第24話 《エスペランサ》での仕事③
また、片山湊太は次期・《中立地帯の死神》――つまり雨宮深雪とも親交があったようだ。よく《エスペランサ》の仲間にその話題を持ち出していた。
だが、彼の雨宮深雪に対する感情は、決して良いものではなかったらしい。
「……は? 《中立地帯の死神》? 俺、喋ったことあるぜ。『次期』の方だけどな。どんな奴って……うーん、そうだなあ。弱々しくて頭悪そうで、口は達者だけど何もできない典型的なモブってカンジだよ。そりゃ正直、一時は信用できるかもって俺も思ったことはある。でも今考えると、気の迷いだったとしか思えない。だって京極さんの方が、何千倍何万倍もスゴい人だろ。実力やカリスマ性があるだけじゃなく、魅力的で人望も厚い……こんな人、そうそういないぞ。俺はさ、一生、京極さんについて行くって決めてるんだ。俺が死ぬ時は京極さんが死ぬ時さ」
聖夜はたまたま、片山湊太が仲間とそう話しているのを聞いたことがある。
はっきり言って彼の口振りは不快だった。京極に対してあまりにも盲目的すぎるし、たとえ喧嘩別れだったのだとしても以前に所属していたチームを悪しざまに罵るのはどうなのかと反感を抱いたのだ。
だがそれでも、片山湊太に本当のことを告げることはできなかった。
京極が《ガロウズ》を操って《グラン・シャリオ》を襲わせた真の黒幕であることを。
それは片山にとってあまりにも残酷すぎる。
《ガロウズ》の襲撃メンバーはその後、東雲探偵事務所の《死刑執行人》によって《リスト執行》された。そこから立ち直るのは並大抵のことではなかったに違いない。聖夜も同じ境遇に置かれているからその苦労はよく分かる。
ようやく希望を見出し京極という生きるよすがを得たのに、その京極に裏切られていたと知ってしまったら、片山の心はもつのだろうか。とてもそのようには見えなかった。
チームを失い塞ぎ込んでいる涼太郎の姿を見ているから、余計に真実を突き付ける気にはなれない。
また、聖夜の立ち位置的にも、《ガロウズ》の真実を伝えるのは難しかった。聖夜は日本語の話せない外国人ということになっているからだ。
日本語が分かる素振りを見せれば、即座に疑いの目を向けられる。下手をすると変装していること、本名が九鬼聖夜であることもばれてしまうかもしれない。
せっかく《エスペランサ》に入り込めたのだ。今ここでリスキーな選択はできなかった。
しかし、その事をきっかけに、聖夜は改めて京極の冷酷さと狡猾さに戦慄した。
京極は自らに牙を向けかねない相手を手懐け、簡単に傀儡にしてしまう。それが彼にとって、最も効率的なリスク回避になるからだろう。
片山湊太をそばに置けば、片山が自分に悪感情を抱かぬようコントロールできるし、片山の動向を見張ることもできる。もし仮に自分が《ガロウズ》を潰した黒幕であることを片山に知られても、即座に処分することができる自信があるのだ。
京極にとって片山など、恐るるに足らない存在なのだろう。
何と大胆不敵なことか。
そして何と傲慢で不遜なことか。
聖夜は京極に対する嫌悪をより募らせ、復讐の決意を新たにするのだった。
ともかく、復讐を果たすためにも、一刻も早く幹部にならなければ。聖夜は目的を遂行するため、与えられた仕事は何でもこなし、《エスペランサ》での評価を着々と上げていく。
そんな聖夜に大きなチャンスが転がり込んできた。
事の発端は《エスペランサ》の来客数が突如、激減したことだった。
《エスペランサ》の成功を目の当たりにした上松組下部組織が《エスペランサ》そっくりのカジノ店を出店したのだ。
しかも、場所も《エスペランサ》の徒歩十分圏内で、もはや《エスペランサ》に喧嘩をふっかけるつもりなのを隠す気もないようだった。
明らかに《エスペランサ》を丸パクリした店だったが、若者の心は移ろいやすい。《エスペランサ》はそのパクリ店に多くの客をとられてしまった。
上松組下部組織にしてみれば、そのカジノ店で《エスペランサ》から客を奪えれば上々、もし仮にカジノ経営がうまくいかなくても、《エスペランサ》を潰すことさえできれば、その客を別のビジネスで吸い上げることができるという魂胆なのだろう。
明らかにこちらのシノギを分捕りに来ている。
《エスペランサ》は早急に手を打たねばならなかった。
当時は跡目争いが深刻化しているとはいえ、上松組の勢力は健在で、《エスペランサ》にとっては大きな脅威だった。一度、奪われたシノギは二度と取り戻せないだろう。だから何が何でも上松組下部組織にシノギを奪われるわけにはいかない。
