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東亰PRISON  作者: 天野地人
トウキョウ・ジャック・ザ・リッパー編
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第19話 記憶

(――やはり、な)


 すっと目を細め、確信する。


 深雪が起こしているのは、急性アニムス激化症候群。いわゆる、アニムスの暴走だ。

 特に、強力なアニムスに目覚めたばかりのゴーストが、己の力を制御できずにしばしば起こす症状だった。力の加減が分かっていない為に起こる、エンストのようなものだ。 


 だが、雨宮深雪は《ランドマイン》をほぼ完璧に使いこなしていた。急性アニムス激化症候群の発症条件とは合わない。だとするなら―――


(例の事象……もう一つのアニムスとやらが関係しているという事か) 


 奈落の脳裏に、数日前の出来事が甦った。




「……あの不発弾(ポンコツ)と組め、だと?」


 乙葉マリアに呼び出され、初めてそれを聞いた時には、耳を疑った。


 既にゴーストの手によるものとみられる連続猟奇殺人が起こっており、駆り出されるだろうと想像はしていたが、そういう条件を付けられるとは思っていなかった。


 奈落にしてみれば、組むというより子守を押し付けられたようなものだ。


 オリヴィエ=ノアと組むのは、まだいい。あの神父崩れは、いかにも優美で崇高ぶった素振りをしているが、案外、品性に欠けるようなえげつない荒事も、平気な顔でやってのける。

 

 だが、雨宮深雪は違う。あの不発弾(ポンコツ)は、アニムスを他のゴーストに向けて行使することにためらいがある。いざという時、その躊躇は必ず命取りになる。


「正気か、ウサギ女⁉」

 喉の奥で唸るように問い詰めるが、マリアは何食わぬ顔で肩を竦めた。


「あたしじゃないわよ、所長がそうしろって言ってんの」

「あの野郎……!」


 奈落は荒々しく吐き捨てると、身を翻し、部屋を後にしようとする。もちろん六道に抗議する為だ。しかしその背中を、マリアの呆れ交じりの声が引き留めた。


「ちょいちょい、どこ行くのよ? 話はまだ終わってないんだけど」

「お前の話に興味はない」


「あら、いいのかしら? この話、まだ続きがあるのよ。けっこうあんたの好みだと思うんだけどな~?」


 マリアは三頭身ほどしかない寸胴の体を器用にくねらせると、やたらと不遜な視線を送ってくる。

 

 確かに、六道が組む相手のことまで煩く口を出しくるのは、異例のことだった。事務所の方針やどの事件を扱うかは六道が決める。しかし、現場の判断には口を挟まない。それが今までの六道のやり方だったからだ。


 それを破るからには、それなりの理由がある筈――そう考えるのが自然だろう。


 マリアはにやにやと思わせぶりな笑みを浮かべている。その表情から、かなり興味深い話であるのは、おそらく間違いない。情報を糧とし、それを武器にして生きているような人種だ。それがこうも自信満々に振舞っている。パッとしない情報である訳が無い。


 偉そうなウサギの態度には少々ムッとしたが、その話の内容に興味が湧いた。奈落は舌打ちをし、その場にとどまる。

 ただ、これ以上、目の前の情報屋に横柄な態度を取られるのも癪なので、あくまで仕方ないから聞いてやるのだという空気を全開にして言った。


「……分かったから、早くしろ」

 するとマリアは、魚を手にした釣り人のように、にんまりと笑う。「落ち着きなさいよ。女を急かす男は嫌われるわよ~?」

 そして、ふと真顔になると、さっそく切り出した。 


「……さてと。あんたさあ、深雪っちのこと、どう思う?」


「どこにでもいるただのクソガキだろう、それがどうした?」奈落は若干の苛立ちを覚えつつ、即答する。


 雨宮深雪はさして特徴のある顔立ちでもなければ、性格も大人しい。爆発系のアニムスも威力は高いが、それ自体はさして珍しいものでもない。とどのつまり、平凡を絵にかいたような存在だ。


 一つ特徴があるとすれば、東洋の若者にありがちな、空気を読むとかいうスキルはやけに高いが、奈落にとってそれはさしたる価値を持たない。だが、一体それが何だというのか。


「あたしもそう思ってたんだけどねー、神狼から面白い話ゲットしたのよ」


 その話というのは、二か月ほど前に起きたある事件に関するものだった。


 その頃、人間に蜂を寄生させ、内側から食い殺させるという、何とも趣味の悪い事件が連続して発生していた。

 ところが蜂を操っている首謀者とみられた少年が、雨宮深雪と接触していたことが判明する。

 

