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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》動乱編Ⅱ
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第35話 誓い

 一方、聖夜は大きく伸びをしながら、深雪に向かって呆れ交じりにぼやく。


「まったく……あんたと関わったことで、また厄介なことに巻き込まれちまったぜ」


「はは……それは否定しないし、申し訳ないとも思うけど、もう割り切ってもらうしかないかな。《中立地帯》や《新八洲特区》だと、命を狙われるのも日常茶飯事だし」


「《中立地帯の死神》を名乗るのも命懸けってことか」


「でも、諦めるつもりは無いけどね」


 深雪は笑ってそう言ったあと、ふと真顔に戻って聖夜を見つめる。


「……さっきも言ったけど、《中立地帯》では圧倒的に人手が足りないんだ。聖夜の力を貸して欲しい。何としてでも、この街を守りたいんだ」


「……」


「聖夜にとってやりがいがあるかどうかは分からない。でも、多くの人が君の力を必要としている。一緒に《中立地帯》を建て直してくれないか」


 聖夜にとって、《エスペランサ》で働くことは楽しいかもしれない。他では味わえない刺激や充実感があるのかもしれない。


 深雪も《エスペランサ》がただのカジノ店であるなら、これほど反対はしなかった。


 だが、あの店には京極がいる。


 これまで多くの人間を陥れ苦しめてきた、悪魔のような男が。


 京極の実力は深雪も認めざるを得ない。現に《エスペランサ》は安定して利益を上げている。それなりに商才にも長けており、経営者としては優秀なのかもしれない。


 だが、それはあくまで仮初めの姿であり、まやかしに過ぎないのだ。何せ京極の最終目標は《関東大外殻》を、そして《監獄都市》を破壊することなのだから。


 聖夜には大きな可能性があると深雪は思う。


 アニムスが強力だとか、判断力や行動力があるとか、そういう表面的なことだけではない。聖夜には人をまとめる力がある。そして困難に負けない胆力もある。どちらも今の《監獄都市》には必要なものだ。


 できることなら、それをこの街で生きる多くの人のために使ってほしい。間違っても京極に悪用などされないで欲しい。


 聖夜は深雪から視線を逸らし、コリアタウンの方を見つめる。しばらくそうしていたが、やがてぶっきらぼうに呟いた。


「……。いいぜ」


「聖夜……本当か!?」


「ああ。今回のことで、一人じゃ京極に立ち向かえないと痛感した。俺にも仲間が必要だ。だから……雨宮、あんたをもう一度信じることにする」


 こちらを振り返った聖夜の瞳には、いつもの彼らしい力強さが戻っていた。


 あんたをもう一度信じることにする――その言葉に嘘偽りは全く感じられなかった。


「ありがとう、聖夜!!」


 正直なところ、もう二度と、聖夜とこのように手を取り合うことはないのではないかと思っていた。《グラン・シャリオ》の喪失はそれだけ影響が大きく、聖夜はもちろん深雪にも暗い影を落としたからだ。


 もはや関係修復は不可能なのではないか。


 足しげくコリアタウンに通いつつも、心のどこかでそう恐れていた。


 だが、聖夜は深雪にやり直すチャンスをくれた。もう一度、ともに信頼関係を築きたいと言ってくれた。


 深雪はどうにか、聖夜を京極の元から引き戻すことに成功したのだ。


 何より、聖夜の「あんたをもう一度信じることにする」という言葉が嬉しかった。自分自身の力で彼の信頼を取り戻したその事実に、これまでの全てが報われる思いだった。


 深雪は聖夜に向かって右手を差し出す。聖夜はその手を強く握り返す。和解の握手だ。


 しかしその後、聖夜は少し考えこんでから口を開く。


「今まで黙っていたが……実は京極から俺を《エスペランサ》の幹部に昇進させるといわれている」


 深雪はひどく驚いた。 


「……! 昇進……しかも幹部に!?」


「ああ」


「まさか……聖夜はその話を受けるのか?」


「まあ、せっかくここまで登り詰めたからな」


「それはよく考えた方がいい!」


「分かってる。だが、幹部は組織の信頼も厚く、そうそうなれるポジションじゃない。だからこそ、その立場を逆に利用することもできるだろ。たとえば、《エスペランサ》の内部情報を秘密裏にそっちへ流したりとかな。いわゆる、潜入活動ってヤツだ」


