第4話 閑話休題 マコトと火澄④
一方、深雪は火澄と会話しながら、大勢の人々が行き交う人混みの中をゆっくり歩く。
《監獄都市》の復興も遅々としながらも少しずつ進んできて、一部の通りではこうした賑わいが戻りつつあった。
ところどころに撤去しきれていない瓦礫の山が残っているが、それを気にする者は皆無だ。
どれほどの抗争が起きようと、人々の生活は否応なしに続いていく。
「火澄ちゃん、こうして会って話すの本当に久しぶりだね。元気だった?」
「うん、元気は元気だよ。でも、街中はまだ混乱してて治安も悪化してるからあまり外に出られないし、お父さんは生活費を稼ぐために《紅龍街》へ行っているし。だからずっと家に一人でいるんだけど、それがちょっと寂しいかな。早く『学校』が再開されたらいいのにね。そしたら友達にも会えるのに」
「そっか……そうだな。そうなるように俺たちも復興を頑張るよ。《中立地帯》を元通りにするのは難しいかもしれないけど、せっかくなら少しでも住みやすい街にしたいしね」
このところ、深雪は《死刑執行人》としての任務や復興作業、そして他社の《死刑執行人》事務所との連携などで多忙を極めていた。火澄と会って話す機会は激減していたものの、深雪はいつも心のどこかで彼女のことを気にしていた。
そこで、久しぶりに会って話そうと思い火澄の家を訪ねたのだが、彼女が外出中であったため改めて出直すことにした。
その帰り道に、深雪は目撃してしまったのだ。
火澄が雨宮と一緒にいるところを。
(あ……あれは火澄ちゃんと雨宮……!?)
それを目にした時には、心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。
何故、雨宮が火澄と会話しているのか。二人は何について話していたのか。
ひょっとして……火澄も《レナトゥス》を持つことがばれてしまったのではないか。
火澄が雨宮に対しネガティブな反応を見せていないことから、それほど深刻な話はしていないことは察せられる。だがそれでも深雪は気になって仕方がなかった。
雨宮の本業を考えると、相手から情報を引き出すのはお手の物だろうからだ。
(雨宮と火澄ちゃんが一緒にいたのは、本当に偶然なのか……? ひょっとして雨宮は火澄ちゃんのアニムスを調べていたんじゃ……?)
火澄には《レナトゥス》が宿っている。
それもおそらく、深雪のものよりさらに高い威力を誇る強力な《レナトゥス》が。
その事実を雨宮に知られたくなかった。雨宮は《レナトゥス》に対して強い執着を抱いている。火澄の中に《レナトゥス》があると分かったら、何をするか分からない。黙って《西京新都》へ連れ去るくらいのことは平気でするだろう。
火澄を守るためにも、深雪は絶対に彼女の秘密を守り抜かなければと思っている。
(これは困ったことになったな……取り敢えず、二人がどんな話をしたのかだけでも確かめないと)
どうやって火澄から雨宮とのことを聞き出そうか。彼女と共に歩きながらそんなことを思案していると、後ろからシロが駆け寄って来た。
「ユキ、やっと追いついた!」
「あ、シロちゃんだ! そういえば、どうして二人はバラバラなの? いつもは一緒にいるのに」
首を傾げる火澄に、シロは事情を説明する。
「シロとユキは巡回の途中だったの。そうしたらユキがいきなり走り始めて、シロ、置いてけぼりになっちゃったんだ」
「さっきも言ったけど、火澄ちゃんがナンパされてるんじゃないかって心配で、つい……」
「もう、雨宮さんってば大袈裟すぎ! ……でも、心配してくれてありがと」
火澄は呆れつつも嬉しそうだ。深雪も我ながら、少々、心配し過ぎだと思わなくもない。だが、火澄が連れ去られてから後悔しても遅いのだ。
「シロ、ごめん。置き去りにして」
シロが後から来ることが分かっていから、深雪は敢えてゆっくりとした歩調で歩いていた。だが、彼女を置き去りにしたことに変わりはない。深雪が謝ると、シロは首を振った。
