第34話 突然の邂逅
「ガ……ア……ア……アアアアアアアアッ……!!」
梶谷は咆哮を上げた。
その屈強な体から放出されたアニムスの莫大なエネルギーが、深雪の白い翼を介して大気中へと解放される。
光が爆発し、周囲を衝撃波が襲った。
その影響は深雪にも及ぶ。深雪は歯を食いしばってそれに耐え、《レナトゥス》を発動し続ける。
ここで梶谷を完全に無力化させなければならない。自分が自爆するのはともかく、仲間まで平気で巻き込む人間にアニムスを持たせるわけにはいかない。
やがて、《レナトゥス》はようやく発動を終えた。最初に白い翼が弾けて消え去り、深雪の腕を覆っていた白光も手の甲へ戻っていく。
後には、空中に残されたアニムスの残滓が、小さな結晶のように煌めくのみだ。
梶谷も力尽きたらしく、がくりと頭を垂れた。
その手の中には例のパチンコ玉が握られている。爆発することなく原形を保ったまま。
梶谷はそれを強く握りしめるが、パチンコ玉には何の変化も起きない。
「なあ、嘘だろ、おい……!? 何でアニムスが発動しない……!? 嘘だと言ってくれよ……!!」
梶谷は真っ青になり、がくがくと震え出した。アニムスを失ったからだろうか。逞しい体も心なしか縮んでしまったように見える。
彼の身を案じたのだろう、郷上は恐るおそる声をかけた。
「梶谷さん……本当にもう、アニムスを使えないんですか!?」
「……ああ。俺の中のアニムスは、もう何も答えちゃくれねえ……だから《フルバースト・キャノン》を発動させることもできねえんだ……!!」
梶谷はげっそりとやつれた顔をしていた。そしてとうとう、ハラハラと涙まで流す。数分前はあれほどふてぶてしい態度だったのに、その面影はどこにもない。全くの別人と化したかのように変わり果てていた。
彼の手の中にはまだパチンコ玉が握られている。しかしどれだけ力を込めても、何の変化もない。《フルバースト・キャノン》はもう二度と発動しないのだ。
ついに諦めたのか、梶谷は脱力した。緩めた手の中から銀色の球が虚しく転げ落ちる。
それを目の当たりにした知念と真柴は、恐れをなして逃げ出した。
「う……うわああああっ!」
「これ、シャレになんねえ、マジやばい……マジやばいよ!!」
二人とも勢いよく走り出したはいいものの、両手を後ろ手に縛られたままなのでバランスを崩し、すぐに転倒してしまう。顔面から地面に突っ込み、泥だらけだ。
だが、そんなことより一刻も早くその場を離れてしまいたいのだろう。双方とも顔を引き攣らせ、こけつまろびつ逃げ去っていく。
郷上だけは梶谷を見捨てられないのか、その場に残った。
「おい、あいつら逃げて行くぞ!」
聖夜は忌々しげに叫んだ。知念と真柴を追わねばと考えたのだろう。しかし深雪は首を振ってそれを止める。
「大丈夫、あの二人は司令塔の梶谷がいなければ大した脅威じゃないから。それに、この期に及んでまだ《中立地帯》で問題を起こすようなら、他社の《死刑執行人》が彼らを放ってはおかないだろう」
「なるほどな。あいつらは所詮、正真正銘のザコって奴か。……そんで? 梶谷はどうすんだ?」
「彼はおそらく、《スケアクロウ》のことを知っている。もう少し情報を引き出したい」
すると、シロもうんうんと頷いた。
「《スケアクロウ》については、まだほとんど分かってないもんね」
「ああ」
幸いと言うべきか、梶谷はアニムスを失ったショックで放心状態になっている。今ならこちらが知りたいことを聞き出せるかもしれない。梶谷が《スケアクロウ》と何らかの形で繋がっていることは間違いないだろうから。
ところがその時、思いもしなかった事態が発生した。
逃げ出した知念と真柴の体に突如としてボッと火が付き、一瞬にして消し炭になったのだ。
