第14話 閑話休題 ぺこたんの苦悩①
小山亘は行く当てもなく《中立地帯》を彷徨っていた。
自慢の真っ赤なブルゾンジャケットはくたびれており、青いメッシュを入れたキノコヘアも、今はもうボサボサだ。
以前は《突撃☆ぺこチャンネル》というチャンネルを開設し、ぺこたんという名義で動画配信をしていた。
だが、ここ最近は動画配信から遠ざかっている。
一緒に配信を盛り上げてきた仲間、きよポンこと青島清一と、チャコこと茶川康仁が命を落としてしまったからだ。
そのことがあまりにショックで、ぺこたんは動画を配信する意欲が完全に失せてしまった。
また実際、技術的にも動画配信は不可能になってしまった。動画の編集作業はチャコときよポンの二人が担っていたからだ。どうやら専門の動画編集アプリやソフトを使うらしいのだが、ぺこたんはパソコン作業が苦手であったため、それらをきよポンとチャコの二人に任せきりになっていた。
二人を信頼していたからこそ分業に徹していたのだが、そのことが完全に仇となってしまった。
もっとも、もし編集作業ができたとしても、ぺこたんはきっと動画の配信を停止していただろうが。
きよポンとチャコ、二人の仲間が死んだその経緯については記憶がおぼろげでよく覚えていない。覚えているのは、二人が同時にぺこたんの目の前で、ビルの七階から自ら身を投げたことだ。
月夜を背景に宙を舞う二人の姿は奇妙なほど解放的で、あの美しさは今も瞼の裏に焼き付いて離れない。
結果は即死だった。
分かり切っていたことだった。
だが、どうしてそんなことになってしまったのか。どうして二人は突然、飛び降りたのか、どうして自分だけが生き残ってしまったのか。
ぺこたんは今も訳が分からないままだ。
始まりは一通のDMだった。いつも動画のネタに飢えていたぺこたん達は、ある時、匿名でネタの提供を受けた。
そのネタ提供者いわく、この《監獄都市》には、社会に変革をもたらそうとする《Zアノン》という名の正義の戦士がいるというのだ。
見るからに陰謀論くさく、DMに添付された資料に目を通すと案の定、しっかりとした裏付けや証拠もない。しかし、他にネタがあったわけでもなかったので、取り敢えず試しに動画にまとめて上げてみた。
すると、思ったよりも再生会数が伸びた。そのころ思うように数字が取れず低迷していた中、久々のヒットだった。
一体、こんな話のどこがいいのか。ぺこたんときよポン、チャコの三人はそう笑い合ったが、それでも数字が伸びるのならそれを利用しない手はない。ぺこたんらは同じネタを擦って、二本目、三本目と、動画を制作してアップした。すると、それらの動画も徐々に再生回数を増やしていった。
それだけでも十分驚きだったが、《Zアノン》を扱った動画は他とは違う大きな特徴があった。数日経てばすぐ飽きられる他の動画と違い、《Zアノン》を取り上げた動画は出せば出すほど他の《Zアノン》動画にも相乗効果を発揮し、軒並み再生回数を増やし続けていったのだ。
それに味を占めたぺこたんは、《Zアノン》動画をシリーズ化することを決めた。
とはいえ、この時はまだあくまで他の新しいネタが見つかるまでの『繋ぎ』のつもりだった。《Zアノン》動画で注目を浴び視聴者が増えてくれればそれで良し、その中からファンになってくれる視聴者が生まれればなお良しだ。
ただ、その程度にしか考えていなかった。
とはいえ、ぺこたん達は《Zアノン》が何なのかそこまで詳しくはない。数字が取れるよう架空のネタを創作することも可能だが、そもそもぺこたん達の創造性はそこまで高くなかった。もしそんな才能があれば、ぺこたん達はもっと人気になっていただろう。
新しい《Zアノン》動画のネタをどうするか。途方に暮れるぺこたん達だったが、そのさなか再び例のネタ提供者から接触があった。
ネタ提供者はぺこたん達が《Zアノン》の動画を作ったこと、そしてその動画が再生数を稼いでいることをとても喜んだ。自然と会話も弾み、その流れでその《Zアノン》のネタ提供者と実際に会うことになった。
