第21話 復讐の決意
「気を悪くさせたなら謝る。だが俺の言ってることは嘘じゃない! あいつはお前のことを利用しようと考えているだけ……だがそれも、あくまで使い捨ての箸やストローほどの利用価値であって、本気でお前の能力を生かそうとしているわけじゃない! 変わりはいくらでもいる代替品……『その程度』なんだ!!
不要になればいつだって一瞬で『処分』できる……誇張でも何でもなく、あいつにはそれを現実にするだけの知力とアニムスがある!! 何人も……何人も何人も、京極のおぞましい本性を見抜けず犠牲になった!! 俺はずっとそれを見てきたんだ!! とても『覚悟』なんて安易な精神論で戦える相手じゃない!!」
「黙れ!!」
聖夜の放った渾身の一撃が深雪の脇腹を掠めた。辛うじて回避できたが、直撃していたら肋骨にひびが入っていたかもしれない。
聖夜は本気だ。
サングラス越しでもはっきり伝わってくるほどの敵意と憎悪。繰り出される拳の速度もそれに伴ってぐんぐん増していく。
一発でも喰らったら、ダメージは計り知れない。
しかし、だからと言って、深雪も大人しく引き下がるわけにはいかなかった。ここでアニムスを使うことになっても構わない。是が非でも聖夜を止めなければ。
すると聖夜は、氷のような冷ややかな声で吐き捨てる。
「……だが、てめえはその京極鷹臣を止めることができなかったじゃねえか」
「……!!」
「てめえは《グラン・シャリオ》を救う事ができなかったじゃねえか! 操られた《彼岸桜》を止めることができなかったじゃねえか!! 京極が悪だと知りながら、《リスト執行》することさえできねえじゃねえか!!」
思わず絶句したその隙を突かれ、深雪は聖夜に胸倉を掴まれた。聖夜はぎりぎりと容赦なく深雪の首元を締め上げる。深雪は息を切らしつつも反論した。
「そ……それができるなら、俺たちだってとっくにやってる!! でも、京極のアニムスは厄介で……」
「言い訳なんざ聞きたくねえよ!! 誰も……《死刑執行人》でさえ、京極を裁くことができない……! ちんたらしている間にも犠牲者は増えるかもしれねえってのに……!! だったら俺がやるしかねえじゃねえか!! 誰も当てにならないなら、俺がこの手で終わらせるしかねえじゃねえか!! それの何が悪いってんだよ!?」
「聖夜……!!」
誰も頼りにならないではないか。
誰も自分たちを助けてくれなかったではないか。
聖夜の慟哭にも似た叫びに、胸が張り裂けそうだった。深雪は唇を噛みしめる。
自分が京極を止められないばかりに、聖夜を復讐の道に進ませてしまった。自分の不甲斐なさが聖夜を苦しめ、追い詰めているのだ。
厳しい現実が深雪を打ちのめす。だが、どれだけ責められ罵られても、聖夜をこのままにはしておけない。
「……とにかく、京極の《エスペランサ》とは距離を取れ、聖夜! 何か起こってからでは遅いんだ!」
「断る! 大人しく《死刑執行人》の言うことを聞いてたって、失う時は失う。俺はそれを《グラン・シャリオ》の壊滅で嫌というほど思い知らされた! これからは誰も頼らず、俺自身の判断で動く!!」
「聖夜、それだけは駄目だ! 聖夜!! それじゃ奴の思うツボになってしまう!!」
「うるせえな、しつけえんだよてめえは! 俺のことはもう放っとけよ!!」
聖夜はそう叫ぶと、深雪の左頬を殴りつけた。鈍い衝撃と共に、視界が上下にひっくり返る。殴られたその勢いで深雪は後方に吹き飛ばされたのだ。
「ユキ!!」
シロはこれ以上、見ていられないと思ったのだろう。《狗狼丸》の柄に手をかける。
深雪は慌てて上半身を起こし、それは駄目だと首を振った。何があっても、ここでシロと聖夜を戦わせるわけにはいかない。
一方、涼太郎も真っ青になり、深雪に追い打ちをかけようと右腕を振り上げる聖夜の前に立ちはだかった。
「いい加減にしてください、二人とも! もう……もうやめましょうよ、こんなの……!!」
「……!」
聖夜は肩を上下させつつも、ぴたりと動きを止めた。涼太郎はなおも声を張り上げる。
「聖夜さんも雨宮さんも、それぞれ言い分があるのは分かります。でも俺は……もう誰かと誰かが争い傷つけあうのは見たくないです……!!」
「涼太郎、お前……」