二人の足が地を離れ、再び着地するそのわずかな間。
服や靴などの装飾品はもちろん、髪や爪、骨肉、皮膚も全てが焼けこげ、人の形をした黒い灰燼だけがその場に残った。
「え……?」
一体何が起こったのか。
深雪は絶句し、立ち竦むしかなかった。
何の脈絡もなく不意に人体発火が発生するなんて。まるで性質の悪い手品でも見せられているかのようだ。
あまりにもあっという間の出来事で、知念も真柴も悲鳴を上げる暇すらなかった。二人もまた、自分の身に何が起こったのか理解する間もなかったに違いない。瞬時にもたらされた死によって、痛みや苦しみを感じなかったであろうことは唯一の幸いと言うべきか。
やがて、知念と真柴だった黒い塊はさらさらと崩れ落ちた。彼らがいたはずの場所には煙が上がり、ちろちろと炎も燻っている。
「……!? ユキ!」
「な……なんだ、今のは!?」
わけが分からないのはシロや聖夜も同じであるようだった。人間の体が一瞬にして燃え、炭化するなど、たとえよほどの高温であったとしても起こりえない現象だ。
ただでさえ今は冬で、日中でも10度を超えることはない。可能性があるならアニムスだが、知念の《エア・ボード》にしろ真柴の《リキッド・メタル》にしろ、火の気を伴う能力ではないし、梶谷が《フルバースト・キャノン》を発動させた様子もない。
一方、郷上は仲間が燃え上がったのを目の当たりにし、腰を抜かした。知念や真柴と同様、彼もまた後ろ手に縛られているが、その巨体ゆえに立ち上がることができない。必死で後ずさりするが、両足が虚しく地面を抉るのみだ。
「う……う、う、うわあああああ!!」
郷上は血の気を失い、パニック状態に陥った。知念と真柴が死んだ理由に心当たりがあるのだろうか。何かにひどく怯え、逃げ出そうとしている。
しかしその郷上の体も燃え上がり、一瞬にして灰と化してしまう。
「何だ……!? 何が起こってる!?」
あまりにも異常な不審死。それで三人も命を落とした。
いや、おそらく彼らは攻撃を受けたのだ。明らかに何者かによって命を狙われ、殺されたのだ。
しかも十中八九、超常の力――アニムスによって。
深雪と聖夜は鋭く周囲を見回し、シロは日本刀の柄に手をかける。『相手』の目的が何なのかは、まだ分からない。とはいえ、次に攻撃されるのは深雪たちである可能性もある。
だがそんな中、梶谷だけは不気味なほど静かな表情をしていた。そして全てを受け入れたかのような、どこか恍惚とした表情で熱弁する。
「ああ……やはりあの方は俺たちをお許しにはならなかった……! だが、血と破壊による革命の一助となれたことに悔いはない!! 《Zアノン》万歳!! 正義は我らにあり!!」
酔いしれた声音で叫んだその直後、梶谷の体もまた火に包まれた。
そして刹那の瞬間に、彼の体は黒い灰となる。
他の仲間たちと同じように。
「梶谷……!!」
「一体、何が何だってんだ!? っつーか、ひょっとして俺たちもここにいたらまずいんじゃ……」
聖夜の指摘はもっともだと思うが、しかしどこへ逃げたらいいのだろう。深雪たちは襲撃相手の位置どころか、姿すら把握していないのだ。
相手がどこにいて、どういったアニムスを用いて攻撃しているのかすら全く分からない。
これほど気配を悟らせず、人の命が奪えるなんて。深雪の頬を冷汗が伝う。
これまで、強力なアニムスを持つゴーストとは幾度も戦ってきた。高位ゴーストを相手にするのはそれなりに慣れているつもりだった。
だが、今回の『敵』は単純にアニムスが強いとか弱いとかいうレベルではない。根本的に格が違う。
この嫌な感覚には覚えがあった。手も足も出ない、圧倒的な実力差。
深雪たちは過去に似たような経験をしている。
