第2話 閑話休題 マコトと火澄②
あれからも陰謀論動画は未だに拡散され続けているが、悪質なものや視聴数・閲覧数が多いものは弾くなどして、今のところはどうにかコントロールすることができている。
雨宮が行動を共にしている陸軍特殊武装戦術群の特務兵装は全部で三人。
《碓氷=シリーズ》の五番・碓氷真尋、《剣崎=シリーズ》の四番・剣崎玲緒。そして人間と獣の二つの遺伝子を混合して作成されたハイブリッド兵のF‐255だ。
碓氷真尋は《メルト》と《コンダクター》という二つのアニムスを持つ。無駄口が多く、性格にも少々癖があるが、実力は確かなクローン兵だ。第七陸軍防衛技術研究所で特務兵装としての教育を受けていた時からのいわば同期であり、あらゆる分野で常に成績を競い合ってきた。雨宮にとっては仲間であり、同時にライバルのような存在だ。
それとは逆に、《剣崎=シリーズ》の剣崎玲緒は無口で物静かな性格をしている。所有しているアニムスは《陰形鬼》と《フラクタル》。《陰形鬼》は他者に悟られる気配を閾値以下まで下げる能力であり、《フラクタル》は電波、或いは電磁波の波動を察知しコントロールする力である。要は情報戦に特化したクローン兵だ。
あまり感情を表に出さないが、意外と頑固で負けず嫌いな一面もある。まだ『運用年数』が短いため、これからの活躍が期待されている。
最後のF‐255はハイブリッド兵だが、自制心と忠誠心が強く、雨宮たちにとってなくてはならない貴重な戦力だ。
実のところハイブリッド兵の有用性については今でも懐疑的な意見が根強い。クローンには肯定的な者たちも、『異質同体』に対しては拒否反応を示すことが多いからだ。
だが雨宮は、彼女を自分たちと同じ仲間の一員だと考えている。決して感情に基づいてそう判断しているわけではなく、それだけの実績をF‐255自身が積んできた。
ただ、気になることもある。F‐255が東雲探偵事務所の《死刑執行人》と必要以上に親しくしていることだ。特に東雲シロは同じハイブリッド兵であるためか、互いに強く意識しているらしい。
F‐255はシロや深雪から『ニコ』という名をもらったことを喜んでいた。これには少し注意が必要だ。
どれだけ深雪やシロと親しくなろうとも、陸軍特殊武装戦術群はヒトにはなれない。兵器はあくまで兵器であり、本来ならば固有の人格や感情さえ必要ないのだ。
F‐255はこれまで着実に実績を積み上げてきた。それを無に帰すような事態は避けてやるのが上官の役目だ。
次に陸軍特殊武装戦術群活動拠点であるが、現在は地下にある地下鉄跡に軍から支給される天幕を張り、そこを足場として活動を行っている。大型の天幕であるため設置場所は限られるが、生活スペースの確保のみならず物資や通信機材などの保管も可能である。
旧首都であった東京は交通網が非常に発達しており、地下鉄も至るところに伸びているため、身を隠すのに適した場所の一つだった。
以前、深雪を招き入れた際、拠点は高層ビルの十七階に設けていたが、あの後すぐに引き払って移動した。『敵』にこちらの居所を把握されるのを避けるため、拠点は定期的に移動させることにしているのだ。
とはいえ、定期的な拠点の移動は面倒と言えば面倒であり、移動先の選別や調査なども含めると実際かなり大掛かりな作業となる。また、長期にわたるテント生活は快適とは言い難いと感じる時もある。ただ、過酷な任務は上を見上げればきりがないほど存在し、その中ではまだ生易しい方だと言えた。
もっとも、それもいつまで続くかは分からない。《監獄都市》への攻撃はすでに始まっており、これからもその激しさを増すことが予想されるからだ。
雨宮ら四人の陸軍特殊武装戦術群はそれぞれ任務を負っており、単独で行動することが多い。そのため、任務内容によって各特務兵装の生活も大きく違ってくる。
また、第七陸軍防衛技術研究所で作成されたクローン兵やハイブリッド兵――いわゆる《生体兵器》は、その多くに拡張技術や肉体強化が施されているため、不眠不休で最大168時間、継続して活動することができる。
その間は寝食を共にする必要もない。そもそも、休息や睡眠をとる必要がないのだから。
