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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》動乱編Ⅲ
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第13話 閑話休題 深夜の訪問者②

 逢坂がはっとして診察室の中へ視線を戻すと、ペストマスクの姿はもうどこにも無く、開かれた診察室の窓から冷たい夜の風が吹き込むばかりだった。


 どうやらペストマスクは石蕗(つわぶき)診療所から立ち去ったらしい。


 一方の石蕗(つわぶき)(うらら)はこちらに背を向けたまま佇んでいた。


 彼女がどういった表情をしているかは、逢坂からは分からない。ただ彼女が何を思い何を考えていようとも、自分が石蕗麗とペストマスクの会話を盗み聞きしていたことは知られない方がいいだろう。


 逢坂はそっとその場を離れ、自分の病室へ戻った。できるだけ物音を立てないように、慎重に気を配りながら。


 そして割り当てられた病室に戻ると、自分のベッドに座り込む。


 石蕗麗と謎の人物・ペストマスクの会話は逢坂にとって衝撃の連続だった。


(《悪魔(アイン)》……なんちゃらとか、わけの分からん単語も多かったが、一つだけはっきりしていることがある。それは、あの女医先生と京極が繋がっていて、俺を殺そうとしているってことだ)


 逢坂はかつて深雪と京極が交わした会話をマリアによって聞かされていた。《新八洲特区(しんやしまとっく)》にある高層ビルの屋上で深雪と京極が交戦した際の二人の会話だ。かなり踏み込んだ内容だったが、それはあくまで一部分にすぎない。


 《アイン・ソフ》やそれにまつわる部分はマリアが巧妙にモザイク音をかけたり切り取ったりしていたため、聞こえなかったし知らなかった。


 そのため、余計に訳が分からない。


 ただ、京極(きょうごく)鷹臣(たかおみ)石蕗(つわぶき)(うらら)が裏で繋がっているのは間違いなさそうだった。


(雨宮はこのことを知っているのか!? いや……もし知っていたとしたら、あいつが俺たちをこの診療所に連れてくるわけがない。何故なら、あいつもまた京極と敵対しているんだからな。つまり……雨宮も本当のことを知らず、騙されていたんだ!)


 ベッドの端に腰掛け、逢坂は文字通り頭を抱える。


 石蕗麗が信用ならない人物であるなら、今すぐここから逃げ出した方がいい。ペストマスクが言った通り、今の逢坂は心身ともに弱っている。そうでなくとも、食事や薬に毒を混入するなどされたらひとたまりもない。医者である石蕗麗ならば、その方法はいくらで思いつくだろう。


 それに、もし仮に逢坂が謎の不審死を遂げたとしても、二代目桜龍(おうりゅう)会を失ったショックによる自殺で片づけられる可能性もある。石蕗麗は周囲の者に信頼されているため、彼女にそう診断されたらほぼ疑われることは無いだろう。


 ただ、逃げ出すと言ってもどこへ行けばいいのか。


 そして、未だ目を覚まさない黒鉄(くろがね)はどうするのか。


 何があっても黒鉄をほったらかしにするわけにはいかない。彼は逢坂に残った最後の仲間であり、『家族』なのだから。


(黒鉄……お前だけは死なせるわけにはいかねえ……! 黒鉄は二代目桜龍会の若頭として組を守ろうとし、京極と対立したがためにここまで痛めつけられ、瀕死状態にまでされたんだ。そのせいで未だに意識を取り戻さない……それなのに、もし黒鉄が俺を誘き出すための人質として再び京極に捕らえられたら、どんな目に遭うか……! そういった意味でも、黒鉄をここには置いていけねえ……!!)


