第17話 閑話休題 ぺこたんの苦悩④
それから三日三晩、どのように過ごしたのかほとんど覚えていない。
四日目の朝、ぺこたんはいつの間にか地上が静かになったことに気づき、ようやく他の避難者と共に地上に這い出した。
その時にはもう、街の景色は一変していた。
二十年間、衰退する一方だったとはいえ、《監獄都市》はかつて首都だったほどの巨大都市だ。高層ビルや大型商業施設なども、それなりに残っていた。
だが、その半分ほどは既に焼失したり崩れ去ったりしている。数日前まで確かに残っていた巨大建造物が、ゴーストの暴動でごっそりと破壊されているのだ。
一体、何が起こったらこんなことになるというのか。
爆撃機の空襲を受けたら? 大型ミサイルを撃ち込まれたら? それとも、巨大怪獣に襲われたら?
どれも十分に恐ろしい事態だが、それでもここまで完全に焦土と化すことは無いだろう。
どこもかしこも瓦礫だらけ。
今も炎が燻っているのか、あちこちで黒々とした煙が上がっている。
それだけではない。災害級大抗争から逃げ遅れたのか、多くの人が亡骸となり身を横たえていた。しかもそういった遺体が埋葬される気配はなく、ずっと放置されたままだ。
これまで、いかに《監獄都市》とはいえ、死者は丁重に弔われてきた。《死刑執行人》が先頭に立ち、死者を弔ったり遺体を火葬場に運び込んだりしてきたからだ。
だがその《死刑執行人》たちも、今は救助活動などで手一杯になってしまっているらしい。
これから一体、どうすればいいのか。
どこに行けば助けてもらえるのか、いやそもそも助けなどあるのか。
支え合う仲間もいない。
たった一人で何も分からず、焼け野原に立ち尽くすしかない。
これまでに直面したことのない絶望がぺこたんを襲った。他の生き残った人々も同じなのか、ぼんやり立ち尽くしたり、ふらふらと彷徨ったりしている。
誰も、一言も発しない。
突きつけられる現実に途方に暮れ、茫然とするしかない。
そんなぺこたん達を嘲弄するように、ただ、びゅうびゅうと冷たい風が吹きすさぶばかりだ。
だが、呆けてばかりもいられなかった。街が崩壊しようと腹は減るし、喉も乾く。幸い、《収管庁》が炊き出しを行っていたので、そこで食料を得、何とか糊口を凌ぐことができた。
とはいえ、被災者の数があまりにも多く、炊き出しだけではとてもではないが食料が足りない。ぺこたん達は常に空腹と渇きに苛まれることになってしまった。
一日、一日が途轍もなく長い。
何かしなければと思うが、何をしたらいいのか分からない。
住んでいたアパートに戻ってみたが、既に倒壊していてとても住める状況ではなかった。集まっていた人々が話していた情報によると、アパートの住人の何人かと大家の老婆が建物の下敷きになって亡くなったらしい。
だが、ぺこたんにはその事実に心を痛める余裕もなかった。着の身着のままで逃げ回ってきたので、所持金はない。もし金があったとしても、手に入る物資は何もない。炊き出しのおかげでどうにか飢えることはないが、生活は途轍もなく厳しい。
何より、孤独が辛かった。
どれだけ苦しい思いをしても、それを打ち明ける相手がいない。不安やひもじさを共有できる相手がいない。
これまでも、何度も厳しさや危険には直面してきたが、きよポンやチャコがいてくれたからどうにか耐えられた。
しかし今、ぺこたんは一人だ。
意味もなく、一人だけ生き延びてしまった。
「何でだよ……俺が何をしたって言うんだよ……!? どうして俺ばっか、こんな目に遭うんだよ……!!」
これはひょっとすると、本当に帯刀火澄の言った通り、天罰なのではないだろうか。
他人を騙し、動画の再生回数を荒稼ぎし、慢心して自分には正義があると酔いしれた。
《グラン・シャリオ》メンバーの死を娯楽にし、彼らの尊厳を貶め、すっかり舞い上がってしまった。
これはその報いなのではないか。
これはいわゆる因果応報であり、結局、自分たちのやってきたことは何もかも独りよがりの迷惑行為でしかなかったのではないか。
