第17話 思わぬ再会
「……ありがとうございます、逢坂さん。おかげでようやく聖夜と接触する手掛かりが掴めました」
「俺としても、あいつらのことは気がかりだった。九鬼も今井もまだ若い。……京極の復讐に失敗し、こうして迷惑をかけている俺が言えた義理じゃないかもしれねえが、あいつらが再起不能になる前にどうか助けてやってくれ」
「……はい」
気づけば一時間以上も話し込んでいた。夜もすっかり更けているため、逢坂と話して今日はこれで切り上げることにした。
最後に寧々が逢坂にまた見舞いに来ると約束すると、深雪たちは東雲探偵事務所に戻ることにする。
逢坂と須賀は当分、動けない。深雪も寧々と共にまた様子を見に来ようと決める。
因みに帰りも、エニグマの《ベゼッセンハイト》で運んでもらった。事務所に戻ってから、深雪はシロに声をかける。
「シロ、俺、明日から聖夜を探そうと思うんだ」
すると、シロは目を丸くする。
「え、聖夜がどこにいるか分かったの!?」
「いや。でも、逢坂さんからヒントをもらった。《中立地帯》が落ち着いている今が行動を起こす最後のチャンスだ。だから、良かったらシロにも手伝って欲しいんだ」
「分かった! シロも頑張って聖夜を探す! 聖夜、早く見つかると良いね」
「ああ、そうだな。ありがと、シロ」
とはいえ、《中立地帯》の復興作業は山積みで巡回もしなければならないので、一日の全てを聖夜の捜索に当てるわけにもいかない。スケジュールはかなりタイトになりそうだが、多少の無理を押してでも聖夜を見つけ出さなければ。
翌日、深雪はその旨をマリアに説明し、巡回に当てる時間を調整して短縮してもらった。そして、残った時間でシロと共に聖夜を探すことにする。
シロはいつも通り、腰に日本刀・《狗狼丸》を提げていた。いつもだいたい深雪と行動を共にしているが、疲れは見えない。深雪としても、いつもシロがそばにいてくれると安心だ。
シロは元気よく深雪の元へ駆け寄ってくると、不思議そうに首を傾げた。
「そういえば……ユキ、聖夜と涼太郎のこと、どうやって探すの?」
「昨日、逢坂さんに教えてもらったんだ。聖夜は《グラン・シャリオ》のチームエンブレムとは違う、新しい刺青を入れていたって。どこかの彫り師にその刺青を彫ってもらっているはずなんだ」
「じゃあ、まずは聖夜の刺青を入れた彫り師の人を探すんだね?」
「ああ」
「どこから当たってみる?」
「《中立地帯》では、聖夜の足取りは全く掴めなかった。もちろん涼太郎がどこにいるのかも。二人はおそらく、《外国人街》にいるんじゃないかと思うんだ」
「《外国人街》? あの、いろんな国の人たちが住んでる?」
シロの問いに深雪は頷く。
「聖夜は外国人が好むタイプの刺青をしていたそうなんだ。それを考えても、まずは《外国人街》を探すのがいいと思う」
「でも……シロ、外国の言葉、喋れない……」
急に悲しそうな顔になるシロ。確かに言葉による意思疎通ができないと、聞き込みは難しいし、かくいう深雪も英語すら全く喋れない。《外国人街》に住む人々もまた、日本語はもちろん英語が喋れるとも限らないから、シロが不安になるのも無理からぬことだった。
だが、心配は無用だ。
「そこは大丈夫! マリアに頼んで、多言語対応の翻訳アプリをインストールしてもらったから」
深雪は笑って、腕の端末でアプリを立ち上げながら言った。シロはそのアプリを覗き込む。
「アプリ……? そのアプリを使ったら、言葉が通じない人とも話せるの?」
「ああ。《監獄都市》で使われている端末の多くには制限がかかっているんだ。その制限があると、この翻訳アプリも使えない。だからマリアに制限を解除してくれと頼んだんだ。マリアは『ただでさえ忙しいのに』ってブツブツ言いつつもやってくれたよ。まずはこのアプリを使って聞き込みをしていこう!」
「うん!」
《外国人街》といっても、実際にそういう街が存在しているわけではなく、明快な区切りがあるわけでもない。それぞれの国や民族の人が集まって区画を形成し、中野区から新宿区、文京区、台東区、荒川区などの一部に集中的に点在している。ちょうど、《東京中華街》と《中立地帯》に挟まれた地帯だ。