「……それに、俺たちがいがみ合ったところで、もうみんなは……《グラン・シャリオ》のメンバーも頭の豊さんも戻ってこないじゃないですか!! それに……豊さんたちも俺たちがぎくしゃくすることは望んでいないと思います」
「……」
みな、しんと静まり返った。
シロは日本刀から手を放し、聖夜もまた戦闘態勢を解く。
緊張の緩和と共に涼太郎も少し落ち着いてきたのか、声を落としつつも聖夜に訴える。
「雨宮さんは聖夜さんと話がしたいと言っていました。俺も……聖夜さんは雨宮さんと話すべきだと思います」
「……。いつの間にか、えらく東雲探偵事務所の連中に懐柔されたようだな」
「違います。聖夜さんには聖夜さんの考えがあるように、俺には俺の考えがあるだけです。本当は……№3だった俺が副頭である聖夜さんをもっとしっかり支えなければならなかった。二人で協力し合い、この困難を乗り越えるべきだった。なのに……俺はパニックを起こすようになってしまって、聖夜さんを一人にしてしまった。
だからその代わりに、せめて雨宮さんとは話し合って欲しいんです。聖夜さんが何をしようとしているか、俺にはまだよく分からないけど……孤独に復讐の道を突き進むよりは……ずっとマシだと思うから……!!」
先ほどの深雪と聖夜のやり取りで、涼太郎もおよその事情を察したのだろう。何があったか、その全てを理解したわけではないだろうが、少なくとも聖夜が復讐のために《エスペランサ》へ出入りしているということには気づいてしまったのだ。
聖夜は舌打ちをすると、しぶしぶ広場のベンチに放り投げたカップ麺の入ったビニールを拾い上げた。
しかし次の瞬間にはそれを地面に乱暴にたたきつける。
そして深雪たちには目もくれず足早に立ち去ってしまう。
涼太郎はそのビニール袋を拾い上げると、申し訳なさそうに深雪とシロに頭を下げ、聖夜の後を追った。
「聖夜……」
聖夜と涼太郎が見えなくなってから、深雪はようやく立ち上がった。今さらながらに、左の頬に激痛が走る。口の中が切れているらしく、血の味が広がった。頬全体が熱を帯びており、腫れているのも感じられる。
シロが心配して駆け寄ってきた。
「……! ユキ、大丈夫!?」
「……ああ。さすが《中立地帯》最大チームの副頭を務めていただけあって、聖夜は強いよ。拳も重かった」
「聖夜、本気だったのかな。本気でユキに怒りをぶつけてた……?」
「多分ね。でも、適当にあしらわれるよりずっといいよ。怒るってことは、まだ俺に期待している部分が残ってるってことだから。無関心になられるよりはずっといい」
深雪はそう言ってにっこり笑う。
強がりでも負け惜しみでもなく、それは深雪の本心だった。聖夜の怒りは自分が受け止めなければならない。深雪はそう思っている。何故なら、他の誰もそれを理解することはできないからだ。
《グラン・シャリオ》に何があったか、その真実を知る者は殆どいない。聖夜の怒りと悲しみを共有し、受け止めることができるのはただ一人、深雪だけなのだ。
深雪の笑顔を見たシロは、目を見開いたあと、ぽつりと呟く。
「……。ユキ、最近またちょっと変わったね」
「そうかな?」
「うん。前はすごく一生懸命で体当たりするかんじだった。今も一生懸命なところは変わらないけど、何ていうか……前よりどっしりしてる感じがする」
「はは、雨宮にずいぶん体を鍛えてもらったからかな?」
実際、以前の深雪はひょろひょろだった。でも今は体つきが少しがっしりしてきたし、体力もついた気がする。けれど、シロが言いたいのはそういうことではないらしい。シロは人差し指を顎に当て、うーんと考え込む。
「多分、ユキの中には……樹があるんだと思う」
「樹……?」
「うん、そう! それがどんどん成長して大きくなってるんだなって、シロ、そう思う! 幹が太くなって枝がいっぱい伸びて、たくさんの葉っぱが風に揺れて……いろんな人がそこに集まってきて休んだり遊んだり、仲良く騒いだりするの!」
「もし本当にそんな場所があったら、楽しいだろうな」
「シロはね、ユキはきっとそういう場所になると思うよ!」
今度は深雪が目を見開く番だった。
「みんなが集まれる場所……か。そういう風に考えたことはなかったな。シロの視点、すごく面白いよ」
「えへへ……」
誉められたのが嬉しかったのか、シロは頬を赤らめた。けれど、すぐ悲しそうな顔になる。