しかし理由はそれだけではなかった。
ここで何もしなければ、藤中組など他の組も似たコンセプトの店を出し、競争過多になっていずれ《エスペランサ》が経営危機に見舞われるのは目に見えている。
ぼうっとしていたら間違いなく身を滅ぼす、《エスペランサ》はそういう瀬戸際に立たされてしまったのだ。
対処の必要性に迫られているのは明白だったが、多くの構成員、もしくは幹部たちまでもが尻込みをした。何故なら、相手がいくら下部組織とはいえ、《エスペランサ》の何倍も格上の上松組だったからだ。
《エスペランサ》は下桜井組の系列組織ではあるが、正式にはまだ組の一員として認められておらず、代紋を持つことも許されていない。揉め事を起こせば、その時点で切り捨てられてしまう末端組織だ。
片や相手は正式な上松組の系列組織。こちらから『戦争』を仕かければ、間違いなく千倍や万倍の報復となって返ってくる。そもそもカチコミということにでもなれば、生きて帰れるかどうかも分からない。
それに、《死刑執行人》の存在も無視できないだろう。たとえ生き残っても、死者を出せばその時点で《リスト執行》される恐れがある。
つまりこの襲撃はどちらに結果が転んでもリスクだらけ。
だからみな、二の足を踏んだのだ。
そんな中、聖夜は自ら上松組下部組織への殴り込みに立候補した。上松組の件は聖夜にとっては出世するまたとないチャンスだと思ったからだ。
もちろん、危険があるのは承知していた。
だがもし、上松組下部組織を潰すことができれば、昇進は間違いない。
準構成員から構成員になることができれば、幹部まであと少しだ。
それなら、やらないという選択肢はない。
聖夜は京極の承認を得るや否や、数人の仲間を引き連れ、件の上松組が経営するカジノ店へと乗り込んだ。因みにその時、行動を共にしたチームメンバーの中にはキッドやブランカも含まれていた。二人とはこれを機に親しくなったのだ。
《グラン・シャリオ》の副頭だった聖夜は、抗争も数えきれないほど経験している。わらわらと飛び出してきて怒号を上げる上松組構成員などものともせず、死に物狂いで戦った。
仲間を鼓舞しつつも、自ら先頭に立って戦い続けた。
その甲斐あってか、真新しいカジノ店は瞬く間に見るも無残に破壊し尽くされ、焼け落ちる。ほんの小一時間ほどの出来事だった。
その襲撃に加わった者のうち、《エスペランサ》側はどうにかみな生き残った。聖夜を含め重い怪我を負った者もいたが、命を失った者は皆無だった。
しかし上松組の方は多数の深刻な被害が出る。カジノ店が焼け落ちただけでなく、店に詰めていた数十人の構成員が例外なくみな全滅したのだ。
本来なら聖夜たちはその時点で《リスト登録》対象だっただろう。
しかしその直後、タイミングよく《Zアノン》信者が《新八洲特区》へ大挙して雪崩れ込んできた。そして《監獄都市》はどこもてんやわんやの災害級抗争状態に陥る。
その影響だろうか。
聖夜たちの上松組カジノ店の襲撃が誰かに問題視されることはなく、《死刑執行人》につけ狙われることもなかった。
おまけにこの巨大抗争で上松組も兄派が壊滅するという大きな損害を負う。
その結果、襲撃どころかカジノ店の存在そのものが有耶無耶になり、気づけば全てがいつの間にか終わっていたのだった。
『いや、俺たちラッキーでしたね、アイザックの旦那! 何もかもこんなに上手くいくなんて、俺たちは運命の女神ってヤツに愛されてるんだ、きっと!』
『うむ……キッドよ、それに関しては俺も同感だ。たとえ上松組への襲撃が成功しても、《死刑執行人》によって《リスト執行》される危険性は排除しきれない。いくら《新八洲特区》での問題だとしてもな。
特に最近の連中は、上松組の跡目争いに神経質になっていて、かつてないほど睨みを効かせてやがる。だから、このタイミングで《Zアノン》信者どもが大暴れしてくれて本当に運が良かったぜ』
キッドとブランカはそう言って互いの身に舞い降りた幸運を喜び合った。だが、聖夜はどうにも釈然とせず、自ら行った襲撃の結果に大きな違和感を抱いていた。
(本当にそうか……? 俺たちは本当に、単に運が良かっただけか……!? 何もかもが都合よく運びすぎて、まるで最初から全て何者かにコントロールされ、このような結果になるよう仕向けられているように感じる。それは俺の気のせいなのか……?)