もう、自信もプライドも、何もかもがズタズタだった。
暗い穴の底にはまり込んで、同じところをぐるぐる回っている。先が見えない。未来に希望が抱けない。
動画配信者をしていたことさえ、もう遠い昔のことのようだった。
そんな時だった。雨宮深雪と再会したのは。
雨宮深雪は《中立地帯》の復興作業にかかりきりになっているようだった。
東雲探偵事務所はもちろん、あさぎり警備会社やPSC.ヴァルキリー、東京アイアンガード・セキュリティーオフィスといった他社の《死刑執行人》たちも一緒だ。作業用のツナギや長靴を履き、頭には防災ヘルメット、手には軍手を嵌めている。
頭の先から長靴までくまなく泥まみれになっているが、周りの《死刑執行人》たちと声を掛け合いながら瓦礫を撤去している。一人では持ち上げられないような巨大なコンクリートの塊を、何人かのゴーストで担いで移動させようとしているのだ。
重機を使えば一発で撤去できるだろうが、この閉鎖された《監獄都市》ではそういった重機を運び込むのも一苦労なのだろう。
重機も全くないわけではないが、圧倒的に数が足りないのだ。
雨宮深雪はてきぱきと動いていた。他の《死刑執行人》たちとの意思疎通も円滑で、協働作業もこなれている。そこから、彼が三日三晩に及ぶ災害級巨大抗争の後片付けに、ずっとかかりきりになっているのだと分かった。
全身どろどろで、連日に及ぶ復興作業に疲れ果てながらも、歯を食いしばってみなと一歩一歩進む。雨宮深雪らしいとぺこたんは思う。
自分には同じことはできない。
自分はあの中に混じって、顔も知らない他人のために身を粉にして働くことはできない。
それに、雨宮深雪のように他の《死刑執行人》たちの信頼を得ることもできないだろう。ぺこたんは自分たちの軽薄さがそれなりに世間の人から嫌われているのを知っている。
そもそも、そんな体力もない。自分は雨宮深雪を始めとした《死刑執行人》以下の存在なのだ。
いや、ぺこたんより社会に必要とされ続けている人々は大勢いた。
そして、そういう人に限って抗争に巻き込まれて死んでしまった。
(俺……何で生き残ったんだろ……。たった一人で……何もできないのに……)
不意に沸き上がった疑問に答えさえ見い出せず、ぺこたんはひどく落ち込んだ。
これまではただ、面白おかしく生きられればそれで良かった。深く考えるのは苦手だったし、むしろ嫌いなくらいだった。
だが、今は容赦なく現実を突きつけられている。
ぺこたんの価値とは何なのかと。
その時、ふと雨宮深雪と目が合った。深雪もまたぺこたんに気づき、大きく目を開く。そして瓦礫の山から滑り降りると、肩から下げたタオルで泥まみれの顔を拭きながらぺこたんの元へ駆け寄って来た。
「ぺこたん! 無事だったのか!!」
「……」
「仲間のことは……残念だったな。でも、この巨大抗争を生き延びただけでも奇跡だ」
ぺこたんは乾いた声音で、投げやり気味に答える。
「別に……そんな大層な話じゃありません。単に死に損なっただけですよ」
「……そんなことはない。俺もぺこたんも運が良かった。新宿や渋谷、目黒では信じられないほど大勢の人が亡くなったから……こうして再会できたのはやっぱり奇跡だよ!」
「……」
「何か困っていることがあったら言ってくれ。できる限り力になるよ」
だが、今さら温かい言葉をかけられたところで、素直にそれを聞き入れられるはずもなかった。他人の厚意を受け取れないほど、ぺこたんの心は荒みきっていた。
「いいですよ。どうせ俺らみたいな迷惑動画配信者の一人や二人、いなくなったって誰も困らない。他の人を助けてあげればいいじゃないですか」
「何を言って……」
「俺にはもう……きよポンもチャコもいないんだから……!!」
「ぺこたん……」
愚痴を言いたかったわけではない。慰めて欲しかったわけでもない。ただ、もうそういう言葉しか出てこなかった。
もう、何もかも――自分自身でさえも信じられなかった。
