第22話 《エスペランサ》での仕事①
雨宮深雪の態度は一貫して変わらない。
どれだけ怒鳴り散らし、追い払っても、しつこく聖夜の目の前に立ち塞がる。異常なまでの意志の強さだ。
何が彼をここまでさせるのか。
聖夜は深々と溜息をついて深雪に尋ねた。
「……なあ、何でお前はそこまでして俺にこだわる? 俺はただの《ストリート・ダスト》だ。《グラン・シャリオ》で副頭をやっていただけの、何の地位も権力もないただのガキだ。次期・《中立地帯の死神》であるお前なら、俺につきまとうより外にやることがいくらでもあるだろうが」
「それは……《グラン・シャリオ》の壊滅には俺にも責任があるから。それこそ、無かったことにして目を瞑るなんてできない。聖夜に対しても涼太郎に対しても、償わなければならないと思ってる」
「償い……か。けど、どのみちお前にゃ、何もできねえだろ。《グラン・シャリオ》のメンバー全員を今ここで生き返らせるか? それとも、頭の豊の自殺を無かったことにして、ここに呼び出せるか? できないなら、お前のその責任感なんてのはただの自己欺瞞、こっちにとっては迷惑でしかないんだよ」
「……そう言われたら、返す言葉も無いよ。でも……それでも俺は諦めるなんてできない。何としてでも聖夜のことを止めたいんだ。俺は聖夜のことも涼太郎のことも、友達だと思っているから」
その言葉を耳にした聖夜は、むっと眉根を寄せた。
「何だそりゃ!? こっちはお前と友達なんぞ、一度もなったつもりはねえぞ。お前は《死刑執行人》で俺は《ストリート・ダスト》、今では《エスペランサ》の一員だ。どう考えても不釣り合いだろ。狼とウサギが仲良くするようなもんだ」
「聖夜……」
「普通に考えても、《死刑執行人》と《ストリート・ダスト》ってのは相容れない立場にあるってのがこの街の常識だ。それなのに……そもそも互いに近づきすぎたのが間違っていた」
聖夜は、雨宮深雪に相談を持ち掛けたことを心の底から後悔していた。
上松組の兄派と弟派の両方から組入りを強いられ、聖夜はつい《死刑執行人》である雨宮深雪を頼った。東雲探偵事務所の《死刑執行人》を巻き込めば、上松組もさすがに手を引くだろうと考えたからだ。
これまで雨宮深雪と接してきて、信頼できる人間だと判断したこともある。
何より、聖夜は《グラン・シャリオ》を守りたかった。大切な仲間たちを助けたかった。
そのためなら《死刑執行人》に頭を下げるくらいどうということもなかったし、その時にはそれが最善だと確信していた。
だが、結果的にその選択は間違いだった。
いくら誠実で人当たりが良くても、《死刑執行人》は《ストリート・ダスト》とは違う。同じ《監獄都市》に生きるゴーストであっても、決定的に立場が違うのだ。
生きる世界が違うのだから、これ以上は関わるべきでない。今では聖夜はそう考えを改めている。
だが、深雪は首を振って反論するのだった。
「俺はそうは思わないよ。もう《死刑執行人》だけでは、この《監獄都市》は守れない。今まではともかく、これからは確実にそういう時代になる。いろんな人が立場や主義主張を越えて力を合わせないと、本当の『脅威』は乗り越えなられない……!」
「フン、そりゃそっちの問題だろう―が。俺たちには関係ねえ。てめえの事情に俺らを巻き込むじゃねーよ」
「俺は、できれば聖夜の力も貸して欲しいと思ってる」
その言い草にはさすがに聖夜も怒りを禁じえなかった。
どの口が言うんだ。
この期に及んでまだ俺たちを巻き込もうというのか。
聖夜は苛立ちと嫌悪を露わにする。
「……ふざけるな、お前に関わって《グラン・シャリオ》のみなが死んだ! 豊もだ! たとえお前に悪意が無かったのだとしても、起こったことは全て事実なんだ……! その過去を消すことはできない。どんなに望んでも、もう二度と時計の針を戻すことはできねえんだよ……!!」
台詞の最後の方は声が震えていた。
《グラン・シャリオ》のみなが生きていた時のこと、幸せだったあの頃を思い出して胸が詰まったからだ。
雨宮深雪もまた沈痛な面持ちで俯く。
しかしすぐに顔を上げ、聖夜を見つめる。