「いいの。それより、火澄ちゃんが無事で良かったね! 火澄ちゃんと一緒にいたの、マコっちゃんでしょ?」
「マコっちゃん……?」
火澄は目を瞬く。
「シロは雨宮のこと、そう呼んでるんだ」
「あはは、何それ! かわいい!」
深雪の説明を聞き、火澄は吹き出した。どうやら火澄は雨宮に対し、全く悪印象を抱いていないらしい。特にこれといったトラブルもなかったのだろう。
思えば雨宮は少々ぶっきらぼうなところはあるものの、決して無駄に暴力を振るったり他者を傷つけたりする性格ではない。
分かってはいるが、それでも二人が何を話していたのかは確かめておかなければ。
深雪はそれとなく火澄に尋ねる。
「……それで、雨宮と何の話をしたの?」
「え?」
「あ、いや……雨宮はいい奴だけど、少しぶっきらぼうなところがあるから、ちょっと心配で」
「そうなの? 全然そんなことなかったよ。《東京中華街》のこととか、お母さんのこととか……あと、雨宮さんとどういう関係なのか聞かれたから答えただけ」
「火澄ちゃんのアニムスのことは?」
「そういうことは特に聞かれなかったよ」
「そう……」
その言葉を聞くことができて、深雪も一安心だった。
(ひょっとしたら、火澄ちゃんが《レナトゥス》のアニムスを持っていることが雨宮にばれたのかと思ったけど……そういうわけじゃないみたいだな)
火澄の服の袖に視線を落とすと、いつも通り指先まですっぽり覆うほどの長さになっていた。
火澄は《レナトゥス》を持つため、深雪と同じで腕にひび割れのような赤い痣が刻まれている。それを隠すために、いつも袖の長い服を着ているのだ。
今は冬ということもあり、なおさら袖の長さには違和感を抱きにくい。彼女がこの格好を貫いている限りは、さすがの雨宮も火澄に《レナトゥス》が宿っていることを見抜くことはないのではないか。
もっとも、それで問題なしと片付けるにはあまりにも尚早だった。雨宮は基本的にあまり一般人に接触しようとしない。むしろ常に一定の距離を取り、関わりを持たないようにしている。
そんな彼が、なぜ火澄に近づいたのか。
決して偶然だとは思えない。何か目的があると考えて間違いないだろう。
それが《レナトゥス》でないという保証はどこにもない。
そしてもし彼の目的が本当に火澄の《レナトゥス》であるなら、あの手この手を使ってまずはその存在を確認しようとするだろう。それはつまり、いつ雨宮が火澄の中にある《レナトゥス》の存在を突き止めたとしてもおかしくないということだ。
火澄の袖が長いからといって決して油断はできない。
一方、シロはにこにことして、火澄に話しかける。
「火澄ちゃんもマコっちゃんと仲良くなったんだね」
「うん。雨宮さんに似ているからか、不思議とマコトさんのこと他人とは思えない。それどころか、すごく親近感を感じるの。何だか、ずっと前から知り合いだった感じがするくらいだもん!」
「シロもね、マコっちゃんのこと、最初は威張ってばかりの嫌な奴って思ってたけど、今はすごく好きだよ! ユキとも、とっても仲良しなの! 二人はいつも朝早く一緒に訓練してるんだよ!」
「訓練……? あ、そっか。雨宮さんの仕事は強くなきゃだもんね」
「ああ。体力もいるしね」
火澄にそう答えつつも、深雪の心境は複雑だった。
(そうだよな……雨宮も碓氷も、何だかんだ言いつつ《東京中華街》への潜入を手伝ってくれたし、毎朝、訓練にも付き合ってくれている。実際そのおかげで、抗争鎮圧がかなり楽になった。正直、いろいろ鍛えてなければ、上松組の跡目争いに端を発した災害級巨大抗争を乗り越えられなかったかもしれない。俺一人の力じゃ決して知りえない情報を教えてくれたこともあるし、京極と対峙した時も加勢しに来てくれた。
あの二人は俺がピンチに陥ったら、あれこれと手を貸してくれている。それなのに、俺はろくに借りを返せてない。これって、俺が雨宮たちを騙して利用するだけ利用してるってことになるんじゃないかな……?)