深雪もぺこたんの心境を察したのだろう。ふと話題を変える。
「そういえば、もう動画の更新はしないのか?」
その問いに、ぺこたんは耳を疑った。
雨宮深雪は自分を何だと思っているのか。こんな時まで動画を配信するほど、お気楽なお調子者だと思っているのか。
あまりにも人を馬鹿にしている。
ぺこたんは思わずカッとして声を荒げた。
「動画……? 撮れるわけないでしょ、こんな時に!! それに……俺たちが動画の配信できない方が、あんた達も気楽でいいんじゃないですか!?」
「気楽って……何故?」
「そりゃ……ヤバい生中継や陰謀論動画を流したりしないし、取材と称してウロチョロつきまとったりもしないし……」
「確かに、火澄ちゃんを誘拐したことは絶対に許せないし、《グラン・シャリオ》の虐殺現場を生配信で流したことに対しても、正直、今思い出しても怒りを覚えるくらいだよ。さらに最悪なのが《Zアノン》を取り上げた陰謀論系動画だ。あの動画のせいで、《Zアノン》信者なんて迷惑集団まで生まれたんだ。まったく、俺たちが一体どれだけ振り回されたか……」
ぺこたんは奥歯を噛みしめ俯いた。こんな時まで説教など聞きたくもなかったが、どれも事実なので反論することもできない。雨宮深雪は静かだが断固とした口調で続ける。
「フェイクや陰謀論は許されない。それで儲けるなんてもっと許されない。情報を取得する能力が低い人はどこにでもいる。そんな人を騙して利用し、『情弱が悪い』、『ネットを使わなければいいだけ』と言って切り捨てるのは、強盗に殺された人に対して『銃で武装していない方が悪い』と言うのと同じじゃないかな。詐欺の被害者を、自業自得だと言って見捨てたって、何の解決にもならないだろ?」
「……そうですよね。俺たちがやってきたことは、どれもこれも人様の迷惑になることばかりですよね! そんなこと、わざわざあんたから言われなくても分かって……!!」
「でも俺は、《突撃☆ぺこチャンネル》の配信していた動画が全て悪いとは思わない。中には面白いと感じるものや、純粋に楽しめるものもあったよ。たとえば、ゲームや映画、アニメ・漫画みたいに《関東大外殻》の外の文化を紹介する動画とかは、けっこう人気もあったみたいだし。実際、俺も面白いと思ったよ」
思わぬ言葉に不意を突かれ、ぺこたんは目を瞬いた。
「え……見たんすか、動画?」
「うん。一本が十分程度と見やすいし、《監獄都市》の中には他に娯楽らしい娯楽もないしね」
「……」
「あと、《中立地帯》のおすすめ飲食店や安全な店を紹介する動画は、俺たちも参考にさせてもらってる。それから……ああ、そうそう。何と言ってもライフハック系の動画! 《監獄都市》では以前から抗争が激増しつつあって、物資不足が深刻化していただろ? そこへトドメを刺したのがこの巨大抗争の勃発だ。電気や水道が止まる回数もずっと増えているし、日常生活を維持するのが格段に難しくなってきてる。それは東雲の事務所も変わらない。だから節約術とか手作り防災グッズの番組には、とても助けられてるよ」
「そ……それ、どれも昔の動画じゃないっスか! それに、その辺はあんま再生回数稼げなかった奴だし……!!」
あの頃は、全く結果が出なくて手探りの状態が続いていた。とにかく手当たり次第に様々なジャンルの動画を投稿し、視聴者の反応を見ていた時期だった。そんな時期のことを褒められても正直困るし、はっきり言って迷惑だ。
すると、雨宮深雪はぺこたんをまっすぐに見つめるのだった。
「確かに数字……というか結果は重要だと思うよ。何事もただの遊びじゃ続けられない。でも、何ていうか、誇りっていうか……もっと信念を持ってもいいんじゃないかな。『数字さえ稼げれば何でもいい』じゃなくてさ。だってこの世には君たちにしかできないことも、確かにあるんだから」
「え……」
「普通の人が知り得ない大切な情報を大勢の人に知らせること、そしてコンテンツの力で多くの人の心をつなぐこと。それは少なくとも、俺たち《死刑執行人》にはできない。ぺこたんみたいな動画を作って発信する人にしかできないことなんだから」
