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東亰PRISON  作者: 天野地人
監獄都市収監編
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第7話 東雲探偵事務所②

 赤神と共に部屋に入ってきたのは、黒いチャイナ服を纏った少年だった。


 黒いストレートの艶やかな髪。背は深雪と同じほどだ。すらりとしていて、手足が長く、十代特有の細い肩はどこか中性的な匂いを漂わせている。切れ長の吸い込まれそうな黒い瞳と朱の刺した赤い唇は神秘性と同時に妖艶さを感じさせた。一見すると少女かと見紛うようなその顔立ちは、人形的でもあり、ぞっとするような不思議な色気がある。間違いなく美少年といっていい。


 だが、はっと息を呑むような容姿にも拘らず、その少年にはまるで影のように存在感が無かった。現に深雪も、最初は赤神の他に人がいる事に気づかなかった。容易に存在に気づかせない何かがあるのだ。理由は分からないが、一つは音だ、と深雪は気づいた。彼からは、足音も衣擦れの音も一切しない。動きも無駄が無く、滑るように歩く。黒い服も相まって、余計に薄暗い室内ではその存在が目立たないのだ。  チャイナ服も着る者によってはコスプレのようになりがちだが、少年からはそういった作り物めいた違和感はなかった。


 一体何者なのだろうか。その格好といい身のこなしといい、どう考えても普通とは思えない。深雪は少年に向かって会釈をしたが、少年の方は深雪には見向きもしなかった。

(なんか態度、悪……)

 深雪は顔を顰めたが、シロは奈落の時と同様、少年にも屈託のない様子で話しかけた。

「おかえり、神狼!」

「……眠い」

 少年はそれだけ答えると、深雪の向かいのソファに向かう。そしてそこに身を横たえると、欠伸を一つして眠り始めた。それがいつもの事なのか、咎める者も構う者もいない。


 それにしても、彼らはどういった集団なのだろうか。深雪はますます混乱した。神父に軍人、チャイナ服の美少年に女子中学生に元警官。皆ばらばらで、全く統一性が感じられない。


 彼らは一体ここに集って、何をしているのだろう。


「名前、聞いてなかったよな。俺は赤神流星だ。で、こっちのデカい眼帯が不動王奈落。そんで目の前で寝てるのが(ホン) 神狼(シェンラン)だ」

 赤神が順に指し示しながら説明していく。


「………。雨宮、深雪……」

 深雪は束の間、逡巡したが、結局そう答えた。相手が名乗ったのに、こちらが名乗らないわけにもいかない。無視しても良かったが、悪印象を与えて無駄に相手の機嫌を損ねる事もしたくなかった。すると、それを聞いた赤神は僅かに目を見開く。

「深雪? ふうん……女の子の名前みてえだな」

「べ……別に、いいだろ!」

 深雪は思いきりしかめ面になる。昔から名前の事ではよくからかわれた。過剰に反応するのは自分からコンプレックスだと言うようなものだが、もはや条件反射のようなものだった。


 赤神はその反応を見て、からかう様に言った。

「悪かったって。怒んなよ、深雪ちゃん。……それで? これからどこに行くか予定は決めてるのか?」

「……! いや、えっと……」

 深雪は言い淀んだ。家と学校は見に行く予定だが、それを説明するなら、おそらく冷凍睡眠の件から話さなければならなくなるだろう。それをどう説明したものか分からないし、信じて貰えるかどうかも分からない。囚人護送船で一緒だった者達の反応を考えると、おそらく深雪の状況はかなり特殊だ。俯くと、赤神は少し考えるような仕草をして言った。


「まあ、来たばっかじゃ何も分かんねえよな。なんだったら、ここに暫く泊まっていくか?」

「えっ……な、何で……?」

 深雪は思わずそう尋ねる。すると、赤神は肩を竦めた。

「野宿よりはマシだろ。そこら辺の安いホテルよりは部屋は整ってるぞ」 

「………」


 赤神の真意を計りかねて、深雪は戸惑う。自分はいわば、行きずりの他人だ。そんな者に何故、宿など提供するのだろうか。それともこの探偵事務所は、宿屋も兼ねているのだろうか。

 説明を求めて視線を巡らせるが、神狼は仰向けに眠り込んでいるし、奈落は窓の外を見つめて煙草をふかしている。二人とも、深雪の方には興味も無いと言った様子だった。


 代わりに奥からティーカップを新たに三組運んで来たオリヴィエが微笑んで言った。

「意外かもしれませんが、この監獄都市の人間は、外から入ってきた人間には存外親切なのですよ。それが暗黙のルールです。そうでなければ、みな孤立し炙れてしまいますから」


 《ルール》――確か赤神も禿頭の男の率いるごろつきたちに、似たようなことを口にしていた。『ここでは新参者いびりはしないルール』だと。孤立した人間は犯罪に巻き込まれたり、逆に加担することも多いと聞く。そういう人間を放置すればするほど治安は悪化するだろう。筋は通っている気がした。黙り込む深雪に、赤神は呆れたような声音で言った。 

