアライグマの後を追いかけ始める。
「し、シロ!? ……ちょっと待ってて」
深雪は奈落にそう告げると、慌ててシロの後を追った。不機嫌そうな奈落の視線が、チクチクと突き刺さるが、シロをそのままにもしておけない。少女ばかりターゲットにした連続猟奇殺人事件が起きている真っ只中なのだ。まさかとは思うが、警戒するに越したことはない。
一瞬、シロの姿を見失い、深雪は不安に駆られたが、すぐにその特徴的な獣耳を見つけることが出来てほっとした。
シロは大通りから少し奥に入った路地の、更に細い通路でこちらに背を向け、立ち止まっていた。人けは無く、大通りに面した店舗の裏口が連なっている。
「シロ? どうかし……」
シロの背中に声をかけた深雪は、すぐに言葉を呑み込んだ。数メートル先に、先ほどの左耳に切れ込みの入ったアライグマがいるのが見えたのだ。そしてその周囲には、子どもと思しき小さなアライグマが三匹ほど、纏わりついていた。
「子どもがいたんだね」
そう呟くと、シロは心からほっとしたような、穏やかな笑みを浮かべた。
「そっか、だから来なかったんだ。怪我とか病気かと思った。良かった……!」
確かに、親アライグマの後をよちよちと追いかける子どもたちの様子には、深雪も和むし、癒される。しかし、アライグマは可愛いばかりではないところが厄介だ。
二十年前にもアライグマは都会に頻繁に出没していた。繁殖力が強く、意外と凶暴で作物や建物を食い荒らすので、害獣指定されていた記憶がある。勿論、悪いのは無責任な人間の方であって、アライグマに罪は無いのだが。
《東京》が監獄都市に指定され、壁でぐるりと囲まれてしまったがために、動物である彼らもこの街から出られなくなってしまったのだろうか。東雲探偵事務所の建物は古い。あまり餌をやると、襤褸に拍車がかかるのでは、と妙な危惧を覚えなくもない。
深雪がそんな事を考えていた時だった。
狭い路地に面したドアの一つが、ガチャリと音を立てて開いた。
どうやら、牛丼屋の勝手口らしい。中から制服を着た店員らしき若い男が、大きなゴミ袋を持って現れる。
「よっと……あれ。あ……あーーーっ!」
若い店員は、深雪の方に視線を向けると、何かに気づいたかのように大きく目を見開き、次いで大声を張り上げた。突然のことに、深雪もぎょっと身構える。どこかで見た顔のような気もするのだが、すぐには思い出せない。
「な……何?」
「ほら、俺! 俺っすよ! 囚人護送船で一緒だった……一緒に《東京》に入ったじゃないっすか! 久藤っすよ、覚えてないっすか!?」
「あ……ああ!」
深雪はようやく牛丼の店員が誰だか思い出した。《東京》に収監されるときに、一緒になった男たちのうちの一人だ。深雪の次に若く、茶髪で、路上ミュージシャンのような恰好をしていた。
その後、同じ船に乗っていた凶悪ゴーストのグループに、死んだと聞かされていた。しかし、久藤は生き残っていたのだ。
「生きてたのか! 死んだって聞いて、心配してたんだ」
声を弾ませそう言うと、久藤は困ったような表情で目を伏せた。
「襲われたのは確かっス。稲葉さんと河原さんの二人はその時に……。俺も瀕死の重傷を負ったんですけど、たまたまその時、アニムスが発動して……俺のアニムス、治癒系だったみたいで。俺だけ……助かったんスよ」
久藤はだいぶ参っているようだった。よく見ると、護送船で見た時より随分、痩せているようだ。だから、ぱっと見では誰だか分らなかった。現実をどう受け止めていいかわからず、途方に暮れているようにも見える。
「そっか……大変だったんだな……。でも良かったよ、君だけでも助かって」
「そう言ってもらえると……何か救われた感じがするっス」
久藤はそう言って、力なく笑った。だが、その笑顔もうまくいかず、途中から唇を震わせる。
かなり辛い思いをしたのだろう。《東京》の中で唯一の知り合いだった稲葉と河原を目の前で殺され、自身も生死の境を彷徨ったのだ。その心中は察するに余りある。
「あのさ、俺、東雲探偵事務所ってとこにいるんだ。何かあったら力になるから」
「す……すんませんッス……!」
深雪自身も、《東京》に来て辛い思いを味わった。そのせいか、どうしても久藤のことが他人事だと思えない。通信機器のアドレスを交換すると、久藤は安堵したように表情を緩めた。
しんみりとした空気を振り払おうと、深雪は話題を変える。
「そういえば、何でこんなとこに……壁の近くに行ったんじゃないの?」
「いやあ、はは……。一応行ってみたんすけどねぇ。もう全然、仕事が無くて。辛うじて、ここの牛丼屋紹介してもらえたんで、戻って来たんすよ」
「良かったじゃん。仕事が見つかって」
「ええ、まあ……でも、ここは《東京》っすからねえ。何が起こるか分かったもんじゃない。知ってるでしょ、最近起こってる殺人事件。ああいうの見ると、ホント、ヤバいとこ来ちゃったな~って思いますよ。ま、俺らには関係の無い事っすけどねぇ」
