第20話 隠し事
深雪も同じように、涼太郎の背中をさする。
痩せているとは思ったが、実際に涼太郎の背中に触れると服の上からでも肩甲骨がくっきりと浮かんでいるのが分かって、余計に痛々しく感じられる。
それからふと考えた。
(涼太郎は自分の気持ちを誰にも……聖夜にさえも、打ち明けられずにいたのかもしれないな。聖夜も涼太郎と同じで一夜にして仲間を失ったんだ。しかも今は復讐で頭がいっぱいになっている。とても涼太郎に寄り添う余裕はないだろう。だから涼太郎は《グラン・シャリオ》を失った苦しみや悲しみをたった一人で背負いこんでしまっていたんだ)
やはり、涼太郎に会いに来たのは間違いではなかったと深雪は思った。
久しぶりの再会で彼が呼吸困難に陥るのを見た時は、間違いなく拒絶されたのだと思った。自分の接触は歓迎されていない、《グラン・シャリオ》の面々を守れなかったことを考えればそれも当然だと。
だが、あの時すんなり諦めてしまっていたら、涼太郎の本当の心情を知ることはできなかっただろう。
だから、勇気を出して会いに来てみて本当に良かった。
今の涼太郎には誰かの手助けが必要なのだ。
それから深雪とシロは、暇を見つけ、幾度となく涼太郎の元へ通った。落ち合うのは東日暮里のコリアタウンだ。物資の余剰がある時は缶詰や菓子パンなどを持って行った。決して東雲探偵事務所に余裕があるわけではなかったが、少しでも涼太郎に元気になって欲しかった。
それが功を奏したのか、涼太郎は徐々に表情が明るくなってくる。
一週間ほど彼の元へ通い続けたあとのことだった。
その日も深雪とシロは涼太郎に会うためコリアタウンへ向かった。涼太郎は先にハヌル広場に来ていて、深雪とシロを待っていた。
深雪たちが近寄ると、ベンチから立ち上がり笑顔で片手を振る。
「雨宮さん、シロさん! おはようございます!」
「おはよう、涼太郎」
「おはよー!」
「今日は少し顔色がいいみたいだな」
「そうですか? 自分ではよく分からなくて……でも、雨宮さんがそう言うならそうなんだと思います」
涼太郎はどこか照れ臭そうに、人差し指で頬を掻いた。
「はい、涼太郎! これ、おみやげだよ!」
シロは涼太郎へ紙袋を差し出す。その紙袋には竜のマークが入っており、触れると程よく温かい。深雪もシロと交代しながらその紙袋を運んできた。
「ありがとうございます、いつもすみません。これは……肉まん……?」
涼太郎は紙袋の中を覗き込み、嬉しそうに目を見開いた。
「《龍々亭》っていう中華料理店の肉まんなんだ。事務所の仲間が働いていて、ここ最近はずっと抗争が激しく店を開けられなかったんだけど、ようやく営業を再開したんだ」
深雪が説明すると、シロも両手を広げる。
「《龍々亭》の肉まんは、すっごくおいしいの! おすすめだよ! シロたちもお昼まだだから、一緒に食べよ!」
「それ、いいですね。俺も肉まん、めちゃめちゃ好きです」
それから深雪たちは共に街の外れに向かった。そこにあるのは宝形造の東屋がある小さな公園だ。相変わらず人通りはほとんどない。涼太郎と話す時は、その公園のベンチへ行くのが習慣になっていた。
三人で肉まんを食べながら一通り世間話をする。深雪が《中立地帯》の惨状を話すと涼太郎はひどく驚いていた。確かに同じ《監獄都市》でも、街によって治安や暮らしやすさには雲泥の差がある。今は《外国人街》の方がむしろ安全かもしれない。
《龍々亭》の肉まんは相変わらずの美味しさだった。涼太郎もなかなか食が進まず困っていたようだが、肉まんはあっという間に平らげてしまった。
シロは肉まんのパンくずを狙ってやってきた雀を追いかけていく。それを見送ってから深雪は涼太郎へ尋ねた。
「……そういえば、今日も聖夜は『仕事』なのか?」
「あ……はい。聖夜さん、朝早くに家を出ていきました。何か、すごく忙しいみたいで」
「そっか」
涼太郎とはこうしてたびたび会って話もしているが、聖夜とは滅多に顔を合わせることが無い。本当は聖夜の情報ももっと欲しいのだが。
(聖夜は《エスペランサ》で何をしているんだ……? 逢坂さんによると、従業員の一人として振舞っているようだけど……危険な目にあったり、汚れ仕事をさせられたりしているんじゃ……?