「何だよ、そんな警戒するなって」

「いや……そうじゃなくて………。やっぱやめとく。金も無いから」


 カードと通帳の入った封筒はごろつきに投げつけ、どこかに行ってしまったままだった。赤神はおかしそうに笑う。

「いいんだよ、そういう話は。後にしようぜ」

 赤神は、オリヴィエが出てきた扉とは別の扉へと姿を消し、すぐにまた戻って来る。その手にはルームキーが握られていた。

「ここの二階だ。空き部屋がある」

 すると、シロは手にしていたティーカップを机に置き、勢いよくぴょんと立ち上がった。

「はい! シロ、案内しまーす!」

「ほいよ。頼むぜ」

 赤神はシロに向かって鍵を投げる。シロは両手でそれをキャッチすると、深雪の手を握って嬉しそうに言った。

「行こ!」

 曇りのない真っ直ぐな瞳で見つめられ、深雪は戸惑いつつも逆らえず、されるがままとなった。半ば引き摺られる様にしてその部屋を後にする。



 一方、部屋の中に残った者達は黙ってそれを見送っていた。


 最初に口を開いたのはオリヴィエだった。

「普通の少年、ですね。高校生くらいでしょうか」

 鮮やかなブルーのその瞳には、同情と痛ましさ、そして少々の警戒が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。だが、奈落は冷ややかにそれを一蹴する。

「ガキだろうと何だろうと、ゴーストは所詮ゴーストだ。……六道は何と言っている」

「使えるかどうか試せ、だとさ」

 赤神もまた腕を組み、難しい表情で深雪の消えた扉の向こうを見つめていた。


「あんな奴、いらない」

 不意に少年特有の高いトーンの声が響き、そちらに部屋中の者の視線が集中する。神狼がいつの間にか音もなくソファの上に起き出し、オリヴィエの紅茶を啜っていた。

「あれ、神狼。起きてたのか」

 赤神が声をかけると、神狼は畳み掛けるように言った。


「弱い奴……どうせすぐ死ぬ。それなら、最初からいない方がいい」

「ま、それは明日のお楽しみってことで。お手並み拝見といこうぜ」

 赤神は元の飄々とした軽い調子に戻ると、お手上げのポーズを作ってそう言った。その言葉に神狼は不機嫌そうに両目を細め、奈落はフンと鼻を鳴らし、オリヴィエは表情を曇らせて目を伏せたのだった。





 シロに手を引かれて二階への階段を上ると、両側に廊下が伸びていて、いくつかの部屋がある。右手に大きな部屋が二つあり、左手に固執がいくつか見えた。シロの説明によると、二階は半分がミーティングルーム二室、残りの半分が個室、手洗い、シャワー室等…という作りになっているのだそうだ。


 そして、シロは深雪を一つの個室の前に案内した。

「はい、ここだよ! こっちがシロの部屋で、他の皆の部屋は三階にあるの」

 シロが指差した方へ視線をやると、奥の個室の扉に『シロのお部屋』と描かれた可愛らしいプレートがかかっているのが見える。殺伐とした建物内でそれは妙に浮いて見えた。そこが彼女の部屋なのだろう。


 深雪はドアノブを回して扉を開ける。中は真っ暗だった。シロは慣れた様子で、壁のスイッチを押し、照明をつける。室内は六畳ほどで、ベッドと備え付けのクローゼット、棚があるだけの簡素な空間だった。床は木材のフローリングで、白い壁紙はひやりとした冷たさを感じさせる。奥の壁に窓があり、シロはそれを開け放つ。すると、乾いた風がさっと吹き込んで来て、彼女の亜麻色の髪を撫でていった。


「全員ここに住んでるのか」

 深雪が尋ねると、シロはこちらを振り返った。

「ううん、住んでるのはシロだけだよ。みんな自分のおうちが外にあるの。忙しい時は泊まり込みになったり、困った人を泊めたり……いろいろ大変だからここにも部屋があるんだ」


 ――なるほど。深雪はようやく合点がいった。どうやら《壁》の外からやって来た可哀想な囚人をここで保護したり泊めてあげたりしようという事なのだろう。違和感はあるが、オリヴィエの言った通り、監獄都市には監獄都市のルールがあるのかもしれない。

 

 ただ、どうもそれだけではないような気もするが。


「――後で夕ご飯持ってくる。お腹空いたら、キッチンにあるもの食べていいよ。みんなそうしてるから。……何か分からないことがあったら、聞いてね」

 シロはにこっと笑ってそう締め括る。そこでさっそく気になっていたことを口にした。

「あの、さ。ここって探偵事務所なんだろ。何やってるんだよ。浮気調査とかじゃなさそうだけど……」

「……? ウワキチョウサって、何?」

 シロはきょとんと小首をかしげる。まるで、そんなもの知らないと言わんばかりに。やはり、と深雪は思った。ただの探偵事務所というにはおかしすぎる。するとシロは小さな顎に手を当てて、考え込む仕草をしながら続けた。