そういった一帯のことをひっくるめて、深雪たちは《外国人街》と呼んでいた。
一つ一つのコミュニティは小さくても全体の範囲はそれなりに広い。聖夜と涼太郎の捜索は難航するだろう。
それでも、やるしかない。
深雪たちは《中立地帯》に近い刺青店から順に聞き込みをしていくことにした。
最初に尋ねた店はフィンランド人の彫り師が経営している店だった。筋骨隆々の男性で、自身の両腕にもびっしりと刺青を彫っている。年齢は二十代から三十代といったところか。
彫り師は深雪たちを見ると、彫りの深い目でじろりと睨んだ。明らかに歓迎されていない。深雪は構わず、翻訳アプリを介して話しかける。
『すみません、少しお尋ねしたいことがあるのですが』
『……お前ら、日本人か』
フィンランド語だが、素っ気なさは十分に伝わってきた。
『はい、そうです』
『ここはガキが来るような場所じゃねえぞ』
『俺たちは客じゃありません。人を探しているんです。年齢は二十四歳、男性、アフリカ系アメリカ人と日本人のミックスで、名前は九鬼聖夜。右手の甲に北斗七星の刺青を入れていました。こちらにそういった客は来ませんでしたか?』
『いいや、知らねえな。そもそもここじゃ、該当するような風貌の奴はごまんといるし、施術するのにいちいち客に名前を聞いたりもしねえ。余所を当たるんだな』
『そうですか……ありがとうございます』
そう言って深雪はシロと共に外へ出る。
「さすがに、すぐには見つからないね」
「うん。でも、手掛かりは刺青だけだ。どんどん他の店を当たって行こう」
深雪とシロは《外国人街》のタトゥー店を手当たり次第に回っていく。この中のどこかに、聖夜の刺青を担当した店があるはずだ。
しかし当然、そう簡単には見つからない。
また、《外国人街》もさまざまで、日本人である深雪たちの来訪を良く思わない区画もある。もちろん、そういった敵対的なコミュニティが全てではないのだが。
それでも深雪たちは根気強く聞き込みを続けた。イギリスやイタリアといったヨーロッパ系の店、オーストラリア人やアメリカ人、ロシア人の店、タイなどを始めとした東南アジア系の店、そしてポリネシア系の店。
『うーん、覚えはねえなあ』
『九鬼聖夜……ねえ。名前から察するに日本人だろう、そいつ? この街にゃいないんじゃねえか?』
『北斗七星を象った刺青 ……ですか。いえ、見てませんね』
『ウチは《中立地帯》からの客も多いが、そういう奴は見たことないね』
東雲探偵事務所の日常業務があるので、聖夜の捜索にはあまり時間が割けない。
聞き込みを始めてから四日目。深雪とシロは意気消沈していた。そう簡単には見つからないだろうと覚悟はしていたが、あまりにも情報がなさすぎる。
「全然、手掛かりが掴めないね。聖夜も涼太郎も、どこに行っちゃったんだろう?」
「そうだね。逢坂さんによると、特に聖夜は外見をがらりと変えていたそうだから、それも探しにくくなってる原因の一つだと思う」
そもそも、そう簡単に見つけられるなら、とっくに神狼かエニグマがその行方を掴んでいただろう。分かってはいたが、これはなかなか大変な作業だ。
「二人とも、無事なのかな。《グラン・シャリオ》があんなことになって、きっとすごく落ち込んでるよね。シロも……もし《ニーズヘッグ》の皆が死んじゃったら、平気ではいられないと思う。想像しただけで悲しくなるもん」
その言葉は決して誇張ではないのだろう。シロは見る間にしゅんとしてしまった。ストリートのゴーストにとって、所属するチームはそれほど大切なものなのだ。深雪も頷く。
「……ああ。二人とも、多分ショックで冷静さを失っている。京極は破れかぶれで戦って勝てるほど、生ぬるい相手じゃない。このままじゃ、聖夜は絶対にただじゃすまないだろう。きっと逢坂さんや須賀さんと同じか、それ以上の危害を加えられる。そもそも《グラン・シャリオ》の件は俺にも責任があるんだし、一刻も早く二人を見つけないと……!」
そう、ここでげんなりしている場合ではない。深雪はすぐに気持ちを切り替えると、目の前に見えてきたタトゥー店を指さし、シロを励ますように言う。
