第18話 生き残った者たち
そう考えると、胸がぎゅっと締め付けられた。
聖夜がいかに《グラン・シャリオ》のことを想っているか、そしていかに京極の復讐に対して本気であるかを感じ取れるからだ。
聖夜は本気で京極を殺すつもりでいる。そのために、わざわざ偽物の刺青を入れてまでして北斗七星のチームエンブレムを隠したのだ。
(だからこそ、早く聖夜を止めないと……! 《グラン・シャリオ》の頭、綾瀬豊は《グラン・シャリオ》のチーム壊滅に責任を感じて自ら命を絶ってしまった。これ以上、誰も死なせたくない……! 聖夜と涼太郎は何としてでも助けたい……!!)
聖夜の足取りは掴めた。だが、涼太郎はどこへ行ってしまったのかは、まだ謎のままだ。
ユーイン=ガオは何か知らないのだろうか。深雪は再びユーインに尋ねる。
「ユーインさん、もう一つ聞いてもいいですか?」
「何ですか?」
「聖夜……じゃなかった、アイザックには連れがいませんでしたか? アイザックと同じくらいの年齢の日本人男性なんですが……」
ユーインは「うーん」と腕組みをし、天井を見上げる。そして、ああ、と目を見開いた。
「そう言えば、一度だけ見ました。アイザックは打ち合わせなども兼ねて、三回ほど僕の店に来ましたが、そのうちの一回だけ、知人と思しき男性を連れてきました」
「その人の名前は? 涼太郎?」
シロの勢いに戸惑いつつも、ユーインは説明を続ける。
「いえ、それが……同伴者の方はひどく具合が悪いようで、コートのフードを目深に被っていました。体もどことなくフラフラしていて……アイザックが手を貸してようやく立っていられる様子でした。身体的な衰弱はもちろんのこと、精神的にも不安定になっているように見えましたね。
何か妙に周囲の視線を恐れていて、僕とはほとんど目を合わせませんでした。そのため、顔はよく分からなかったです。ただ……アジア人だというのは分かりました。日本人か韓国人のどちらかだろうと思っていたんですが、日本人だったみたいですね」
深雪の心臓は早鐘を打つ。
「アイザックが連れていたその人物は、背がかなり高くなかったですか?」
「ああ、そうですね。背丈はありましたよ。何というか、スポーツをしてきた人というかんじの体格でした」
その言葉を聞き、シロは嬉しそうに声を上げた。
「スポーツ……ユキ、涼太郎で間違いないよ!」
「ああ! 涼太郎は今でも聖夜と行動を共にしているんだ!」
深雪の顔にも笑みが零れた。良かった、二人は一緒なのか。
逢坂が涼太郎の姿は確認できなかったと言った時、実は最悪の事態も考えていた。涼太郎の身に何かあったのではないか、と。
だが、涼太郎は生きていたのだ。
そして聖夜と共にいる。
深雪はその事に心から安堵した。
とはいえ、ユーインの説明によると、涼太郎は体調が悪いらしい。そんな状態では、《エスペランサ》の潜入には連れていけないだろう。聖夜が《エスペランサ》で働いている間、涼太郎はどこで何をしているのだろうか。
深雪はさらにユーインへ詰め寄った。
「ユーインさん、アイザックの連れに関して他に何かご存じないですか?」
「ううーん……彼はここでは、口もほとんど開きませんでした。なので、これといった情報は何も……。あ、でもそういえば、荒川区の東日暮里にあるコリアタウンで一度その連れの人を見ましたよ。広場のベンチに座ってぼんやりしていたっけ。こう言っては何ですが、とても危うい雰囲気で……客として接したことがある縁もあり、僕、声をかけてみました。けれど、肩をびくりとさせたあと、足早に立ち去ってしまって……それきりです」
「その同伴者……涼太郎は、コリアタウンでよく見るんですか?」
「さあ……僕もそこまで東日暮里のコリアタウンによく行くわけではないので分かりませんが、彼にとってあそこは居心地が良いかもしれませんね。日本人と韓国人は比較的、外見が似ているし、東日暮里のコリアタウンは治安もいい。何よりあの街の住人は穏健派で、僕たちのような余所者に対しても寛容な人間が多いですから」
「そうなんですか……」