 そこで紅神狼が雨宮深雪に成り代わって、その首謀者を《リスト執行》した――それが奈落の聞かされていた大まかな経緯だった。


 だが、どうも事実は少し違うらしい。


「神狼は、実際には鵜久森命を、《リスト執行》していないそうなの」


「何……? だったら首謀者を殺ったのは誰だ?」


「それがね……」


 マリアの説明は、奈落の予想を遥か斜め上にいくものだった。

 

 何と、雨宮深雪に《ランドマイン》とは違う第二の能力が発現し、鵜久森命のアニムスを『消去』したのだという。それに絶望した鵜久森命は、自ら命を絶ったというのだ。


 奈落にしてみれば、突っ込みどころがありすぎてどこから触れていいのやらという状態だったが、とりあえず最も気になった部分を、話題に挙げることにした。


「ゴーストを人間に戻す能力……? 馬鹿馬鹿しい、そんなものが存在する筈がないだろう」


「でも、本当だったら無視はできない。……そうでしょ?」


「……」

 マリアの言うことは正しい。世界各国でありとあらゆるゴーストに接してきた奈落だが、一つだけ目にしたことがないものがある。それは、ゴーストが人間になるという現象だ。

 

 人間からゴーストになるものは大勢いても、その逆はない。リンゴから手を離せば必ず地に落ち、決して空に浮かび上がることがないのと同じだ。万有引力の法則のごとく、それは泰然と横たわっている。


 世界各国、或いは様々な地域の研究機関が、天文学的な数字の莫大な資金を投じて、その法則を捻じ曲げる術はないかと試行錯誤しているのは、万人の知るところだ。


 その法則がもし、覆るのだとしたら。

 人類が月に到達したのと同じかそれ以上の、とてつもない事態だ。

 

 何せ、増える一方のゴーストを、根本的に減らすことが可能なのだ。政治、経済、軍事、科学技術――影響を受けない分野は皆無だろう。あまりにも規模が大きすぎて、すぐには実感するのが難しいほどだ。


「まあ、神狼も自分が目にしたことが信じられなかったみたいで、なかなか話してくれなかったんだけどね。つつき回してようやく白状させたってワケ」


 マリアの情報に対する執着は生半可なものではない。特に欲しい情報を手に入れようとする時の乙葉マリアは、蟻地獄のような執拗さを発揮する。奈落は胸の内で、中国人のガキ――紅神狼に、少しだけ同情した。


「……仮にそれが本当だとしたら、二つの問題点がある。一つは、すでに深雪っちには《ランドマイン》というアニムスが存在すること。

 一人のゴーストにアニムスは一つ――その大原則にこれまで異例は一切ないわ。どんなに珍しいアニムスだったとしても、力は一つ。ただ一つだけなの。それはアニムスがゴーストの魂の具現化とも称されることからも明らかね。

 それなのに、なぜ深雪っちにだけ適応外なのか……今のところ、全く見当もつかないのよ」


「……。奴はただのゴーストじゃないという事か」


「そういう事。そしてもう一つの問題点は能力の中身ね。

 ゴーストを人間に戻す能力なんて今まで見つかったことはなかった。それどころか世界各国、ゴーストの治療法の発見に躍起になっているのに、未だにその糸口すら掴めていないのよ。それが、今、アニムスという形で目の前にある。

 ……これがどういう事か分かる?」


「金になるだろうな」

 これまた、即答だった。傭兵は愛国心や理念では動かない。全ては金次第の世界だ。そのせいだろうか。奈落の脳裏に真っ先に浮かんだのは、雨宮深雪をそれ相応の機関や組織に売り飛ばせば、十年は遊んで暮らせる金が手に入るだろうということだった。


「そうね。ありとあらゆる組織が、何としてでも深雪っちの能力を欲しがるでしょうね。そして……」

 

 マリアは奈落の言葉を首肯すると、やけに含みのある口調で続ける。


「そして、あたし達ゴーストにとっては、この世で最も恐ろしい脅威でもある」


「………」


「……ね、興味ない?」

 まるで小悪魔のように誘惑する情報屋を、奈落はこれ以上なく忌々しく思った。そのような事、言わずもがなに決まっているではないか。興味はある。いや、大ありだ。


 確かに、人間に戻りたいと願うゴーストにとっては、雨宮深雪の能力は大いなる救いとなるだろう。だが、必ずしもその限りではないゴースト――例えば、奈落やマリアのようにアニムスを行使することで生計を立てているゴーストなどにしてみれば、人間に戻る能力などというものは、はた迷惑な産物でしかない。