何よりあの京極が、自分に敵意を抱いている人間を野放しにしておくわけがない。このままじゃ、おそらく聖夜は復讐に失敗するどころか、京極によって地獄を味わわされるだろう。逢坂さんや須賀さんのように……! そうなる前に、一刻も早く聖夜を《エスペランサ》から引き離さないと……!!)
真剣な顔をして考え込んでいると、涼太郎が遠慮がちに口を開いた。
「あの……雨宮さん」
「ん? どうかした、涼太郎?」
「あ、いえ、その……聖夜さんは本当にバーテンダーとして働いているんでしょうか?」
深雪は小さく息を呑む。
何故、そんな質問を。
いや、そんな疑問など抱くまでもない。涼太郎も聖夜の言動は何かがおかしいと気づいているのだ。
だが、彼が何をどこまで知っているのか分からない。だから深雪は、さり気ない風を装って尋ねた。
「……何か気になることがあるのか?」
「聖夜さん、何だか変なんです。特に仕事に向かう時の聖夜さんは、全身から殺気を放っていて、まるで抗争があった時みたいに恐ろしい形相で家を出て行くんです。視界に入った者はみな殺すといわんばかりの夜叉みたいな目をして……」
よほど強い違和感を抱いていたのだろう。涼太郎は膝の上でさらに両手を握り締める。
「おかしいのはそこだけじゃない。聖夜さんは勤務時間もまちまちなんです。朝早くに出て行ったかと思えば、二、三日留守にすることもあるし、かと思えば昼に突然、大怪我をして戻ってくることもある。それなのに、何かあったのか聞いても全然応えてくれないんです。
そういう事が何度もあって、どう考えてもこれがバーテンダーの仕事っていうのはおかしいなって気づいて……でもそれを聖夜さん本人には聞けないんです。聖夜さんがわざと仕事の内容を俺に隠していると分かっているから」
それから涼太郎は深雪へ身を乗り出した。
「雨宮さんはひょっとしたら、知っているんじゃないですか? 聖夜さんが本当はどこで何をしているかを」
「それは……一応、知ってるよ」
「本当ですか!? 聖夜さんはどこで何をしているんですか!? 教えてください!!」
しかし、深雪は首を振る。
「……ごめん、俺の口からは話せない」
「どうしてですか!!」
「聖夜は多分、涼太郎のことを考えて本当のことを言わなかったんだと思う。自分の復讐に涼太郎を巻き込みたくなかったんだ」
「俺を巻き込みたくないって……俺だって当事者の一人じゃないですか! それなのに……いくら俺のためとはいえ、嘘までつかなくていいのに……!!」
涼太郎の声には悔しさが滲んでいた。聖夜はおそらく涼太郎には何も説明していない。涼太郎もまた、薄々それを察している。だからこそ、歯痒くもどかしいのだ。聖夜から信頼されていない感じがして。
「聖夜とちゃんと話をしてみたらどうかな? 《グラン・シャリオ》が壊滅して以降、二人ともきちんと話をした事はまだないんだろ?」
深雪の指摘に涼太郎は動揺を見せた。やはり図星なのだ。
「……! どうして、俺たちがコミュニケーション不足だって分かったんですか?」
「何となくだよ。ただの勘。敢えて言うなら、聖夜の態度かな。聖夜の様子がおかしいのは以前会った時に俺も気づいていたから。……今のあいつは誰も寄せ付けまいとしている。心を完全に閉ざし、復讐のことしか考えられなくなっている。以前はそうじゃなかったのに……。だから涼太郎とも話せていないんじゃないかと思ったんだ。二人ともそれぞれ追い詰められているんじゃないかって」
「……」
涼太郎は俯き、押し黙ってしまった。そこへシロが戻って来て涼太郎の隣に座る。そして躊躇いがちに尋ねた。
「……涼太郎、怒ってる?」
「え……?」
「何だかすごく怒ってるって顔をしてるよ」
すると、涼太郎は肩に力を込め、眉間にぐっとしわを寄せた。そして感情を抑えつけたような声音で吐露する。
「……確かに怒ってるよ。聖夜さんにも……そして不甲斐ない俺自身にも」
「涼太郎……」
「聖夜さんが俺のことをすごく考えてくれているのは分かります。でも、俺だって……同じように聖夜さんの身を案じているんだ! たった二人になってしまったけど……俺たちは同じチームの仲間なんだから!」
涼太郎は怒りを滲ませたが、しかしすぐに肩を落として意気消沈してしまう。
