第16話 衝突②
「付き合ってた……とかじゃないの。年も近いし」
深雪はそう発言するが、それには流星が疑問を呈した。
「永野エリの両親は、池田信明に全く見覚えがないと言っていた。永野エリはいつも実家の手伝いをしていたそうだから、親の知らないところで交際っていうのはちょっと考え辛いな」
「まあ、今はSNSとか、いくらでも出会いはあるからね。今んとこそういう痕跡は見つかってないけど……」
マリアは、山下ヒロコ及び永野エリの所持していた通信機器を、洗いざらい解析しているらしかった。そこには、犯人に結び付くような情報は残されていなかったのだろう。
次に流星が卓上パネルを操作すると、池田信明の顔写真が浮かび上がる。免許証の写真のような、表情のない写真だ。
「池田信明は無職。《中立地帯》の不良グループのメンバーだ。《ディアブロ》ってチームの構成員だった。《ディアブロ》は、比較的若いゴーストの構成員が多い。深雪が初めて《東京》来た時、ふっかけて来たチームがいたろ。あいつらだよ」
「ああ……」
深雪は《ディアブロ》の名を耳にし、真っ先に禿頭のチームヘッドを思い出した。凶悪で鋭い眼光に、側頭部に黒々と刻まれた、半分が溶けかかった歪な髑髏の紋章。確か坂本一空と名乗っていたか。つくづく、悪縁のあるチームだ。
《ディアブロ》は、《中立地帯》に数多あるチームの中でもかなり素行の悪い部類に入る。暴力的で、傷つけ、奪うことに躊躇がなく、場合によっては殺しも辞さない危険なチームだ。確かに、そんな《ディアブロ》のメンバーと真面目そうな永野エリとの間に接点があったとは、俄かには信じ難い。
「ただ結局、池田信明の動機は不明だな。まさか、波多と同じ快楽殺人、か……?」
流星が呻ると、マリアも眉間に縦じわを入れて、難しい表情をする。
「まあ仮にそうだとして……殺し方まで真似るのはどういう事? 不気味なくらい、よく似てるのよね。同一犯としか考えられないくらい。波多の模倣犯ってことも考えられるけど……」
卓上のディスプレイに、山下ヒロコと永野エリ、二人の死体が並ぶ。確かに全裸であることといい、腹を切り裂かれ、内臓を引き摺り出されていることといい、二人の殺害方法は共通点が多い。違うことといえば、手足の細かな位置と、写真を撮ったアングルが若干違うことだろうか。
そもそも、波多洋一郎の犯行そのものが、かつて十九世紀にロンドンを震撼させたという切り裂きジャックの犯行を模したものだ。それは、波多洋一郎がトウキョウ・ジャック・ザ・リッパーと呼ばれていることからも窺える。
それは裏を返せば、犯行自体に独自性はないということでもあるだろう。ただ、歴史的殺人鬼の手口を真似たその手口は、一部で熱狂的な支持を得ていたという話もある。模倣犯の可能性も完全には捨てきれない。
「波多洋一郎と池田信明に接点はなかったの? 例えば、池田が波多を信奉してたとか……」
深雪が尋ねると、マリアが即座に答える。
「信奉してたかどうかは本人に聞くしかないけど、今のところ直に接触した形跡はないわね。このご時世、連絡を取り合おうと思ったら必ずSNSを使うでしょ?」
池田の通信機器にそれらしい形跡は残っていなかったという。波多に至ってはそもそも、そういった端末の類を所持していなかったのだとか。
(波多洋一郎と池田信明、両者の間に接点はなし……か)
しかし、それだとますます疑問が残る。波多洋一郎の自殺が判明したのとほぼ同時に、池田信明もまた自殺した。あまりにもタイミングが良すぎだ。一切連絡を取り合わずに、そういったことが可能なのだろうか。
考え込んでいると、オリヴィエが口を開いた。
「ともかく、これからどうするのですか?」
「どう、って……?」
