第24話 推測①
どうやら、《ディアブロ》たちは、嘘をついているわけではなさそうだ。奈落は舌打ちをし、拘束していた髭男を解放する。すると、髭は脱兎のごとく駆け出し、仲間の元へ走り去っていった。《ディアブロ》たちは、心底、悔しそうにこちらを睨みつけるが、さりとて何か有効な対抗手段を持っているわけでもなく、すごすごとその場を去っていく。
やがて一面灰色の廃墟群には、深雪と奈落、シロの三人だけが残された。
「みんないなくなっちゃったね?」
シロはどことなくがっかりした様子で、耳を垂れた。せっかくやっつけてやろうと思ったのに――あどけない表情は、そう言っている。
シロらしいな、と深雪は苦笑した。深雪がほっと安堵したのとは対照的だ。
それにしても、と深雪は考えた。坂本一空のことを考えると、暗澹たる気分になる。今も恨まれていると思うと、正直、不快だったし、狙われているかもしれないと思うと肝が冷える思いだ。
いつどこで、何をしてくるか分からない。それがよけいに不気味で、背中のあたりにざわざわとした感覚がまとわりついてくる。
しかし、取り敢えずその事は置いておくことにした。今は連続猟奇殺人事件を一刻も早く解決に導く方が先だ。
(何が何だか分からない……か)
この連続事件の奇妙な点はいくつもあるが、中でも奇妙なのは三人の被害者、及び三人の加害者の間に、殆ど接点らしい接点が無い事だった。被害者と加害者の間にも面識が無いし、被害者同志、加害者同志も全く関係性が見つからない。
おまけに、加害者の動機は、波多洋一郎を覗いて悉く不明なのだ。波多洋一郎にしても、三年前に起こした通り魔殺人を何故、今さら再開し、山下ヒロコを殺害したのか、そして何故、その後に自殺したのか。理由は全く分からない。
殺すのは誰でも良かった――そういう類の犯罪もあるにはあるだろう。だが、犯人が皆、犯行後に揃って自ら命を断っているのも解せない。理由の分からなさや脈絡のなさが際立つ一方で、犯行のパターンだけは確立している。
「何かさ……誰かが裏で操ってるんじゃないかな」
「あ?」
煙草を取り出して火をつける奈落に、深雪は話し続ける。
「だって全く関係性のない男女が殺したり、殺されたりしてるじゃん。最初はトウキョウ・ジャック・ザ・リッパーって呼ばれてた波多洋一郎の模倣犯かとも思ってたけどさ、それだと最後に自殺する意味がないよね。堀田祐樹も池田信明も。
何だかさ、全部誰かの操ってる駒、みたいな感じがしてくる。例えば、波多洋一郎の幽霊が、池田信明や堀田悠樹に乗り移った、みたいな……」
「正気か? ぶん殴ってやろうか」
「そ、それだけ不自然だってことだよ!」
奈落が紫煙を吐き出しながら、べキバキと盛大に指を鳴らすので、深雪は慌てて距離を取り、一歩後退する。
「もしくは、誰かがそう見せかけてるとか!」
このままでは殴られる――戦々恐々とした深雪は急いでそう付け足した。すると思いの外、それが奈落の興味を引いたらしい。何かを考えるかのようにして、すっと隻眼を細める。
「……。確かに精神や神経系、脳を操るアニムスは存在する。だが……」
しかし、奈落はそれきり黙ってしまった。その表情は険しく、苦虫を嚙み潰したかのようだ。深雪は驚きを覚えずにはいられなかった。いつも傲岸不遜なこの傭兵がそういった表情をすることは滅多にないからだ。
(精神や神経系、脳を操るアニムス……か)
深雪自身は、そういったアニムスを持つゴーストに出くわしたことはない。ただ、話に聞いたことがあるくらいだ。種類としては、かなり珍しい部類に入るだろう。
もし、池田信明や堀田悠樹、或いは波多洋一郎が、何者かの洗脳を受けていたとしたら。
全くあり得ない話ではないだけに、深雪はどきりとする。
いったい誰が、何の目的でそんなことをしているのかは分からない。そうだという、はっきりとした確証も無い。
だが、仮にもしそうであるなら、まだこれからも事件は発生し続ける公算が高いということだ。
「四件目も……起こると思う?」
深雪は奈落にそう尋ねた。
「言わずもがなだろう」
奈落は、フン、と鼻を鳴らしてそう言うと、歩き出す。
今までの三つの事件では、犯人がいずれも自殺をしており、手掛かりが殆ど無いという事も厄介な点の一つだった。誰か一人にでも生前に接触できたなら、何某かの情報を得られたかもしれないのだが。それに四件目の事件が起こったとして、おそらくその犯人もまた自害という状態で見つかる可能性が高い。