「……でも、聖夜さんをそんな風にしてしまったのは、俺にも原因があるんですよね。俺が弱くて頼りないから……《グラン・シャリオ》の№3だったのに、肝心なところで聖夜さんを支えることができなかったから……! だから聖夜さんにも腹が立つけど、何より自分自身にムカついて仕方がないんだ……!!」
「無理するなよ、涼太郎。今はしっかり心身を休め、回復するのが一番なんだから」
涼太郎は少し感情的になっている。今は落ち着かせなければ。そう感じた深雪は涼太郎をなだめるが、それが却って逆効果になってしまう。
「で、でも……俺が悠長にしている間に、聖夜さんに何かあったら……! 聖夜さんにまで何かあったら、俺……俺は……!!」
涼太郎の顔色はみるみる悪化し、蒼白くなってしまった。呼吸も徐々に浅く早くなっていく。
このままではまた過呼吸のような症状が出てしまうのではないか。深雪は心配でならなかった。調子の良い時もあるようだが、涼太郎はまだ完全に回復していない。
少し踏み込み過ぎただろうか。
深雪が後悔していると、シロがベンチから勢い良く立ち上がり、くるりと深雪や涼太郎の方を振り返る。
「だったら、みんなで聖夜に話してみようよ!」
「え……?」
涼太郎は呆気に取られてシロを見つめた。
「ユキはね、聖夜と涼太郎のことすっごく心配して、ずっとずーっと探してたんだよ! ね、ユキ?」
「あ……ああ。うん、そうだね」
「せっかく会えたんだもん、お話ししようよ! もし、また会えなくなって……あの時話しておけば良かったって後悔しても遅いから……会えるうちに話しておいた方が絶対いいよ!」
深雪はシロが《ニーズヘッグ》のことを念頭に置いているのだとすぐに分かった。《ニーズヘッグ》の頭、竜ケ崎亜希は深雪やシロのことを徹底的に避けている。そのため、シロはすぐ近くにいるにも関わらず、《ニーズヘッグ》のみなと会って話すことができない。
彼女は、聖夜と涼太郎にはそうなって欲しくないと思ったのだろう。そして、深雪にも後悔して欲しくないと思ったのだ。その優しさに深雪は微笑んだ。
「シロは前向きだな」
涼太郎も少し余裕を取り戻したらしい。深雪の言葉に頷いた。
「本当ですね。年下なのに、俺よりずっとよく考えてる」
するとシロは嬉しそうにはにかんだ。
「本当? シロ、お姉さんみたい?」
「ああ、俺たちのお姉さんだな」
そしてみなで声を上げて笑う。
涼太郎の表情も少し明るくなってきて、深雪は心からほっとした。取り敢えず発作は回避できたようだ。
深雪とて、いつまでも涼太郎に本当のことを隠しておくつもりは無い。《グラン・シャリオ》元メンバーで当事者でもある涼太郎には、真実を知る権利がある。ただ、今はまだその時ではない。少なくとも、もう少し彼が元気を取り戻してからでなければ。
そう考えた深雪は、涼太郎に提案する。
「涼太郎、まずは俺が聖夜と話をしてみるよ。本当は最初からそうすべきだったんだ。だって……二人を苦しめる原因を作ったのは俺なんだから」
「え……それはどういう……?」
「詳しくは聖夜と話をしてから説明するよ。……その方が聖夜も納得しやすいと思うから」
涼太郎は納得がいかない様子だったが、それでも頷いた。自分がそれを聞ける状態ではないということは、よく分かっているのだろう。
「……。分かりました。俺も体調を整えて、精神的にも安定するように頑張ります。だから……いつかきっと話してください」
「ああ、分かった。約束する」
そして三人は再びコリアタウンの中央にあるハヌル広場へ向かった。いつもそこで分かれることにしているのだ。
すると広場の中心に植えられたカエデの樹のそばに、聖夜の姿があった。
以前と同じで、《グラン・シャリオ》にいた頃とは考えられない強烈なファッションで、首から腕にかけてびっしりと刻まれた刺青が際立っている。目元には、真っ黒でいかついサングラス。右手には何か入ったビニール袋を提げている。凹凸具合から察するにカップ麺だろうか。
聖夜も深雪たちの存在に気づいた。
「涼太郎……!」
聖夜は涼太郎を探していたらしい。涼太郎が深雪らと行動を共にしていたことを知るや否や、鬼のような形相になってずかずかとこちらへ歩み寄ってくる。
それと共に、俄かに高まる緊張感。シロは身構えるが、深雪が小さく首を横に振ったので構えを解いた。
