第9話 閑話休題 絆②
「それでも、それなりに経験を積んでいる中堅の俺たちはまだいい。問題は若手の士気が低迷していることだ。
お前らもそうだったように、この《監獄都市》には全国から若く優秀な警察官が送り込まれてくる。みな警察官になりたいという強い意欲を持ち、警察学校で必死に勉強し、職務にも真面目に励んできた奴らばかりだ。それが運悪く、《関東警視庁》なんてところにぶち込まれたばっかりに己の無力さと世の不条理さ、そして警察の無力を嫌というほど味わされる。そんな過酷な環境で、やる気を出せって方が無理筋ってもんだろう。
みな経験はまだ浅いが、いい警察官だ。だからこそ何とかしてやりたいが、俺たち現場だけの力ではどうしようもない。あの悪名高き《ゴースト関連法》が《監獄都市》における警察の存在意義を奪ったんだ! ゴーストの存在によって世論が荒れることを恐れるあまり、俺たちを名ばかり警察にしちまったんだ!!
……なあ、赤神。お前なら分かるだろう? 警察官として辛いのは、給料がどうとか勤務形態がキツいとか、転勤が多いとかそんなことじゃない。一番辛いのはちゃんとした警察の仕事ができないことだ。社会の安全や治安を守る、その責任を果たせないことなんだ……!!」
八代の肩に力がこもる。
彼は珍しく感情的だった。己に対する悔しさ、組織に対する苛立ち。
そして一個人の力ではどうにもならない社会への憤り。
そのせいか、分厚い肩が細かく震えている。
流星は八代が何故ラーメン店に自分を誘ったのか、その理由がようやく分かった気がした。最初は流星の無事を確認するためかと思ったが、それだけではない。八代は流星に自分の話を聞いて欲しかったのだ。
彼の苦悩を理解でき、そして冷静に耳を傾けることができるのはこの街でただ一人、流星だけだから。
八代の性格を考えても、警察署にいる同僚や部下の前ではとてもこんな弱音は打ち明けられないのだろう。八代にも警察官としての意地やプライドがある。そして何より、己の弱さのせいで職場の士気を下げるわけにはいかないという責任感が彼にそれを許さないのだ。
八代はしばらく体を戦慄かせていたが、すぐに再び肩を落として続けた。
「……最近じゃ、警察をやめる若手も増えた。部署移動の希望すら出さねえ。みな《監獄都市》での捻じ曲げられた警察官の仕事にうんざりし、これ以上は続けられないと判断するんだろう。自分の人生をかけて続ける意味など、どこにも見出せないと。警察って存在に裏切られたっつーか……失望しちまったのかもしれねえな。
とはいえ、俺も人のことをどうこうは言えねえ。最近、時おり早期退職って言葉が脳裏を掠めることがある。この辺りが潮時じゃねえか、もう俺にできることは何も無いんじゃねえか、ってな……。
部下たちが必至で歯を食いしばり組織を支えているからには、俺だけが抜けるわけにはいかねえ。ずっとそう思ってやってきたし、今もそう思ってる。だが、俺が《監獄都市》に単身赴任で来ている間、家族にはずっと迷惑をかけてきた。子どもの入学式や卒業式といった学校行事はもちろん、結婚式さえも出席してやれなかった。いろいろ考えるとな、分からなくなるよ。自分がやってきたことは正しかったのか。このまま続けるべきなのか……ってな」
「……」
やはり、八代はいつになく弱気になっている。原因はおそらく、上松兄弟の跡目争いに端を発した連続大規模抗争だ。
八代らもまた、あのもはや人間性や理性、知性の欠片も感じられない災害級の抗争を経験したに違いない。
流星たち《死刑執行人》でさえ、あの混乱を収めるのは容易なことではなかった。いくら強化外骨格をまとった機動装甲隊が配備されているとはいえ、警察ができることはそう多くはなかっただろう。
何より《ゴースト関連法》がある以上、警察はゴーストに手を出せない。どれだけゴーストが暴れ、そのせいでどんなに市民が苦しもうとも、ただ眺めていることしかできない。