行き詰っている――深雪はそう感じた。
崩れた建物が立ち並ぶ区域を抜けると、唐突に新宿の街が見えてくる。
それは、砂漠の中に忽然と現れるオアシスさながらの光景だった。周囲がゴーストの抗争で破壊されていく一方なのに加え、技術革新でビルがどんどん高層化しているので、尚更だ。
シロは相変わらず、軽快な足取りで先頭を駆けって行く。そしてその後を奈落と深雪の二人が追いかける。
街に戻ってから、いくつか荒俣のような武器商人や、仲介屋の元を訪ねた。だが、やはりこれといった情報は無い。午前中だけでもかなり移動したはずだが、それに見合った収穫は得られそうになかった。
「やっぱり、そう簡単に情報って集まらないよな……」
徒労感もあって、気が重い。一筋縄ではいかないと分かってはいても、つい愚痴の一つも漏らしたくなる。すると奈落は、何本目かの煙草を取り出しつつ、深雪に答えた。
「ゴースト相手にちまちまと証拠を積み重ねても無駄だ。連中は人間じゃない。常識は通用しない」
「そーいう事言われると、テンション超下がるんだけど……。そういえばさ、あれってどういう意味?」
「何の話だ」
「この間、上野ヒカリが殺された元コンビニ店に行ったとき、呟いてたじゃん。生きてる……とかなんとか」
「……」
「それに、何で凶器に刃物が使われてるって分かったのかなって。普通はアニムスを疑うだろ。波多洋一郎はゴーストだったんだから」
奈落の言動は、まるで波多洋一郎の模倣犯が存在することを予期していたかのようだった。そうであるなら、他にも何か掴んでいるのではないか。深雪はそれが気になっていたのだ。
ただ、どうせ聞いてもうるさそうに睨まれるだけだろうと思って、今までは黙っていた。実際、数日前には綺麗に無視されてしまったという経緯がある。だが、今なら何か教えてもらえるかもしれないと、そう思ったのだった。
すると奈落は面倒だというように溜息をついたものの、煙草を唇から離して口を開いた。
「……傷口だ」
「傷口?」
「被害者の女たちはみな、腹を捌かれていただろう。その傷口に、刃型と思わしき跡があった」
「でも、波多洋一郎のアニムスは《スラッシャー》だ。実際、肘から先が刃物の形状になってた。だから、刃物の跡がつくのは当たり前なんじゃないの?」
「《スラッシャー》は、手の先がそのまま刃物になる。その場合に可能になる動作は、主に斬る、払う、突くの三種だ。そのうち、斬りと払いは縦横斜め……更にいくつものパターンに分けられる。だが突きは、人体の構造上、下から上への一方向に限られてくる」
「……あ、ほんとだ」
深雪は自身の手を手刀の形にし、いろいろ動かしてみる。
確かに、上腕骨と尺骨は肘関節で直角に噛み合っている。そのうち、腕先は上腕に対して百八十度以上は曲げられない。そのため、下から上に突き上げる動作は容易でも、上から下に突きを振り下ろす動作は困難だ。かなり肘を捻らねばならない。
「……だが、永野エリの遺体には、斜め上方から振り下ろしたような刃物の跡が多数、残っていた。それは山下ヒロコの遺体には一切なかったものだ。だから、両者を殺害した人間は別々だとすぐに察しがついた」
奈落は紫煙を燻らせつつ、説明を続ける。
「永野エリの殺害に使用されたのは大型のアーミーナイフだろうと直感で分かったが、波多洋一郎のアニムスの仕業ではないという絶対的証拠はなかった」
だから、証拠を押さえるために奔走していたのだろう。凶器の有無は重要事項だ。犯人が波多洋一郎一人だけなら、わざわざどこかでアーミーナイフを到達してくるとは考えにくいからだ。
そして、結果的にアーミーナイフは実際に使用されていた。
「だから黙っていたのか」
呟くと、奈落は澄ました顔で付け加える。
「六道の了解は取ってあったがな」
とすると、深雪に何も説明しなかったのは、やはり純粋にただの嫌がらせではないか。六道の了解を得ていたということは、流星やマリアもそれを知っていただろうからだ。
思わず半眼になってしまうが、今はこうやって説明してくれているのだ。今は取り敢えず、それで良しとする。