始まりは、KiRIという名の歌姫が殺害されたことだった。事件を調べるうちに、深雪ら東雲探偵事務所の《死刑執行人》は謎の敵の襲撃を受ける。その正体は《進化兵》。《中立地帯》や《アラハバキ》のゴーストとは比較にならないほどの戦闘力を持つ、軍事組織だ。
《進化兵》は遺伝子操作を受けており、たった一人でいくつものアニムスを操るという複数のゴースト兵によって構成されていた。深雪たちにとっても、それまでになかったほどの難敵で、流星や神狼、奈落を始め、みな命に係わるほどの深刻な重傷を負った。
なお、《進化兵》たちの目的は深雪の《レナトゥス》を手に入れることだった。つまり、いわば深雪のため、深雪の《レナトゥス》を守るために、東雲探偵事務所の他の《死刑執行人》たちは瀕死のダメージを負ったのだ。今思い返しても苦々しい事件だった。
すると、シロがピクッと獣耳を跳ねさせる。
「ユキ、あそこ!」
シロが指さしたのは、郷上の築いた《トーチカ》だった。巨大な土塁は主が死んでも完全に崩れ落ちることなく、その一部が残っていたのだ。
5メートルほどの高さをした土塊の上に、いつの間にか人影が佇んでいる。
背は170センチ前後で、瘦せすぎもせず太ってもいない標準体型。その身にまとう黒いコートはゆったりとしており、裾は足首のところまである。
頭にはフードを目深にかぶっており、その中で真っ白なペストマスクが不気味なほどくっきりと浮かび上がっていた。
マリアが動画で見せてくれた《スケアクロウ》の姿と全く同じだ。
その白いペストマスクに穿たれた、二つの暗く虚ろな瞳が真っ直ぐに深雪たちを見下ろしている。
深雪の心臓は大きく跳ね上がった。
「お前……《スケアクロウ》だな!?」
聖夜もその単語に反応する。
「《スケアクロウ》……さっき言ってた情報屋か!」
《スケアクロウ》は無言だった。彼が何を考えているのか。何が目的で姿を現したのか、さっぱり想像がつかない。
そもそも、深雪は《スケアクロウ》の行動原理を推察しうるほどの情報を得ていなかった。直接、対峙するのもこれが初めてだ。
白いペストマスクは、相変わらずこちらを凝視している。身動ぎすらせず、じっと。
その薄気味悪さが強烈なプレッシャーとなって、深雪を襲った。沈黙が息苦しい。それだけで背中がぞくりと粟立つ。
だが、ここで怯むわけにはいかない。深雪は激しい圧迫感に抗い声を張り上げた。
「梶谷達たち四人を殺したのはお前か!?」
《スケアクロウ》はやはり無言だった。もしそれが事実ではないのなら、彼、もしくは彼女は何らかの反応を示しただろう。だから深雪はその態度を肯定の意に受け取った。
すなわち、梶谷ら四人を殺したのは《スケアクロウ》であると。
「何故! 彼らはお前の仲間だったんじゃないのか!?」
非難交じりに問い詰めると、《スケアクロウ》は口を開く。しかしその声は、老若男女の判別がつかない、加工された奇妙な機械音声だった。
「……愚かな《死神》よ。お前がどう抗おうが、この《監獄都市》の滅亡を止めることはできない」
「何……!?」
「《監獄都市》は遠くない未来、再び地獄の炎に包まれるだろう。人もゴーストも多くが死に、大地には血の雨が降り注ぎ、全てが容赦なく混沌に呑み込まれるだろう。だが、喜ぶといい。最後は聖なる光が全てを浄化してくれる」
深雪は眉根を寄せた。
「……!? 一体、何の話をしているんだ!? 予言者にでもなったつもりか!!」
「既に未来は確定している。もはや、それを変えられはしない。止められないのだ。……この世界の誰にもな」
自分の言いたいことだけを言い終えると、《スケアクロウ》は深雪たちの方を向いたままひらりと後方に跳躍する。そして、《トーチカ》の向こうに姿を消した。
「待て!!」