深雪たちは普段、新宿や渋谷を中心に活動しているので、東京の東部がどうなっているのかはあまりよく知らない。確か、《レッド=ドラゴン》と《アラハバキ》の勢力がぶつかり合う地域が多く、なおかつ《死刑執行人》もあまり足を踏み入れないので、他の地域と比べても危険度が高いと聞いた。
実際、マリアにも、「物騒な地帯も多いので、ほいほい近づくな」と注意されている。
だが、東日暮里にあるというコリアタウンはそうではなさそうだ。
「もし聖夜や涼太郎が見つからなくても、コリアタウンの人が何か教えてくれるかもしれないね」
「ああ。取り敢えず行くだけ行ってみようか」
頷き合う深雪とシロ。それからユーインに向き直って頭を下げる。
「いろいろ教えてくれてありがとうございます、ユーインさん」
「無問題よ。もし刺青を入れたくなったら、いつでも来てください。リアルタトゥー嫌なら、フェイクタトゥーもおすすめ!」
「はは……機会があったらまた来ます」
それから深雪とシロは《TATOO九龍》を出ると、すぐさま荒川区・東日暮里に向かった。
すぐそばには《東京中華街》が広がっているはずだが、バリケードで固められていてその向こうの様子は全く分からない。
ただ、目的のコリアタウンはすぐに見つかった。街の入口にある百済門を潜ると、唐辛子やごま油の香りが漂ってくる。
街中にはカラフルなハングルの看板が溢れていた。住人は同じ東アジア人であるせいか、他の街ほどジロジロ見られることもない。また、往来にはコリアン以外にも、東南アジア的な服装や顔立ちをした人々や中華圏の服装の人々などの姿もある。それもあってか、他の《外国人街》の街と比べても活気がある。
ユーイン=ガオが言っていた通り、街の中心には開放的な広場があり、さらにその中心には立派なカエデの樹が植わっていた。カエデの周囲にはさらにベンチが設置されており、地面はタイルで覆われている。そこは人々の憩いの場になっているらしく、ベンチではお年寄りや親子連れが寛いでいる。
その隅に一人の若者が座っていた。
まるで世界の全てを拒絶するかのように、パーカーのフードを目深に被りながら。
ベンチに腰掛けていても、彼の背がかなり高いことが伝わってきた。
「あれが涼太郎かな?」
「……。話しかけてみよう」
深雪はシロと共に、ゆっくりとフードの男性へと近づいていく。本当は一刻も早く駆け寄りたいが、もし人違いだったら無意味に驚かせてしまうことになる。
彼は涼太郎なのか。
それとも涼太郎ではない、全くの別人なのか。
フードを被った男性との距離が近づくたび、心臓が早鐘を打ち、全身が緊張感に包まれる。どうか、涼太郎であって欲しい。彼の無事を確認したい。その願いがより一層、膨らんでいく。
ようやくフードを被った男性の目の前に辿り着いた。深雪は深呼吸すると慎重に声をかける。
「君……ひょっとして涼太郎じゃないか? 今井涼太郎」
すると、フードの若者は弾かれたようにして顔を上げる。
その顔は確かに涼太郎だった。
もっとも、頬はげっそりとこけ、血色も悪く、見るからに衰弱している。一瞬、誰か分からないほど憔悴しきっていて、正直どきりとするほどだった。
でも、間違いなく今井涼太郎だ。
ああ、良かった。ようやく会えた。涼太郎は生きていたのだ。
深雪とシロは喜びをその顔に浮かべる。
「涼太郎、無事だったんだね!! 良かった……! 聖夜も涼太郎も《中立地帯》にはどこにもいなくて、すっごく探したんだよ!!」
シロが声を弾ませると、深雪もそれに続く。
「本当に……無事で良かったよ。でも少し瘦せたな、涼太郎。ちゃんとご飯、食べれてるか?」
しかし当の涼太郎は、目を見開いたまま硬直してしまった。
「雨宮……さん、シロ……さん……。どうして、ここに……?」
涼太郎の様子がおかしい。どうしたのだろう。深雪は眉根を寄せた。
「……涼太郎? 大丈夫か?」
深雪は涼太郎の肩に向かって手を伸ばす。しかし涼太郎は乱暴にそれを振り払った。
「ひっ……ヒイッ!!」
「り、涼た……」
「みんな……死んだ……殺された……!! 俺は……何も、できなくて……誰ひとり……救えなくて……ゆ、豊さんまで……!!」
そう呟くと、涼太郎は突如、両手で自分の口元を押さえる。そして前屈みになり地面に膝をつくと、そのままうずくまってしまった。