ただ、朝五時からの朝食や洗面、身辺の清掃をする際にはできるだけみな揃うようにしていた。特に雨宮ら《生体兵器》は第七陸軍防衛技術研究所によって摂取する糧食が定められているため、よほどの重要任務が無ければ食事を共にすることにしている。
その方が、糧食の管理が楽だからだ。
加えて心理学的には、共食には協調性を育み結束力を高める効果があるとされているらしい。ただし、雨宮ら陸軍特殊武装戦術群の特務兵装にその効果が現れているかどうかは分からなかった。食事中はみな会話らしい会話をほとんどしないからだ。
ともかくその後、陸軍特殊武装戦術群のメンバー四人揃って、朝六時に東雲探偵事務所で行われる深雪の訓練へ向かう。深雪の訓練に割り当てられた時間はおよそ一時間。その後、それぞれが担当する任務に着手する。
現在、雨宮らの行っている任務は大きく分けて四つある。
一つ、京極の経営する《エスペランサ》の内部調査。
一つ、《監獄都市》内の勢力調査。
それから轟寧々の身辺調査。
そして最後に深雪の監視と護衛だ。
まず《エスペランサ》の内部調査だが、雨宮ら四人は京極側にすでに面が割れているので、直接、店に近づくわけにはいかない。そのため、《エスペランサ》の調査は秋月蛍や他の特務員らとの連携のもと慎重に行っている。
また、深雪の監視と護衛も以前より減っている。理由は前述の通りである。
残る任務のうち一つは《監獄都市》内の勢力調査だが、雨宮たち陸軍特殊武装戦術群はこれに最も多くの労力を割いていた。
何しろ現在の《監獄都市》内の勢力バランスは激変するさなかにある。中でも上松組の跡目争いで兄派が壊滅したことにより、《アラハバキ》内の情勢が大きく混乱し始めたことが大きい。災害級の巨大抗争が起こった際に一夜にして壊滅してしまった組も多く、勢力図は日々、塗り替えられている。
加えて《アラハバキ》の各組織に京極が接触している気配もある。そのためか、たとえ武力は用いなくとも、水面下での権力争いが激化している。その変化の兆候を逐一細かく追わなければならない。
どの変化が次の大抗争の引き金になるか。
決して油断ならない緊迫した状況が続いている。
また、《東京中華街》もいわゆる鎖国状態にあり、情報収集が難航していた。あまりにも防御が堅いため、《監獄都市》内部からの諜報活動は不可能に近い。そのため《関東大外殻》の外から諜報員を送り、どうにか内部を探らせている。定期的にその報告を受けるため、協力者を介してのやり取りをも続けている。
それによると、《東京中華街》はもともと非常に排他的な側面を持っていたが、今ではさらに監視が強化されているらしい。そのため、諜報員も身動きが封じられ、情報取集が停滞しがちであるようだった。
さらに黄雷龍を六華主人とした現体制は権力基盤が脆弱であり、非常に不安定だという。一般の《レッド=ドラゴン》構成員の間にも不満がくすぶっており、いつ爆発してもおかしくない状況だという報告も上がっている。
いずれにせよ、もし《レッド=ドラゴン》が《監獄都市》に危害を加えることがあれば、こちらから積極的に制圧していく必要性が生じるかもしれない。
残る《中立地帯》は言うまでもなく、大規模抗争からの復興に追われていた。しかし、様々な要因から復興は遅々として進んでいない。《監獄都市》が他の地域と分断され、隔絶されていること、そしてそもそもの物流や経済活動がひどく制限されていることなどが完全に裏目に出ている形だ。
また、《収管庁》は被災者に対し積極的に生活支援を行っているが、早々に予算が尽きたためか、その復興計画には大幅な遅れが見られる。
《収管庁》はあくまで地方行政の一機関に過ぎず、その権限にも限りがあるため、致し方ない部分もあるだろう。しかし今のところ、さらなる『復興予算』が組まれる気配はない。
雨宮たちも《監獄都市》内部の惨状に関する情報は陸軍情報保全部へと事細かに上げているため、《西京新都》の中央政府も事態は把握しているはずだ。ところが、メディアに嗅ぎつけられ騒ぎになるのを恐れてか、もしくは政府内での政争に明け暮れているのか何ら有効な手立てを打とうとしていない。
《監獄都市》の地獄のような光景を毎日目にしている雨宮としては、歯痒さを覚えることも無いではないが、さりとてクローン兵にはどうしようもない。陸軍特殊武装戦術群は公には存在しない組織であり、社会への干渉を著しく制限されるからだ。
