第20話 氷河武装警備事務所②
思えば深雪は自分の考えを押し付けすぎてしまっていたかもしれない。
ひょっとしたら反感を買ってしまっただろうか。
頭を下げているため、余計に氷河凍雲の表情が分からず、彼が言葉を発するのを深雪はただじっと待つしかない。
しばらくして氷河凍雲は素っ気ない口調で深雪に声をかけた。
「まあ、座りなよ」
「あ、はい。すみません、つい……!」
深雪は氷河凍雲に促されるまま、ソファに座る。
改めて氷河凍雲の顔を目にすると、彼は先ほどと殆ど変わっていなかった。
深雪の言葉に特に感銘を受けたというわけではないようだが、さりとて反発を覚えたようでもない。一貫して無表情だ。
情に流されず、客観的に深雪を観察し、見極めようとしている冷徹な瞳。
やがて氷河凍雲はアームチェアの背もたれから身を離し、前屈みになって左右の両足にそれぞれ肘を乗せ口元で両手を重ね合わすと、まっすぐに深雪を見据えた。
「……一つ質問があるんだけど」
「何ですか?」
深雪は内心の緊張を表に出さないよう注意を払いつつ答える。
「雨宮くんは何故、《中立地帯の死神》になろうと思ったんだ?」
「《監獄都市》……というか、東京は俺の生まれ故郷でもあるので。何とかして守りたいと思ったんです」
「ああ、なるほどね。でも、本当にそれだけかな? 今や海外移住するというのも当たり前の時代だ。人生をかける動機としては、こう……えらく古風だね」
「そうでしょうか」
「何か他にもっと別の理由があるんじゃないの? そう、たとえば……罪滅ぼし、とか」
「……!!」
思わぬ指摘を受け、深雪は心底どきりとした。ただ、ぎりぎりのところでその動揺を表に出さないよう押さえつける。
目を逸らしたら即座に図星だと悟られるだろう。氷河凍雲へ視線を向けたまま深雪は慎重に問いかけた。
「……。それは誰から? 《スケアクロウ》とかいう、いかがわしい情報屋からですか?」
「いいや、ただの勘」
これだけ的確に深雪の事情を言い当てたのだ。ただの勘などあり得ない。
そう思うものの、氷河凍雲が嘘を言っているというわけでもなさそうだった。つまり、彼は《スケアクロウ》から深雪の情報を得たというわけではないということだ。
一体、どういうことなのか。
何はともあれ、今の深雪は氷河凍雲から試されている立場だ。ここで嘘をついたり誤魔化したりするのは適切ではない。
それが、どれだけ話しにくいことであったとしても。
深雪は決意を固め、口を開く。
「確かに、俺には自分の都合だけ考えて好き勝手に生きる資格はないと思っています。俺は多くの人の人生を奪ってきたから……その罪を背負う以上、利己的に幸せを追求するなんて許されない」
「……」
「ただ、だからと言って簡単に利用されるつもりもありません。ゴーストである以上、俺たちは常に自分の意思とは関係なしに他者を傷つける道具にされてしまう恐れがある。いくら強固に自我を保っていても、その存在や力を悪用しようとする者は必ず現れるんです。だからこそ……この命の使いどころは自分で決める。そして、できれば自分だけのためじゃなく、他の誰かを幸せにするために使いたい。そう思っているんです」
「……ふーん。その答えが《中立地帯の死神》か。けどさ、罪滅ぼしをすると言いながら《死刑執行人》として他者の命を奪い、さらに罪を重ねるってのは、だいぶ破綻してると思うけど? そのあたりについてはどう考えてんの?」
「確かに短期的に見れば、俺の主張は矛盾点が多く、言行不一致の誹りも免れないと思います。でも俺は、もう少し長期的な視点で《監獄都市》のことを考えたい」
「……ほう?」
「俺は……俺は将来的に、今の《死刑執行人》制そのものを無くすべきだと考えているんです」
深雪がそう口にした途端、氷河凍雲は大きく目を見開き彫像のように全身を硬直させた。
深雪が何を言ったか全く理解できない、そういう顔だった。
「なっ……《死刑執行人》制の廃止だと……!?」
数秒経って、うわ言のように呟いてから、ようやくその言葉の意味を飲み込んだらしい。氷河凍雲は猛然と声を荒げて怒鳴った。