とはいえ、完全に警戒を解いたわけではない。シロがその気になれば、コンマ一秒で抜刀し、相手を斬り伏せることができるだろう。
だが、聖夜はよほど頭に血が上っているのか、遠慮なく深雪に詰め寄ってくる。
「やはり一緒にいやがったか……!! 涼太郎! 東雲探偵事務所の《死刑執行人》どもには二度と近づくなとあれほど言っただろう!!」
涼太郎はあまりの剣幕に驚き、慌てて聖夜と深雪の間に割って入った。
「ま……待って下さい、聖夜さん! 雨宮さんとシロさんはいつも俺のことを気遣ってくれて、聖夜さんが心配するようなことは何も……!!」
「うるせえ!! いいからお前は黙ってろ!!」
聖夜は怒鳴ると、涼太郎を押しのけ、射殺さんばかりの視線を深雪へ向けた。サングラスのせいで目元の表情は分からないが、それでも殺気は十分に伝わってくる。
「……おい、この間の忠告を聞いてなかったのか!? 人の話を無視して何でも手前勝手に進めやがって、どこまで俺たちの人生を貶めりゃ気が済むんだ!! 今度は何を企んでやがるのかは知らねえが、てめえの都合にこれ以上、涼太郎を巻き込むな!! それでもしつこくつきまとうなら俺がてめえを殺す……そう伝えておいたはずだぞ!!」
深雪はできるだけ冷静に答えた。
「もちろん覚えているよ。でも今日は、聖夜、お前と話をしたいんだ」
「生憎とこっちはお前と話すことなど何もねえ! てめえの顔を見るだけで怖気が走るくらいなんだ!! とっとと失せろ、不幸を呼ぶ穢らわしい《死神》が!!」
聖夜は深雪の足元に向かって唾を吐くと、乱暴に涼太郎の腕を掴んだ。
「……行くぞ、涼太郎!」
「で、でも……!」
聖夜は涼太郎の言うことに耳も貸さず、強引に引っ張っていく。殴りつけられてもおかしくない雰囲気だったが、聖夜もそこまではすまいと己の心を律しているのだろう。
とても会話ができる状態ではない。それは深雪も分かっていた。
本来は聖夜の頭が冷えるのを待つべきなのかもしれない。
だが、衝突を恐れていつまでも対話を先延ばしにはしていられなかった。《中立地帯》で抗争が起きれば、そちらへの対処に追われ、ここには来られなくなる。だから会えるうちに話をしなければ。
深雪は聖夜の後ろから呼びかける。
「聖夜、どうして《エスペランサ》へ入ったんだ?」
「なに……!?」
「《エスペランサ》に潜り込んで《グラン・シャリオ》の仲間や豊の仇を討つつもりなのか」
効果はてきめんだった。聖夜は足を止め、ゆらりとこちらを振り返る。
「《エスペランサ》……? え、あの人気カジノ店のことですよね? どうして聖夜さんが《エスペランサ》に……!?」
一方、涼太郎は思わぬ単語が飛び出してきて面食らったようだった。しきりに目を瞬かせる。
「てめえ……!! その名前、わざと出しやがったな!?」
やはり、聖夜は故意に《エスペランサ》の存在を涼太郎に伏せていたのだ。それをここで暴露され、さすがに堪忍袋の緒が切れたらしい。先ほどにも増して強い殺気を放ちながら、深雪に殴りかかる。
高身長から繰り出される拳は勢いがあり、その上すこぶる重い。それでも深雪は、雨宮譲りの格闘術でその拳を受け流しつつ、聖夜に訴えた。
「京極は聖夜が思っているほど生易しい相手じゃない! 二代目桜龍会の逢坂さんや須賀さんでさえ、組や地位を全て奪われ、さらには生死の境をさまようほどの拷問を受けたんだ!! いくら素性を伏せているとはいえ、個人で戦って何とかなる相手じゃない!! でも、今ならまだ間に合う……今ならまだ引き返せる!! 一刻も早く《エスペランサ》から……京極から離れるんだ!!」
「うるせえんだよ!! クソくだらねえ説教を長々と聞かせやがって……その程度の覚悟なら、とうの昔に背負ってんだよ、こっちは!!」
「覚悟……!? やはりお前は何も分かってない! 京極はお前の復讐心なんて屁とも思ってないぞ!! いずれお前の正体や本心は向こうにもばれる……いや、もう既にばれていると思った方がいい!! それでもお前が生かされているのは、単に今はまだ利用する余地があると判断されているにすぎないんだ! 聖夜は俺と親交があったから……お前を俺に対するカードの一つとして押さえておきたいだけなんだ!!」
「何だと……!?」




