第17話 三番目の事件
「えっ……いやでも」
「私が六道に直談判してみましょう。無理をする必要はありませんよ。馬の合わない人間というものはどこにでも存在するものです。ゴーストなら尚更ですよ。重要なのは事件を解決に導くことであって、私たちの組み合わせではない。六道も、無理強いはしない筈です」
そうだろうか。深雪は考えた。六道が簡単に自分の意思を曲げるとも思えないが、オリヴィエに理路整然と説得されると、そうであるような気もしてくる。
だがいずれにせよ、もしそれが可能なら、あの気難しい奈落から解放されるということだ。もう理不尽なことで怒りを向けられたり、殴られたりすることもなくなる。
だが、喜びや解放感は皆無だった。
むしろ、もやもやとした不快な塊が、胸の内を圧迫した。
「……。どうして俺にそこまでしてくれるの」
するとオリヴィエは、再び穏やかな笑みを浮かべた。
「すみません、つい気になって……放っておけない性分なんです。適切な環境を整えてやらなければ、枯れてしまう……それは何も、植物に限った話ではありませんから」
そう言ってオリヴィエは、クレマチスの葉を指先で愛おしそうに撫でる。中庭に降り注ぐ夕日が幾重にも層を作り、淡い金髪がそれを美しく反射していた。
深雪はその神々しささえ感じられる姿を見て、ふと気づいた。
(そうか……俺はオリヴィエにとって、この植物たちや孤児院の子供たちと同じなんだ)
オリヴィエにとって、深雪はか弱い『保護対象』なのだ。だからなにかと気にかけてくれるし、世話も焼いてくれる。ただ、それは裏を返せば一人前として見られていないという事と同じなのではないか。
先ほど深雪がもやもやしたのも、おそらくそれを直感的に感じ取ったからだ。
深雪はオリヴィエにとって、良くも悪くも警戒する対象ではない。敵ではないが、『対等』だとみなされているわけでもないのだ。
もし深雪がオリヴィエに対して脅威であると判断されたなら、こういう風に笑って話をすることもなくなるのだろうか。数日前、オリヴィエは深雪に言った。ゴーストは誰かを本当に信用することはないし、決して互いに心を許すことはないのだ、と。
『そうしたくても……できないのですよ』
『……敵じゃなくても?』
『ええ』
『それって……何か、淋しくない?』
『そうかもしれません。しかし……私達は、ゴーストですから』
そう会話をした時のオリヴィエは、驚くほど温度のない、冷たい目をしていた。いつも優しいオリヴィエが垣間見せた一面に面食らい、同時に言葉にできない感情がぐるぐると渦巻いたのを覚えている。
オリヴィエの言ったことは、深雪が《東京》に来た時に考えていたことでもあった。だから、特に異常な意見だとは思わない。
間違いなく、ゴーストは危険な存在だ。決して簡単に心を許してはならないし、信用すべきでもない。何故なら、深雪自身がそういったゴーストの一人であるという自覚があるからだ。
でも、実際にその言葉を耳にした時、深雪が感じたのは賛同ではなかった。かといって、反発でもない。ただ、もやもやしたのだ。何か違う。嚙み合っていない。分かっているけど、腑に落ちない。そんな感情だ。
理性は肯定しているけれど、感情がそれに抗っているとでもいうべきか―――
何だろう。この感情は、何なのだろう。
(ああ、そうか。俺、本当は……!)