 マリアも言った通り、それがどの程度の脅威になり得るのか、そしてどれだけの利用価値があるのか。周囲への影響が未知数のアニムスであるだけに、しっかりと把握しておかねばなるまい。

 それに、純粋に知識としての興味もある。


「俺にあのガキの能力を探れという事か」

「ええ」


「そして、それが危険なシロモノなら……始末しろ、と?」 

「そうよ。分かってるじゃない」


 澄ました顔で答えるマリアに、奈落は斬り込むような視線を向ける。


「……一つ訊く。それはどこまでが六道の命令だ?」


「ご想像にお任せするわ」

 やはり、飄然とした答えだった。


 奈落はこのウサギが自分にとって重要な情報を収集するためなら、いささか行儀の悪い手段も平気で用いることを知っている。六道の命令にかこつけて、事務所の同僚を動かすなど、何とも思っていないに違いない。

 雨宮深雪の第二のアニムスに関する情報は、この女にとっても垂涎ものであるだろうからだ。


 だが、奈落はすぐにそれを追及することが、無意味であることに気づいた。六道の命令が有ろうが無かろうが、雨宮深雪の件は押さえておかねばならない重要な案件だ。

 それに、問い詰めたところでこの食えないウサギが簡単に吐くとも思えない。

 甚だもって、労力の無駄だ。


「……。いいだろう。六道に伝えておけ、報酬は弾めとな」

 今度こそ踵を返し、奈落は部屋を後にする。その背後から、情報屋の弾んだ声が追いかけてきた。


「頑張ってね~ん。……新しい情報、待ってるワ」




 ――以上が、乙葉マリアの持ち込んだ『面倒ごと』の真相だった。



 奈落は現実に意識を引き戻す。


 今や雨宮深雪の右腕は変色し、壊死を起こしたかのようにどす黒くなっていた。その中で、手の平から伸びる亀裂のような痣だけが、血のような鮮烈な真紅に浮かび上がっている。


 このような症状は、さすがの奈落も今まで見たことがなかった。


 他にも、指先や足が痙攣を起こし、呼吸困難も見られる。おそらく、雨宮深雪の状態はかなり不味い。このままでは、いつアニムスが暴走してもおかしくないだろう。

 それは奈落の傭兵としての勘だった。


 今のところ、これまで深雪が第二の能力を使う気配はなかった。それを確かめるまでは、是非とも生きていてもらわねば困る。


 だが一方で、雨宮深雪の引き起こしている急性アニムス激化症候群が、決して予断を許さない状態だというのも事実だった。


 急性アニムス激化症候群を起こすゴーストは生涯アニムスが不安定で、力の発動が暴走しがちになる。その結果、深刻な犯罪や事故を引き起こすことも珍しくなかった。

 地域によっては、急性アニムス激化症候群に陥ったゴーストは、発見され次第、即刻殺されることも珍しくない。将来の禍根の芽を、小さいうちに絶っておかねばならないという発想なのだ。


(どうする――……?)


 深雪の能力の稀少さを考えると、このまま生かして様子を見た方が得策だ。だが、急性アニムス激化症候群は急激に悪化することもある。アンコントロールに陥ったなら、排除するしかない。 


 そして、その時の為に自分がここにいるのだ。


 この事務所には、やたらと強いアニムスの保有者ばかりが集まっている。

 強い力は諸刃の刃だ。身を守り、或いは武器になる一方で、一つ間違えばその鋭さが身内に向くことになる。

 急性アニムス激化症候群を発症することもあるだろうし、事故や裏切り、敵に篭絡されることもあるだろう。万が一を考え、あらゆる不測の事態を想定し、備える必要がある――その為に雇われたのが、ゴースト狩り専門の傭兵をしていた、奈落だった。


 事務所の他のゴーストが制御不能に陥った際に、それを素早く抹殺する。それが、奈落がこの事務所に雇用される際に、東雲六道と交わした条件の一部だ。


 他の者には決して担えない、不動王奈落だからこそ可能な任務。


 殆ど無意識に、腰の拳銃へと手が伸びる。


 雨宮深雪の状態は芳しくない。

 これ以上悪化するようなら、手が付けられなくなる前に始末すべきだ。


 すると、不意にその腕を掴まれた。


「……?」


 振り向くと、シロがこちらを見上げていた。


「……駄目だよ。ユキはシロたちの仲間なんだから。そんなの、ゆるさない」


 セーラー服を着た獣耳少女の表情は、本気だった。


 そして同時に、透明で真っ直ぐでもあった。


 おそらく、この少女は自分の命を投げ売ってでも雨宮深雪を守ろうとするだろう。それが雨宮深雪のためか、それとも東雲六道のためなのかは分からない。ただ、そうするだろうという確信だけは、はっきりとあった。