「……俺、ずっと気になってたことがあるんだ。荒俣さんも言ってたけど、わざわざナイフが使われていることを考えると、犯人はゴーストじゃない、普通の人間なんじゃないかって。アニムスがないから、凶器が必要だったんじゃないかな」
深雪が持論を展開すると、奈落はニヤリと笑う。
「少しはオツムが回るようになってきたじゃねーか、ポンコツ」
それでは、褒められているのか貶されているのか、さっぱり分からない。深雪は唇をへの字に曲げるが、奈落は構わずに続けた。
「――だが、断言するのはまだ早い。ゴーストが人間を装っている可能性もある」
「だったら、他に何か手掛かりがある?」
少々、ムッとして言い返すと、奈落は煙草の灰を指先で叩いて落としながら切り出した。
「この手の殺しには必ず目的がある。愛憎、快楽、名誉、そして金。ゴーストの場合もそれは同じだ。他の目的の場合はどうだか知らんが、金目的の殺しは、ある程度読める」
「そ……そうなんだ?」
「俺も同じだからな」
「………」
奈落は傭兵だ。金で殺しを請け負うことなど、日常茶飯事だったろう。だが、頭では理解していても、あからさまに口にされると、やはりぎょっとする。
(まあ、《死刑執行人》もそうなんだけど)
深雪は反射的に、己の右手を握りしめた。ゴーストを人間に戻す方法が確立し、裁くことができるようになれば、奈落のような傭兵や《死刑執行人》が必要とされることもなくなるのだろうか。今のところは、ゴーストが人間に戻るなど夢のまた夢、というのが通説だ。だが、深雪の右手に宿る力の正体次第では、それが現実になる日が来るかもしれない。
物思いに耽る深雪をよそに、奈落の説明は続く。
「事件のあったビルは、電気が通っていた。そこだけじゃない。永野エリや山下ヒロコの殺された事件現場も、電気系統は生きていた」
「……!」
それがどれほど異様なことか。深雪はすぐその違和感に気付いた。
事件現場はいずれも廃ビルの中だった。現在の監獄都市である東京の中には、そのような廃墟と化したビルが溢れ返っている。どれも二十年前に打ち捨て去られ、そのまま放置されたものばかりだ。インフラは経年劣化とゴーストの抗争による破壊でどれもズタボロになっている。電気系統が生きていて、尚且つそれが正常に機能しているビルなど、見つけ出すのも一苦労だ。
それが、全ての事件現場に共通しているとなると、そこに何らかの意図を感じずにはいられなかった。少なくとも、偶然はあり得ない。
奈落は尚も話し続ける。
「三件の殺しは、容疑者と被害者の関係性が全くと言っていいほど無い。ただ、事件現場は驚くほどどれも似ている。簡素な室内、電気の通った廃ビル、そして監視カメラだ」
「ああ、確かにそうかも……でも、監視カメラはどれも壊れていただろ。映像記録も、何も残ってないって、流星やマリアは言ってたけど……」
事件現場の詳細は、真っ先に調べ上げたことの一つだ。何か異常があれば、とうの昔に分かっているのではないか。
するとその時、ピロリロリーンという長閑なメロディが流れる。深雪が腕輪型端末を掲げると、とその上空にウサギのキャラクターの立体ホログラムが、ムギュッという間抜けな音と共に浮かびあがった。
「ほほ~~い! 呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃ~~ん‼ 噂をすればなんとやら、マリアちゃんの登場でっす!」
マリアは打ち上げ花火のように勢いよく上昇すると、ポーズをつけ、上空でくるくると回転する。ハイテンションぶりは健在だ。しかし奈落はすこぶる冷ややかな対応でそれを出迎えたのだった。
「ようやく出たか、引きこもり」
「あのさ、人を妖怪か何かのように言わないでよ。……っていうか、今度引きこもりっつったら、てめーの恥ずかし~いクソコラ、ばら撒くぞコルァ!」
マリアはコロコロした顔をゴブリンのように歪ませて怒声を上げた。だがそれも、奈落を慌てさせるには至らなかったようだ。
「……それで、重藤は何と言っていた?」
(無視なんだ……)
マリアの悪態を意にも介さず、強引に話を進める奈落に、深雪も呆れを通り越してうっかり感心してしまった。
「ちっ、脳筋め……!」
マリアは尚もブツブツ言ったが、すぐに仕事モードの表情に切り替える。
