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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》動乱編Ⅲ
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第24話 氷河凍雲④

 どうか聞き間違いであって欲しいと願いさえしたが、六道の様子からするにどうやら彼は本気であるようだった。


 そのあまりにも無神経な言葉に、とうとう凍雲(いてくも)の堪忍袋の緒はぶちんと切れる。


 これまでどんな無茶な命令にも耐えてきた。


 自分たちは必要とされている、自分たちの働きが《監獄都市》の秩序の維持に貢献している。そう思えばこそ、過酷な任務にも耐えられた。


 どれだけ辛くとも、東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》は自分たちにしか務まらない仕事なのだ。そういった自負を抱いて来たからこそ、ありとあらゆる理不尽にも歯を食いしばり耐え抜いてきた。


 だから余計に、その根底を否定されて黙ってはいられなかった。


 歯車は所詮ただの部品であり、不具合を起こせば簡単に取り換えられる代替品。凍雲にとって歯車呼ばわりされることは、「お前の代わりなどいくらでもいる。所詮、その程度のくだらない存在」と罵倒されるに等しかった。


 東雲探偵事務所で《死刑執行人(リーパー)》として働いたこの数年。


 心身ともに疲れ果て、無力感と絶望感に苛まれる毎日だった。


 何度、潰れそうになったことか。限界を感じたことも一度や二度ではない。


 だが、この街の人々のためにとぎりぎりのところで自我を保ってきた。


 俺たちが踏みとどまらなければ、《監獄都市》はどうなるのか――その一心でひたすらに戦い抜いてきた。


 プライドと使命感をもって《死刑執行人(リーパー)》の仕事をこなしてきたからこそ、それだけは許せなかった。


 体じゅうを巡る血液がぐらぐらと沸騰する。激昂のあまり手が震え、耳鳴りがし、とうとう何かが頭の中で大爆発を起こす。


 凍雲は怒りを抑えきれず声を震わせた。


「何だよ、それ……ふざっけんなよ!! あんた今まで、自分の部下のことを歯車だと思ってたのかよ!? いつでも取り換え可能な部品に過ぎないと……そう見下していたのかよ!? 抗争鎮圧に巻き込まれて大勢の《死刑執行人(リーパー)》が死んだ……中には仕事の過酷さに耐えかねて自ら命を絶った者もいる!! それを、寄りにもよって歯車だと……!? あんた、おかしい! おかしいよ!! 狂ってる!!」


「氷河」


「もう……もうこれ以上はついて行けねえ……! あんたのこと、何度も恨んだよ。冷徹で血も涙もない鬼上司だと!! でも、何だかんだ言いつつも信頼されているんだと思ってた! 俺たちは必要とされているのだと……!! だが、そうじゃなかったんだな。あんたは俺たちをただ利用し、使い潰していたんだ!! 使い勝手のいい駒として!!」


「……。だったら何だ?」


「……否定しないのか。俺が言ったことに対し、あんたは何ひとつ弁明も謝罪もしないのか!!」


「私が謝れば、今までやって来たことが全て無意味だったということになる。この街のために犠牲となった大勢の《死刑執行人(リーパー)》の死も、全てが無駄だったのだということになってしまう」


「そんな御託なんぞ聞きたくねえっ!!」


 凍雲は所長室の執務机を力いっぱいに叩いた。


 感情的になるべきでないと分かってはいたが、もはや荒れ狂う怒りを抑えることができなかった。


 だが、六道の表情はピクリとも動かない。動揺も無ければ、怒り狂う部下を宥めようとする気配もない。


 そして凍雲は気付いてしまったのだった。


 落ちくぼんだその瞳には、諦めに似た感情が浮かんでいることに。


「私は《中立地帯の死神》だ。その事実はこの命が果てるまで変わることは無い。……だから氷河、お前はお前の信じる道を行くといい」


「……!!」


 それは事実上の解雇宣告だった。


 つまり六道は凍雲がどう訴えようとも自らの考えを変える気がないのだ。


 それどころか不満があるなら事務所を辞めろというスタンスなのだろう。


 その時初めて凍雲の中に、六道に対する憎しみにも似た強い怒りが沸き上がった。


 ――どうして。


 これだけ部下が苦しんでいるのに、何故、《リスト執行》を止められない? 