「そんな馬鹿な! 正気か!? ついこの間の巨大抗争を見ただろう!! 《死刑執行人》がいなければ、誰があの混乱を鎮める!? 誰が弱きを守り『悪』を排除する!? 《死刑執行人》がいるからこそ、《監獄都市》は辛うじて街を形成することができているんだぞ!!」
氷河凍雲はひどく驚き、同時に動揺していた。
その中には怒りや憤りさえ垣間見えた。
《死刑執行人》を廃すなどあり得ない、そんなことがあり得るはずがない。そういう絶対的な確信と混乱の間で完全に感情を振り回されている。
或いは、これまでの自分たちの仕事を否定されたと感じたのかもしれない。とにかく、氷河凍雲にしては考えられないほどの取り乱し方だった。
彼にとってそれほど衝撃が大きい提案だったのか。
いや、彼が誇りをもって《死刑執行人》をやって来たからこそ、衝撃が大きいのかもしれない。自分たちが《監獄都市》を支えてきた、そういう自負とプライドがあるからこそ深雪の言葉が許せないのだ。
「もちろん、今すぐそうすべきだというわけではありません。環境が整っていない中で《死刑執行人》だけいなくなっても、メリットよりはデメリットの方が遥かに大きい。だから、あくまで《監獄都市》を混乱させないよう最大限に配慮しつつ、長期的にはそういう方向に持っていくべきではないかと……ずっとそう考えているんです」
深雪はそう補足説明を付け加えた。だが、氷河凍雲の激昂は収まらない。
「あり得ない! 今の《監獄都市》の秩序は《休戦協定》と《死刑執行人》制によるものなんだぞ! そのうちの片方でも無くなったらどうなるか、簡単に想像がつくだろう!! そもそも、《死刑執行人》制の発案者であるあの東雲六道が、そんなことを許すはずがない!!」
「所長は俺の考え方をよく知っています。俺が《中立地帯の死神》や《死刑執行人》という存在に疑問を抱いていることも、全て知っていて《死神》の後継者に選んだんです。だからそれも承知の上だと思います。実際、俺は所長から《死刑執行人》制を死守しろとは一言も言われていません」
「だからって、東雲六道がその考えを支持しているとは限らない! 君は知らないだけだ! あの男がどれだけ《死刑執行人》制の維持に全力を尽くしてきたか、そしてどれだけ《中立地帯の死神》という立場に執着してきたか!!」
「氷河所長はどうなんですか? 《死刑執行人》についてどう思われていますか?」
深雪が質問を投げかけると、氷河凍雲はぐっと言葉を詰まらせた。
「……! どうって……」
「確かに《死刑執行人》は恐れられているし、一定の抑止になっているとも思う。《監獄都市》が《死刑執行人》なしでは立ち行かないのは、少なくとも現状においては動かしがたい事実です。でも、恐怖で人を従わせるやり方は長くは続きません。いずれ、必ず行き詰るし、破綻が来る。何より《死刑執行人》制はそれを支える《死刑執行人》への負担があまりにも大きすぎます」
「……!」
「多くの《死刑執行人》は心身を削って任務に当たっています。ゴーストだからと言って、決して楽な仕事じゃない。《リスト執行》にしても、常に対象者の反撃を受け、命を落としかねないリスクにさらされています。よしんば《リスト執行》を成功させたとしても、周囲からは軽蔑と嫌悪の目を向けられる。人命を奪うという罪を背負わされ、永久に後ろ指をさされ続けるんです。その過酷ともいえる精神的負荷に必ずしも耐えられる者ばかりじゃない。
何より……変幻自在に進化し続けるアニムスに対し、《リスト執行》では対応しきれません。アニムスを使えば証拠などいくらでも捏造できる。冤罪も生み放題です。今は表面化していなくとも、将来、必ず大きな問題となるでしょう。だから大きな犠牲を生む前に、できるだけ軌道修正しておくべきだと俺は思います」
「それは……そうだが……!」
「《死刑執行人》は《監獄都市》の人々に恐怖を与える代わりに、全ての憎しみを背負ってきました。もう……それは終わりにしなければ」
「……」
《死刑執行人》がもたらす功罪を、深雪は嫌というほど目の当たりにしてきた。
彼らのおかげで守られた命は間違いなく存在する。それは事実だ。《死刑執行人》が担ってきた役割を否定するつもりはない。