「……!」


「確かに《エスペランサ》の仕事は魅力的だ。だが、俺は京極の元で働くことになっても、魂まで売る気はない。後手後手になってるところを見るに、現段階ではあんたらの方が不利なんだろ。それを覆すためなら、少しは危ねえ橋を渡らねえとな」


 深雪は内心で舌を巻いた。聖夜は現時点で深雪たちに何が足りないのか、それを見抜いているのだ。


 《中立地帯》の復興で手いっぱいになり、京極への対処が後回しになっていること。情報収集が十分にできず、劣勢に立たされてしまっていること。


 もし今、京極から何か仕掛けられたら、深雪たちは対応しきれないかもしれない。


 聖夜はその状況を冷静に分析していたのだ。さすが、この短期間で《エスペランサ》の幹部に王手をかけただけのことはある。深雪は観念して、聖夜の指摘を認めた。


「聖夜の言う通り、京極側の情報が手に入るなら、俺たちは劇的に動きやすくなる。とても……とても助かるよ。だが……危険な役回りだぞ。もし間謀(スパイ)として《エスペランサ》に潜入していることがばれたら、その時点で命はないと思った方がいい。京極はああ見えて、ひどく残忍だ。下される制裁も容赦がなく、徹底したものになるだろう。俺としては、聖夜にそんな危機的な状況に陥って欲しくない」


 すると、聖夜は不満げな様子を隠さず反論した。


「あのな、それはとっくに俺も覚悟してんだよ。俺にもプライドってもんがある。京極に打ちのめされたからって、そこで大人しく下僕に成り下がってたまるか! それに……さっき言っただろ。俺はあんたをもう一度信じることにする、と。だからあんたも、俺を信じてくれ」


「聖夜……」


 やられっぱなしでたまるか。そういう、負けず嫌いで豪胆なところは、とても聖夜らしいと思う。聖夜もあらゆるリスクを孕んでいることは理解していて、それでも京極に一矢報いてやりたいのだろう。


 聖夜は、きっ、と目つきを険しくして言葉を続ける。


「……京極はな、俺に言ったんだ。必ず《エスペランサ》を選んで良かったと実感させてみせる、そしてきっと《グラン・シャリオ》のことを忘れさせてみせると。……あいつは何も分かっていない。人の心を分かっていない。俺がどれだけ京極に(ひざまず)いたとしても、《グラン・シャリオ》や豊のことを完全に忘れ去るなんてあり得ない――そういう、ごく単純なことすら全く理解できないんだ」


 それは聖夜にとって、許しがたいほどの侮辱だったに違いない。聖夜がどれほど《グラン・シャリオ》を大事にしていたか、深雪はよく知っている。


 聖夜がどれだけチームに愛情を注いでいたか、そしてどれほど必死に守ろうとしたか。《グラン・シャリオ》を失ったことによる喪失感をそう簡単に埋められるはずがない。ましてや、彼が《グラン・シャリオ》を忘れ去るなどということはあり得ないのだ。


 どれだけ新しい職場が充実していたとしても。


 聖夜は怒りを滾らせ、語り続ける。 


「このまま《エスペランサ》にいたら、俺はきっと一生、《グラン・シャリオ》のみなに謝り続けて生きるだろう。《エスペランサ》で成功すればするほど、あいつらの記憶が俺を蝕み、夜も眠れず食事も摂れず、俺は永遠にその記憶に苛まれ続ける。煌びやかなホールも高い酒も、仕事の充実感も、それらを癒すことはできない。ひと時だけ忘れさせることはできてもな。