それは電撃のように閃いて、深雪の中にすとんと落ちてきた。何故、自分がこんなにも、もやもやするのか。その正体が分かったような気がしたのだ。
「ありがと、オリヴィエ。俺、何か分かった気がする」
「深雪……?」
訝しげな表情をするオリヴィエに、深雪はまっすぐ顔を上げていった。
「確かに、ゴーストとゴーストが分かりあうのは、人以上に難しいのかもしれない。でも……まだ、諦めたくないんだ。まだ、俺にはできることがある――そう思うから」
「その先に待っているのが絶望だったとしても……ですか?」
あまりにも冷徹な問いに、一瞬、言葉が詰まる。それでも深雪はその氷のような瞳を、まっすぐに見返した。
「俺も、この街に来たばかりの頃はそう思ってた。何も期待するべきじゃない、間違いを繰り返しちゃいけないって。……でも、諦められないんだ。何度も諦めようと思ったけど、でも、そんな自分は嫌なんだ!」
《ウロボロス》の仲間に分かって欲しかった。
抗争なんて不毛なことなど、一刻も早く終わらせたかった。
これ以上、チームが変質していくのは耐えられなかった。
しかしその結果、自分は大きな過ちを犯してしまったのだ。だから、誰かと理解し合おうなんて、そんなことを望んではならないし、その資格もない。深雪は、ずっとそう思ってきた。そして、自分の本当の感情に蓋をしてきたのだった。――でも。
「簡単には分かり合えなくても、少しずつ歩み寄ることはできる。対立しあうこともあれば、和解することもある。そうやっていけばさ、いつか変われるんじゃないかって思うんだ。そうすべきなんじゃないかって……思ってしまうんだ……!」
結局自分は、ゴーストと割り切って生きることは永遠にできないのだろうと、深雪は思う。それはオリヴィエの言う通り、人だった期間が長かったからかもしれないし、或いは単に考えが甘いだけなのかもしれない。
でも、いずれにせよ、これ以上自分の感情に嘘はつけない。己の本心に気付いてしまったなら、猶更だ。
オリヴィエは一瞬、顔を曇らせた。それはどこか悲しそうな表情にも見えた。しかし、すぐに淡い笑みを浮かべる。
「それが深雪の答えであるなら……きっと、それに従うべきなのでしょう」
その表情は、いつも通りの心優しい神父のものだった。もっと鋭い言葉が飛んでくることも覚悟していた深雪は拍子抜けする。
おそらく、オリヴィエは心から深雪を心配していただけなのだろう。深雪のやり方を非難するつもりはなく、ただ傷つくのではないかと案じたのだ。
オリヴィエは確かにやさしい。でもその優しさに甘んじていてはいけない。オリヴィエにしろ奈落にしろ、深雪のことを認めていないという点では同じだ。ただ、深雪に対する接し方が違うだけなのだ。
その認識を覆したかったら、方法は一つしかない。
亜希の言う、「態度で示すこと」だ。
取り敢えず、奈落との関係を修復しなければ。
深雪は自室へと向かいながら考えた。
エニグマの件は別にしても、奈落に対して納得できない部分が多々あるのは事実だ。ただ、このまま意地を張って反目しあい、事件に集中できないのは深雪としても本望ではなかった。
奈落はあの性格だ。決して自分から折れることはないだろう。そもそも、己に非があるなどとは、微塵も思っていないに違いない。
それに対して、どうアプローチしていくか。一筋縄ではいかない相手であることは確かだが、それでもどこかにうまくやっていく方法があるのではないか。
そう思案を巡らせたところで、深雪は今更ながらに己の本心に気付いた。
(そうか……俺は奈落に自分のことを認めて欲しいんだ)
確かに最初は、六道の命令で渋々、組んでいた。でも、今はそれだけではない何かが深雪の中で激しく燻っていた。奈落の有無を言わさぬ態度に反発を覚えたり、無視をされて苛立つのも、認められたいという感情が根底にあるからだ。
やたらとプライドが高く、気難しくて傲岸不遜。一方で、でたらめに強く、状況判断能力も優れている。傭兵としては一流で、世界を震撼させたという傭兵集団の唯一の生き残りでもある。自分より劣ると判断した者や実力を認めない相手には、頑として従わない、獰猛で孤高な獣のような男――それが不動王奈落だ。
そんな奈落が深雪を無視するのは、深雪のことを完全に見下し、取るに足らない存在だと軽視しているからでもあるだろう。
それが、たまらなく悔しかった。どうやったら、奈落に自分の存在を認めさせることができるだろうか。体格、腕力、経験――全てにおいて劣る深雪が、どうすればあの傭兵を納得させることができるのか。