「……俺も決して忘れたわけじゃない。《グラン・シャリオ》のことも……豊のことも。でもそれと聖夜が《エスペランサ》に入るのとは話が別だ。……京極のことは俺たちに任せてくれ。そして今は、涼太郎のそばにいてやって欲しい」
「京極のことは任せろだと……!? どの口がそれを言うんだ? まさか俺にその言葉を信用しろってのか!? 何もできなかった無力なお前の言葉を!?」
「……」
「それに、自分の復讐は自分でやり遂げねえと意味がねえだろ。世の中には憎い相手が痛い目に遭いさえすればどんな形でも構わねえっていう、お気楽な奴もいるのかもしれねえが、生憎と俺はそこまで単純でも腑抜けでもねえ。お前が何と言おうと、俺は俺の考えで動く。……話はそれで全部か?」
聖夜の意志が固いことを知り、雨宮深雪は今度こそ黙り込んでしまった。
これでようやく解放される。
聖夜は内心でほっとしつつその場を立ち去ろうとする。
大型バイクにまたがってヘルメットをかぶり、ハンドルを握った。すると最後に雨宮深雪が大声で訴える。
「聖夜、自分で自分を苦しめるな! 誰もお前を責めたりしない……涼太郎も豊も、そして《グラン・シャリオ》のメンバーたちも、誰ひとりお前を恨んでなんかいない!! だからお前が自分自身に罰を与える必要はないんだ!!」
聖夜はそれを無視してバイクを発進させた。内心で雨宮深雪の言葉を忌々しく思いながら。
(くそ……あの野郎、まるで人の心を見透かしたような事を言いやがって……!!)
雨宮深雪の言葉に、どきりとしたのは事実だ。
そう、確かに聖夜は自分自身に罰を与えようとしているのかもしれない。副頭であったにもかかわらず《グラン・シャリオ》を守れず、頭の綾瀬豊も支えきれなかった。そんな情けない自分に対し、復讐という枷を嵌めることで責任を果たそうとしているのかもしれない。
だが、もしそうだとしても、ここで立ち止まるつもりは毛頭なかった。
聖夜は京極鷹臣をこの手で討つ。
そうでもしなければ――このままでは誰も報われないではないか。
危険地帯ゆえ道路の状態が悪く、おまけに街灯も一切ついていないという、なかなかの悪路だが、それでも聖夜はバイクのスピードを上げる。
雨宮深雪と話し込んだせいで出勤の予定時間から大幅に遅れてしまった。一刻も早く《エスペランサ》へ辿り着かなければ。
やがて、周囲に煌びやかな建物が増えてくる。
立ち並ぶ高層ビルに派手なネオン。女性たちの嬌声に、肩をそびやかす男性たち。東京の東部に比べると、まるで何もかもが異世界のようだ。
その中をバイクで走り抜け、聖夜はようやくカジノ店・《エスペランサ》に到着した。
スタイリッシュな外観の店の裏手にあるスタッフ専用の駐車場にバイクを停めると、それを待ち構えていたかのように二人の人物が近づいて来る。
二人とも生粋の日本人ではない。一人はフィリピン系の若者で、みなにキッドと呼ばれている人物だ。小柄で童顔だが、頭がキレる。
『アイザックさん、今日は遅い出勤っスね、珍しい。何かあったんですか?』
『……何もねえよ。来る途中、ちょっと酔っ払いに絡まれただけだ』
『マジっすか! 俺ら天下の《エスペランサ》ファミリーに喧嘩を売るなんて、どこのどいつですか!? 俺が一発、ぶん殴ってやりますよ!!』
すると、今度はもう一人の人物が口を開く。
見事な逆三角形をしたマッチョ体型で、背丈もあり、聖夜よりも大きい。カナダ出身で、《エスペランサ》ではブランカと呼ばれている。由来は、むかし人気だったという格闘ゲームのキャラクターからだ。厳つい顔立ちと、何より髪型がよく似ている。
ブランカは息巻くキッドを窘めた。
『よせ、キッド。いちいちそんな小物の相手をしていたら、こっちの格が下がる』
『へ、そんなもんかね? デカいやつはとにかく動きがトロいからな。俺なら、逆らう者はたとえザコでも叩き潰して、分からせてやるけどな!』
キッドは華奢な拳を勢いよく振り回す。キッドは、腕力の方はからきしだが、見かけによらず勝気なところがある。聖夜はヘルメットを脱ぐと、抑揚のない声音で言った。
『その事はもういい。どうせもう二度と会うことはない。それより、店の方はどうなっている?』