そんな経験をすれば、誰だっていろいろと思うところが出てくるのが普通だ。
しかし、流星は知っている。《死刑執行人》は決して万能でもなければ、《監獄都市》の守護者でもない。処刑人はあくまで処刑人なのだと。
「……俺たち《死刑執行人》も限界を感じることはありますよ。《死刑執行人》には抗争を鎮圧する力と権限は備わっていますが、決して信用は得られません。何故なら、《リスト執行》を行う《死刑執行人》は、街の人々にとってはどんなきれいごとを並べようとも『人殺し』でしかないからです。だから、どれだけ《死刑執行人》が努力しようと、働きを認められたり信用を得たり、同じ社会の一員だと受け入れられることはない。俺たちは彼らにとって、どこまでも相容れない『犯罪者』なんです。でも、彼らがただ一つ、無条件に信じる組織がある。それが警察です」
「……!」
「確かにこの《監獄都市》下での警察は……関東警視庁は、身動きの取り辛い組織なのかもしれません。特に、対ゴーストとなれば、いろいろと制約がつく。でも、それでも……《死刑執行人》ほどには身動きが取れなくても、それでも地域住民が頼りにしているのは警察なんです。地域の人たちを本当に『守れる』のは俺たちじゃない。警察だけなんだって……《死刑執行人》になってからどれほどそれを痛感したかしれません」
「赤神……」
「警察を必要としている人々は大勢います。それを……どうか忘れないでください」
八代は一瞬、目を潤ませるが、すぐにそれを誤魔化すかのようにラーメン鉢を持ち上げスープを啜った。
「馬鹿野郎、生意気なこと言いやがって……!」
八代は言動こそ厳しいものの、本当はとても情に厚い。
「……今、こっちでは、五大《死刑執行人》事務所間での連携を目指そうという動きが出ています」
「ああ、知ってる。お前んとこの《死神》が中心となって進めてるっていう、あれだろう?」
「はい。それで、うちの雨宮……って分かりますかね。最近入った《死刑執行人》なんですけど」
「ああ……あの次期《中立地帯の死神》とか名乗っているクソガキ……じゃねえ、若造だよな?」
「ええ。雨宮は特に五大《死刑執行人》事務所の連携に積極的で、あちこちの事務所と接触しているようです」
「ふうん……大丈夫なのか? どうにも頼りないという印象しかないが」
「そうですね。確かに最初はいろいろ苦労させられましたよ。あの頃は妙に内向的だったし危なっかしいし、人の話を聞かないし。それなのに何故かやたら頑固で、行動力だけは人一倍ありましたからね」
しかし、今は深雪が過去に壮絶な経験をしたことを知っている。その出来事が原因で心に深い傷を負い、最初はなかなか他のゴーストや《死刑執行人》に心を開くことができなかったのだろう。
だが、その過去を深雪は自力で乗り越えた。今の深雪が本来の彼の姿なのだ。
「でも、今はだいぶ変わりましたよ。本人も少しずつ、自分の成長に自信を持ち始めているみたいです。……で、その雨宮が言っていたんですよ。例の五大《死刑執行人》事務所の連携に関東警視庁も含めることはできないか、と」
「何だと……!?」
それを聞き、八代は眉を跳ねさせる。
「俺も初めてそれを聞いた時、瞬時に無理だと感じました。《死刑執行人》と警察では、組織体系も業務内容も何から何まで違いすぎる。例えは悪いかもしれませんが、暴力団と警察が手を組むようなものですよ。あまりにも相容れなさすぎる。でも、雨宮は……深雪は諦めていないようです」
「……」
八代は言葉もないらしく、呆気に取られている。ただ、頭ごなしに否定したり激しく反論したりはしない。おそらく時と場合によっては、それもあり得るかもしれないと考えたのだ。
確かにまったく考えられない話ではないと流星も思う。