深雪たちは《スケアクロウ》の後を追って《トーチカ》の裏側へ向かう。
しかし既にそこはもぬけの殻だった。人っ子一人、見当たらない。まるで、最初から誰もそこにはいなかったかのように。
あとはただ、風が吹き抜け、土煙が舞い上がるのみだ。
「誰もいない……!?」
「ち、逃げ足の速い野郎だな!」
深雪は唇をかみしめ、聖夜も悔しげに右手の拳を左の掌に打ち付けた。
「シロ」
深雪はシロの方を振り返った。彼女は耳がいい。目視で追えないなら音情報から何か分からないだろうか。しかし、シロは悲しそうな顔をして言った。
「……ううん、もう何の音もしないよ。どこに行ったのかは分からない」
「……」
せっかく《スケアクロウ》と遭遇したのだ。できれば、もっと収穫が欲しかった。情報源になりそうだった梶谷たちまで失ってしまい、深雪は悔しくて仕方がない。
今すぐ探せば捕まえられるのではないかという気もしたが、迂闊な行動はすべきではないと考え直す。
(エニグマやマリアは、《スケアクロウ》の防御が異様に固いと言っていた。尾行をしても撒かれてしまうし、なかなか素性も暴けないと。エニグマやマリアが手こずるくらいなんだから、俺たちがそう簡単に尻尾を掴める相手じゃない)
《スケアクロウ》のアニムスもまだ詳しくは分からない。自然発火を引き起こす能力だということは察せられるが、具体的にどういう発動の仕方をするのかは謎のままだ。これほど情報が少ない中で交戦するのは危険すぎる。
「シロ、周囲を探してみる!」
シロはそう言って駆け出そうとするが、深雪は彼女を制止した。
「いや、得体の知れない相手だ。ここは慎重になった方がいい」
「ん……分かった」
シロはおとなしく立ち止まった。
ただその一方で、深雪の足元からスルスルと影が離れていく。エニグマが代わりに周囲を探ってくれるようだ。
エニグマも深雪に憑依するのに慣れてきたのか、最近ではわざわざ口に出さずともこちらの意思を察して動いてくれる。今やすっかり頼れる相棒の一人だ。もっとも、彼が《スケアクロウ》の追跡に成功するかどうかは分からない。これまでの結果を考えてもあまり期待はできないかもしれないが、それでも何もしないよりはずっとマシだろう。
《スケアクロウ》の正体については謎のままだが、その一方で、彼が何をしにこの場に現れたのかは何となく想像がついた。
おそらく《スケアクロウ》は梶谷たちが深雪を殺し損なったため、彼ら四人を始末しに現れたのではないか。自らの情報を明かされないよう、口封じをするために。
そして戯れに、深雪たちへ不吉な予言を残して行った。つまり、正々堂々と宣戦布告を行ったのだ。
自分は明確に東雲探偵事務所、ひいては《監獄都市》の敵であると。
《スケアクロウ》はまだまだ東雲探偵事務所や《死神》に対する攻撃の手を緩めるつもりは無いのだろう。これからも《監獄都市》で暗躍し続け、より深雪たちを追い詰めようとするに違いない。これからはより一層、警戒が必要になるだろう。
だが、その《スケアクロウ》の宣告のおかげで、これまで曖昧としていた対立構造がより明確かつ決定的になった。
(《スケアクロウ》……何としてでもその正体を暴いてやる!!)
《スケアクロウ》が東雲探偵事務所に敵意を抱いていることは分かっていた。実際に、さんざん嫌がらせや妨害を受けてきた。
だが、それだけならまだ許せる。迷惑をこうむるのは深雪たちだけだからだ。
しかし先ほどの言葉から察するに、《スケアクロウ》はこの《監獄都市》そのものを何らかの方法で破滅させようとしているらしい。
そうであるなら、次期《中立地帯の死神》として、全力でそれを阻止せねばならなかった。
《スケアクロウ》の挑戦を受けない理由はどこにもない。