 黒鉄を一緒に連れてこの診療所を立ち去りたいのは山々だ。しかしどう考えてもそれは現実的ではなかった。


 いったい誰が昏睡状態にある黒鉄を運ぶのか。逢坂一人で石蕗麗に気づかれず彼を運び出すなど可能なのか。


 また、運び出した先でも黒鉄には治療を受けさせねばならない。勝手の分からない《中立地帯》で《アラハバキ》構成員である自分たちを匿ってくれる診療所が他にあるだろうか。これもまた現実的ではなかった。


 そもそも仮にここから逃げられたとしても、《中立地帯》には《死刑執行人(リーパー)》がひしめいている。彼らが《アラハバキ》構成員である逢坂の姿を見れば、何のために《中立地帯》に来たか、何の用があるのかと徹底的に質問攻めにするに決まっている。


 それこそ、氷河(ひかわ)武装警備事務所の《死刑執行人(リーパー)》たちのように。


 下手をすればその場で《リスト執行》などということもあるかもしれない。


 かと言って、《新八洲特区》へ戻るという選択はもっとあり得ない。逢坂が裏切ったのではないかという疑いを抱いた下桜井組構成員が総出で逢坂の行方を捜している。そして捕まれば最後、逢坂は東雲探偵事務所との密通疑惑を認めさせられることになるだろう。


 《アラハバキ》構成員の《死刑執行人(リーパー)》に対する不信感と憎悪は半端ではない。逢坂がここまで東雲の《死刑執行人(リーパー)》と関わり合ってしまった以上、もはやどんな言い訳も聞き入れてはもらえないに違いない。 


 つまり、逢坂はこの診療所を出たとしても、どこにも行く当てなどないのだ。


 そして京極もそのことを見抜いていたのだろう。《中立地帯》に逃げられたとて、逢坂のできることは限られていると。


 そして、あとはゆっくり石蕗麗に始末をさせれば良い――最初からそういう魂胆だったのだ。だから敢えて深追いをせずに、むしろわざと廃工場跡地から逃がしたのだ。


(くそっ……京極の奴、たとえどんな手を使ってでも俺を探し出し、最後には必ず殺すってワケか! どれだけ狡猾で執念深い奴なんだ!! ……だが、俺はここでくたばったりはしねえ!! 必ず……必ず二人で生き延びてやる……!! 誰がてめえの企み通りになるかってんだよ!!)


 逢坂は隣のベッドで眠る須賀(すが)黒鉄(くろがね)の横顔を見つめ、膝の上で拳を握り締めた。


 ここで屈してなるものか。

 

 二度と失ってなるものか。


 筋の通らないやり方は絶対に許さない。必ずケジメをつけさせてやる。


 逢坂が改めて固く心に誓った、その時。黒鉄の瞼がぴくっと反応した。


「……! 黒鉄!? おい、大丈夫か……!? 黒鉄! 黒鉄!!」


 逢坂は身を乗り出し、何度も大声で呼びかける。


 すると黒鉄はうっすらと瞳を開いた。最初はぼんやりしていたが、やがて意識がはっきりしてきたらしく、逢坂の方を見る。


「黒鉄! お前、目が覚めたのか!! ああ、良かった……本当に良かった!! 俺のことが分かるか!?」 


 逢坂は点滴の針が刺してある黒鉄の右手を両手で握りしめた。彼の手は温かい。弱々しいが、きちんと脈打っているのも伝わって来る。


 生きている。――黒鉄は生きている。


 喜びに肩を震わせる逢坂に、黒鉄は掠れた声で尋ねた。


「逢……坂……さん……?」


「ああ、そうだ! 俺だ、逢坂忍だ!!」


「ここは……?」


「《中立地帯》にある診療所だ。いろいろあって……匿ってもらったんだ」


「診……療所……?」


「心配するな。今は回復することだけに専念しろ。な?」


 そう言って、逢坂は黒鉄の肩を優しく叩いた。


 黒鉄はしばらく天井を見つめていたが、やがてハッとして再び逢坂の方へ視線を向ける。おそらく、京極のことや廃工場跡地でのことを思い出したのだろう。


 体があちこち痛むのか、黒鉄は身を捩ろうとして顔を歪め、それでもなお食い入るように逢坂の顔を見る。


「……。逢坂さん……。組は……二代目桜龍会は、どうなりましたか……?」


「……!!」


「教えて下さい。組はどうなったんですか……!? みな無事なんですか……!!」


 逢坂は本当のことを言うべきか悩んだ。黒鉄は意識を取り戻したばかりだ。石蕗麗によると、生命(いのち)にかかわるほどの傷ではないということだったが、それでもいつ容体が急変するか分からない。どう考えても今は精神的な負荷をかけるべきではないだろう。