シロも深雪も涼太郎の異変に驚き、戸惑うばかりだ。
彼の身に一体、何が起こったのか。
さらに涼太郎はヒュウッ、ヒュウッ、とおかしな呼吸を始めた。さっきまでじっと座っていたのに、まるで全力で街中を走り回った直後のようだ。うろ覚えの知識だが、何となく過呼吸症候群に似ている気がした。
涼太郎の呼吸はどんどん早くなる。顔や首筋まで汗だくになっているものの、顔色は冷水に漬かったかのように蒼白い。とても苦しそうだ。しかし、どうするべきか分からない。
深雪とシロは必死で涼太郎を励ました。
「涼太郎! 涼太郎、大丈夫か!?」
「すごく息が苦しそう……ユキ、涼太郎どうしちゃったんだろう!?」
「分からない。この症状、多分、過呼吸だと思うけど、どうやったら治まるのか……」
するとその時、後方から声が響く。
「涼太郎!」
深雪とシロが振り返ると、そこには大柄な男性が立っていた。
見るからにアフリカ系だが、顔立ちにはどこかアジア的な要素も感じられる。ブランド物のスーツを着崩し、目元には威圧感のある濃いサングラス。髪も銀髪に染めている。
ピアスやネックレス、バングルやブレスレット、ウォレットチェーンなど、全身のあちこちにシルバーの尖ったアクセサリーを身につけており、ストリートのファッションに慣れている深雪もちょっと唖然とする格好だった。
何より圧巻なのが、首から両手の甲にかけてびっしりと彫られている洋風の刺青だ。腕まくりをしているので、特に肘から手の甲までが良く目立つ。
頭の先からつま先まで、彼の姿はまさにギャングそのものだった。
「お前……もしかして聖夜か……!?」
あまりの変貌ぶりに、深雪は半信半疑で言葉も出ない。しかし聖夜はそれに応えず、「どけ」と言って深雪を押しのけると、まっすぐに涼太郎の元へ向かった。
「涼太郎、深く息を吸え。深く、ゆっくりに、だ」
聖夜がそばにいる安心感も相まってか、涼太郎は少しずつ落ち着いてくる。
「……立てるか?」
聖夜の問いに、涼太郎は小さく答えた。
「す……すみません、聖夜さん……!」
「バカ野郎、そんな事で謝るな。……帰るぞ」
そして聖夜は涼太郎の体を支えつつ、二人でその場を立ち去ろうとする。
まるで深雪やシロなどその場にいないかのように。
せっかく聖夜と涼太郎の無事を確認することができたのに、ここで再び姿を消されてはかなわない。深雪は慌てて聖夜の背中に向かって声をかけた。
「せ……聖夜! 待ってくれ!!」
するとその時、初めて聖夜の視線が深雪を捕らえた。
しかしそこに友好的な気配はない。
真っ黒なサングラスの上からでもそうと分かるほどの、激しく鋭い殺気。唇から発せられた声も、身構えずにはいられないほど殺伐としていた。
「雨宮……お前、ここに何しに来た?」
「……!」
「お前のせいで俺たちがどれほど多くのものを失ったか、分かってねえワケじゃねえんだろう? よくものうのうとこの場に来れたものだな!? 《グラン・シャリオ》のみなを死なせ、今度は涼太郎まで苦しめるつもりか!!」
聖夜の怒りももっともだった。深雪は努めて穏やかに切り出す。
「……話がしたい。俺が何のためにここへ来たか、お前なら言わなくても分かっているはずだ」
「失せろ!! 今すぐにだ!! もう、うんざりなんだよ!! てめえの偽善ぶった面など見たくもねえ!! 吐き気がする!!」
「聖夜!!」
しかし、深雪はハッと息を呑む。
真っ黒なサングラスの奥で聖夜の瞳に赤光が灯るのが見えたからだ。
ゴーストが瞳に赤光を放つということは、相手に対して明快に害意を抱いていることを意味する。つまり今の深雪は、聖夜から銃口を向けるのも同然だった。
シロもすかさず日本刀を構える。彼女も決して聖夜と刃を交えたいと思っているわけではない。ただ、深雪を守らなければと思ったのだろう。
深雪は彼女を片手で制しつつ、聖夜を見据えた。聖夜も実際にアニムスを発動させることまではしなかった。
「……二度と俺たちに近づくな。もし少しでも接近してみろ。俺が必ずお前を八つ裂きにしてブチ殺す!!」
そう吐き捨てると、聖夜たちは今度こそ去っていく。
深雪とシロは黙ってそれを見送るしかなかった。