実のところ、そのネタ提供者のことはあまりよく覚えていない。何だか好感の持てる人物だった印象だけは残っている。
しかし、どうしても顔が思い出せないのだ。
だが、ぺこたん達にとってそんなことは些末な問題だった。ぺこたん達は動画の再生回数さえ稼げればそれで良かったからだ。
そうして、ネタ提供者と会ったり動画を投稿したりしているうちに、ぺこたん達は不思議な高揚感に包まれるようになった。
テンションが上がり、万能感が沸き上がってきて、この世は何でも自分たちの思い通りにできるという妙な自信に溢れるようになった。
自分は人気者なのだ。何でも知っているし、何だって面白おかしく解説できる。
そしてみながぺこたん達の考えを聞きたがっている。
動画の再生回数がその証拠だ。
自分たちこそが正義なのだ。
そしていつの間にか、たかが陰謀論と馬鹿にしてきた《Zアノン》の存在をぺこたん自身も信じるようになっていた。
《Zアノン》は存在する。《Zアノン》の正義さえあれば、この世界は変えることができる。その変化は大きな犠牲を伴うかもしれない。何かを滅茶苦茶に破壊するかもしれない。だがそれが何だというのか。既得権益を啜る汚らしい悪党どもに支配されているよりはずっとマシではないか。
血と破壊の革命を起こしさえすれば、この世界はいくらでも正すことができるのだ。
今、思い返すと、何故あれほど熱に浮かされていたのか、自分でもよく分からない。とにかく、『自分も《Zアノン》と共に革命を起こすのだ』という考えに取りつかれ、すっかり熱狂して血が沸騰しそうなほどの激しい興奮に流されていた。《Zアノン》の意志と共に進めば、世界をより良くすることができると信じていた。
そんな中、例のネタ提供者からある情報を得る。いわく、《グラン・シャリオ》の拠点を張り込めば、《Zアノン》がやろうとしていることが分かると。
しかし、《グラン・シャリオ》は《中立地帯》最大を誇るチームなだけあり、拠点も大きく堅牢だ。どうやってその中に入り撮影をすればいいのか。それに、もし《グラン・シャリオ》の拠点に潜り込めたとしても、ぺこたん達には隠し撮りできるほどの機材はない。
それをネタ提供者に相談すると、今度はそれ専用の機材まで貸してくれることになった。必ずや《Zアノン》の現れる予兆を撮影してくれ、そして停滞したこの街に変革を起こしてくれ、と。
そしてネタ提供者みずからが《グラン・シャリオ》の拠点に潜入し、高性能小型カメラの設置まで行ってくれることになった。
ぺこたん達の役割は『その時』を生配信して盛り上げることだ。
ぺこたん達は喜び、完全に舞い上がった。ついに世界を変革する時が来たのだと、すっかり有頂天になった。
自分たちは選ばれし特別な存在なのだ、だからこそ重大な使命を与えられたのだと信じて疑わなかった。
――ネタ提供者の提案は自分たちにとってあまりにも都合が良すぎる。彼には何か良くない目論見があるのではないか。自分たちはただ、利用されているだけなのでは。普通であればそういった疑いを抱いたかもしれない。
もともと能天気だという自覚はあるぺこたんだが、とはいえ、だてに配信者として《監獄都市》を取材してきていない。この街には決して警戒を緩めてはならない危険地帯があることはよく知っている。
そのはずだったのだが、何故かその時は何の疑問も湧き上がらなかった。
ネタ提供者から言われた通り、《グラン・シャリオ》の拠点を張り込んでいると、そこへ《アラハバキ》構成員が乗り込んでくる。
虐殺が始まった時には、体の芯が震えるほど感動した。これで世界が変わるのだと確信し、涙が零れそうだった。
だがその後、さらにスクープを得ようと東雲探偵事務所の撮影を始めた時、きよポンとチャコを異変が襲う。
あの時の詳細は、今もよく思い出せない。
あまりに興奮しすぎて訳が分からなくなっていたこともあるだろう。
だが或いは、ぺこたんの無意識が己の記憶に蓋をしているのかもしれなかった。これ以上、ぺこたんの自我が崩壊してしまわないように。
