第26話 対決②
だが、かと言って、猪突猛進に手を出すのはあまりにも無謀というものだろう。何せ相手はあの京極鷹臣なのだ。
聖夜はしばらく相手の出方を探ることにする。
今さら隠す必要もないので、日本語で問い質した。
「……。いつから俺の正体に気づいていた?」
すると、京極は何食わぬ顔で肩を竦める。
「お前がこの《エスペランサ》に乗り込んで来た時からだ。いくら外見を誤魔化し外国人として振舞おうとも、背の高さや歩き方、声紋まではそうそう変えることなどできないからな。さらに部下に頼み、《グラン・シャリオ》の副頭になる前のことも詳しく調べさせた。その流暢な英語はアメリカ人の父譲りだそうだな」
「……! そんなことまで……!!」
「多少の変装はしているようだが、その程度では簡単に見破れる。俺はそういう訓練を受けているのさ」
「つまりあんたは、俺の素性を最初から全て知っていたということか……! 《グラン・シャリオ》の壊滅についてあんたを恨んでいることも、あんたを殺して仲間の仇を討とうとしていることも、全て……!!」
呻くような声で尋ねると、京極は不気味なほど柔らかに笑った。
「従業員のコンディションを把握しておくのは、経営者として当たり前のことだからな」
つまり京極は、警戒心から聖夜の身辺調査をしたわけではない。あくまでどう信用させ、手玉に取るか探るためにあれこれと嗅ぎ回ったのだ。
効率よく相手を支配する、ただそれだけのために。
「はっ……随分と余裕だな。あんたは今日ここで俺に殺されるかもしれねえってのに……!」
聖夜はそう吐き捨てた。だが、京極は挑むような目をこちらへ向ける。
「そんな事にはならないさ」
「何……!?」
「何故なら聖夜、お前はエゴイストだからだ」
「エゴイスト……? 俺が?」
「ああ、そうだ。お前は表面上、人間関係を重視するように振舞っている。だが、それはお前の本心じゃない。常に自分の実力を試してみたいと思っている野心家……それが本当のお前の姿だ。そしてそれ故に、自らの力を生かせる場を求めているんだ。何ものにも縛られず結果を追い求めること、そして他の誰でもない、ただ自分だけのために生きることを、心の底では渇望しているんだ」
自分のことを知りもしないのに、よくもそんなことを。あまりの言い草に、聖夜はムッとする。
「何だと……!? そんなわけあるか! 俺はそんな自己中じゃない!!」
「何を怒ることがある? エゴイストであることは、別に恥ずべきことじゃない。有能な人間には往々にしてよくあることだ。実際、お前は《エスペランサ》で働くことにやりがいを感じているだろう。そして、仕事が楽しくて仕方ないはずだ。……違うか?」
「なっ……!」
聖夜はぎくりとした。
《エスペランサ》での仕事に充実感を感じていることを、京極に見抜かれている。聖夜でさえつい最近まで気づかなかった己の本心を、京極は完全に把握している。
まるで全てを見透かすような京極の瞳。
いやに澄んだその瞳に、聖夜の姿が映り込む。自分自身をもう一度よく見つめ直してみろと言わんばかりに。
端麗な唇から悪魔のごとき囁きが紡がれる。
「よく考えろ。復讐などという後ろ向きの感情にいつまでも捕らわれていていいのか? お前には大きな可能性が宿っているんだぞ。お前ならこの店をさらに発展させることができる。そしてお前自身もまた、遥かなる高みへと登っていけるだろう。お前の目の前には光に見溢れた未来が広がっているんだ。その輝かしい未来をつまらない過去ごときで潰してしまうのはあまりにも馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
「つまらない……過去……」
「いいか、現実を見ろ。《エスペランサ》ではみながお前のことを優秀な構成員であると認めている。幹部層である《ゾーディアクス》の面々にも、既にお前を獅子座の座に就ける予定であることを知らせているが、誰もそれに反対しなかった。誰ひとりだ!