 自分が《中立地帯の死神》の名を背負っているからか。《中立地帯の死神》に価値が無くなってしまったら、己の存在意義をも失ってしまうからか。


 考えれば考えるほど、凍雲の憤りは膨らんでいく。


 そんなに《中立地帯の死神》というステータスが大事なのか。


 たくさんの部下を酷使し、用が済んだら容赦なく切り捨てる。東雲探偵事務所を信じ、歯を食いしばって《死刑執行人(リーパー)》を続けてきた彼らの心を平気で裏切って踏みにじる。


 そうまでして我が身が可愛いのか。


 そうまでして権力に縋りつきたいか。


 初めて六道が許せないと思った。人をこれっぽっちも大切にしない、血も涙もない悪鬼羅刹のごとき人物が《中立地帯の死神》として崇め奉られている。そんなことがあっていいのか、と。


 許せない、裁きを下してやりたいとすら思った。


 だが、感情の爆発があまりにも大きかったからだろうか。一気に膨張した怒りはあっという間に弾け、今度は逆に猛烈な勢いで冷めていった。一瞬にして肩から力が抜け、不意に全てがどうでも良くなっていく。


 自分は何故これまで、こんなしょうもない男を信じてきたのだろう。


 何故、ただの個人のエゴに善意や価値を見出そうとしてきたのだろう。


 全ては幻だったのだ。


 《死神》が《監獄都市》の平穏に寄与しているという事、或いは自分たち《死刑執行人(リーパー)》の存在が事務所や六道にとって必要なのだという事。その全てが凍雲の独りよがりな思い込みにすぎなかった。


 どうして、今の今までそのことに気づかなかったのか。


 いや、心のどこかで違和感には気づいていた。それでも信じたかったのだ。頑張ってさえいれば、いつか世界が良くなると。


 六道がそう導いてくれると信じたかった。そんな保証などどこにも無いのに、現実から目を背け妄信してしまった。


 何故ならそれが楽だったからだ。


 自分の頭で考えず、誰かの言うことに従っているのが気楽で心地良かったからだ。


 しかし現実はあくまで残酷だった。


 全ては嘘。


 ありもしない儚い幻。


 無意味だったのだ、何もかも。


 全てが爆散し、あとに残ったのは冷たい虚無感だけだった。


「……分かった。それじゃ遠慮なく辞めさせてもらう」


 そう吐き捨てると、凍雲は六道の方を一顧だにすることなく所長室を後にする。


 もはや一時たりともこの事務所にはいたくなかった。その時の凍雲にとっては東雲探偵事務所の全てが忌々しく、汚らわしいものとしか感じられなかった。


 六道もまたそれを引き留めることは無かった。


 凍雲が所長室の扉を開け、乱暴にそれを閉める最後のその時まで、呼び止めることも無ければ彼の労をねぎらうこともなかった。


 凍雲が事務所の廊下に出ると、部下である《死刑執行人(リーパー)》の速水と杉井が不安げに凍雲を待ち受けていた。


 二人とも凍雲と一、二歳ほどしか離れていないが、東雲探偵事務所に入ったのはつい最近だ。だがその時と比べ、双方ともにひどくやつれていて顔色も悪い。過労と極度のストレスのせいだろう、頬もまるで別人のようにこけてしまっている。


「凍雲さん……!」


「嘘ですよね、この事務所を辞めるなんて……!!」


 二人とも凍雲と六道の口論を聞いていたらしい。あれだけ派手に言い争いをしていたのだ。聞き耳を立てずとも会話の中身は丸聞こえだ。


 凍雲は半ば二人を押しのけるようにして事務所の廊下を進む。


「二人とも、さっきの話を聞いてたのか。だったら、話は早い。俺は本気だ。今日限りでこの事務所を離れる」


「そんな……凍雲さんがいなくなったら、僕たちはどうしたら……!」


 速水と杉井は悲嘆に暮れていた。


 確かにいま凍雲が東雲探偵事務所を抜けてしまったら、凍雲が行うはずだった業務がみな残った速水や杉井たちにのしかかることになる。それはあまりにも忍びなかった。


 とはいえ、このまま東雲探偵事務所にい続けるつもりもない。


 一体どうすべきか。思案した結果、凍雲はふと足を止め、速水と杉井の方を振り返った。


「お前ら、俺についてくる気はないか?」


「え……!?」


「実は、以前から考えていた。いつか独立して《死刑執行人(リーパー)》事務所を立ち上げたいと。《死刑執行人(リーパー)》という仕事自体はこの街に必要で、数も全然足りてねえからな。