ともかく、きよポンとチャコの二人は自らビルの七階から飛び降り、死亡してしまった。
生き残ったのはただ一人、ぺこたんだけ。
その時、ぺこたんはようやく我に返った。
自分がどれだけ異常な心理状態にあったか、そして何に手を染めてしまったのか。己の犯した『罪』にやっと気づいたのだ。
だが、正気を取り戻した時には既に全てが手遅れとなっていた。
――失ったものは戻らない。
もう、二度と。
どうにも解せないのは、ネタ提供者がどこの誰だったか全く覚えていないことだ。声どころか顔さえも記憶にない。おまけに何故か、連絡先のアドレスもいつの間にか消えていた。ぺこたんはデータを消去していないはずなのに、だ。
だが、どれだけ首を捻っても、ぺこたんが全てを失った事実は変わらない。仲間を失い、依頼者も消えてしまい、ぺこたんは正真正銘、一人ぼっちになってしまった。
残されたのは何もできない無力な動画配信者、ただ一人だけだ。
こうしてスタッフ死亡により、《突撃☆ぺこチャンネル》の更新は途絶えたのだった。
「チャコ……きよポン……何でなんだよ……!? 何でビルから飛び降りたりしたんだよ……!? 俺……俺、これからどうすればいいんだよ……!! 二人とも、頼むから戻ってきてくれよ! 俺を一人にしないでくれよ……!!」
どうしてこんなことになったのか。どこで歯車が狂ったのか。皆目見当もつかない。ぺこたんはただ、打ちひしがれ、無為に日々を過ごす。
だが、それで全てが終わったわけではなかった。
ぺこたんが動画の配信をやめた後も、何故か《Zアノン》陰謀論はそのまま広がり続ける。主な支持者は《中立地帯》のゴーストたちだ。
理由はすぐに分かった。《突撃☆ぺこチャンネル》の陰謀論動画をパクった新手の配信者たちが次々と出現し、《Zアノン》動画を流し続けたからだ。
それもあってか、《Zアノン》はますます人気を博す。
そしてとうとう、その存在を本気にし始める者まで現れ始めた。
『……《Zアノン》? 本当にそんな奴が存在するのか?』
『出鱈目だろ、デタラメ! よくあるベッタベタの陰謀論じゃん』
『でも、私たちが不当に虐げられているのは事実だよね? ゴーストだからって強制的に《監獄都市》に閉じ込められ、貧しい生活を強いられてる! 《収管庁》の役人たちは裕福な生活をしているのに、私たちゴーストだけ……!!』
『おまけに、《死刑執行人》からは常に命を狙われてるしな! はは、ひょっとしなくても地獄だろ、こんなん! クソゲーだよ、クソゲー!!』
『もし、《Zアノン》が本当に存在するなら……僕たちの世界を変えてくれるかな? このどうしようもない汚れきった世の中を一掃してくれるかな!?』
『俺は信じるぜ、《Zアノン》! 何ひとつ信じられないこんなゴミだらけの世の中でさ、一つくらい何か信じたっていいだろ! それくらいの自由は俺らにもあるだろ!!』
『そうだ、《Zアノン》なら、この腐った世界を変えてくれる! 既得権益を啜る悪党どもを叩き潰してくれる!!』
『《Zアノン》、頼む! この世界を変えてくれ!! この街に未来を……希望を与えてくれ!!』
『《Zアノン》、万歳! 《Zアノン》、万歳!!』
『《Zアノン》こそが正義だ!!』
現実が求めれば、虚構はさらに勢いを増す。その相乗効果も相まって、《Zアノン》陰謀論は白熱していくばかりだった。
それもそのはず、新手の配信者たちが作る動画は、ぺこたん達が《突撃☆ぺこチャンネル》で配信していたものと比べると陰謀論的要素がより強調されており、不安や怒りを煽るものばかりだったからだ。
《Zアノン》の存在価値を高めたいという思惑が募るあまりか、まるで《監獄都市》が謎の巨悪に支配され、不当に虐げられている、或いは弾圧されているかのような内容となっている。そして光の戦士・《Zアノン》ならそれらの巨悪を必ず打ち砕いてくれるという筋書きなのだ。
もちろん、《監獄都市》が非常に特殊な街であること、そして法が機能していないがために、特に一般のゴーストがそのしわ寄せを被っているのは揺るがぬ事実だ。
