第23話 坂本一空の行方
「それにしても……おかしな事件だ。何というか……気味が悪い」
不意に話題を変えた荒俣に、深雪は俯けていた顔を上げる。
「どういう事?」
「お前らゴーストには分かんねえかも知れねえがな、ゴーストってのはアニムスを使うもんだ。それこそ、使う必要のない時までバカスカ使いやがる。あれだ。便利なモノを手に入れちまったら、それを手放すことは出来ねえんだ。それこそ、失楽園の知恵の実のように……な。なのに、何故わざわざ刃物を使う? ゴーストなら、アニムスを使って殺せばいいだろう」
「言われてみると、確かにそうかも……」
ゴーストではない、人である荒俣だからこその視点だろう。特に、上野ヒカリを殺害した堀田悠樹は《死刑執行人》で、アニムスを操る能力にも長けていた筈だ。わざわざ凶器を用意する必要などなかっただろう。確かに違和感がある。
他にも犯罪の動機や、何故、何の関係もなかった被害者を狙ったのか、どうして犯行後に自殺したのかなど、どれも全く理由が見えてこない。犯罪行為そのものに矛盾はないが、全体として捉えた時に、しっくりと嚙み合ってこないのだ。
おまけに、その違和感は他の二つの事件にも共通している。何故、波多洋一郎は自ら死を選んだのか。何故、池田信明はわざわざ波多洋一郎の犯行を、模倣するような真似をしたのか。どれも気味が悪いほど『理由』が欠けているのだ。
「まあ、あれだ。こいつは《中立地帯》が出所じゃねえ。それは確かだ。ただ、アメリカ製となると、壁の外から誰かが持ち込んだのは間違いないだろうな。ひょっとすると、《仲介屋》の方が詳しいかもしれん」
「分かった。手間を取らせたな」
奈落がそう言うと、荒俣は首を横に振る。
「いいや、いいってことよ。それより……必ず犯人の野郎をぶちのめしてくれ。こんな惨い殺しを連続でするなんて、人間のすることじゃねえ。そんな悪鬼を野放しにしちゃいけねえんだ」
「……。うん、分かってるよ」
荒俣に百パーセント共感できるわけではなかったが、その点に於いては深雪も全くの同意見だった。深雪は荒俣に向かって大きく頷き、店を後にしようとする奈落の後を追いかけた。
『素戔嗚』を出ると、それまで大人しくしていたシロが真っ先に走り出した。荒俣と会話している間、シロは宣言通りずっと静かにしていたが、ようやく外に出られて、我慢できなくなったのだろう。
「ねえ、次はどこに行くの?」
シロが弾んだ声を上げつつ、川沿いに植えられた柳の木の下を通り過ぎると、それに驚いた鳥たちが一斉に羽ばたいていく。
深雪はそれを見送りつつ、「足元に気を付けなよ」と声をかける。そして、変わらぬ歩調で前を行く奈落に、後ろから話しかけた。
「何か……結構、話題になってるね。事件の事」
すると奈落は、深雪に短い一瞥を送った後に、いつもの素っ気ない声で答える。
「壁に囲まれた狭い土地だ。噂はあっという間に広がる。情報屋の連中にとっちゃ、金を稼ぐ手段でもあるからな。……奴らはハイエナだ。他人の不幸に群がって金を稼ぐ」
「……。ふうん……」
「もっとも、以前はもっと悪質だったがな。最近は情報屋が《リスト入り》することも珍しくなくなった。昔は殺害動画を晒したりするような真似は日常茶飯事だったがな」
「そんな事、してたのか!?」
驚いてつい大声を上げてしまった。いくらなんでも、それは酷すぎる。自分の馴染みのある街で、そんなことは決して起こって欲しくない。
すると奈落は皮肉げにフンと鼻を鳴らす。
「情報屋も、もれなくその殆どがゴーストだからな。モラルや規制なんぞ、くそくらえの無法地帯だ。この街も俺が来た頃に比べると、随分と落ち着いて来たもんだ」
「………」
深雪は開いた口が塞がらなかった。自分の知っているかつての首都・東京に比べたら、今でも街は十分に荒れている。実際、この様な酷い事件が当たり前のように起っている。