だが、答えはさっぱり出なかった。深雪が奈落より強くなれば万事解決するかもしれないが、それがいつになるのか分からないし、そもそも、そんな日が来るのかどうかも疑わしい。
ただ一つ分かっているのは、この機を逃せば、おそらく二度と奈落の信用を得ることは叶わなくなるということだ。そもそも、奈落は深雪にさして興味を抱いていない。もし軽視が決定的な侮蔑へと変わったなら、その印象を覆すのは並大抵のことではないだろう。
(俺は逃げない)
確かに、答えは出ない。だが、だからと言ってすごすごと諦めたくなかった。
深雪は唇を引き結び、どうすれば状況が好転するのか、その可能性を必死で考えた。
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波多洋一郎の自殺は、翌日にはあっという間に街中に知れ渡っていった。
大手の新聞社や出版社などのマスコミは東京が《監獄都市》として国から指定された際に、一斉に逃げるようにして去っていったそうで、ほとんど機能していない。
しかし、その穴を埋めるかのように個人の情報屋などがサービスを展開しているらしく、そういった情報が伝達するスピードは存外速いのだった。
トウキョウ・ジャック・ザ・リッパーの死は、一部に衝撃を与えたものの、大部分の人々に安心と安堵をもたらした。
猟奇殺人事件の脅威が去り、街には平穏が戻ったかに見えた。
しかし、その平穏を嘲笑うかのように、第三の事件が起きる。
入り組んだ路地の入口は、すでに『立ち入り禁止』と書かれた黄色いテープによって塞がれていた。その前に群がる大勢の野次馬は呑気に携帯端末を掲げ、事件現場の撮影に勤しんでいる。
深雪はその野次馬たちを搔き分けつつ、テープのそばまで進んだ。
前方には流星と奈落の姿がある。
規制線テープの前には制服姿の警官が二人、野次馬に睨みを利かせていた。警察官たちは流星や奈落が近づいてくるのを見て取ると、揃ってこれでもかと苦々しい表情になる。しかし、テープを潜り抜ける二人を制止することはなかった。殆ど顔パス状態だ。
しかしその警察官たちも、深雪の姿を見るや否や、何でこんなガキがここに、と言わんばかりに訝しげな表情をする。じろじろと注がれる視線に居心地の悪い思いをしながら、深雪も前を行く二人の後を追って、規制線テープの下を潜った。
事件現場は、かつてコンビニが入っていたという、廃ビルの一階だった。警察官が気忙しそうに動き回っている。それを眺め、流星は肩を竦めた。
「やっぱ、この間ので最後じゃなかったか……。な~んか犯行のタイミングといい、場所が渋谷ってことといい……悪意を感じるのは俺だけか?」
「……次があるのは間違いないだろうな」
奈落は全くありがたくない予測を立てて見せる。当たって欲しくはなかったが、その可能性が高いのは認めざるを得なかった。
「まあ、とりあえず行ってみようぜ」
流星の言葉で、三人は歩き出す。しかし、深雪は暗澹たる気持ちに包まれていた。一歩一歩が、いやに重たく感じる。
(……今回も例の手口で殺されているんだろうか)
山下ヒロコと永野エリは、腹を裂かれ、内臓を引き摺り出されるという、異常な状態で発見された。今回も同じ手法が使われていたとしたら、凄惨な状況は覚悟しなければなるまい。床を染め上げる生々しい血の色に、飛び散った肉片。あまりにも冒涜的な光景は、何度見ても決して慣れることはない。
深雪は高校の頃の、ある同級生を思い出す。何故かやたらとスプラッタ映像が好きで、海外のホラーや残虐系のサスペンス映画を何本か、押し付けられるようにして貸りさせられたことがある。しかし、深雪には何が楽しいのか全く理解できず、映像があまりにもキツくて最後まで見る事の出来ないものもあった。深雪には信じがたいことだが、そういった映像を好む者がこの世には確かに存在するのだ。
そういえば、と深雪は流星と奈落の後姿を見つめる。
(殺人現場見ても、こいつら顔色一つ変えなかったな。やっぱ慣れてんのかな)
奈落は元々、ゴーストを専門に相手取る傭兵だったそうだし、流星も警視庁の対ゴースト殲滅部隊に所属していたという。どちらも危険を著しく伴う仕事だ。元々、血や死体といったものを目の当たりにするのは慣れているのだろう。
そうでなくとも、かつての監獄都市・東京は今よりずっと不安定で、陰惨な事件が毎日のように起こっていたという。いちいち気弱になっていたら、きっと《死刑執行人》などやっていられないに違いない。