……これは誇るべきことだぞ、九鬼聖夜! それらは全て、お前自身が自らの実力で掴み取ったものだ! 《エスペランサ》のみなに、己に価値があるのだということを実際の働きで示し、さらに積極的に組織に貢献することでいつしか信頼までも得た。これは純然たるその成果なんだ!!」
「……」
「恐れることはない。後ろめたさを感じる必要も、遠慮しなければならない理由もない。お前はもっと、お前自身のために生きていいんだ。《グラン・シャリオ》ではそんなことを考える機会すら与えられなかっただろう。だが、俺の元へ来れば周囲の人間の機嫌など窺わず、思う存分輝くことができる。
……九鬼聖夜、お前の中のエゴイズムを抑えつけるものはもう何もない。これからは、お前は自分を不当に歪めることなく、本来あるべき姿のまま自由に生きることができるんだ! 誰にも支配されることなく、自由に……!!」
京極の言葉は聖夜をこれ以上も無く狼狽させた。口ではどれだけ否定しようと、《エスペランサ》での仕事が聖夜にとって充実していて楽しいのは事実だからだ。
そしてもっと自分の力を試したい、行けるところまで行ってみたいという野心を感じ始めているのもまた事実だった。
《グラン・シャリオ》に対する愛着と《エスペランサ》に対する期待。
二つの感情の間で聖夜の心はグラグラと揺れ動く。
まるで天秤ばかりのように。
激しい葛藤の末、聖夜は京極に問いかけた。
「……。一つ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「何故、《グラン・シャリオ》の仲間を皆殺しにしたんだ……? 逢坂忍の二代目桜龍会と東雲探偵事務所の《死刑執行人》を対立させるためだったとしても、全員殺す必要は無かっただろ! 《グラン・シャリオ》には十やそこらのガキも大勢いたんだぞ!! みな働き者だったが、戦闘経験すらまだない幼い奴らもたくさんいて……どう考えてもそいつらまで死ぬ必要は無かったはずだ!!」
《グラン・シャリオ》に関する遺恨さえ横たわっていなければ、聖夜は何のわだかまりも持たず《エスペランサ》で働くことができた。
京極ほどの能力の持ち主であれば、《グラン・シャリオ》を犠牲にせずとも、二代目桜龍会と東雲探偵事務所を反目させることができたのではないか。
考えれば考えるほど口惜しく、腹立たしささえ湧き上がってくる。
すると京極は、あっさりとその意見を肯定するのだった。
「そうだな。お前の主張は一理ある」
「なっ……!?」
「だが、俺の考えは違う。確かに《グラン・シャリオ》は《中立地帯》最大規模のチームだった。だが、組織は大きければいいというものじゃない。巨大な組織には、『不純物』が多く混じる。それらは自尊心とプライドだけは一人前だが、自らの存在が組織という生命体の血流を妨げていることに気づいていない。その『不純物』を取り除くには、どうするか……という点は極めて重要な問題だ」
そう言うと、京極は聖夜に背を向けた。信じられないほどの無防備さだ。まるで聖夜が攻撃してこないと見抜いているかのようだった。
それとも、聖夜がどんな行動に出ようとも身を守る自信があるのか。
京極はそのまま言葉を続ける。
「まず、取り組むべきなのは組織改革だろう。人を再教育し、配置し直し、ガタのついた歯車を正常に作動するようにしてやる。だが往々にして、どのような処置を施そうともどうにもならない組織というのも世の中には存在する。そういった時にはどうしたらいい? 変化や改革を極端に面倒臭がり、破綻が見えているにもかかわらず現実逃避ばかりする。そんなどうしようもなく愚かな集団には一体どうしたら? 俺の答えは『一思いに叩き潰す』だ。駄目な組織は早々に潰して、より強い組織へ人員を流す。そうすれば組織の中に残った真っ当に働く者たちにも、生き残る可能性が出てくるだろう。優秀な者もそうでない者も、働き者も怠け者も、みなが等しく溺れ死ぬよりは余程いい。一見、残酷なようだが、結局はそれがより多くを生かすことに繋がるんだ」
「つまりあんたは、《グラン・シャリオ》のみなが愚かだって言いてえのか!!」
声を荒げると、京極は聖夜の方を振り返った。
「事実、《グラン・シャリオ》にいた頃のお前は『子守り』に明け暮れ、その卓越した能力を殆ど発揮することができなかった」
「……!!」