真相は分からない。
また、聖夜がそれを知ることもないのだろう。
ただ一つ明らかなのは、それを機に聖夜が準構成員から構成員へと格上げされたということだ。
聞くところによると、《エスペランサ》でも類を見ないスピード出世だという。
それにより、聖夜が手がけられる仕事も一気に広がった。これまでは命じられるままに体力仕事ばかりしていたが、今度は聖夜自身がプロジェクトチームを率いる立場になったのだ。
《エスペランサ》はカジノ店であり、そこでの収入は確かに大きい。しかしそれだけが《エスペランサ》の収益の全てではない。それぞれの幹部や構成員はカジノ店での仕事とは別に、独自にビジネスを手掛けることができるのだ。
《アラハバキ》でいうところのシノギである。
折しも災害級大抗争の影響で、《監獄都市》は深刻な物資不足に陥っていた。
聖夜は英語ができることを生かし、《外国人街》で茶やコーヒー、酒、菓子類、煙草といった嗜好品、あるいはブランド品、高級食材、革製品や毛皮、香水、高級衣類、或いは最新の家電やゲーム機などの奢侈品を手に入れ、《アラハバキ》構成員に高額転売することを思いつく。
《アラハバキ》は物資不足にこそ陥っていないものの、贅沢品を入手する余裕までは無かったらしい。おかげで聖夜の商売は瞬く間に彼らの間で人気になった。
《外国人街》で手に入れたそれらの嗜好品や奢侈品は、どうやら《東京中華街》から流れてきた品々のようだ。《外国人街》の者たちは明言を避けたが、今でも《東京中華街》とは僅かながらやり取りがあるらしい。
代わりに《アラハバキ》から手に入れた生活必需品を《外国人街》へ持って行くと、大いに喜ばれた。
《外国人街》もひどい物資不足に喘いでいる。嗜好品や奢侈品はいくらあっても、それで腹が膨れるわけではない。
その結果、聖夜の率いる転売チームは《アラハバキ》と《外国人街》の双方を相手に、大きな利益を得ることができた。
聖夜のチームを支えるのは、キッドやブランカといった、上松組系カジノ店の襲撃で意気投合した面々だ。とはいえ、それだけではとても人員が足りず、日本人の準構成員の手は必要不可欠だった。外国人嫌いの《アラハバキ》を相手に商売をするならなおさらだ。
だが、その点も問題は無かった。もともと聖夜は大規模チームの副頭だったこともあり、人の上に立つのが得意だった。指示を出すのも的確で、どういったタイミングでどのようにフォローに入ればいいかも熟知している。
日本語を話せないということで最初は日本人の準構成員には敬遠されたが、シンプルで分かりやすい英単語を使うようにしたり、身振り手振りを交えたり、日本人が聞き取りやすい発音をしたりと様々な工夫を凝らした。
その結果、徐々に意思疎通も円滑になり、信頼を得られるようになっていく。
そうなると、俄然、裁量も増え、急激に仕事をするのが楽しくなってきた。転売事業は面白いほど絶好調で、毎日がやりがいに溢れ、充実している。ただのガードマンとは段違いだ。
だが一方で、壁も感じ始めていた。
それは昇進し、《エスペランサ》のことをさらに知れば知るほど、セキュリティががっちりしていることだ。
フラットな組織であるにもかかわらず、情報管理や従業員の管理がきっちりとしている。従業員に自由はあるが、野放図ではないということだ。
また、特に経営者である京極の身辺は警備が固く、いつも屈強な護衛を連れていた。これでは復讐どころか近づくことさえできない。おまけに彼の部下にも優秀な者が多いため、少しでも不審な動きをすればすぐに気づかれてしまうのだ。
みなが京極に厚い信頼を寄せているし、従業員のモチベーションも高い。みなが自発的に考え動き、そして適切な競争環境で仲間と切磋琢磨する。フラットで従業員のやる気を引き出す経営が大きな成果を生み出し、それがさらに優秀な者を集めるという好循環だ。
それは裏を返すと、いつ同僚に先を越されるか、或いはいつ構成員や幹部の地位を奪われるか分からないという一定の緊張感を生むことにも繋がっている。中には他人をそれとなく観察しているしたたかな者もおり、余計な手は出せない。
ましてや不審な動きや悪目立ちする行動などできるはずがなかった。
(もしこれが、冷酷で硬直した独裁体制だったならまだ良かった。つけ込む隙もいくらでもあっただろう。むしろ《エスペランサ》に不満を持つ構成員を集めて反乱を起こすことすらできたかもしれない……!!)