「よく分からないけど……シロ達のお仕事は、悪いゴーストをやっつける事だよ!」

「た……戦うのか?」

 深雪が思わず聞き返すと、シロはあっけらかんと答える。


「うん」

「………」


 深雪は戦慄を覚えずにはいられなかった。ゴーストとゴーストの衝突――それは往々にして殺し合いに発展するということを良く知っているからだ。ゴーストには異能力――アニムスという恐ろしい武器がある。そうでなくとも人は感情的になればなるほど暴力の歯止めが効かなくなる生き物だ。制御不能に陥った事態の先に待っているのは、絶望的な惨劇だけだ。


 特に高アニムス値のゴーストがそのような状態に陥ったなら、その被害は銃撃戦どころではない。現にゴーストのせいで町や村が一つ潰れたなどという噂話は、世界中に転がっている。

 

 この監獄都市では、ゴースト同士の戦闘が当たり前のように繰り広げられているのだろうか。深雪が考え込んでいると、シロが不意に話しかけてくる。

「ねえ、ユキって呼んでいい?」

「へ……?」

「深雪だから、ユキ! それとも、雪ちゃんがいい?」

 雪ちゃん。それじゃまるで本当に女の子だ。

「……。ユキでいいよ」

 深雪が僅かに引き攣った顔でそう答えると、シロは嬉しそうに頷いた。

「うん、分かった! シロの事はシロって呼んでね!」

 そしてくすぐられた子供の様に無邪気に笑った。その様子は、新しい友達ができて喜ぶ中学生そのものだった。ここが監獄都市と化した東京でさえなければ、深雪も喜んでお友達になっただろう。

 だがこの状況では、とても素直に彼女の好意を受け入れることなどできなかった。

 

 彼女はゴーストだ。そして、深雪もまたゴーストなのだ。


「じゃあ、後でね」

 シロは嬉しそうに言うと、部屋を後にした。深雪は黙ってそれを見送った。


 一人残されると、簡素な設えの部屋は妙に広いように感じた。深雪はコートを脱いで黒のタンクトップ一枚になると、ベッドの端にかける。そして、そのまま白いシーツの上に腰を掛け、バタンと仰向けに寝転がった。横になって初めて、自分が随分疲れている事に気づく。


 思えばフェリー乗り場から東京駅までは徒歩だったし、そこからも中央線沿いにかなり歩いた。あちこち見て回っていたから、たっぷり三時間は歩き詰めだった筈だ。ゴロツキたちに囲まれた時は死ぬかと思ったが、こうやって寝床を得られたのは嬉しい誤算だった。囚人護送船の中にいた時は、もっと最悪の状況も想像していたから、それを考えると比較的幸運だったと言えるだろう。


「……。隠さないんだな……」


 深雪はそう呟いた。シロとオリヴィエの事だ。

 二人とも、自らがゴーストである事を隠さなかった。まるで自分の誕生日を口にするかのように、何の躊躇いも無くその事実を口にしたのだ。深雪にはとても考えられない感覚だった。赤神ら残る三人もまた、ゴーストである可能性が高いだろう。しかしいずれも、ゴーストである事を隠したり人であるかのように装ったりする素振は皆無だった。

 ここではそれが当たり前の事なのだ。


 深雪は常に、自分がゴーストである事に罪悪感を抱いて生きてきた。二十年前もそうだったし、今もそれは変わらない。できる事なら、ゴーストである自分を消去したいとさえ思っている。だが、彼らにはそう言った後ろめたさを全くと言っていいほど感じない。


「……そりゃ、そうか。ここはゴーストを閉じ込めておくための監獄都市なんだ。東京は、そういう街になったんだ」

 しかしはっきりと言葉に出しても、それが実感となって深雪の中に浸透してくることはなかった。まるで見知らぬ土地の、見知らぬ場所にでも来たかのようだ。


 ショックなのだろうか。深雪は自分自身に問うてみた。世界のあまりの変貌ぶりに、絶望しているのだろうか。


 分からない。いろんなことが起こり過ぎて、感情が追いつかない。今は、襲い来る現実に対応するだけで、精一杯だった。

 そのまま静かに瞼を閉じる。眠ってしまいたかったが、残念な事に眠気は皆無だった。体は疲れている筈なのに、神経の方がそれを遮っている。

 ――まるで、目の前の世界を拒絶するかのように。 


 絞りきった雑巾のように、全ての感情が抜け落ちて、自分の中が空っぽになっていくのを感じる。深雪はそのまま、しばらくぼうっと天井を眺めていた。


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