「……重藤の店にも凶器に使われた刃物の発注は無いそうよ。ただ、《中立地帯》の中だけでも《仲介屋》は無数にある。それを全て把握するのは、実質的に不可能に近いと言っていたわ。おまけに刃物が《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》経由で仕入れられたものだとすると、流通経路を調べるのはほぼ無理ですって」
「だろうな」
ここでも《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》が絶壁のように立ちはだかっている。それは二つの組織がいかにこの《東京》の中で影響力を持っているか、象徴しているかのようでもあった。このまま、手掛かりが何もない状態がいつまで続くのか。停滞感が重圧となり、ズシリと肩に圧し掛かってくる。
ところが、深雪が顔を強張らせたのと対照的に、マリアは声を弾ませた。
「――そんでもう一つの件の方だけど……見つけたわよ、現場にあった監視カメラの管理会社と製造メーカー。どれも倒産して今は無い会社ね。でも、システムはまだ生きてる。ネット上に放置されてたその管理システムに、最近誰かがアクセスした形跡があるわ。それが丁度、事件の日にちと重なってる。……これはビンゴかもね!」
「ようやく役に立ったか、引きこもり」
「あ、あんたね~……‼」
『引きこもり』の部分をやたらと強調する奈落。先ほどの会話などなかったかのような、堂々たる放言だ。マリアが肩を震わせて怒るのも無理はない。
このままではまた喧嘩になってしまう。そう思った深雪は、さすがに口を挟んだ。
「やめなよ、奈落。わざとやってるでしょ。マリアがまたゴブリンみたいな顔になっちゃったらどうすんの」
するとマリアは凶悪な光を湛えた両眼をぐりっと深雪に向け、詰め寄って来る。
「ちょっと、深雪っち……乙女に向かってゴブリンって何よ、ゴブリンて!?」
「あ、ごめん……」
「リアルに謝ってんじゃないわよ‼」
マリアは、ガルルルル、と唸った。奈落の『引きこもり』発言効果もあって、超絶不機嫌だ。まさに嚙みつかんばかりの勢いだった。
(マリアっていつもウサギの姿だから、女の人だっていう感覚があまりないんだよな)
余計な一言を放ってしまったのだと悟ったが、もう遅い。
一方、シロは不思議そうに首をかしげる。
「ゴブリンって、なあに?」
すると、奈落は煙草を燻らせつつ、面倒くさそうに口を開いた。
「暗い部屋に引きこもってこそこそ情報を集め、他人の弱みを握るのに人生の全てをかける、性格歪んだ変態根暗ウサギのことだ」
「おいコラ、そこ! 嘘教えてんじゃねーよ‼」
マリアは攻撃の矛先を奈落に戻し、びしりと人差し指を突きつける。
「――大体、『ようやく』とか言ってくれちゃってるけどね、こんなくっそ古いデータ、どんだけ探すの大変だったと思ってんのよ! 十八年前よ!? おまけに何者かによって徹底的に破壊されてて……それを修復してIDやパスワードを特定できただけでも、奇跡なんだからね‼」
どうやらマリアは、その管理システムのデータを修復するのに全力を傾けていたらしい。どうりでここ数日、ミーティング以外であまり姿を見なかったわけだ。
「……それで、監視カメラは使用されたのか」
「事件が発覚した時点では、カメラは壊されてたんだよね?」
奈落と深雪の問いに、マリアは肩を竦める。
「その管理システムにアクセスした形跡があるということは、少なくともその時点では正常に機能していた可能性が高いんじゃない? あーあ、映像が残ってればな~。事件当時の様子が映っていたかもしれないのに」
マリアは思わせぶりなセリフと共に、体を左右にくねらせる。
深雪はふと、引っ掛かりを覚えた。廃ビルの電気系統は壊滅的で、機能している物件はごく僅かだ。その中でさらに監視カメラも動いていたビルとなると、さらに対象が絞られる。それらが事件現場の舞台となったのは、ただの偶然だとは思えない。明らかに意図的であり、犯人の強い拘りが感じられる。
しかし、そこで深雪はふと違和感を覚えたのだった。
「でも……監視カメラをわざわざ壊すなら、最初からカメラのある場所を選ばなきゃいいだけの話だよな?」
事件当日に、管理システムに接触した形跡があるということを鑑みても、監視カメラの存在は犯人にとって重要だったのだろう。
「そうねー、もし、犯行後に監視カメラが破壊されたのだとしたら、そこに犯行の記録が残っていた可能性は高いわよね」