そう考えると、俄かに心苦しくなってくる。
決して二人を利用してやろうという悪意を抱いているわけではない。騙してやろうとか、適当なところで裏切ってしまおうと考えているわけでもない。
むしろ深雪は陸軍特殊武装戦術群の面々に対し、とても感謝しているくらいだ。みな、何だかんだ言って助けてくれるし、協力もしてくれる。
しかし現状を客観的に見ると、深雪は彼らに何も恩返しをできていない。陸軍特殊武装戦術群の面々からメリットだけを都合よく受け取ってしまっている。
正直言って、自分は雨宮と碓氷に甘えすぎているのではないだろうか。
本当は火澄の《レナトゥス》のこともきちんと伝えておくべきなのでは。
(いや……駄目だ。他のことはともかく、火澄ちゃんの《レナトゥス》のことは、二人には教えられない……! 二人とも《レナトゥス》には強い執着を抱いている。もし火澄ちゃんにも《レナトゥス》があると分かったら、重要サンプルとして彼女を回収し、《西京新都》へ連れて行ってしまうかもしれない。そうなったら、火澄ちゃんと火矛威は離ればなれだ。それだけは絶対に避けなければ……!!)
特に火澄の《レナトゥス》は強力で、おそらく深雪のものより高威力であると考えられる。だからこそ、その存在を知った時、雨宮と碓氷がどのような行動に出るか。想像するだけでも恐ろしく、背筋に戦慄が走るのだった。
二人が本気になったら、深雪などとても敵わない。実力行使に出られたら、火澄を守りきれる可能性は極めて低いと言わざるを得ない。
(火澄ちゃんと火矛威の生活を壊したくない。二人はこれまでもさんざん振り回されてきたんだから、これ以上、辛い目に遭わせたくない。火澄ちゃんの《レナトゥス》は絶対に秘密にしないと……!)
深雪の前方ではシロと火澄が歩きながら、楽しそうにお喋りをしている。互いの近況や共通の知り合いの話など、お喋りのネタは尽きることがない。
その様子を見つめていると、不思議な幸福感に包まれる。深雪たち《死刑執行人》が、この混乱しきった《監獄都市》で歯を食いしばって奮闘しているのは、こういった笑顔を守るためなのだと、そう実感できる。
深雪にとって火澄はいわば妹のような存在だ。できる限り、彼女の笑顔を守りたい。彼女の幸せを、そして人生そのものを守りたい。
だからこそ、雨宮たちに《レナトゥス》のことを打ち明けるわけにはいかなかった。
他のことは妥協できても、これだけは絶対に譲れない。
(今回は火澄ちゃんの《レナトゥス》のことはばれなかったみたいだけど、雨宮はきっと諦めていない。必ずまた彼女に接触しようとするはずだ。火澄ちゃんの秘密は何としてでも俺が守り抜かないと……!)
火澄は《雨宮=シリーズ》のことを知らない。血の繋がった父親である轟鶴治がクローンであったことも、自分の《レナトゥス》がどれほど稀少で価値あるアニムスなのかも、何ひとつ知らない。
であるなら、火澄にとってはそれが一番良いのだ。
何も知ることなく、普通の女の子として生きるのが一番いい。
彼女の母親である紅神獄――真澄もそれを望んでいた。今ではその気持ちがよく分かる気がする。
偽善であっても構わない。
欺瞞と罵られても構わない。
火澄が笑っていてくれるなら、それだけでいい。
だから――たとえ雨宮や碓氷らと敵対することになっても、火澄を守り抜かなければ。
深雪は改めてそう決意するのだった。
とはいえ、だからと言ってすぐに陸軍特殊武装戦術群の面々と手を切るわけにもいかない。彼らは賢明で尚且つ優秀だ。急に距離を置くような真似をすれば、余計に何か理由があるのではと怪しまれてしまうだろう。
つまり深雪は現状を維持し続けるしかない。
火澄と、雨宮や碓氷との板挟みは、当面のあいだ続くことになりそうだった。