それなのに、以前はもっと酷かった時期があるというのだろうか。さすがに想像がつかない。二十年前とは違うのだと頭では分かっていても、そのあまりの落差に衝撃を覚えずにはいられない。
そして、その混乱を主導していた存在の一つが情報屋という事なのだろう。確かにその事実を知らされたなら、奈落が情報屋をやたらと警戒するのも頷ける。情報屋と取引をするということは、メリット以上にデメリットを考慮しなければならないということなのだ。
そしてそれは、この街に収監されたばかりの深雪には、おそらく少々、荷が重すぎる。
「っていうか、だったら最初からそう説明してくれりゃいーのに……」
思わず愚痴を漏らすと、奈落は一言、冷ややかに言い放った。
「何で俺が? 面倒くせえ」
「ですよねー……」
だんだん奈落のペースに慣れてきた深雪は、半眼でそう返したのだった。
やがて荒俣の店がある川べりの古い住宅街から、倒壊したビルが立ち並ぶ廃墟群へと差し掛かった。
周囲は静かで、人の気配もない。この辺りはよく抗争が起きる地帯で、まともな者は近寄りさえしない場所だ。深雪もできれば迂回したかったのだが、奈落の「面倒だ」の一言で却下されてしまったのだった。
青空がそのまま落ちてきそうなほど透明に澄みきっている。その下では対照的に、見渡す限り崩れかけた鉄筋の建物が延々と続き、殺伐とした光景を作り出している。足場も悪い。油断するとすぐに足を躓きそうになるが、奈落は歩調を緩めることなく進んでいく。
さらにその前方には、シロが子犬のように軽々と瓦礫を飛び越え、駆けて行く姿が見えた。深雪は最後尾で、二人に遅れまいとペースを保つのに必死だった。
その時、ひと際大きな瓦礫に飛び乗ったシロが、ふと足を止める。そして頭部の獣耳をピッと跳ねさせた。
「奈落、ユキ。囲まれてるよ」
警戒し、立ち止まる深雪たちの前方で、廃屋の陰から目つきの悪い若者がすっと姿を現す。それも一人ではない。よく見ると、上下左右、様々な瓦礫の陰に剣呑な目つきの若者たちが潜み、こちらを睨んでいる。どうやら、すでに囲まれているようだった。
深雪は、はっとするが、奈落はすでに囲まれている事に気づいていたのか、表情をピクリとも変えない。その落ち着きぶりは、むしろこうなることを望んでいたかのようでもあった。
深雪はぐるりと自分たちを取り囲んでいる男たちを睨み返す。こいつらは一体、何者か。そしてすぐに、男たちの服や腕に入れられた刺青に気づいた。
溶けかかった髑髏の、特徴的なエンブレム。
「《ディアブロ》………!」
まったく、つくづく悪縁のあるチームだ。深雪は内心でうんざりした。そういえば、今回の連続猟奇殺人事件の加害者の一人、池田信明は《ディアブロ》の末端構成員だった。そのせいか、《ディアブロ》たちはいつも以上にピリピリと緊張した空気を発している。
どうやらこの辺りは《ディアブロ》の縄張りであるらしい。奈落がわざわざこの危険地帯を選んだのも、もともと彼らに話を聞くつもりであったからだろう。こうやって囲まれることも最初から織り込み済みだったのだ。
(だったら、そう言ってくれりゃいいのに!)
そんな文句が喉元まで出かかるが、しかし深雪はその言葉をぐっと吞み込んだ。ふと、あることに気付いたのだ。
(いや、違う。わざと……か?)
奈落は故意に、説明を省いたのではないか。本来ならば、深雪がきちんと事情を把握していた方が、奈落としても動きやすい筈だ。深雪がもたついて足手まといになれば、その方が余程、『面倒臭い』ことになる。
しかし、目の前の傭兵はその選択をしなかった。そこには、何某かの意図があるのではないか。
確かに最初のころは、ただの嫌がらせで説明を省かれていた。しかし、今は違う。必要なことはちゃんと説明してくれる。だから、説明しなかったことにも、きっと何かの意図があるはずだ。
(自分の頭で考えろって……そういう事か?)