「でも……聖夜にはそれが伝わらなかったみたいだね。ユキと話をしてくれそうな雰囲気すらなかったし……」
「それはある程度、想定していたよ。聖夜はすごく仲間想いだったから……《グラン・シャリオ》壊滅のきっかけを作った俺をそう簡単に許しはしないって。でも、俺は諦めない。せっかく居場所が分かったんだ。このチャンスを逃したくない。絶対に聖夜を『こちら側』へ引き戻す……!!」
深雪に足りないところがあるのは事実だ。好き放題に振舞う京極に対し、ろくな牽制ができていない。そもそも京極は手強く、次にどんな手を用いてくるか、それすら読めないのだ。聖夜が痺れを切らすのも無理はなかった。
しかし、だからと言ってこのまま聖夜を放置しておくわけにはいかない。
たとえ信頼を失ったとしても、見限られていても。
絶対に《エスペランサ》を抜けさせなければ。
シロも大きく頷いた。
「うん、そうだね。せっかく再会できたんだもんね!」
「……っと、そろそろ巡回の時間だ。今日のところは事務所に戻ろうか」
《中立地帯》の復興は遅々として進まず、やるべきことは山のように残っている。
二人は一度、東雲探偵事務所に戻って態勢を立て直すことにした。
✜✜✜
目が覚めると二十時を過ぎたところだった。
これから《エスペランサ》へ出勤しなければならない。聖夜はのろのろとベッドから起き上がる。
寝室はこじんまりとしており、室内には折り畳み式のローベッドと服を吊るすためのハンガーラックがあるだけだ。寝るだけの部屋だから、それでも全く構わない。
その殺風景な寝室からリビングに出ると、部屋は真っ暗だった。涼太郎は別室で寝ているらしく、しんと静まり返っている。
電気をつけると、テーブルの上にカップ麺が置いてあった。昼間、聖夜が地面に叩きつけたビニール袋に入っていたものだ。おそらく涼太郎が回収したのだろう。
(涼太郎……最近、顔色が良くなってるな。《グラン・シャリオ》が壊滅し、頭の豊が死んでから塞ぎ込むばかりだったが……過呼吸みてえな発作も少なくなってきた)
その原因は明らかだった。東雲探偵事務所の雨宮深雪や東雲シロと会っているからだ。
聖夜もそのことには、うすうす気づいていた。
東雲探偵事務所の《死刑執行人》に復讐の計画を邪魔されるのではないかという懸念はあったが、涼太郎が回復しているのに気づき、見てみぬふりを続けてきた。
しかし、昨日はとうとう正面から出くわしてしまい、殴り合いの大喧嘩に発展してしまった。
とはいえ、聖夜は全く後悔していない。むしろこれを機に深雪たちが接触してこなくなれば万々歳だ。
聖夜は湯を沸かし、カップ麺に注いでそれを啜った後、身支度を整えて家を出る。もちろん、いつもの威圧感のあるサングラスも忘れない。
聖夜と涼太郎が住んでいるのは、東日暮里のコリアタウンの北にある町屋の古びたマンションの一室だった。そこはいわゆる《外国人街》の東端で、《レッド=ドラゴン》と《アラハバキ》の勢力が重なるため、《監獄都市》の中でもとりわけ物騒な地域の一つだった。
それでもその場所を選んだ理由は二つある。一つは、できるだけ《エスペランサ》側に素性を隠したかったから。そして二つ目の理由は、所在を分からなくすることで、《死刑執行人》の追跡を避けたかったからだ。
つまり全ては誰からも邪魔されず、確実に京極への復讐を遂げるため、敢えて危険地帯に足を踏み入れた。
そんな場所に残っている物件にまともなものがあろうはずもなく、このマンションも破損箇所こそ無いものの、日当たりが悪くとても狭い。
何より、少し前まで《グラン・シャリオ》の拠点でワイワイやっていたことを考えると、嘘みたいに静かだった。
場所柄、家賃がそれほど高くないのが唯一の救いだ。
それも、《エスペランサ》までは距離がありバイクで通わなければならない事を考えると、あまり大きな足しにはならない。
(バイクの燃料代も馬鹿にならねえし、移動時間も惜しいしな。できればもう少し店の近くに居を構えたいところだが……)
そう考えながらマンションの駐輪場へ向かうと、思いもしない人物が聖夜を待ち受けていた。
「聖夜、これから《エスペランサ》へ行くのか。ずいぶん早いんだな」
「お前……!」