《監獄都市》の特質性ゆえに《関東警視庁》は従来の警察組織と比べ大きく権限を狭められている。
特に相手がゴーストである場合は、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、これらに関する全ての警察権を消失させられ、さらに公共の安全や秩序の維持に至っては完全に《死刑執行人》にお株を奪われている状況だ。
一方、《関東収容区管理庁》――いわゆる《収管庁》には《監獄都市》を統治および管理しなければならないという名目上、唯一、《死刑執行人》を始めとしたゴーストへの関与が認められている。
《収管庁》長官である九曜計都が《アラハバキ》総組長である轟虎郎治、《レッド=ドラゴン》六華主人である紅神獄、そして《中立地帯の死神》である東雲六道を交え《休戦協定》を結ぶことができたのもそのためだ。
前任の《収管庁》長官が退任し、九曜計都が新しく《収管庁》長官に就いてから、その権力はさらに強まった。
現在では、《収管庁》長官には時と場合に応じ、《関東警視庁》を直接指揮することができるほどの強力な権限までが与えられている。
つまりこの街で最大の権力を持つのは《収管庁》長官である九曜計都なのだ。
彼女の判断次第では、《死刑執行人》と警察が共闘するといったことも現実になるかもしれない。
もっとも、さすがにそれはよほどの事態に陥った場合に限るだろう。本来はそうならないのが一番いいのだ。
八代は乱暴に頭を掻く。
「ったく……無知ってのは怖えな。先人が心血注いで築き上げてきたルールを、躊躇なくぶち壊して好き勝手に捻じ曲げちまう」
「あはは、それには俺も同感ですよ。危なっかしいし、つい口を出したくなってしまう。でも……俺たちができなかったことを可能にすることができる存在があるとすれば、ああいう若い奴らじゃないかっていう気もするんですよね」
八代は「お前だってまだ若造じゃねーか」と言いたげな顔をしつつ、流星に尋ねた。
「……お前はどうするんだ、赤神? いくら向いていると言ったって、《死刑執行人》なんてきつい仕事、いつまでも続けられねえだろう」
「俺は……そうですね。先のことはまだ分かりません。ただ、今はやらなければならない事があるので……それに集中するだけです」
「……? 『やらなければならない事』……?」
「……そろそろ出ましょうか」
流星も八代も、とっくにラーメンを完食していた。すっかり話し込んでしまっていたため、八代はそのことに気づかなかったらしい。
時刻は二時半を過ぎているが、人気店なだけあってまだまだ客が入って来る。災害級大抗争の余波を受け、多くの飲食店が潰れたり営業停止に追いやられていることもあり、特に残った店に人気が集中しているようだ。
「あ……ああ、そうだな」
一方の八代はそう答えつつも、釈然としない思いを抱え流星の背中を見つめた。
赤神流星の言う『やらなければならない事』が何なのか。問い詰めたいが、それを実行することができない。事件現場でどれだけ罵倒されても平然としていた赤神流星だが、『やらなければならない事』に関しては言及されたくないようだった。あからさまに話の矛先を逸らしたのがその証拠だ。
そこから、八代は赤神流星の強い決意を感じた。どれだけの横槍が入ろうと、或いは自の手がどれほど汚れようとも『やらなければならない事』は必ずややり遂げるのだと。
八代が何を言おうと、それを止めることはできないだろう。
それから支払いを済ませ、八代は流星と共にラーメン店の外に出る。
「八代さん、今日はどうもご馳走になりました」
「気にすんな。それより……赤神。お前、死ぬなよ」
八代がそう声をかけると、流星は意表を突かれたのか目を見開いた。
「お前、意外と無茶するところがあるからな。《死刑執行人》が天職なのはいいが、体を大事にしろよ」