「……次はあの店で聞いてみよう」
その店は中華風の作りをしていた。赤い外壁には、「福」の字が逆さまになった倒福の張り紙。中華格子は複雑な模様を描いており赤い中華風提灯が提げられている。入口には可愛くデフォルメされた龍の置物が置いてあった。小さいが、存在感のある店だ。
シロの獣耳も、元気にぴょんと跳ねた。
「ユキ、ここのお店、ちょっと《龍々亭》っぽいね」
「ああ、本当だ。中華風だね。そういえば、神狼が《監獄都市》に住んでいる中国人の皆がみな、《東京中華街》に住んでいるわけじゃないって言ってたっけ。一口に中国人と言っても、いろいろなんだろうな」
「可愛いお店だね。《TATOO九龍》だって!」
「《TATOO九龍》……? どこかで見たような……?」
「入ってみよ!」
深雪は首を傾げるが、シロはさっそく《TATOO九龍》へ足を踏み入れる。そこで深雪も取り敢えず考えるのをやめ、シロの後を追うのだった。
《TATOO九龍》は店内も可愛らしい雰囲気だった。モダンだがいろんな場所に中華風の小物が飾ってある。男性のみならず、女性も入店しやすそうな店だと深雪は思った。
それらを眺めていると、奥から店員と思しき男性が現れた。
「ハイ、いらっしゃいマセー!」
「えっ……あれ!?」
深雪は彼の顔を見て驚いた。
「あー! あなた、雨宮サン! それから、シロさん!」
ユーイン=ガオは人懐っこい笑顔を浮かべ、深雪たちを迎え入れた。
ユーイン=ガオは香港出身の彫り師だ。頭を今風にアレンジした辮髪にしており、《レッド=ドラゴン》のようなチャイナ服は着ていない。アーガイル柄のニットにデニムパンツという、しごく現代的な出で立ちだ。
日本語もところどころに中国語訛りはあるものの、会話には全く支障がない。これならアプリも必要ないだろう。
(そういえば、《TATOO九龍》はユーインさんの店だった)
ユーイン=ガオは以前、深雪ら東雲探偵事務所が《リスト執行》を担当した事件に巻き込まれた。また、火澄から《ディナ・シー》の刺青を入れたいと言って相談されたので、共に店を訪れたこともある。シロもそれが記憶に残っていたらしい。
「火澄ちゃんと一緒に行った、タトゥー店のお店の人だ! シロも覚えてる!! ……あれ? でも、あの時のお店はここじゃなかったような……?」
確かにシロの言う通りだった。すぐに《TATOO九龍》の名を思い出すことができなかったのは、店の外観や位置が全く違ったからだ。
「ユーインさん、どうしてここに……前の店はどうしたんですか?」
深雪が尋ねると、ユーイン=ガオは気まずげに頬を掻く。
「ああ、あの店……僕、倒れるし、売り上げも激減するし、『《TATOO九龍》で刺青を入れた人間は死ぬ』とかいう妙な噂も流れるし……風水的にも良くない気がして移転しました。この店は小さいけれど、とてもうまくいっています!」
「そ……そうですか」
ユーイン=ガオはオリヴィエの半身である悪魔に体を乗っ取られ、無理やり戦わされた挙句、首を掻き斬られて重傷を負った。しかし本人はその事をほとんど覚えていないし、自分がそんな目にあったことすら気づいていない。
ただこの様子だと、あの事件以降、ユーイン=ガオが何か良くない事件に巻き込まれたといったことはないようだ。
深雪は、彼の首に目を留める。そこには何針も縫った傷跡が今もまだ残されていた。
「首の傷はもうすっかり良さそうですね」
深雪がそう口にすると、ユーイン=ガオは驚いたように目を見開いた。
「よくご存じですね! お医者さんによると、この傷、かなり深かったようです。でも、救急処置が的確だったので、僕、助かりました」
「そうなんですか。良かったですね」
その救急処置をしたのは深雪たちだが、それもユーインには黙っておくことにする。彼はごく普通の彫り師だ。悪魔の扇動した《ブギーマン事件》にはただ巻き込まれてしまっただけであって、本来、不穏な出来事とは無縁であるべき人物なのだ。余計なことは知らない方がいい。
一方、ユーイン=ガオは深雪とシロを交互に見ながら、ニコニコと尋ねた。
「ところであなた達、何しに来ましたか? とうとう刺青、入れますか?」