 しかし黒鉄は、なおも逢坂に質問をぶつけた。


「逢坂さん、教えてください! 組は……二代目桜龍会はどうなったのですか!?」


 ここで答えを濁し続けたら、黒鉄の興奮は収まらないだろう。その方が体に障るかもしれない。


 何より黒鉄は二代目桜龍会の若頭だ。実務で組を取りまとめていたのは黒鉄なのだ。その黒鉄に嘘をつき続ける方がよほど残酷なのではないか。


 あれこれ考えた末、逢坂は観念して首を振る。


「……二代目桜龍会は、もう駄目だ。完全に京極の手に落ちちまった。組の奴らは俺が組長だったことはもちろん、存在そのものすら覚えてねえ。それどころか、京極の奴をリーダーとして崇め奉る始末だ。二代目桜龍会は……俺たちの組は、京極の野郎にまんまと乗っ取られちまったんだ……!!」


「……!! そんな……!」


 体を起こしかけていた黒鉄は、がくりと項垂れた。よほどの衝撃だったのか、装着したままのマルチパラメーターモニターの数値が急上昇する。


 今はとにかく休め。そう励ましの言葉をかけようとした逢坂だったが、黒鉄の顔を目にして息を呑んだ。


 黒鉄は泣いていた。


 優秀だが理論派で滅多に感情を表に出すことがなかった須賀黒鉄が、人目も憚らず涙を流していた。


「すみません、逢坂さん……! すみません……!! 俺は若頭なのに……責任があったはずなのに、組を守れなかった……!!」


 彼がここまで感情を露にするところは、逢坂も初めて見た。


 それほどまでに二代目桜龍会のことを想っているのか。そして、同じ組員や組長である自分のために涙を流してくれるのか。そう思うと、逢坂の胸も詰まった。


 黒鉄の悔しさが、自責の念が手に取るようによく分かる。


 こういった感情を共有することができるのも、今や黒鉄だけとなってしまった。


「……そんなこと気にすんな。お前はよくやってくれた。昔も今も……お前よりふさわしい若頭なんざ、他にはいねえ」


「逢坂さん……」


「京極は……奴は悪魔だ。人間じゃねえ! 奴自体が厄災みたいな存在なんだ! 出くわしたら最後、為す術もなく蹂躙されるしかねえ。もはや、そんなレベルの相手なんだ!! だが、俺は決して奴を許しはしねえ! どこへ行こうが世界の果てまで追い続け、この命に代えても、必ず……必ずぶっ殺してやる!!」


 そう吐き捨てた瞬間、ガラッと病室の扉が開く。驚いて顔を上げると、部屋の入り口で仁王立ちした石蕗(つわぶき)(うらら)が声を荒げた。


「何を馬鹿なことを言っている! せっかく治療を施して助けたんだぞ。命を粗末に扱うんじゃない!」 


「せ、先生! どうしてここに!?」


 逢坂はぎょっとした。先ほどまでの彼女とペストマスクとの会話を、盗み聞きしてしまったことがばれてはいないだろうか。


 背中に冷や汗が浮かぶが、その心配は杞憂であるようだった。石蕗麗は一転して呆れた表情になる。


「病棟の見回りをしようとしたら、お前たちの声が聞こえてきてな」


 そして石蕗麗は黒鉄の方へ視線を向けた。


「連れが目を覚まして良かったな。これで取り敢えずは一安心だ」


 黒鉄へ向ける彼女の眼差しは穏やかだった。先ほどペストマスクと会話していた時の様子とは全く違う。また、逢坂に対して殺意を抱いている風でもない。


 もっとも、表面上はそう見えるだけで、本心は分からないが。


 特に石蕗麗が京極と繋がっているなら油断は禁物だ。


 一方、黒鉄は石蕗麗の登場にひどく戸惑った様子だった。


「逢坂さん、こちらの方は……?」


「あ……ああ、この人は石蕗先生。この診療所のドクターだ」


 石蕗麗は黒鉄のマルチパラメーターモニターの画面を確認し、目立った異常がないことを確認すると、聴診器を取り出して視診と聴診を行う。そして呼吸音や心音などの具合を確かめながら黒鉄本人に声をかけた。