因みに、三人の会話はすべて英語で行われている。聖夜は父親がアメリカ人だったこともあり、英語を流暢に話せるのだ。
今の聖夜はアイザック=ハミルトンという名の元アメリカ人で、つい最近、《監獄都市》にやってきたばかりということになっている。
キッドは肩を竦め、店の現状を説明した。
『まあ、見ての通りッスよ。《中立地帯》から《新八洲特区》にかけて、あれだけ大きな抗争があった後ですからね。売り上げは落ちたままですけど、客足は戻りつつありますよ。他の店に比べると、回復は早いと思います』
『そうか』
『ま、といっても、客の大半はカジノ目当てじゃなく例の《Z》が目的のようですけどね。……ったく正義だの革命だの、よくもまあ、あんなに熱くなれるこった。それよりギャンブルでパーッと気分転換でもすりゃいいのによ』
するとブランカが厳めしい顔をさらにしかめ、鋭くキッドに注意する。
『……キッド! 客を悪く言うんじゃない!』
『おっと……悪ィ、悪ィ! 俺ァどうも口が軽くていけねえや!』
客のほとんどは《中立地帯》の若者や《アラハバキ》下部構成員だが、中には英語が理解できる者もいないとは限らない。ブランカは慎重な性格をしており、たとえ英語であっても客の悪口は絶対に発しなかった。
だが対するキッドは、一応は反省の言葉を口にするものの、表情は全く懲りていない。ブランカは溜息をつき、聖夜の方を向く。
『とにかく、大規模抗争の後ということもあって、どこも静かなものですよ。俺たちが力仕事に駆り出されることもないでしょう。当分は通常業務が続くんじゃないですかね』
通常業務――つまり、カジノ店従業員としての仕事のことだ。
聖夜やブランカは恵まれた体格をしていることもあり、カジノ店のガードマンの仕事を任されることが多い。もちろん他にも重要な仕事はあるが、今日のところは特に予定が入っていなかった。そういった時は、カジノ店のサポートに入ることにしている。
キッドは両手を後頭部で組むと、くるりと向きを変える。
『それじゃ、俺は《中立地帯》の情報収集にでも行ってくるか』
『ほう、お前にしては随分と熱心だな』
ブランカは驚いたように口にした。すると、キッドはこちらを振り返ってニヤリと笑う。
『バーカ、俺は元もと働き者なんだよ。ただタイミングってものをわきまえているだけだ。お前みたいな武闘派のデカブツには分からねえかもしれねえが、俺みたいに腕力任せの仕事ができねえ人間は、こういう他の奴が羽を伸ばしている時こそが働き時なんだ。京極さんのためにも結果を出したいし、何より一刻も早く認めてもらいてえしな!』
『ふん……その点に関しては俺も同意だな。京極さんは人種や年齢関係なく部下を評価する。だからこそ命を懸けられる』
『……』
キッドやブランカは口々に経営者である京極を慕う言葉を口にする。それに対し、聖夜は無言で顔を背けた。
もっとも、聖夜は《エスペランサ》では、無口で無愛想なキャラとして通っているので、二人ともそれに疑問や反感を抱いた様子はない。
『まあでも、この中で一番、幹部の座に近いのは間違いなくアイザックさんだ。何かあったら声をかけてください。何でもやりますんで。……そんじゃ!』
そして、聖夜に向かってスチャッと敬礼ポーズをすると、キッドは踵を返し夜の街へ走り去っていった。小柄なせいか足も速く、あっという間にその姿は見えなくなってしまう。
一方、聖夜はブランカと共に《エスペランサ》の中へ向かった。店内に入ると同時に鮮烈な光が目に飛び込んでくる。
サングラスをしていてもそうと分かるほどの鮮やかさ。そこには華やかで洗練された空間が広がっていた。
店内は広々としており、複雑な作りの天井や柱が幾何学模様を描いている。そこに、ブルーの光が効果的に配置されており、先端的でスタイリッシュな空間を演出していた。そして、ずらりと並ぶ最新のゲームマシン。まるで、SF映画に出てくる宇宙戦艦の内部のようだ。
《監獄都市》のどの場所にも見劣りしない、最高のエンターテイメント空間。
まさに別世界に足を踏み入れたかのようだった。