「《グラン・シャリオ》が存続していたら、お前は名を上げることも、生きることの充実感を味わうこともなく、至極つまらない一生を終えていたことだろう」
そんなのは詭弁だ。そんな取ってつけたような理由で《グラン・シャリオ》のメンバーを皆殺しにしたことが許さるものか。
だが、実際に反論することはできなかった。《エスペランサ》は聖夜の知らなかった新しい世界を見せてくれた。それは事実だからだ。
京極は、氷のように冷徹な瞳をふと目を細める。
「……《グラン・シャリオ》は愚かな組織だった。お前や綾瀬豊のような、なまじ優秀なリーダーがいたためにそれが表面化されることがなく、従って誰もそれを自覚することがなかったというだけのことだ。そして……その愚かさが頭の綾瀬豊を死に追いやった」
最後の一言に、聖夜はびくりと肩を震わせた。
京極は豊の存在を知っている。豊が自ら命を絶ったことを知っている。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
組織の愚かさが豊を死に追いやったとはどういうことなのか。
――こいつは何を知っているのか。
京極は聖夜のその動揺を逃さなかった。
「お前は、綾瀬豊が死んだのは俺のせいだと思っているんだろう。俺の仕掛けた策略で《グラン・シャリオ》のメンバーが全滅し、それが綾瀬豊を追い詰めたのだと。だが、それは違う。彼が死を選んだ原因もまた組織の愚かさだ」
「何だと……!?」
「……リーダーに任せておけば何とかしてくれる。リーダーは愚痴も不満もすべて受け入れてくれる父親のような存在。自分たちは敢えてリーダーの決定に従ってやっている。故に起こった事の全てはリーダーに全責任があるのであって、自分たちには微塵も関係がない。むしろ一たび問題が起こったなら、みなに迷惑をかけないよう、速やかに『腹を切って』責任を取り、組織存続の生贄となって欲しい。
……愚かな組織の構成員たちは大抵、そのような本音を抱きがちだ。彼らは、表面上は従順で慎み深く振舞うかもしれない。だがそこにはリーダーに対する明らかな甘えと依存構造が横たわっている。そして、それ故に、組織の抱える問題に対してもどこかしら他人事で、自ら能動的に判断し、動くこともない。だから余計に、組織を背負うリーダーに、仕事と責任、それによる負担が集中することになる。
そういった甘えと依存が綾瀬豊に過度な責任と使命感を背負わせたんだ。……まるで逃れられない十字架のようにな」
胸のあたりにずしりとしたものが圧し掛かった。
たかが子どもの集まりとはいえ、チームの頭を務めるということには大きな重圧を伴う。それを十字架と言われれば、返す言葉はない。まさしくその通りだと思うからだ。
自分はどれだけ豊を支えることができただろうか。
どれだけその十字架を共に担ぐことができただろうか。
豊の死が全ての答えだ。
そんな聖夜の苦悩を断罪するかのように、京極は哀れみの視線を向けた。
「……その十字架は善意で飾り付けられているが、実態は構成員によるただの責任逃れ、そしてリーダーへの責任転嫁だ。そして組織が愚かであればあるほど、リーダーもまたその重い十字架を背負うことが自身の役目だと思い込む。自らの命を懸けるべき、尊い使命だとな。そして、本当の問題からは目を背け、嬉々としてその使命に己の全てを捧げてしまうんだ。
……ここまで言えばもう分かるだろう。綾瀬豊が死んだのは、追い詰められたからではない。組織の構成員から押し付けられた責任と使命を果たせなかったことで、自らに絶望したからだ。十字架を背負いきれなかった己を、みなの期待に応えられなかった己を恥じ、この世に存在する価値なしと自ら審判を下したからだ。
もし組織のメンバーが各々、自立さえしていれば……甘えや依存さえそこになければ、彼がそのような残酷な十字架を背負わされることもなかったし、自らに見切りをつけることもなかっただろう。愚かで未熟な組織が、そこに属していたメンバーの全員の甘えが、綾瀬豊を殺したんだ」
スタッフルームはしんと静まり返る。
そんな――そんな、馬鹿な。
俺たちに限ってそんな馬鹿なことがあるはずがない。あれほど強い絆で結ばれていたのに。
出鱈目だ。全部、何もかも言いがかりだ。
だが、感情がどれだけ異論を叫ぼうと、理性は現実から目を背けるなと囁き続ける。
ああ、そうだ。最初から分かっていたことじゃないか。
誰が、何が豊を殺したか。
最初から明らかだったじゃないか!