それに正直なところ、周囲が京極を信頼し、心から忠誠を誓う中で、聖夜だけが京極を憎み続けるのもなかなかしんどいものがあった。
ただでさえ日本語で意思疎通できないという中で、ますます疎外感を感じる。
自分だけが集団の輪の中に入り切れない孤立感。
聖夜の目的は、そもそも京極へ復讐することなのだから、《エスペランサ》での人間関係など切り捨てれば良いのかもしれない。
だが一方でこうも思う。聖夜が憎んでいるのは京極ただ一人だ。他の《エスペランサ》の従業員たちは復讐とは何も関係がない。ならば聖夜が《エスペランサ》の従業員――新たな仲間たちを邪険にする必要などどこにも無いのではないか。むしろ、どんな事情があれ、構成員という責任ある立場になったからには、復讐などという個人的な事情は脇に置き、仲間たちのために尽力すべきなのではないか。
聖夜がそう考えてしまうほど、《エスペランサ》での人間関係は良好だった。
闇組織とは思えないほど、どいつもこいつも『いい奴』なのだ。
《エスペランサ》に集まる人材は多様性に富んでいる。聖夜のように日本語を操れない者もいれば、そもそも日本人でない者もいるし、何でもそつなくこなすタイプや一芸に秀でたタイプ、コミュニケーション能力に特化したタイプや根っからの武闘派など、多種多様な人材が属している。
だがその一方で、他人を妬んで足を引っ張るような者や悪質な方法でライバルを出し抜く者、或いは自分さえ成功すれば他の人間がどうなろうと構わないと考える者、独り善がりの同調圧力で仲間の士気を削ぐ者など、組織にとってマイナスとなりかねない人材は皆無だった。
そういった性格に難のある者は速やかに排除したり、そもそも組織に入れないようにしているのだろう。
京極の人材を見極める目がいかに鋭く正しいかがよく分かる。
仲間に恵まれているという実感があるからこそ、どれだけ京極が憎くても、部下である彼らのことまで憎む気になれない。
(何を考えているんだ、しっかりしろ!! 確かにキッドやブランカを始め、《エスペランサ》では新しい知り合いが大勢できた。このまま仕事を続ければ、みな仲間……いや、家族とも言える存在になれるのかもしれない。だが、それなら《グラン・シャリオ》のみなはどうなる!? ただ利用され、襲われて殺されて……それを無かったことにできるのか!? ただでさえ俺は副頭という責任ある立場にありながら、みなを守れなかった! それなのに、あり得ねえ……そんなことは絶対に許されねえぞ、九鬼聖夜!!)
しかしどれだけ自分を責めても、京極の仇を討てそうな気配はない。
おまけに、京極に近づくためにさらに出世しようと働けば働くほど部下も増え、《エスペランサ》での人間関係が膨らんでいく。
聖夜の復讐計画にとってはまさに悪循環だ。
転売事業は好調であるにもかかわらず、ずぶずぶと蟻地獄にはまっていくような気味の悪さ。聖夜は悶々と葛藤する日々を過ごす。
そんなある日、聖夜は《エスペランサ》の幹部の一人に呼び出された。相手は牡羊座の座にいる、有馬剣心という男だ。
《エスペランサ》の立ち上げの頃から組織を支えてきたという最古参従業員の一人で、《ゾーディアクス》の中でも頭一つ抜けている実力の持ち主だった。
当然、京極からの信頼も厚い。
京極が外出する時は、大抵、有馬が護衛の任についている。
海外生活の経験があるらしく、日本人だが英語も堪能だ。聖夜が構成員になったばかりの頃に、店や組織のシステムについていろいろ教わった。
幹部にはカジノ店のバックヤードにそれぞれ個室が与えられている。
聖夜は牡羊座の部屋へ行きノックをすると、英語で自らの到着を告げた。