深雪が首をかしげると、奈落は小馬鹿にしたように隻眼を眇めた。
「犯人は見つかったが、二人とも自殺した――表面上は決着したという事になる」
言われてみれば、確かにその通りだ。山下ヒロコを殺害したと思われる波多洋一郎、そして同様に永野エリを殺害したとみられる池田信明。二人とも、すでに自殺している。理屈でいえば、事件はこれで終わりだ。しかし、何とも言えない妙な違和感が残った。波多洋一郎と池田信明の犯行の動機が不明であるせいだろうか。
「これで終わり……考えられナイ」
神狼の発言に、オリヴィエが続く。
「同感です。何というか……嫌な感じですね」
「……少なくとも警察の方は、捜査を引き上げる予定でいるようだ」
流星が渋い表情で告げると、マリアは短い手を振り乱し、バリバリと頭を掻きむしるジェスチャーをして暴れる。
「納得いかない! 絶~~っ対、納得いかない‼ 何なの、このモヤモヤは⁉」
確かに事件は一見、終ったかのように見える。しかし、マリアの言う通り、何か腑に落ちないものがあるのも確かだった。
これからどうするのか。自然と視線が東雲六道へ集中した。
六道は厳しい表情をしたまま、目を閉じる。そして眼下の奥に穿たれた幽鬼のような両目を開くと、低い声で一言、告げた。
「被害者と加害者、双方の身辺をもう一度洗え」
「………!」
その場にいる全員の表情が引き締まった。六道もまた、事件が終わったとは考えていないのだろう。ここは監獄都市・東京だ。そして人口の大半を占めるゴーストには、アニムスがある。普通の事件では有り得ないような事も、ここでは当たり前のように起こる。一連の猟奇殺人事件に伴う不自然さを、決して軽視することはできない。
六道はおそらく、そう判断したのだ。
その日はそのまま散会となった。六道は新たな指示を出していくが、深雪は引き続き、奈落と組むこととなった。
ところが、肝心の奈落は深雪の方を振り向きもせず、さっさと部屋を出て行ってしまう。
(何だよ……この間の事、まだ根に持ってんのかよ? こっちだって、好きで組んでるんじゃないってのに)
苦い顔をしてそれを見送っていると、流星に後ろから声をかけられた。
「よう、どうだ調子は? 奈落とはうまくやってるか?」
「……最悪だよ。何か俺、怒らせちゃったみたいで……」
ため息をつくと、流星は、ははは、と笑って答い、深雪の肩をポンと叩く。
「あいつ面があんなだから、最初は付き合い辛いよなー。でもまあ、そのうち慣れるって」
「軽っ……。その前に多分死んじゃうよ、俺。……この調子だと」
誇張表現ではなく、心の底からそう思った。現に今までも、危機的状況は何度かあった。大事には至らなかったが、それは単に運が良かったに過ぎない。そして奈落は、深雪の生死になど、少しも興味はないだろう。
唇を尖らせる深雪に対し、流星は含みのある視線を送ってくる。
「そう悲観するなって。少なくとも、俺が想定してたよりはうまくやってるよ、お前ら。もっとこう……何も主張できない奴かと思ってたからな、お前のこと。相手が奈落じゃ尚更だろうって、心配してたんだぜ」
「ああ……まあ、ああいうタイプ自体は結構、慣れてるよ」
《ウロボロス》にいた時に、荒事もそれなりに経験した。ああいう、力にものを言わせるタイプの人間はどこにでもいるものだ。
特にゴーストにはアニムスがあるせいか、そういう思考をする者が多い傾向がある。強い力を持つ者は、話し合いなどまどろっこしくてやっていられないと考えるのだろう。
もっとも、奈落ほど凶悪な面と凄みのある迫力を持ち合わせたゴーストは、《ウロボロス》の中でもそうはいなかったが。
(エニグマのこと、流星に相談してみようか……?)