だがその一方で、《死刑執行人》は多くの軋轢や精神的苦痛の原因ともなってきた。街の人々はもちろん、《死刑執行人》自身にも多大な犠牲を強いながら、それでも《監獄都市》の秩序の維持のためという名目上の元、多くのものを踏み潰してきた。
果たしてそれが正しいと言えるのか。これからも問題なく続けていけるのか。
深雪にはとてもそうとは思えない。
また、もはや《死刑執行人》の存在だけでは防げない事態が起きつつあるのも事実だ。
まだ手遅れにならないうちに新しい体制に移行しなければ――より現実的で柔軟な対応をしていかなければ、この街は間違いなく崩壊してしまう。或いは京極の企み通り、内部から食い尽くされ、散り散りに引き裂かれてしまうだろう。
早くもその兆候は表れ始めている。
急がなければ、時間がない。
だが、氷河凍雲は衝撃から抜けきれないようだった。深雪は最後の一押しとばかりに言葉を続ける。
「今回の五大《死刑執行人》事務所の連携は、《死刑執行人》制の廃止に向けた第一歩でもあると俺は考えています。《死刑執行人》制を本気でやめるなら、代替となる組織や体制を構築する必要があるからです。《死刑執行人》制を始めた張本人でもあるため、大っぴらには言えないでしょうが、所長もまた俺の考えと同じだと思っています」
「……」
深雪が説明を終える頃には、氷河凍雲も元の冷静さを取り戻していた。最初は衝撃を受け、動揺したようだが、すぐに平静を取り戻し深雪の言葉に耳を貸すのが妥当か否か吟味し始めている。その立ち直りと判断の早さはさすがだと深雪は思う。
氷河凍雲はしばらく無言で考え込んだ。応接室を重たい静寂が包む。
しばらくして、ようやく彼は口を開いた。
「俺は氷河武装警備事務所の所長で、事務所の《死刑執行人》の命を預かる立場だ。いくら理想を説かれようと、安易な判断は下せない。特に何の実績もない、口だけ達者な者の主張を丸呑みにはできない。……分かるよね?」
「はい」
「まずは誰もが納得できる結果を出してもらおっか。話はそれからだよ」
「結果……ですか。具体的には?」
「そもそもの話、東雲探偵事務所の悪評を流しているのが《スケアクロウ》という情報屋だってことは気付いてるよね? いくら所長には権限があると言ったって、これほど悪い噂まみれの事務所と手を組む決断をするのはそう簡単なことじゃない。むしろ相当なリスクだ。ただでさえ、うちの従業員の多くは東雲と因縁を抱えている」
「……そうなんですか?」
てっきり、六道と確執があるのは氷河凍雲ただ一人だと思っていた。氷河武装警備事務所が東雲探偵事務所から分離独立した事務所だという話はマリアや流星から聞いて知っていたが、まさか氷河凍雲以外にも六道と深刻な軋轢を抱いている者がいたとは。
すると、氷河凍雲は呆れた表情を浮かべながら言う。
「何だ、何も聞いていないのか? 氷河武装警備事務所は、東雲六道に使い潰されそうになった《死刑執行人》を俺がまとめて引き抜き、新たに作った事務所だ。その時の奴らは今、みな現場を離れ事務所の経営に回ってる。近衛や西山といった、現場に立つ若い《死刑執行人》達には、そういった過去のいざこざは知らせてない。だが、東雲六道に対し苦々しい経験をしているのは俺だけじゃないってことだ」
「……」
つまり、氷河凍雲が《収管庁》であれほど六道に反発し対立したのは、氷河武装警備事務所の面々を守るためであり、同時に彼の部下たちの総意でもあったのだ。
「東雲探偵事務所の悪評を聞き、仲間たちはそれ見たことか、うちの若い従業員には東雲の悪行に関わらせるわけにはいかないと息巻いてるよ。そんな状況で、どうやってあいつらを説得しろと言うんだ? ……まずはこの状態を解決してくれ。そんなこともできないような奴と手を組むつもりはない」
「……。分かりました。ただ、一つだけ確認させてください。氷河所長は《スケアクロウ》とどれだけお会いになりましたか?」
氷河凍雲が五大《死刑執行人》事務所の合同事業を受け入れようと受け入れまいと、これだけは確認しておきたかった。
深雪から問われ、氷河凍雲は肩を竦める。
「ぶっちゃけると、それほど会ってはないね。二、三度くらいかな。顔を晒さない時点で胡散臭い、相手にする価値なしとは思ったんだけど。情報屋で《リスト執行》された例も無きにしも非ずだし、もし悪質な業者だったら《死刑執行人》として放っておけないからね」