聖夜は愕然とし、一言も発することができなかった。それどころか、顔は青ざめ、手も足もかじかむほどに冷え切っていく。
背中がぞわっと粟立った。京極が何を言わんとしているかを悟り、体全体が震えそうだった。辛うじて取り乱すことはなかったが、気合いのみでどうにかそれを抑えつけていただけだ。
京極に、誰にも知られたくない心の内を――いや、聖夜自身でさえ気づいていなかった醜い本心を見透かされているようで、強い恐怖を覚えた。
恐ろしくて、恥ずかしくてたまらなかった。
《グラン・シャリオ》の拠点で目にした、豊の最期の姿が脳裏に浮かび上がる。豊は深く傷つき絶望し、そして自分自身を責めていた。まるで、自分自身が仲間を死に至らしめたのだと言わんばかりに。
あの時、自分は豊に何と声をかけただろうか。
いや、一言も発していない。
かけるべき言葉はいくらでもあったのに、結局、何も言えずじまいだった。
しかも、それだけではない。
何と声をかけていいのか分からぬあまり、聖夜は豊のそばを離れたのだ!
豊の頭としての重圧を共に背負うのが怖くて、その場から逃げ出したのだ……。
その瞬間、絶叫し、胸を掻きむしりたいほどの強い衝動に駆られた。
羞恥と後悔。自己嫌悪。
復讐心で紛らわせ、見ないようにしてきた自己欺瞞。
その事実が改めて聖夜の前に立ちはだかり、容赦なく打ちのめしてくる。
すると京極は、身動きの取れなくなった聖夜に、手を差し伸べ導くかのごとく語りかけた。
「……《グラン・シャリオ》を忘れることができないというお前の感情は理解している。そして俺に対し、まだわだかまりを抱いていることも。だが、ひとまずは《エスペランサ》へ来い。充実した日々を送っていれば、過去の軋轢などいずれ消える。より広い世界で活躍するようになれば、狭い穴蔵で汲々としていたことなど、ただの笑い話になっていく。生きるとはそういうものだ。
だから聖夜、ここで自分の可能性を閉ざすな。俺は必ず、お前に《エスペランサ》を選んでよかったと実感させてみせる。そして必ず《グラン・シャリオ》のことを忘れさせてみせる。決して後悔はさせない。お前の力が必要なんだ。店のため、そしてお前自身のために獅子座となってくれるな?」
京極の態度は堂々として自信に満ちていた。魅力的で慈愛に溢れ、カリスマ性すら感じさせられる。
《グラン・シャリオ》を奪われた被害者であるはずの聖夜でさえ、京極がチームを潰したのは仕方がなかったのではないかと錯覚させられそうになった。
そう――あれは自然の成り行きだったのだ、自分はただそれに巻き込まれただけ。俺は何も悪くないのではないか、と。
不覚にも、聖夜の心は激しく揺れ動いた。
この悪魔のような誘惑に抗うなど、もはやできないのではないか。そう観念しそうになるほどに《エスペランサ》に愛着を抱きつつあったし、今やここで働きたいという欲望を押さえること自体が難しくなりつつある。
だが、京極の誘いを即座に受けることもできなかった。聖夜の中に残っている理性が、決してそれを許さなかった。
京極はそれを察してさらに言葉を重ねる。
「……お前は情に厚いんだな。それは決して悪いことじゃない。だが、よく考えろ。《グラン・シャリオ》はもうないんだ。そしてどんなに望んでも、蘇ることはない。この世に存在しない組織に執着するのに、何の意味がある? 《グラン・シャリオ》のメンバーとは違って、お前はこれからもこの街で生きていかねばならないんだぞ」
「し……しかし……!!」
「自分で自分を苦しめるな、聖夜。死者は生者を責めたりしない。恨んだり憎んだりすることもない。お前が自分自身に罰を与える必要は無いんだ。お前は自分で思っているより、ずっと自由なのだから」
「自由……」
「ああ、そうだ。人は本来、生まれながらにみな自由だ。それゆえ、全ての人間は等しく幸福を追求する権利を持つ。何者にも縛られず、自由な生を謳歌する権利を。お前は何を望む? どう生きて、何を手に入れたい? 俺について来れば、その全てが手に入る。お前にはそれを選ぶ自由があるのだからな。それとも、このまま罪悪感にまみれ、権利もチャンスも全て棒に振るか? それがお前の本当の望みなのか?」
「……」
「……最後にもう一度だけ聞く。獅子座になってくれるな、聖夜?」
京極は力強く微笑んだ。聖夜がYESと言うのを心の底から信じている、自信に溢れた瞳。
その迷いのなさは、清々しさどころか、いっそ神々しささえ感じられる。
この時、聖夜の中でぐらついていた天秤は大きく一方へ傾いた。