何より特筆すべきなのは、《中立地帯》や《新八洲特区》が大なり小なり混乱に見舞われている中で、《エスペランサ》は全くの無傷なことだ。店内はもちろん、店の外装のどこにも掠り傷ひとつ見当たらない。
《Zアノン》が《新八洲特区》で暴れ回った時も、《エスペランサ》が被害に遭うことはなかった。
それもそのはず、《Zアノン》信者にとって《エスペランサ》は聖地と表現しても過言ではない神聖で特別な場所だからだ。
《中立地帯》の《ストリート・ダスト》たちは最初、カジノ目当てでこの店にやって来る。
しかし《エスペランサ》は本業であるカジノ店経営の裏で人材斡旋、つまり上松組の兄派や弟派への口利きも行っていた。
カジノなどの賭け事に興じる者は、特に金儲けに敏く、うまい話に飛びつきやすい傾向がある。《エスペランサ》を気に入り通い詰める《ストリート・ダスト》たちは、気づけば上松組の傘下組織の一員となっているという寸法だ。
だがそれすらも表の顔の一つに過ぎないのだということに、聖夜は《エスペランサ》に入ってから初めて気づいた。
《エスペランサ》では野心漲る有能な者を集めるため、定期的にセミナーのような催しを行っている。
内容は主に、この街での商売のやり方や儲け方、生存戦略などの伝授、或いは自己成長の仕方やモチベーションの保ち方についてなどだ。
特に《アラハバキ》の組織構造や傘下組織との付き合い方、或いは《収管庁》の役割や政策内容といった、一般のゴーストには得づらい情報を分析したり解説したセミナーは人気があるらしい。要はやる気のある若者をターゲットとした自己啓発やスキルアップ、情報提供を行う意見交換会が行われているのだ。
その過程で、自然と染まっていくのだろうか。
《エスペランサ》に足繁く通うようになったゴーストは、もれなく《Zアノン》信奉者となる。
と言っても、《エスペランサ》の従業員や構成員が何か特別なことを吹き込んでいるわけではない。聖夜も警備の名目でセミナーのいくつかに参加したことがあるが、不審な点は全く見当たらなかった。
誰に唆されたわけでもなく、彼らはいつの間にか《Zアノン》信者になるのだ。
現に今も、店内のあちこちで《Zアノン》信者が激論を戦わせている。腐敗勢力がどうとか、この世の正義について。
《Zアノン》信者とそうでない客は半々ほどだが、多い時は《Zアノン》信者が八割ほど占めることもある。彼らの情熱は、はっきり言って異常といってもいいレベルで、どう考えても何かに洗脳されているとしか思えない。ストリート出身の聖夜は、ストリートのゴーストが基本的にそういった事柄に関心を示さないことを知っているからこそ、余計に奇異に感じてしまう。
そして、それを可能にするのは京極のアニムスだけだ。
(これが京極鷹臣の《ヴァニタス》の効果なのか……? もしそうなのだとしたら、思っていた以上に恐ろしい能力だぞ……!!)
聖夜も《Zアノン》信者の暴走をきっかけに同時多発の抗争が起き、それによって《中立地帯》が凄まじい地獄と化してしまったことを知っている。
さらに《新八洲特区》ではとうとう上松組兄派が壊滅してしまった。それもまた、《Zアノン》信者の暴動が大きく関わっていると言われている。
つまり、この《監獄都市》を襲う混乱は全て京極鷹臣が裏で手を引いているということになるのではないか。
もっとも、《エスペランサ》でそれを知るのは聖夜だけだ。
そして、京極がストリートのゴーストを洗脳しているという、これといった証拠もない。
だが、聖夜は確信を抱いている。《Zアノン》の狂乱は《彼岸桜》が《グラン・シャリオ》を襲った時と全く同じだ。
つまり、《Zアノン》信者の背後には必ず京極の関与があると。
(……こいつはどうあっても、サングラスは外せねえな)
聖夜は京極の《ヴァニタス》が視線を介し相手を操る能力であることを知っている。だから、深夜帯であろうとも決してサングラスを外さない。そんな聖夜のことを嘲る者や訝しむ者がいることも知っているが、瞳を晒す気にはなれなかった。
もっとも、それもどこまで効果があるのかは分からないが。
そして、《エスペランサ》が《中立地帯》のゴーストから人気を得ている理由がもう一つある。それは純粋に仕事先として魅力があるということだ。