深雪は奈落の横顔を後ろから窺うが、その答えは分からない。
一方、《ディアブロ》の面々もこちらが何者であるか気づいたらしく、苦虫を嚙み潰したような表情をしている。彼らの忌々しげな視線は、特に奈落に集中して注がれていた。
「おい、あの眼帯の男……!」
「不動王奈落か……くそ、何しに来やがったんだ……!?」
《ディアブロ》たちはかなり奈落を恐れているようだった。できれば、関わり合いになりたくない――互いに顔を見合わせて囁き合っている様子からは、そんな本音が透けて見せるようだった。
しかし結局は、自らの縄張りを荒さんとする外敵を見過ごすわけにはいかないと判断したのだろう。そのうちの数人が渋々こちらに近づいてくる。
「……またあんたらっすか」
乱雑に吐き出された言葉に、深雪は眉をひそめた。
「またって……?」
「東雲探偵事務所の《死刑執行人》さんでしょ。さっきも赤神サンが来たとこなんすよ」
「しつこいっすね。またあの話ですか。池田の事なら、お話しすることはありませんって言ったでしょ。困るんすよねー、こうやってしつこくうろつかれると」
一人、また一人と、《ディアブロ》のメンバーたちは、怠そうに歩きながら、ゆっくりと深雪たちに近づいてくる。眉間に力を籠め、こちらを睨みつけたまま、決して視線を外さない。全部で三十人近く入るだろうか。さすがにそれだけの人数がみな異様に殺気立ち、ぐるりと周囲を囲んでくると、息の詰まるような圧迫感を感じずにはいられない。
これからどう動くべきか。深雪は内心、気が気でなかった。
《ディアブロ》の中で最も警戒すべきは、頭である禿頭の巨漢、坂本一空だ。だが、坂本の姿は今のところ見えない。他のゴーストは坂本の庇護を受けるために集まった雑魚ばかりだが、それでもこうやって進路退路を塞がれると、それなりに厄介だ。
奈落の方へちらりと視線を送るが、前方に視線をやったまま微動だにしない。焦っているようでもないが、かと言って何か打開策を練っている風でもない。
(ひょっとして……あいつらが仕掛けてくるのを待ってる……?)
奈落のことを全て理解できるわけでは勿論ないが、考えていることは少し察することができるようになってきた。《ディアブロ》からは、情報を聞き出さねばならないのだ。下手に脅して逃げられたら、元も子もない。だから、捕獲できる範囲に相手が入ってくるのを待っているのだろう。
ここは奈落に任せておいたほうがいい。深雪は一歩引いて、事の成り行きを静観することにした。ただ念のため、上着のポケットに忍ばせてあるビー玉をいつでも取り出せるように握りしめておく。
こちらが何もしてこないことを見て取ったのか、《ディアブロ》の一人が肩を怒らせながらこちらに近づいてきた。中でも、ひと際体格の良い男で、顎にもっさりと髭を生やしている。坂本ほどではないにしても、腕っぷしには自信がありそうだ。
「もしもーし、聞こえないんですか~? いつまでもここに立ち止まってもらっちゃ、迷惑なんですけどね~?」
男は小馬鹿にしたように表情を歪め、唇をすぼめると、ぐいと顔を突き出してくる。数で圧倒的に勝っているという安心感が、彼に大胆な行動をとらせているのだろう。
(あーあ、カワイソーに)
深雪が胸の内で合掌をした、その時だった。奈落が唐突に動き出す。ハンドガンを抜くと、瞬時に男の太ももに向かって発砲したのだ。
「がっ……!」
男はよろめいたが、地に膝をつく前に、奈落がその胸ぐらを掴んで引き摺り上げる。そしてそのまま半回転すると、折れ曲がった電柱に男の体を叩き付けた。まるで何年も訓練してきたかのような、無駄のない流麗な動きに、深雪もつい、ヒュウ、と口笛を吹く。
《ディアブロ》の面々は突然の展開に理解が追い付かないのだろう。目を剝き、呆気に取られてみな固まっている。そんな中、奈落は最後の止めとばかりに、もさもさ髭の口にハンドガンの銃口を押し付けた。
「ひっ、うぐ……!」
男の発した哀れな呻き声に、ようやく他の《ディアブロ》たちも正気に戻り、「て、てめえ!」と、語気を荒げる。しかし奈落が恐ろしいのか、決して近寄っては来ない。奈落はそんな《ディアブロ》たちをぎろりと睨みつける。
「ごちゃごちゃ抜かしてんじゃねーぞ、ガキども。こちとら、てめえらみてえな雑魚に、ちんたら手間かけるほど暇じゃねえ。……どうする? 脳天に真っ赤な花でも咲かせてみるか?」
悪の組織も真っ青な、ドスの効いた脅し文句だった。鋭利な目はいつも以上に凶悪に光り、にやりと口の端を吊り上げて嗤うさまは、まるで身の毛もよだつ悪鬼のようだ。