「……」
しばらくして、ようやくシロも構えを解く。
「ユキ、聖夜すごく怒ってたね」
「ああ。覚悟はしていたつもりだけど、想像以上だった。こんな……取り付く島も無いだなんて」
「どうしよう? せっかく聖夜と涼太郎を見つけることができたのに……」
シロはしょんぼりと肩を落とす。並々ならぬ体力と精神力を併せ持つ彼女だが、人から拒絶される事には弱い。聖夜の攻撃的な態度を受け反射的に日本刀を構えたが、その実、大きなショックを受けていたようだ。
一方、深雪は強い瞳をしてシロを励ました。
「シロ、落胆するのはまだ早いよ。俺たちは聖夜と涼太郎を探し出すことができたし、二人の無事を確認することもできた。今日の収穫は十分だ」
「ユキ……」
「今回のところは出直すことにしよう。次からが勝負だ」
「……うん」
深雪は聖夜と涼太郎の二人を諦めるつもりは無い。特に聖夜は、一刻も早く《エスペランサ》から――何より京極から引き離さなければ。
とはいえ、今日は他にも業務が残っている。
そこで一度、東雲探偵事務所に戻ることにした。
次の日も深雪は時間を作り、シロと共に東日暮里にあるコリアタウンへ向かった。
聖夜のことももちろん心配だが、まず涼太郎と会って話をしたかった。深雪たちと再会した時の涼太郎は明らかに様子がおかしかったからだ。
ひどくやつれていたことも気になるし、深雪たちが突然押しかけて彼を苦しめたのだとしたら、その事について謝りたかった。
昨日、涼太郎の姿を見かけた中央広場へ足を運ぶが、涼太郎の姿はない。
「涼太郎、いないね。もうここには来ないのかな? シロたちと会いたくないから……」
「どうかな。もしそうだとしても、ここで諦めるわけにはいかない。少し街中を歩いてみよう」
深雪とシロはコリアタウンの中を散策してみることにする。
《外国人街》にはさまざまな国籍の人たちが区画を形成しているが、ここのコリアタウンは中でもかなり規模が大きい。そのせいか、人口も多いようだ。そこで、同時に話を聞けそうな住人から情報を収集して回った。
最も長くお喋りに付き合ってくれたのは、食料雑貨店で店番をしていた気のいい中年女性だ。マリアにインストールしてもらった例の翻訳アプリを交え、深雪は女性店主と会話する。
『ハヌル広場にいた日本人……? ああ、あの人、日本人だったんだ。てっきり《東京中華街》から逃れてきた中国人かと思っていたよ。前はよくこの街にも《レッド=ドラゴン》の中国人が来ていたからね』
『《東京中華街》の人たちがこのコリアタウンに来ていたんですか?』
深雪が尋ねると、女将は唐辛子の大袋を商品棚に並べながら笑って答えた。
『そりゃあ、頻繁に取引をしていたし、コリアタウンから《東京中華街》へ働きに行っていた者も多かったしね。でも、《東京中華街》があんなことになってからはさっぱりだよ。私らも景気が悪くて困っているところさ』
確かにコリアタウンは、一見すると活気に溢れているように見える。上松組兄弟の跡目争いによる巨大抗争の余波を受けることもなかったためか、今の《中立地帯》より治安もいい。街もきれいだ。
だが、一歩、奥まった路地を覗くと、閑古鳥が鳴いている店もちらほら見受けられる。
しかしコリアタウンはまだずっとマシな方だ。他の区画の中には明らかに荒んでいる街もいくつかあった。職がなく、苛ついている人々。中には住む場所すらないのか、路上生活している人々で溢れている場所もあった。
抗争がないぶん《中立地帯》よりは落ち着いているが、それもいつまでもつか分からない。
貧困は人から簡単に理性を奪うからだ。
《関東大外殻》の外なら、こういった大事件や災害が起こった時、ボランティアや行政支援などを通して社会全体で支え合うものなのだろう。
だが、ゴーストは生活が困窮しても大した支援は受けられない。《収管庁》は今のところ《中立地帯》で炊き出しを行っているが、それもいつまで続けられるかは分からないという話も耳にした。
そういった点においては《中立地帯》も《外国人街》も同じなのかもしれなかった。
もっと根本的な部分を動かさなければ、この苦しい状態は永遠に変えられない。