「でも、結構、人、死んでるし……」
久藤がわざと強がっているのは分かる。圧し掛かる不安を払いのけたいのだろう。しかし、事件の詳細を知っているだけに、同意するのには抵抗があった。
「そう……すね。すんません。嘘つきました。ホントは結構、しんどいっス。田中さんだって死んだし、稲葉さんや河原さんも……。だから、どうしても他人事だと思えないんスよね……。すんません。あんなひどい殺され方見せられちゃったもんで……なんか怖くて」
やはり久藤に悪気は無かったらしく、しょげかえっている。しかし、深雪は久藤のある言葉に眉をひそめた。
「見せられちゃったって……どういう事」
「へ……?」
「いや、今殺されたの、見たって」
「あ。あー………」
久藤は何かを思い出した模様だった。しまった、と表情をしかめた後、慌てて両手を振る。
「な、何でもないっす。今の忘れてください! それじゃ、俺仕事あるんで‼」
「あ、おい!」
深雪は呼び止めたが、久藤は逃げるようにドアの向こうに姿を消してしまった。バタンと乱暴に閉められたドアに、シロもぱちくりと眼を瞬かせる。
「ユキ、今の人、知り合い?」
「あ、うん。でも……あいつ……!」
久藤は明らかに何かを隠していた。それも、おそらく深雪たちの追っている猟奇殺人に関わることだ。何か事情があるのか、久藤は話したくない様子だったが、深雪としても情報は欲しい。詳しいことを聞き出そうと、店の裏手から移動することにする。
通りに出て、店の表側に回ろうとした時だった。ちょうど、深雪たちの後を追ってきた奈落と鉢合わせした。
「何をやっているんだ、お前ら?」
「それが、実は……」
深雪は仏頂面の奈落に、久藤との会話の件を話して聞かせた。
「……だからさ、なんか変だったんだよ、そいつ。問い詰めたらキョドって逃げてったし。あれは絶対何か知ってる……」
ところが、深雪が事のあらましを全て言い終わる前に、奈落は動き出していた。颯爽と踵を返すと、大通りに向かって歩き出す。
「奈落?」
「お、おい! ちょっ……どこ行くんだよ!?」
シロと深雪が慌ててその後ろを追いかけると、奈落は何食わぬ顔で返答を寄越した。
「その茶髪野郎とやらに、吐かせるに決まっているだろう」
「あんま乱暴なことしないでよ。ここ牛丼屋だよ?」
不安を覚え忠告すると、奈落はシロの方を振り返る。
「シロ、牛丼食いたいか?」
「うん、シロ、牛丼大好き!」
「……だそうだ。何も問題はない」
「何が? ってか、どこが!?」
深雪は尚も前進する奈落を慌てて追いかけた。しかし奈落は大股で、歩調も速いのでなかなか追いつけない。
(何だろう、すこぶる嫌な予感しかしないぞ……!)
深雪の懸念は的中した。数秒後、案の定というべきか、牛丼屋の中から男の悲鳴が轟いた。
「う……うわあああああああああ! お、お客さん、何スか!?」
(ああもう、早速やってるし!)
深雪が牛丼屋に飛び込むと、奈落がカウンター越しに男の首元を掴んで、容赦なくぎりぎりと締め上げていた。ただ、それは久藤ではなく、別の見知らぬ茶髪の男だったが。
「おい、死にたくなけりゃ、知っていることを全部とっとと吐け!」
おそらく、他のバイトだろう。奈落はその気の毒なただのバイトに対し、《ディアブロ》たちに対峙した時と同じくらい悪鬼の形相をして凄んでいる。深雪は慌ててそれを止めに入った。
「奈落、それ違う茶髪だよ! 茶髪違いだよ!」
当の久藤はと言えば、おたまを握りしめ、レジのあたりで震えあがっている。そして深雪の姿を認めると、悲鳴交じりの声に助けを求めてきた。
「あ、雨宮さん! 何かうちの店に強盗が……タスケテ‼」
「えっと……ごめん。強盗じゃなくて一応俺の仲間なんだけど……あれ、でも似たようなもんか……? はは……」
もはや笑うしかない深雪のそばで、シロが嬉しそうな声を上げる。
「すいませーん、牛丼のメガ盛り、つゆだくでくださーい!」
「シロ、空気読んで! それどころじゃないよ‼ ……ってか、『メガ盛り』って!?」
フリーダム全開な奈落とシロに、深雪はどっと疲労感を覚える。
唯一の救いといえば、昼時の最も混雑する時間帯とは微妙にずれていたので、店内にさほど客がいないことだった。
深雪たちは牛丼を食べながら久藤の話を聞くことになった。昼間の混雑は一服しているのか、客はかなり少なくなっている。
シロは嬉しそうに牛丼とお新香のセットに箸をつけた。深雪も自分の牛丼をつつく。そのテーブル席の向かいで、久藤も観念した様に椅子に座った。奈落に睨まれ、居心地悪そうにもぞもぞ体を動かしている。
一方の奈落は、何も口にするつもりはないようだった。最初は黙々と煙草をふかしていたが、その後、久藤からおずおずと、「店内は禁煙ですので……」と注意されてしまい、いたくご立腹だったのか、煙草の火を揉み消すと、そのまま黙り込んでしまったのだった。