 だけど、東雲探偵事務所のような従業員を使い潰すようなやり方はしない。新しい事務所は《死刑執行人(リーパー)》を酷使するんじゃなく、大事にする職場にしたいと思ってる。誰も犠牲になることのない、安心して働ける事務所にしたい。……どうだ?」


 すると速水と杉井は揃って困惑の表情を浮かべた。


「……」


「それは……実現したら確かに素晴らしいと思います。ただ……」


 二人が戸惑うのも無理はなかった。速水や杉井にとって凍雲の提案は、まさに青天の霹靂だったであろうから。


 東雲探偵事務所の仕事は過酷極まりないが、それでも十分に生活していけるだけの給与は支払われている。この物騒な街でそれだけの収入を捨て去るのは相当に勇気のいることだろう。


 だがそれでも凍雲は彼らを放っておけなかった。このまま東雲探偵事務所にいたら、速水も杉井も徹底的に使い潰され死んでしまう。凍雲はそれを確信していたからだ。


「うまくいく保証はどこにもない。経営が安定するまでかなりの時間と労力を要するだろうし、新しい《死刑執行人(リーパー)》も一から育てなけりゃならない。だがそれでも、非人間的な扱いを受け続けるよりはずっとマシだ。このまま東雲探偵事務所に残れば、お前らも絶対に使い捨てにされる。とても置いてはいけない。俺一人だけ逃げ出してお前らを見捨てるなんて、とてもじゃないができねえよ」


 それから、凍雲はさらに声を潜めて続ける。


「実を言うと、新しい事務所の立ち上げについてあさぎり警備会社の隼人さんに相談したことがある。隼人さんは昔、俺の上司だった。その縁で今も時々会って話をしているんだ」


「隼人さんって……《あさぎり》の所長、朝霧(あさぎり)隼人(はやと)のことですか?」


「ああ。結論を言うと、不可能じゃないって話だった。事務所がうまく軌道に乗ったら必ず迎えに来る。……どうせ苦労するなら誰かに体よく利用されるんじゃなく、俺たち自身の手で道を切り拓いてやろうぜ!!」


 いつか、自分の《死刑執行人(リーパー)》事務所を持つ。それはかねてから抱いていた凍雲の夢だった。


 もともと凍雲は我が強く、独立心も旺盛だった。東雲探偵事務所での待遇や仕事内容がどうであれ、いずれは独立したいと思っていた。


 また、その必要性があると肌身で感じてきたということもある。


 《監獄都市》では抗争や凶悪犯罪が頻発しているにもかかわらず、現状では《死刑執行人(リーパー)》がそれに対応しきっているとは言えない。《死刑執行人(リーパー)》や彼らを雇う事務所の数、何もかもが少なすぎるのだ。


 個人事業主の《死刑執行人(リーパー)》もいないわけではない。だが、大規模な抗争鎮圧や本格的なゴースト犯罪の調査、そして《リスト執行》を手掛けようと思ったら組織の力は必要不可欠となる。