今は己のすべきことを淡々とこなすだけだ。
《Zアノン》信者を扇動したとみられる《スケアクロウ》という名の情報屋は、《監獄都市》に仕掛けられた今回のハイブリッド戦の実行役であると雨宮たちは睨んでいる。新たなハイブリッド戦を阻止するためにも、雨宮ら陸軍特殊武装戦術群の面々は総力を上げ《スケアクロウ》の身辺調査を進めていた。
とはいえ、相手も機関員なだけあり、なかなか尻尾を掴ませない。当初は情報収集が難航していたが、雨宮の仲間である《生体兵器》の秋月蛍が《Zアノン》信者に襲われたことなどを契機に、その一端が垣間見え始めた。
地道に調査を積み重ねていった結果、《スケアクロウ》はこれまで幾度も一般人に扮し、東雲探偵事務所の様子を探っていることが分かっている。
しばしば深雪とも接触をしているようだ。
他のことはまだしも、深雪に手出しをしているという事実はとても看過できなかった。おそらく《スケアクロウ》も深雪に宿る《レナトゥス》の存在を把握しているだろうからだ。
一刻も早く《スケアクロウ》を排除してしまいたいが、その背後に見え隠れする組織のことを考えると、迂闊に手を出すことはできなかった。
雨宮たちは辛抱強く、その《スケアクロウ》扮する一般人の監視を続けている。
以上のように、《新八洲特区》と《東京中華街》、そして《中立地帯》を取り巻く情勢は刻々と変化している。全体像を掴むのも一筋縄ではいかないが、どんな些細な情報も取りこぼさず収集し、時には独自に処理や分析を加え陸軍情報保全部へと報告することで隅々まで情報網を形成しており、今のところは新たな混乱の発生を阻止することができている。
そして、雨宮がいま個人的に最も力を入れているのは、轟寧々の身辺調査だった。
彼女はごく最近まで公に姿を現さず、轟組本家の屋敷で幽閉されるように暮らしていた。まるでその存在を全人類から隠すかのように。
実際、《アラハバキ》構成員の多くはただその名を知るだけだ。彼女と直に接したことのある者は、数えるほどしかいない。必定、身辺調査もなかなかはかどらない。
(せめて遺伝子情報だけでも詳しく調べられたら良いのだが……)
もちろん、轟寧々の遺伝子調査をしようと思えばできなくもない。髪の毛や口腔細胞など、彼女のデオキシリボ核酸――つまりDNAを入手しさえすればいいのだ。
しかし、より具体的かつ詳細な遺伝子情報を得るとなると、《西京新都》にある第七陸軍防衛技術研究所へ直接、轟寧々を運び込み、特殊な機材を使用するほかなかった。現状ではそれに割けるだけの人手はない。
実際、仙波少佐の命令も『追跡を続けろ』のみだ。
正直なところ、轟寧々の身辺調査は同時並行で行っている数々の任務の中でも、決して優先度が高いとは言えない。だがそれでも、雨宮は熱心に轟寧々のことを調べ続けていた。彼女は間違いなく雨宮らが長年、追い続けてきた情報の一端を握っているはずだからだ。
(失ったものは自らこの手で取り戻す。必ず……な)
それとよく似た理由で、雨宮は帯刀火澄の監視も行っていた。帯刀火澄は、深雪の古い友人だという帯刀火矛威の血の繋がっていない一人娘だ。
こちらは上司である仙波少佐にすら報告しておらず、完全に雨宮の独断による調査だった。
もっとも、それらはあくまで命じられた任務の合間を縫って行っており、決して本来すべき諜報活動は怠ってはいない。
(深雪は言っていた。帯刀火澄は、《雨宮=シリーズ》の遺伝子を受け継いでいる可能性が高いと)
事の初めは火澄が誘拐されたことだった。
彼女は元・六華主人であった紅神獄の実の娘であったため、それを悪用せんと企む輩の手によって《東京中華街》に連れ去られたのだ。
火澄を助け出すため、深雪は雨宮らに助けを求めた。当時、東雲探偵事務所の《死刑執行人》たちは折悪しく《進化兵》との戦闘で深刻な負傷を負っており、深雪は他に頼れる当てがなかった。そこで雨宮ら陸軍特殊武装戦術群に助けを求めたというわけだ。
雨宮らの任務はあくまで深雪の監視と護衛であり、火澄とは何ら関わりがない。それでも雨宮が深雪に手を貸すことにした。その理由は、深雪が火澄の実の父親は《雨宮=シリーズ》のロストナンバーである可能性があると示唆したことだ。