聖夜を待ち伏せしていたのは、東雲探偵事務所の《死刑執行人》である雨宮深雪だった。昼間、聖夜の殴った左頬の一部が青黒くなって腫れているのが、暗闇の中でもよく分かる。聖夜は思わず顔をしかめた。
「……。どうしてここが分かった? 俺たちを尾行したのか!?」
「そういうわけじゃない。これでも一応、《死刑執行人》だから、いろいろ情報網があるんだよ」
因みに深雪は、エニグマに頼んで聖夜たちの居所を探ってもらった。しかし聖夜は、それを知る由もない。
あんなに気を付けていたのに。聖夜は苛々しながら、銀色に染めた髪を掻きむしる。
「くそっ……しつけえ奴だな、面倒くせえ。……そういや、いつもの相棒はどうした?」
「シロならあそこにいる」
深雪の指さした方にはシロの姿が見えた。五メートルほど離れた場所に壊れた自販機が放置してあり、その陰に立って慎重にこちらを見つめている。離れてはいるものの、彼女の腰にはいつもの日本刀がきっちり提げられていた。
シロの戦闘能力が相当なレベルであることを、聖夜も知っている。《中立地帯》で彼女はちょっとした有名人だった。
(こりゃ、隙を突いて逃げるってワケにもいかねえな……)
聖夜は内心で舌打ちをする。それならとっとと話を終わらせるしかない。雨宮深雪が自分から帰りたくなるように仕向けるのだ。この上もなく面倒臭いが、出勤前に事を荒立てたくない。聖夜は溜息をつくと、つっけんどんな口調で吐き捨てた。
「ったく……こんな時刻に待ち伏せまでして、俺に何の用だ? またお得意の説教か!?」
雨宮深雪はそれに懲りた様子もなく、まっすぐに聖夜を見つめる。
「何と言われようと、俺は何度だって聖夜を止めに来る! 《エスペランサ》で働くのは今すぐやめるんだ! これ以上……何かを失ってからでは遅いんだぞ!!」
「ハッ……お前がそれを言うか!? 俺らが既にどれだけ多くのものを失ったか、それをつぶさに知るお前がよ!!」
「聖夜……!!」
「てめえにとっちゃ、俺の復讐なんざくだらねえおままごとに過ぎないのかもしれねえ! けどな、こっちはやり遂げねえと先に進めねえんだ!! 危険があるからって保身を優先にし、きれいさっぱり全て忘れちまえるほど《グラン・シャリオ》の絆は弱くねえ!! 俺の中にあいつらが残り続けている限り、何もしないという選択肢は決してあり得ねえんだよ!!」
深雪は一瞬だけ押し黙ったが、すぐに口を開いた。
「……涼太郎はどうするんだ? 聖夜はともかく、今の涼太郎に必要なのは復讐なんかじゃない!」
聖夜はカチンときた。雨宮深雪は、聖夜の弱点が何であるかをよく知っている。だから接触する時もまず涼太郎に近づいたし、今も涼太郎のことをことさらに持ち出して聖夜の意思を捻じ曲げようとしている。
本人に悪気はないのかもしれない。だが、聖夜にとっては脅迫以外の何ものでもなかった。
聖夜は深雪の胸元に人差し指を突き付け、鋭く警告を発する。
「あいつのことには口を出すな! 涼太郎も《グラン・シャリオ》の一員だ! 俺たちがどうするかは俺たちが決める!!」
「それは本当に涼太郎も承知の上でのことなのか!? 二人でちゃんと話し合ったのか!?」
「黙れ!! 涼太郎の名を出せば、俺が怯むとでも思ったか!? ……俺は本気だ! 打てる手はすべて打ち、この手に残ったものもみな捨て去った!! 相応のリスクを冒してここまで来たんだ!! 今更それを手放すわけにはいかねえ……みなの仇を討つまではな!!」
その時、ガランと物音が響いた。聖夜と深雪は、ハッとしてそちらへ視線を向ける。
崩れかけた石塀の向こうで、ホームレスらしき身なりの男がじっとこちらを見つめている。感情の読めない、虚ろで不気味な目。目を凝らすと、他にも浮浪者らしき者たちが数人、闇の中で身動ぎしているのに気づいた。
瘦せ細ってはいるが、飢えた狼みたいにギラギラした目をしている。高位ゴーストである聖夜でさえ、身の危険を感じるほど獰猛な光。
ここは《中立地帯》とは比べようもないほど物騒な地域だ。しかも、既に日が落ちている。大声を出すなどの目立つ行動は控えた方がいい。
雨宮深雪もそう判断したのだろう。声を潜め、けれど毅然と言葉を続ける。
「……それでも駄目だ、聖夜。絶対にお前を行かせるわけにはいかない」
「……」