 《死刑執行人(リーパー)》の活動を支え、或いは守る存在が求められることを考えても事務所の存在は必須だった。


「凍雲さん、そこまで……本気なんですね」


 速水はそう呟くと、決意を固めたような強いまなざしを凍雲へ向けた。


「分かりました。僕たち、凍雲さんについて行きます!」


 杉井も頷く。


「ええ、そうですよ! いつかなんて言わず、一緒に辞表を叩きつけてやりましょう!!」


「お前ら……!」


「僕たちも、凍雲さんがいてくれたからこそ、ここまで何とか頑張れました。その凍雲さんが新事務所を立ち上げるというなら、共に進むのみです!!」


「……ああ。速水、それに杉井、ありがとな」


 二人がどれほどの覚悟をもって凍雲について行くという判断をしたか。彼らの思いを考えると胸の中が熱くなる。


 上司には恵まれなかったが、仲間とは強い絆で結ばれた。東雲探偵事務所での凍雲の《死刑執行人(リーパー)》生活も全てが無駄なわけではなかった。


 そのことに救われる思いだった。


「他の奴らにも声をかけろ。希望者は全員連れて行く」


「はい、分かりました! 多分、他の皆も凍雲さんについて行くと思います。みんな、凍雲さんがいたか

らこそ、どうにかやってこれたみたいなものなので」


 速水が嬉しそうに堪える一方で、杉井は凍雲が飛び出してきた所長室の方を振り返る。


「でも、そうなったら東雲探偵事務所はどうなるんでしょうか? 従業員の大半が辞めたら、さすがに立ちいかなくなるのでは……?」


 杉井の予想は正しい。所属する《死刑執行人(リーパー)》に一斉に退職されたのでは、さすがの東雲探偵事務所もやっていけないだろう。


 必然的に《中立地帯の死神》もその力を失うことになる。


 だが、それが何だというのか。


 凍雲もまた六道がいるはずの所長室を見つめ、小さく吐き捨てた。


「……いいんだ。この事務所はあまりにも人の命や尊厳を軽く扱いすぎる。これからも人死にが続くだろう。そういう場所はさ、跡形もなく潰すのが一番なんだよ」


 それから凍雲は東雲探偵事務所を退所し、新しい《死刑執行人(リーパー)》事務所を立ち上げた。


 東雲時代の部下や同僚だった速水や杉井たちは、現場に出ることこそなくなったものの、副所長や専務として新しい氷河武装警備事務所を支えてくれている。


 事務所の創設には東雲探偵事務所にいた時の先輩であったあさぎり警備会社の朝霧隼人に多くの助言や支援をもらった。そのため、凍雲は今でも朝霧隼人には頭が上がらない。


 その一方で、東雲探偵事務所との接触は極力避けるようにした。


 もう二度と関わり合いになりたくなかったからだ。


(俺は東雲六道の掲げる理想について行けなかった。いや、そもそも誰もあんなやり方にはついて行けない、あの人について行けるのは鋼のような精神力と桁外れの能力を持った超人だけだと……そしてそんな都合の良い人材などいるはずがない、東雲探偵事務所は近い将来、潰れるに違いないと確信すら抱いていた。……だが、現実はそうならなかった)


 再起不能かと思われた東雲探偵事務所だったが、再始動は予想外に早かった。東雲六道は事務所に新たな《死刑執行人(リーパー)》を招き入れたのだ。


 東雲探偵事務所の新しい《死刑執行人(リーパー)》たちはまさに『鋼のような精神力と桁外れの能力を持った超人』揃いだった。


 意外だったのは、その多くが外国人だったことだ。


 だが、それ自体は大した問題ではない。遥か昔ならいざ知らず、今どき外国人など珍しくもないし、六道もその点にはこだわらないだろう。彼が求めているのは自分の理想を実現させるため、手足となってくれる駒にすぎないのだから。


 問題なのは、東雲の新しい《死刑執行人(リーパー)》たちが人を殺すことを何とも思わないようなおぞましい化け物たちだったことだ。


 凍雲はこれまで《死刑執行人(リーパー)》としてプライドを持ってきた。


 自分たちは恐ろしい存在であり、残虐なことをしているのかもしれない。実際、きれいごとでは片づけられない現実にいくども打ちのめされ、食事が喉を通らなくなるほど悩んだこともある。あまりのストレスで自分を見失った時期さえあった。


 それでも、最後の一線だけは絶対に越えなかったと自信を持って言える。


 凍雲も仲間たちも《監獄都市》のため、そしてそこで生きる人々のために働いてきた。独立してからも必要以上の被害は決して出さぬよう細心の注意を払っているし、周囲に余計な心理的プレッシャーを与えないよう気を配っている。


 また、常に己を厳しく律し、コントロールしている。利己的な理由で《リスト執行》をしたことは無いし、ましてや嬉々として他者を虐げたことも断じてない。


 たとえ後ろ指を差されることがあったとしても、《死刑執行人(リーパー)》が《監獄都市》の守護者であるのは厳然たる事実だ。


 自分たちは胸を張ってそう言い切れるだけの仕事をしてきた。


 それが凍雲の誇りだったし、決して譲れない一線、或いは拠り所でもあった。


 だが東雲探偵事務所の新しい《死刑執行人(リーパー)》には、そのようなことに配慮している様子が全く見られない。むしろ、《死神》と恐れられることを楽しんでいるかのような傍若無人ぶりだ。


 そのことに凍雲は強い怒りを覚えた。


 そんな連中を使ってまで己の理想とやらをを叶えたいのか。


 そんな低俗な連中にすがりついてまで《死神》でいたいのか。


 あの男は一体どこまで俺たちを失望させたら気が済むのか――と。





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