(楽しんでるなぁ……)
深雪は心の中で思いきり呆れ返ってしまった。奈落の言動はあくまで脅しだ。本気だったなら、とうの昔に髭の男の命は無かっただろう。さんざん、ぶん殴られてきた深雪にしてみれば、それが演技である事は一目瞭然だ。ところが、当の奈落は意外にもノリノリでそのチープな悪役を楽しんでいる。
しかしたとえ演技でも、《ディアブロ》たちには十分効果があったようだった。
「や……やめろぉ! 死にたかねえ! 助けてくれぇぇ‼」
もさもさ髭は大声で泣き叫んだ。涙で目元をぐっしょり濡らし、鼻水まで垂らしている。あまりの取り乱しぶりに、見ているこっちが可哀想になってくるほどだった。
(まあ、少しは痛い目を見ればいいんだよ)
《東京》にやってきてからというもの、《ディアブロ》とは何かと因縁がある。彼らの、やりたい放題の悪行を、度々、目の当たりにしている深雪としては、その程度のことで同情する気にはとてもなれない。むしろ、自業自得だ、などという考えが浮かぶほどだ。
とはいえ、髭男は泣き叫ぶばかりで、このままでは一向に埒が明かない。深雪はこちらと距離を取り、警戒態勢を取っている他の《ディアブロ》に向かって言った。
「俺たちが知りたいのは、池田信明の事だ。お前らの縄張り争いに興味はない」
すると、《ディアブロ》たちは苦々しげな表情で互いに顔を見合わせた。髭男を人質に取られて逃げ出すわけにもいかないのだろう。顔を顰めて、渋々答える。
「……本当に分かんねえんだよ! 坂本さんが抜けちまって……俺らもチームを立て直すのに必死なんだ!」
「坂本が抜けた……?」
初耳だった。
禿頭の頭、坂本は、氷を操るアニムスを持っていた。確かに片腕を失いはしたが、それでも尚、その力は《ディアブロ》の中で群を抜いており、チームを抜けるほど弱っていたわけではなかった筈だ。それが証拠に、負傷してもしばらくは《ディアブロ》の頭を張っていた。それが突然、どうしたというのだろう。深雪は嫌な予感に襲われた。
「スキンヘッドの、頭を張ってた奴か。一体、どこに行ったんだよ」
そう尋ねると、《ディアブロ》たちは怒りも露わに吐き捨てた。
「知らねえよ! ただ……チームから抜けたのは確かだ。俺らは引き留めたんだけど、自分にはもう資格が無い、ケリをつけたいからって……」
「ケリって……どういう事だ?」
「何だよ、忘れたとは言わせねーぞ! お前とのケリをつけるために決まってるだろ‼」
「な、何だよ、それ?」
「お前は坂本さんの面目を潰したんだ。坂本さんはそれをずっと根に持って恨んでいた。最後にどうしても思い知らせてやらなきゃ気が済まないって……だからチームを去ったんだ!」
「そんな……!」
深雪は息を呑む。粘着質そうな性格だと思ってはいたが、そこまで恨まれているとは思わなかった。しかも現実には、坂本の腕をぶった斬ったのは、深雪ではなくシロなのだ。逆恨みもいいところではないか。
だがすぐに、そういった問題ではないのかもしれない、と気づいた。深雪が坂本の面子を潰したのは事実だ。深雪としては、坂本の蛮行に比べれば些細な仕返しだったと思うが、坂本にとってはそうではないのだろう。腕を失ったということより、プライドを踏みにじられたことの方が許せないと考えているのかもしれない。
つくづく、厄介な奴に目をつけられたものだ。深雪はうんざりしながら溜息をつく。
一方、《ディアブロ》の手下たちは、深雪に蛇のようなじっとりとした視線を向けて言った。
「……せいぜい気をつけろよ。坂本さんはお前のこと、調べてたぞ。あいつだけは許さねえ、刺し違えてでもブッ殺す……ってな!」
「……」
「それ以降、誰も坂本さんとは接触してない。それもこれも、全部あんたらのせいだぞ‼」
《ディアブロ》の手下たちはみな、恨みがましそうな表情だった。台詞もどこか八つ当たりじみている。しかし、奈落からそんな事はどうでもいいと言わんばかりに鋭く一瞥されると、亀のようにヒュッと首を引っ込めて黙り込んだ。
「坂本は池田と、どういう関係だった?」
奈落が低い声で問うと、《ディアブロ》の一人がおずおずと口を開く。
「さあ……普通の、ボスと子分だよ。坂本さんが特に池田を可愛がってたって事も無い。池田はチーム内では大人しい方だったし、目立たなくて、いつもパシられてた。あんな殺しするなんて……そんな度胸のある奴じゃない」
「何が何だか俺らにも分かんねえんだよ!」