元はと言えば、深雪の単独行動が招いた事態だ。誰か事情の明るい者に相談して、判断を仰いだ方がいいかもしれない。それに流星に頼めば、奈落にも働きかけてくれるだろう。奈落は我田引水を地でいく性格だが、流星の言う事には多少、耳を貸すようだ。
しかし、エニグマは、事務所の人間には内密に、と言っていた。約束を破ったら、どんな報復が待っているかもしれない。
さんざん迷った挙句、もうしばらく様子を見てみることにした。
結局、深雪はその日、一人で行動することにした。
あの後、慌てて奈落の後を追ったのだが、奈落はすでに事務所を出た後で行方が分からなくなってしまったのだ。
昼飯を取るために街へ出ると、偶然に《ニーズヘッグ》の亜希を見かけた。亜希もまた、単独行動をしているようだった。いつも一緒にいる銀賀や静紅の姿がない。
青果を主に取り扱っている露店の前で、品物とにらめっこをしている。
「亜希!」
声をかけると、亜希は深雪に視線を向け、破顔した。
「あれ、深雪じゃないか」
「何やってんの?」
尋ねると、亜希はずっしりとしたグレープフルーツを一つ、手に取りながら言った。
「うん、うちのチームの女の子が熱だして寝込んじゃって……食欲がないから果物を買ってやろうかと思って」
「風邪?」
「寝てないんだってさ。例の猟奇殺人事件が怖くて。みんないるから大丈夫だって言ってるんだけど」
「……。そうか……」
そういった話を耳にすると、何だか申し訳ない気持ちになる。波多洋一郎と池田信明、二人の容疑者はすでにこの世にないが、どうにも後味が悪く、事件が完全に解決したとは言い切れない状況だ。そのせいで余計なストレスをかけてしまっているのかもしれない。
一方、亜希は話題をがらりと変えてきた。
「……深雪は今日も一人?」
「うん……今、組んでる奴、ちょっと怒らせちゃって」
「あの大柄な軍人っぽい人でしょ。不動王奈落。手強そうだよね、彼」
「よく知ってるね」
シロとは別のメンバーと組まされているという話は確かにしたが、それが奈落だとは伝えていなかったはずだ。一体、どこからその話を聞きつけたのか。
深雪が驚いていると、亜希は吊り上がった大きな瞳を光らせ、意味ありげに微笑んだ。
「君の事務所の人たちはみんな、この監獄都市では有名だからね。それに、ストリートにはストリートの情報網があるんだ。情報が命なのはどこの世界でも同じだからね。例えば……波多洋一郎が自殺したらしいっていうネタも、既にぼちぼち出回り始めてるよ」
「……! そうなのか……」
波多洋一郎の死が判明したのはわずか数時間前だ。それがもう噂になり、広まっている。警察の公式発表もまだなのに、だ。
(いくら何でも、早すぎる。やっぱ、情報を漏らしてる奴がいるんじゃないのか……?)
もちろん、ここが監獄都市とはいえ、SNSは使用可能だ。千駄ヶ谷の事件現場には野次馬も大勢いたし、彼らが情報を流した可能性は十分考えられるだろう。
深雪がそうなのかと尋ねると、亜希はいや、と首を横に振る。
「今の時代、ネットの情報なんていくらでも捏造できるからね。平気で偽造した情報を流して金を稼いだりする、性質の悪い奴らもいる。だから案外、当てにならないんだ」
だとすると、亜希の言う『ストリートの情報網』というのは、ネットとはまったく別の経路だということだろう。深雪は思いきって亜希に尋ねてみることにした。
「あのさ、だったらそういう情報ってどこで手に入れるの? 噂にしては、広まり方が早すぎるよね? もしかして……誰かから買ってるんじゃないの? 例えば……情報屋とか」
「詳しくは言えないけど……この閉ざされた監獄都市において、情報屋の存在は重要だね。場合によっては力強い味方にもなるけど、何より恐ろしい脅威ともなり得るから」
亜希は明言を避けたが、それは深雪の考えを首肯するものだと見て、おそらく間違いない。そこで、深雪はさらに質問を重ねた。
「エニグマっていう情報屋、知ってる?」
「名前だけなら、ね。ただ、彼みたいな一流の情報屋は、僕たちみたいなストリートダストは相手にしない。抱える顧客は、収容区管理庁のお偉いさんか、《アラハバキ》や《レッド・ドラゴン》の幹部レベルばかりだっていう話だよ」
「……」
深雪は一瞬、言葉を失う。エニグマの事は、ただ者でないと思ってはいたが、そこまでだとは思いも寄らなかった。収容区管理庁の上層部にしろ、《アラハバキ》や《レッド・ドラゴン》の幹部にしろ、深雪には一生縁のない権力者ばかりだ。
「すごい奴、なんだ……?」
呟くと、亜希は躊躇いがちに頷いた。
「そう……だね。こんな話を知ってる? この東京を真に支配しているのは役人でもマフィアでも《死刑執行人》でもない、情報屋だって話」