「……!!」
ぺこたんは呆気にとられ、雨宮深雪を見つめ返した。
ぺこたん達にしかできないこと。
そんな風に考えたことは無かった。信念とか誇りとか、数字に直結しないことにこだわるなんて、ちゃんちゃらおかしいとさえ思っていた。
まさかそんな言葉に、雷に打たれたような衝撃を覚えるなんて。
こんなにも救われた思いになるなんて、今まで想像したこともなかった。
《Zアノン》信者が現れてからというもの、これまで自分たちのやってきたことの負の面ばかり見せつけられてきた。
《MAYO‐MAYO真相チャンネル》には人気者との格の差を見せつけられ、帯刀火澄には憎しみや嫌悪の言葉をぶつけられた。実際、帯刀火澄には罵倒されるだけの酷いことをしてしまったのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
だが、ぺこたんにも心はある。いくら鼻つまみ者だろうと、どれだけみなに嫌われていようとも、ショックなものはショックなのだ。
そんなぺこたん達の作った動画を、この時、初めて前向きに褒めてもらえた。
自分たちの数字の取れない、拙い動画にも価値があるのだと、初めて認めてもらえたのだ。
言葉にならない思いが奥底から湧き上がってきて、ぺこたんの胸に溢れ出す。それは嬉しいとか興奮するとか、そんな単純な言葉では表せないほどの大きな熱の塊だった。
だがその一方で、強い反発もあった。雨宮深雪の言葉を素直に受け取るには、ぺこたんはあまりにも多くのものを失い過ぎていたのだ。
「……いいですよね、《中立地帯の死神》は。偉そうに他人に説教できて。それだけの権力があるんですもんね」
「いや、俺はそういうつもりじゃ……動画の一視聴者として、思ったことを言っただけだよ。君たちの動画には問題点が多数あったことは事実だけど、良かったところもあったから、そこは認めないとフェアじゃないなって……」
――何だよ、なにこんな時まで真面目ぶってるんだよ。
何で今になってそんなことを言うんだよ。
ぺこたんは顔を歪めた。
誉められたことは嬉しい。認められれば誰だって幸せな気持ちになる。だが、だからと言って今のぺこたんに何ができるというのか。それを考えると、どうにもいたたまれなかった。
今のぺこたんには賛辞の言葉さえ凶器に等しかった。
「い……今さらそんなことを言われたって……チャコもきよポンももういないのに、どうしろって言うんだよ!? 俺にはもう、動画を作ることはできないのに……!! 今さらそんなことを言われたって、何もかも遅いんだよ!!」
ぺこたんはそう叫ぶと、深雪に背を向けて走り出す。
「あ、ぺこたん!!」
雨宮深雪はぺこたんが気になるのか、いつまでもその背中を見つめていた。
だが、さりとて復興現場を放ったらかしにするわけにもいかない。近くでは今も他の《死刑執行人》たちが手分けして瓦礫を撤去している。同じ《死刑執行人》として、それを手伝わないわけにはいかなかった。
深雪は走り去ったぺこたんを心配そうに見つつも、復興作業に戻るのだった。
一方、ぺこたんは街中を滅茶苦茶に走り抜ける。
瓦礫の山のそばを駆け抜け、未だ煙の燻り続ける焼け落ちた住宅街の中も突っ切って、ひたすらに走り続けた。
今はただ、一人になりたかった。
だが、前もよく見ず走っていたため、とうとう瓦礫に足を取られ派手に転倒する。
よろよろと起き上がったぺこたんは、ついに大声を張り上げた。
言葉などない。獣のような咆哮だ。
溜めに溜め込んでいたものがとうとう爆発してしまったのだ。
周囲を歩いていた人々が何事かと振り返る。だが、そんなことはもはや全く気にならなかった。
ぺこたんは力の限り叫び続けた。
喉が潰れても構わない。
涙や鼻水が溢れ、ドロドロになったとしても構わない。
叫んで叫んで、気が済むまで叫び続けた。