だが、だからと言ってどんな嘘も許されるというわけではない。
新手の配信者が流す《Zアノン》陰謀論動画では、実際に起きた出来事を平気で捻じ曲げ、起きてもいない事件をさも起きているかのように演出している。おまけにそのどれもこれもがソースの無い話題ばかり。
つまり刺激や娯楽性が最優先で、ある事ない事でっち上げているのだ。
また、外界への恐れを煽って、このままでは《監獄都市》の街が破壊されてしまう、街が乗っ取られると危機感をけしかけるものもあれば、逆に外界への憎しみや攻撃性をかき立てるものもある。外界こそが《監獄都市》を苦しめる既得権益層なのであり、滅ぼすべき諸悪の根源である、と。
そして全ての《Zアノン》動画は最後にこう締めくくられるのだ。
みな立ち上がれ、権力と戦え。血を流してでも革命を起こせ――と。
《突撃☆ぺこチャンネル》を運営していたぺこたんの目にもそれらは悪質に映った。何よりネットに陰謀論が溢れ返るさまは異様という他ない。
「な……何だよ、これ!? どれもこれも同じ内容、しかも《突撃☆ぺこチャンネル》のパクリばかり……こんなん、おかしいだろ!! ふざっけんなよ!!」
何より許せないのは、パクられた部分がきよポンやチャコのアイディアだったことだ。
たとえば、動画の最後のきめゼリフ、「日常はあなたの知らないところで既に蝕まれているのかもしれません」というフレーズはチャコのアイディアだったし、一部の緊迫感溢れるBGMはきよポンが作曲ソフトで作曲したものだった。
しかし、新手の動画は断りもなく堂々とそれを盗んでいる。
まるできよポンやチャコの存在を汚されたように感じ、ぺこたんは怒りが収まらなかった。お金や数字の問題ではない。プライドと尊厳の問題だ。
あまりにも悪質な動画は、さすがに《収管庁》も見過ごせないと考えたのだろうか。新手の《Zアノン》動画のうち半分くらいは投稿されてもすぐ削除される。しかし、すぐにコピペが拡散されたり、新しい動画がアップされたりするので、あまり功を奏しておらず、いたちごっこになってしまっている。
因みに、ぺこたんは一度、その新手の動画配信者の一人に街中で出会ったことがあった。
《MAYO‐MAYO真相チャンネル》というチャンネルを運営している、リョータという名の配信者で、耳を覆いたくなるほどの過激な陰謀論で再生回数を荒稼ぎしている。
動画の構成はいたってシンプルで、リョータが一人、もしくはゲストと二人で、《Zアノン》について語るというスタイルだ。ただそれだけなのだが、リョータはトークが上手く、ルックスの良さも相まってか、《Zアノン》動画配信者の中でも特に人気があった。
ぺこたんはその《MAYO‐MAYO真相チャンネル》に、とりわけ強い怒りを覚えていた。彼らのネタの全てがぺこたんの動画のパクリか焼き直しばかりだったからだ。
それどころか、リョータのファッションも真っ赤なブルゾンに青いメッシュを入れたキノコヘアと、ぺこたんの格好を丸写ししたとしか思えないものだった。パクリ勢の中でも特にひどく、許し難いレベルだ。
それなのに、《Zアノン》動画配信者の中でも断トツの人気者で余計に腹が立つ。
ぺこたん達はそれなりに自らの足で調査していた。外での撮影も多かったし、たとえ陰謀論であろうと自分たちで証拠となる資料を探したり検証したりしていた。しかし、《MAYO‐MAYO真相チャンネル》の動画は全て室内で撮られた他者の動画のパクリか焼き直しばかり。動画配信者の風上にも置けない。
ぺこたんは激しく憤った。こんなオリジナリティの欠片もない、無能な顔だけの動画配信者に自分たちの成果を横取りされるなんて。
このままでは《突撃☆ぺこチャンネル》が長年、築き上げてきたものが滅茶苦茶にされてしまう。
そしてとうとう、ぺこたんは街中でリョータに出くわしたのだ。
リョータは大勢の取り巻きを引き連れ、肩で風を切って歩いていた。まだ《Zアノン》信者が台頭する前だったこともあり、大名行列のようにぞろぞろと仲間を引き連れたリョータの姿は嫌でも目立った。