 ……だが、京極にとってそういった俺の行動は、非効率で無駄だらけ、意味のない愚かな生き方なんだろうさ。だから俺がいずれ全てを忘却して自分に屈するのだと考えている。俺の《グラン・シャリオ》に対する感情は所詮、その程度だと決めつけてな。あいつは俺のことを骨の髄までナメ切っているんだ!」


「……」


「あんたは頼りない部分も確かにあるが、少なくとも俺を見下したりはしなかった。失敗することもあったかもしれねえが、いつだってそこには誠意があった。あんたは信じるに足る人間だ。だが、京極はそうじゃない。だから俺はあんたの側につくのさ。自分の意志で、な」


 つまり聖夜は、単に深雪と仲直りしようというだけではない。深雪のやり方や人柄を評価し、その上で仲間として協力してくれようとしているのだ。


 自らの身を危険にさらすことも承知で、全てを覚悟の上で。そこまでしようとしてくれているのだ。


 彼の並々ならぬ決意を感じ、さすがに深雪もそれを止めることはできなかった。


「……分かった。ありがとう、聖夜が協力してくれるなら俺たちも心強いよ」


「これからは、聖夜もシロたちの仲間だね!」


 シロが嬉しそうに両手を広げて万歳のポーズをすると、聖夜も笑ってそれに頷く。


「はは、そうだな」


「だけど、決して無理はしないでくれ。聖夜の命が一番大事なんだから」


「ああ、俺もそう簡単に失敗するつもりはねえ。受けた屈辱のぶんは京極に返さねえとな。一緒に、あいつに一泡吹かせてやろうぜ!」


 聖夜は晴れやかな表情をしていた。鬱々とし燻っていた空気は抜け、言動のすべてが清々しさに満ち溢れている。


 《エスペランサ》潜入への危険に臆した様子もなく、むしろ意欲に満ちているようだ。迷いが吹っ切れ、覚悟が決まったのだろう。


 聖夜の身に何かが起きたらという不安がないわけではない。


 だが、聖夜は《グラン・シャリオ》の副頭(サブヘッド)を務めていただけあり機転が利くし、度胸もある。戦闘能力も高い。実際、京極以外には素性がばれることもなく、《エスペランサ》に潜り込み、あっという間に幹部まで登り詰めてしまった。


 《スケアクロウ》という新たな敵が出現した今、聖夜が京極の動きを見張ってくれるならとても心強い。


 エニグマも《エスペランサ》に対しては無力同然だ。京極には常に月城が同行しているため、エニグマの行動はことごとく阻まれてしまうらしい。


 それを考えても、今は聖夜の力を借りるしかない。


「本当に……ありがとう、聖夜。これからもよろしく頼むよ」


「おう、任せとけ!」


 それから深雪と聖夜はこれからの連絡手段などを話し合う。


 双方、やらなければならない事は盛りだくさんだ。深雪は次期《中立地帯の死神》として、他社の《死刑執行人(リーパー)》と連携を深めたり《中立地帯》の復興に従事しなければならない。聖夜も《エスペランサ》の幹部になるからには、これまで以上に結果を求められるだろうし、忙しくなるだろう。


 しかも、端末を使った通信は京極に内容を察知される恐れがあるので、連絡方法も工夫しなければならない。それでも定期的に時間を見つけ、情報交換をすることにする。  


 そういった取り決めを交わした後、深雪とシロは聖夜と分かれた。


 深雪は東雲探偵事務所へ、聖夜は涼太郎の待つマンションの自宅へ。


 その後、聖夜はいつも通り《エスペランサ》へ向かうのだった。そして、あくまでアイザック=ハミルトンとして、何食わぬ顔をしいつもの仕事に取り掛かる。


 今の聖夜はもう京極に服従し、言いなりになった《エスペランサ》幹部ではない。表向きは屈服したように見せかけつつも、内側では一矢報いてやるという熱い闘志を秘めている。


 深雪のため、《グラン・シャリオ》の仲間のため。


 ――そして何より、自分自身の誇りと尊厳を取り戻すために。


 

 

 



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