何にせよ、事件はまだ終わっていないという事務所の判断は正しかった。それは裏を返せば、波多洋一郎や池田信明の他に犯人が別に存在するということでもある。それを考えると、冷水をぶっかけられたかのような、薄暗い緊張感に包まれるのだった。
事件現場の廃ビルに近づくと、丁度ひびの入ったガラス扉が開いて、中から刑事が数人、姿を現した。深雪はその中に見覚えのある顔を見つける。永野エリの殺害現場で出会った、八代という刑事だ。
八代は流星に気付くや否や、さっそく突っかかってきた。
「赤・神ィ~~~! こいつはどういう事だ‼」
「落ち着いてくださいよ、八代さん。……やはり、例の連続猟奇殺人ですか」
八代は心底忌々しそうに、流星と奈落を睨みつけた。
相変わらずの刺々しい態度だが、最初見た時よりも表情が大分疲れているように見える。警察官のゴーストに対する権限は極力制限されているし、そもそも警察はこの事件の捜査を終了した筈だが、それでもこの刑事は未だ捜査に奔走していることが窺えた。
八代はぎりぎりと流星を睨んでいたが、ちっと舌打ちすると乱暴に視線を外す。そして、それ以上は絡んでこなかった。
「……自分の目で確認するんだな!」
そう言い捨てると、足早に立ち去って行った。
深雪たちは婦警の七海に連れられて、コンビニの内部へと向かう。
そこにはすでに商品はなく、回収し損なったと思しき陳列棚が、瓦礫や窓ガラスの破片と共に散乱していた。
殺害現場はその更に 奥、酒類や飲料水を入れてあったのであろう巨大ショーケースの真ん前だった。
壁も床も、ショーケースも、何もかもがどす黒く濁った赤で塗りつぶされている。その面積たるや尋常ではなく、部屋の三分の一を占めるほどだった。
ところどころに点々と薄紅色の物体がこびりついている。それが肉片だと気づくのに時間はかからなかった。一歩部屋に入っただけで、その異様な有様に圧倒され、深雪は言葉を失う。
そこには二体の遺体があった。
一つは十代の女の子の遺体だ。やはり、永野エリや山下ヒロコと同じように、全裸だった。腹が裂かれ、内臓が抉り出されて、どろりと床にぶちまけられている。まだ完全に乾ききってはいないようで、てらてらと光を反射する様子がやけに生々しい。顔は無傷で、見開かれた両目は所在無げに空を見つめていた。深雪たちが追っている二件の猟奇殺人事件の被害者と、殺害状況が全く同じだ。
その娘の足元に、若い男と思しき遺体が俯せになっている。こちらは服こそ着ているものの、首のあたりを出血しているのか、カーキ色のスタジャンの首周辺が特に夥しい血で濡れそぼっていた。
男の手元では、大型の刃物が血の海に沈んでいる。
七海が流星のそばで説明を始めた。
「被害者の名前は、上野ヒカリ。容疑者の方は堀田悠樹。上野ヒカリは飲食店のアルバイト店員。年齢は十八歳。人間です」
七海はノート型の端末を取り出し、そこに二人の顔写真を表示した。上野ヒカリはショートカットの良く似合う、活発な雰囲気の女の子だった。一方の堀田悠樹は、角ばった輪郭が印象的な若者で、髪を短く刈り込み、真面目そうな目元をしている。
「それで、堀田悠樹の方なんだけど……」
言い淀む七海に、流星は「どうかしたのか?」と発言を促す。すると七海は、頼りなげな眉を八の字にし、困惑を滲ませて答えた。
「堀田悠樹はあさぎり警備会社のメンバーなの」
「あさぎりって……朝霧ンとこのか⁉」
流星もまた、驚きを隠せない様子だった。七海の答えが、よほど信じられなかったのだろう。だが、『あさぎり警備会社』が何なのか分からない深雪は、ただ一人会話についていけない。頃合いを見計らって、流星にこっそりと尋ねる。
「……何? 知り合い……?」
「あさぎり警備会社ってのは、俺達みたいにゴースト狩りで生計を立ててる連中……《死刑執行人》だよ。警備会社とか探偵事務所だとか、名称は様々だ。ただ、その手の組織の中では、でかい方になる。所属してるのは、腕のあるゴーストばかりだしな」
それを聞き、深雪はようやく合点がいった。
流星があんなにも驚いたのは、堀田悠樹が《死刑執行人》だったからなのだ、と。
しかも、大手の事務所に所属していたほどだ。きっと優秀な《死刑執行人》だったのだろう。
「なんでそんな人が、人殺しなんて………」
本来秩序の番人であるべき《死刑執行人》が、何故、こんな惨い猟奇殺人に加担したのか。
堀田悠樹のアニムスが何であったのかまだ分からないため、断言はできないが、状況からすると、被害者を殺した容疑者がそのままナイフで自分の首を掻き切って自殺した様に見える。
――波多洋一郎や池田信明の時と同じように。