 奈落の中には微かな驚きがあった。シロは今まで、事務所の他のメンバーと対立したことはなかった。そうまでして、己の我を通すことがなかったのだ。


 だが、目の前のシロは、雨宮深雪に指一本でも触れたなら、全身全霊をかけて牙を剝き、奈落に抵抗するだろう。どちらが強いか弱いかではない。


 奈落の脳裏に、《ヘルハウンド》時代に遭遇した、とある事件が蘇っていた。

 

 五年ほど前になるだろうか。中央アジアの某国で火炎系のアニムスによる虐殺が起きた。死者だけ七十人、負傷者も含めると、その四倍の数の犠牲者が出るという、なかなかに規模の大きいもので、すぐに現地の政府から《ヘルハウンド》に、事件を引き起こしたゴーストの討伐依頼が来た。


 《ヘルハウンド》からは、奈落を含めた五人のメンバーが駆り出された。奈落らはほどなくして犯人を特定し、追い詰めた。万事が悉く順調で、あくびさえ出そうなほどだった。仕事としては、さほど難易度の高いものではなかったのだ。

 だが、その事件は今でも鮮烈な記憶となって奈落の中に残っている。


 犯人はまだ七歳になったばかりの幼い少年だった。


 そして、奈落たちの前には母親と思しき女性が最後まで立ちはだかり、少年を守っていた。


 母親というものを知らない奈落は、彼女がなぜそうまでして子供を守ろうとするのかよく分からなっかったが、理解できなかったからこそ、強烈に覚えている。


 相手がどんなに強大であろうとも、命を懸けて我が子を守ろうとする母親の目。

 

 シロの瞳は、それと同じ爛々たる光を放っている。


 この幼い少女にそうまでされて、その強固な意志を無下にするのも、何だか大人げない。


 それに、雨宮深雪を助ける方法が一つだけ、無いではなかった。すこぶる面倒だが、生かしておいても、それなりにメリットはある。


 そうと決まれば、あとは実行に移すだけだ。奈落は宥めるように、シロの頭をくしゃりと撫でる。そして雨宮深雪の左腕を取り、体を起こすと、それを持ち上げ米俵のようにして担いた。


「こいつを運ぶ。部屋のドアを開けろ」


「うん、分かった!」


 シロは雨宮深雪の部屋の真ん前まですっ飛んでいき、木製の重厚な扉を開いた。奈落はその中へ雨宮深雪を運び込み、奥にある寝台の上へと寝かせる。


 雨宮深雪は熱が出始めたようで、荒い呼吸を繰り返している。


「ユキ、すごく熱いよ。大丈夫かなあ……?」

 シロはベッドに横たわった雨宮深雪の左手を握り、泣きそうな声で呟いた。先ほど、奈落に対して取った、毅然とした態度とは打って変わって、弱々しく、まるで遅くなった親鳥の帰りを待つ雛鳥のようだ。


 奈落は 妙な感慨を覚えた。この少女の中には、強さと弱さが同居している。どちらかがシロの本当の姿というわけではない。どちらも合わさって、彼女なのだ。


 だが、とにもかくにも、今は一刻も早く雨宮深雪の症状を改善させねばなるまい。


「ここにいろ」

「う、うん」


 奈落はシロにそう言い置くと、一旦、雨宮深雪の部屋を出た。そして廊下を歩きながら腕の携帯通信機で赤神流星に連絡を取る。


 次に、同じ階にある自分の部屋に入った。滅多に足を踏み入れることがないせいか、殺風景な部屋である。あるものといえば、寝台と机、重厚なロッカーだけだ。

 特徴があるといえば、ロッカーが鎖で何重にも巻かれ、厳つい南京錠が数個、ぶら下がっていることくらいか。中に何が入っているかは、お察しである。


 奈落は異様なロッカーの前を通り過ぎると、奥にある引き出し付きの机に向かった。そして、その中からペンケースのようなアルミ製の小箱を取り上げる。それから再び足早に、雨宮深雪の部屋へと向かった。


 雨宮深雪のそばでは、シロが未だ不安げな表情で付き添っていた。奈落はシロの隣に歩み寄ると、持ってきたアルミ製のペンケースを開く。中には三本の注射器が並んでいた。どれも鉛筆ほどの細さと長さで、シリンジの中は薄い青色の透明な薬液で満たされている。


「それ、何?」

 シロは奈落の手元を不思議そうな目で見つめる。その中には、僅かではあるが、どこか警戒したような色もある。


「安心しろ。死にはしない」



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