「須賀さん、気分はどうだ? どこか痛みを感じる場所はないか?」


「よく……分かりません。ただ、体全体がうまく動かないというか……重たい感じがします」


「そうか、鎮痛剤を投与しているからな。それがよく効いているのだろう」


「俺はいつ頃、動けるようになりますか? まさか、一生このまま……!?」


「安心するといい。検査上では、命に係わるほどの傷ではない。ただ、完治するまでには時間がかかるだろう。たとえ君がゴーストであってもな。……早く回復するためにも今夜は安静にして十分に睡眠を取るといい」


「……」


 目の前に立つ石蕗麗はいつもと変わらない態度だった。少しぶっきらぼうだが、患者の面倒見はいい。医療従事者としての腕前や判断も信頼できる。


 しかし、表面上の言動だけで彼女の全てを判断することはできない。彼女が仲間と見られるペストマスクに逢坂の殺害を命じられていること、そして京極と繋がっていることは事実だろうからだ。


(だが、今ここを追い出されるわけにはいかねえ。少なくとも黒鉄が回復するのを待たねえとな。せっかく助かったんだ。治療が十分でなかったばかりに、後遺症が残った……なんてことにはしたくねえ)


 本当は今ここで石蕗麗を問い詰めたかった。先ほどのペストマスクは何者なのか、本当に京極と繋がっているのか。そして本気で逢坂を殺すつもりなのか――と。


 しかし、下手にこちらから突くと、却って石蕗麗を追い詰めてしまうかもしれない。


 石蕗麗は逢坂の殺害に難色を示していた。つまり、彼女自身には逢坂に対する害意はないということだ。それなのに逢坂の方から仕掛けたら、始末すべきという考えに傾く可能性はある。そこまで知られてしまっているなら、いっそのこと殺してしまえ、と。


 よって、逢坂は少し様子を見ることに決めた。


 もちろん、命を狙われていると思うと、居心地が悪いのは否定できない。今は特に体が弱っており、正直、死の危機に晒されるのは大きなストレスだ。


 だが、東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》が頻繁に出入りしているという状況を考えると、石蕗麗も下手に手は出してこないのではないか。


 逢坂が不自然に姿を消せば、東雲の《死刑執行人(リーパー)》は必ず不審に思い、行方を追跡するだろうから。


(あのマスク野郎は、先生にアニムスを使って俺を殺せと命じていた。つまり、先生はゴーストだということだ)


 彼女のアニムスの内容までは分からない。だが、逢坂とてアニムス戦には慣れている。アニムスの種類にもよるが、相手がアニムスを使用したら反撃する事だってできる。だてに《アラハバキ》で揉まれてきていない。むしろ戦闘ならお手の物だ。


 それに石蕗麗は自らがゴーストであることを周囲に明かしていない。彼女の立場上、普通の人間だと思われていた方が、何かと都合がいいからだろう。


 彼女は意図して自らがゴーストであることを隠しているのだ。


 つまり、石蕗麗が普段、表立って攻撃してくることはないのではないか。彼女がアニムスを使うのはきっと逢坂と二人きりの時、他の誰にも知られない二人だけの時だ。


 事前にそう分かっていれば、ある程度、石蕗麗の動きを把握することができる。


 或いは牽制することも。


 それらの点に気を付けていれば、ある程度は対処できるのではないか。


(……ただ、今夜のことは、雨宮だけには話しておこう)


 雨宮深雪も、おそらく石蕗麗の正体や京極との繋がりについては知らないはずだ。でなければ、そもそも石蕗麗をあれほど信頼したりはしないだろう。


 石蕗麗は誰かから雨宮深雪の監視を命じられているというようなことを口にしていた。彼女は何らかの目的を持ち、それを悟られぬよう何食わぬ顔をして雨宮深雪へと近づいたのだ。優秀で心優しい医師の仮面を被って。


 雨宮深雪には大きな借りがある。それを返すためにも、真実を教えなければ。


 逢坂は心の中でそう誓うのだった。



 

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