「本当ですか? その……疑うわけではないんですが、氷河所長はかなり頻繁に《スケアクロウ》と会っていると耳にしたんですが」
「そりゃ、あちらさんの宣伝じゃない? うちはそこそこ大きな《死刑執行人》事務所だから、得意先に挙げれば箔がつくって思ったんでしょ。それが巡り巡ってそっちに届いたってだけ」
「でも、氷河所長は東雲の内情に随分と詳しいようでしたけど……」
別に氷河凍雲を疑っているわけではない。だが、東雲探偵事務所の内情を詳細に掴んでいたことはどう説明するのか。
なおも問い詰めると、氷河凍雲は不意にニヤリと不敵な笑みを浮かべるのだった。
「《スケアクロウ》ね。あれこれと、おたくの話をしていったよ。大半は明らかに嘘だと分かる情報だったけど、中にはそれらしいものもあった。そういう玉石混交の情報の中から信憑性の高そうなものをピックアップして、《収管庁》で披露したってワケ」
「そんな、無茶な……!」
「でも実際、当たってたでしょ?」
あっけらかんと指摘され、深雪は何と答えていいか分からず頬を引き攣らせるしかない。確かに氷河凍雲が《収管庁》で明かした東雲探偵事務所の情報の中に嘘は含まれていなかった。百発百中というほどではなかったが、完全なるデマもまた無かったのだ。
そんな深雪の反応を目にし、氷河凍雲はからからと笑う。
「雨宮くんさあ、俺が東雲六道の部下だったってこと忘れてない? 俺はさ、今の東雲探偵事務所でいうところの赤神流星のポジションだったワケ。東雲六道のやり方は、よーく知ってる。何せ、さんざん苦労させられたからね。ホント、マジで忠告するけど、逃げるなら今のうちだよ? うちで良ければいつでも歓迎するからさ」
「は……はは……」
深雪はもはや苦笑いするしかなかった。どうやら《スケアクロウ》の手など借りずとも、彼は全てお見通しだったようだ。
もっともそれは、六道の元で働いていた氷河凍雲がいかに優秀な部下であったか、そして《死刑執行人》としていかにしっかり六道を支えていたかということの証左でもあるのだろう。
「ま、冗談はさておき、俺からの要求はそんなとこ。何か質問ある?」
「いえ、今までの説明で十分です」
この面会については、想像していたより手ごたえがあった。
氷河武装警備事務所が五大《死刑執行人》事務所の合同事業に参加するという確約は得られなかったが、その糸口を掴むことはできた。《スケアクロウ》の件にしても想定の範囲内だ。
深雪は一安心しつつ、笑顔を浮かべて氷河凍雲に謝辞を述べた。
「こちらが一方的に押し掛けたにもかかわらず、面会していただいてありがとうございました、氷河所長。勇気を出してお伺いして本当に良かった。うちの所長の言う通りでした」
「……?」
訝しげな顔をする氷河凍雲に、深雪は打ち明ける。
「所長が言っていたんです。『あいつは必ず分かってくれる。信じてやってくれ』……と。所長も……あまり感情を表に出す人じゃないですけど、あなたを信じていると思います」
それを聞いた氷河凍雲は、すっと表情を消して沈黙した。
彼が何を考えているか、深雪には分からない。ここで六道の名を出したところで氷河凍雲の神経をただ逆撫でするだけかもしれない。
だが、事実は事実として知っておいて欲しかった。
それは深雪にしか伝えられないことだろうから。
ともかく、深雪が氷河凍雲に話したかったことはこれで全部だ。
「次は《収管庁》でお会いできるよう、俺たちも頑張ります。例の情報屋は必ずこちらで片をつけますので、その時はぜひ合同時事業にご参加ください」
「まあ、俺としては、まずはお手並み拝見ってとこかな」
「必ず解決して見せますよ。うちの《死刑執行人》はみな凄腕ぞろいなので」
「……」
深雪は自信に溢れた笑みを見せる。自分のことについては、まだまだ胸を張って次期《中立地帯の死神》だと言える状態ではない。
だが、東雲探偵事務所のみなのことは誰より、何より信頼している。
彼らは間違いなく、《監獄都市》最強の《死刑執行人》であると誇りをもって言い切ることができる。
たとえその役割がいつか終わる時が来るのだとしても。