すると、流星は一転して微笑む。垂れ目も相まって、人好きのする笑顔をするのは相変わらずだ。
「八代さんこそ、ちゃんと長生きしてくださいよ。糖尿はちゃんとコントロールさえできれば、普通に暮らせるんですから」
「う……うるせえ、医者みてえなこと言うんじゃねえ!」
「ははは。……それじゃ、今日はこれで失礼します」
「ああ、またな」
八代は流星の背中を見つめる。
このままどこかへ行ってしまって、二度と戻らないのではないか。警察官を辞し、《死刑執行人》となってからの赤神流星は、常にそういう危うさをまとっていた。
八代も時おり危惧することがある。赤神流星は見かけほど器用でもなければ、強靭な精神を持ち合わせているわけでもない。こいつを放っておいてはいけないのではないか。誰かが引き留めてやらねばならないのではないか。辛辣ながらも流星に声をかけ続けたのは、それも原因の一つだ。
もっとも、本人はそのことに全く気づいていないようだが。
八代は小さく呟く。
「馬鹿野郎……死ぬんじゃねえぞ、赤神。どこかで死んだりしやがったら、絶対に許さねえからな……!」
その時、八代の脳裏にふとある光景が甦った。
その記憶は、暗い井戸の底から湧き上がる小さな水泡のように、急にぽこりと八代の中に浮かび上がってきたのだ。
(そういや……赤神が警察官だった時、よく機動装甲隊員の同僚とつるんでいたな。えらく気の合った様子で、確か名前は……)
しかし、それが誰であったかが、どうしても思い出せない。
名前はもちろん、顔を含めた容姿すべて、何一つはっきりとは思い出せない。
ただ、そういう存在があったのは間違いないはずなのに。
それはまるで誰かの手によって記憶に蓋をされ、そこへさらに重しを乗っけられたかのようだった。確かにいつも赤神と一緒にいたはずなのに、その同僚の顔を思い出そうと思うと何も出てこない。
そういえば最近、若い時分と比べ若干、物忘れが増えた。どうしたって肉体は衰えるし、何もかもが昔の儘というわけにはいかない。だがそれにしても、人の名や顔をまるまる忘れてしまうような年齢ではないはずだ。ましてや、同じ警察官の顔や名前を忘れるはずもない。
それなのに、どう頑張っても思い出せない。
(あれは……誰だ? 誰だった!? 赤神のそばにいて、機動装甲隊の任務を共にこなしていた、あいつは一体……!?)
八代は呆然として立ち竦む。
もし――もし仮に、だ。
八代の記憶には残っていない何者かが本当に存在したなら。
そいつが機動装甲隊員殺害の犯人だったとしたら。
そして、もしもその犯人が警察の権力の及ばないゴーストであったとしたら。
なぜ赤神流星が己の犯罪を頑なに認めなかったのか。なぜ警察官を辞めた後、彼がわざわざ《死刑執行人》になったのか。そして何故、《関東警視庁》の上層部が八代の再捜査を認めなかったのか。
全ての辻褄が合うのではないか。
「やはり……赤神は殺っていない……!!」
それを示す証拠は何もない。しかし八代は、そう確信を抱いていた。
敢えて言うなら、刑事の勘だ。
《監獄都市》で長年、刑事を続けてきたことで磨かれた独特の嗅覚が、八代に真実を告げていた。
赤神流星は同僚殺しの犯人ではない。彼は最初から八代を、そして警察を裏切ってはいなかったのだ、と。
だが――今さら八代がそれを察したところで何になるというのだろう。真実が明らかになったところで赤神流星は人間には戻れないし、どんなに望もうと警察官に復職できるわけでもない。
そして、無実を証明する術があるわけでもないというのに。
つまりどちらにせよ、赤神流星は元には戻れないのだ。
真相を解明しようと、己の無罪を証明しようと。彼の失ったものはもう、二度と取り戻すことはできないのだ。
八代はただ遠くなる赤神流星の背中を見つめていた。
何もかもを失い、おそらく今もそれを埋められないでいる、恐ろしいほど孤独な背を。