「真に支配って……」
「真偽がどうというより、それほど情報屋の影響力が強いってことだと思う。だから……彼らと付き合時には慎重になったほうがいいかもね。特に君の場合、君を介して事務所の情報を抜き取られる、なんてことになりかねないからさ」
それを聞いて、深雪は、はっとする。
(そうか……だから奈落はあんなに怒ったのか)
監獄都市の中の大物ばかりを相手に商売をしているエニグマが、何故、深雪に接触してきたのか。どう考えても、事務所の情報を得るためだとしか思えない。深雪自身には、金になりそうな情報などあるわけがないと思うからだ。
奈落が深雪を無視しているのも、単なる嫌がらせではなく、その辺りが原因なのかもしれない。深雪が自ら口外することはなかったが、奈落はおそらく深雪がエニグマと再び接触したことを感づいているだろう。深雪に何か情報を渡すとエニグマにその情報が筒抜けになるかもしれない――奈落はそれを警戒し、深雪に詳細を明かさないのではないか。
怖いもの知らずの奈落が慎重になるくらいだ。それほど、エニグマの存在が侮れないということなのだろう。
深雪は俯き、ぽつりと小さく呟いた。
「俺が……悪かったのかな……」
いくら事件を解決するためとはいえ、安易にエニグマから情報を入手すべきではなかったかもしれない。エニグマは対価を要求しては来なかったが、深雪が彼に借りを作ってしまったのは確かなのだ。これから先、どういった形でそれを支払わされるか分からない。今更ながらにそのことに気づき、初めて自らの取った行動を後悔した。
「謝れば分かってくれるよ、きっと。君は東京に入ってまだ日が浅いんだし」
亜希は深雪を気遣ってか、励ますようにそう言った。しかし、深雪は苦笑いをして答える。
「うーん……でも、そういうの、通じそうにない奴なんだ」
すると、亜希はちらりと深雪に視線を投げかけ、次に深雪と並び立った。
「……。これは一般論だけど、さ。相手の信用を得たかったら、自分から心を開くしかないよ。通じるかどうかじゃない。態度で示すことが重要なんだ」
「亜希……」
「君は、僕たちの時には自然にそれをやってのけたじゃないか。だから、きっと大丈夫」
にこりと笑う亜希。深雪はわずかに目を見開いた後、釣られて笑った。
「……そうだな。やってみるよ」
亜希にそうは言ったものの、深雪にはその自信もなければ、この停滞した状況を打破することができるだけの秘策があるわけでもなかった。奈落がどうして怒っているか理解はできたが、だからと言って、大人しく謝ってそれが通用する相手でもない。
事務所に戻るのに気が引けて街中をぶらついていると、あっという間に夕方になってしまった。
渋々、事務所に戻ると、みな出払っているのか人の気配はない。何となくほっとしつつ、水を飲もうとしてキッチンに足を踏み入れると、勝手口が開いていた。
(誰かいる……?)
キッチンから外を覗くと、中庭でオリヴィエが植物の水やりをしていた。中庭はこの事務所の中で唯一日当りのいい場所で、この間、オリヴィエが持ち込んだクレマチスの鉢の他にも、様々な鉢やプランターが置いてある。
「……いたんだ?」
そう声をかけると、オリヴィエも深雪に気づいたようだった。
「ええ、この子たちのことが気になって。水遣りが終わったら戻ります」
「熱心だね」
「適切な環境を整えてやらなければ、植物はすぐに枯れてしまいますからね」
そう言って水遣りを続けるオリヴィエの横顔は、穏やかでどこか楽しそうだった。本当に、心の底から園芸が好きなのだろう。深雪にはちょっと理解できない感覚だ。
「世話するの、大変じゃない?」
そう尋ねると、オリヴィエは淡く微笑んだ。
「気分転換をするのにちょうどいいですよ。この子たちは手を掛けたら、かけた分だけ応えてくれる。そういう事でもないと……殺伐とした事件ばかりに追われていると、気が滅入りますからね」
「でも、孤児院の仕事だってあるんでしょ?」
「あそこは別の意味で戦場ですから」
「はは、確かに」
深雪は孤児院の喧騒を思い出し、思わず笑いを漏らしてしまう。あの子たち全員に食事をさせ、寝かしつけるだけでも、相当な気力と労力が必要だろう。戦場だというのも頷ける気がする。
そんなことを考えていると、ふとオリヴィエが口を開いた。
「大丈夫ですか?」
「……え?」
「ここのところ、元気がないようでしたから。奈落と何か揉めているとか?」
「うん、まあ……」
さすがに、オリヴィエは鋭い。迷わず核心をついてくる。何だか、全て見透かされているんじゃないかという気すらしてくる。
オリヴィエは尚も言葉を重ねた。
「深雪さえよければ、いつでも代わりますよ」