もし火澄に《雨宮=シリーズ》の遺伝子が組み込まれているなら、いろいろな意味で放ってはおけない。まずはその事実を確認するためにも、火澄を取り戻さなければならないと考えた。
その結果、雨宮と碓氷は深雪を伴い《東京中華街》に潜入し、無事に火澄を救出した。その後、仙波少佐からの命令が急変したためその対応に追われていたが、雨宮は決して火澄のことを忘れたわけではない。
むしろ、火澄の実の父親について、詳細をもっと聞き出したかったが、当の深雪がそのことに触れたがらないので様子を見ていた。
深雪にはああ見えて頑固で強情なところがあり、強硬な手段を取ると逆効果になることを知っていたからだ。
彼女が本当に《雨宮=シリーズ》の遺伝子を継承しているとは限らない。
深雪が何としてでも雨宮たちの力を借りようとしたがための出まかせかもしれない。
だが、可能性がわずかにでもある以上、無視はできなかった。それに雨宮自身も帯刀火澄に興味を抱きつつある。火澄の監視を始めてあることに気づいたからだ。
(1523、日常品や食料品の買い出しのため外出……いつも通りだな)
雨宮は腕輪型端末に視線を落として時刻を確認すると、再び前方へ目を向ける。その視線の先には、火澄の背中があった。
彼女の服装は《監獄都市》のゴーストとしてはごくありふれたものだ。上着は厚手のパーカーやニット、下はスカートやパンツなどを日によって組み合わせているようだが、今日はチェック柄のコートにスカート、そしてタイツといういで立ちをしている。
ただ、どんな服を着ていても必ず袖が長い。指の第一関節くらいしか外に覗いていない。
何故それほどまでに袖が長いのか。《監獄都市》の子どもの間でそういうファッションが流行っているのか、それとも単に寒いのか。理由は雨宮には分からない。右手にトートバックを下げているところから察するに、買い物に向かうところなのだろう。
《中立地帯》が未だ不安定であるせいか、帯刀火澄は家の外に出ることがほとんどない。買い物目的の外出くらいでそれ以外はだいたい家にいる。
以前はオリヴィエ=ノアの在籍する教会が運営する孤児院に通っていた。そこで《中立地帯》の子どもを集めて無料の塾のようなものを開催していたようだ。《中立地帯》の混乱に伴い今では塾そのものが閉鎖されているため、それ以降は教会にも通っていない。そのため、今では一日の大半を自宅で過ごしている。
父親の帯刀火矛威は《紅龍街》で料理人として働いており、早くて17時、遅い時には20時ほどで帰宅する。それから親子共に就寝するのはだいたい23時前後だ。
ちなみに、彼らの住むアパートは本来シャワー付きだが、最近あった巨大抗争のため不具合が発生したらしく、数日に一度ほどの割合で父親とともに近くの銭湯に通っている。ただしそれも明かるうちに出て明るいうちに帰ってくる。防犯にはかなり気を使っているようだ。
雨宮は通行人の振りをし、火澄の追跡を続ける。
すると途中で彼女はふと立ち止まり、きょろきょろと周囲を見回した。
そして突然、くるりとこちらを振り返る。
「……」
雨宮はそばに立っていた電信柱の陰にすっと身を隠した。まったく不自然さを感じさせない、さりげない動きで。実際、周囲の通行人は誰も雨宮の行動を不審がる様子を見せない。
注意深く観察していると、火澄は不思議そうに小さく首をかしげ、踵を返して再び歩き出した。
(……また、だ。彼女はまたこちらの尾行に気づいた。何故だ……?)
火澄は何故か、たびたび雨宮の追跡に気づく。素人、しかも少女相手に気づかれるような杜撰な尾行をした覚えは一度もないのに、だ。
さすがに姿を見られたことはまだないものの、それもいつまでもつか分からない。
このことは雨宮に大きな衝撃をもたらした。
雨宮は陸軍特殊武装戦術群・七〇一情報特務兵装としての厳しい訓練を受けてきている。そして事実、誰にも気配を察せられることがないという自信があった。
これまで数えきれないほどの尾行を行ってきたが、よほどの事故か仲間のミスなどがなければ、追跡対象を逃した経験もない。
それなのに一般人、それも寄りにもよって未成年に尾行の気配を勘付かれてしまった。
しかもこれほど頻繁に。
雨宮の経験上、それはあり得ないことだった。