「あ、すみません。そうじゃないんです。実はちょっと人探しをしていて……」
深雪はユーインにも聖夜の特徴を説明する。年齢や容姿、名前、そして右手の甲に北斗七星の刺青を入れていることも。するとユーインは頷いて言った。
「ああ、その人ならウチに来ましたヨ!」
あまりにも呆気なくそう告げられたので、深雪は一瞬、聞き間違いかと思ってしまった。
「え、本当ですか!?」
「ユーインさん、聖夜に会ったの!?」
シロも驚いて身を乗り出す。
「北斗七星を象った刺青を入れた、アフリカ系の青年ですよね? 確かにこの店に来ましたよ。でもまさか、日本人だとは思いませんでした。彼は英語を喋っていたので。名も、『アイザック=ハミルトン』と名乗っていました」
「アイザック……?」
聞き慣れない名前が飛び出してきて深雪は眉をひそめたが、すぐに合点がいった。
(そうか、偽名だ! 聖夜のいた《グラン・シャリオ》は《中立地帯》で名の通ったチームだった。そこで副頭を張っていた聖夜のことを知っている者も多い。そんな状態で《エスペランサ》に入れば、すぐに正体が露見して京極に警戒されてしまう。だから姿を変え、新しく刺青を入れて名前も変えたんだ。轟鶴治がそうしたように……!)
言われてると、いくら姿を変えたって本名を名乗ってしまったら変装の意味がない。深雪たちがなかなか聖夜の情報が掴めなかったのも、その辺りに一因があるのだろう。深雪たちは聖夜が本名を名乗り、日本語を喋っているという前提で彼を探していたからだ。
しかし、聖夜が英語を喋っていたなら、容姿も相まって日本人だと判断され辛いだろう。英語名の偽名を名乗っていたなら、なおさらだ。
ともかく、ようやく聖夜の手掛かりが掴めた。深雪は興奮気味に質問を重ねる。
「それで、ユーインさんは聖夜……アイザックに刺青を彫ったんですか?」
「ええ、そうです。と言っても、彼に要求されたのは本物のタトゥーではないですが」
「……? どういうこと?」
シロが不思議そうに尋ねると、ユーイン=ガオは少し考える仕草をしてから、詳しく話してくれる。おそらく、日本語でどう分かりやすく説明するかを考えていたのだろう。
「あー……最近はフェイクタトゥーの技術もとても進化しています。特殊な染料を使えば、実際に彫らなくても本物そっくりを再現することができます。ただし、本物ではないので、時間が経てば消えてしまいますが」
「何故、彼は本物の刺青ではなく、フェイクタトゥーを選んだんでしょうか?」
もちろん、聖夜の事情をユーイン=ガオが知っているとは限らない。だが、少しでも情報が欲しくて深雪はそう聞いてみた。ユーイン=ガオは再び考え込んだのち、口を開く。
「彼……アイザックは上半身の露出している部分に、できる限りタトゥーを入れて欲しいと言っていました。手の甲から腕、肩はもちろん首筋にもネ。そこまで広範囲の箇所にタトゥーを入れるのは時間もかかるし、体へのダメージも大きい。アイザックはそこまで待てないと言っていました」
「聖夜……」
それももっともな話だ。刺青は面積が大きければ大きいほど、彫るのに時間がかかる。さらに皮膚に沈着する時間を換算すると、とても二日や三日でどうこうできる代物ではない。
深雪も背中に《ウロボロス》の大きな刺青を入れているから知っている。もっとも、それらの大半は剝がされてしまったが。
ユーイン=ガオは逡巡し、更に付け加えた。
「それから、これは僕の想像ですが、彼は多分……最初に入れていた北斗七星のタトゥーを消したくなかったんじゃないかな」
「聖夜がそう言っていたの?」
シロが尋ねると、ユーイン=ガオは小さく首を横に振る。
「いいえ。彫り師としての勘です。彼はそのタトゥーを、とても……とても大切にしているようだったから」
ユーイン=ガオの眼は真剣だった。彼は刺青に対してとても真摯だ。ただのファッションアイテムではなく、作品として愛している。だからこそ、聖夜のちょっとした仕草や声の調子などからそれを察知することができたのかもしれない。
(そうか……フェイクタトゥーならいずれ消えてしまうから、《グラン・シャリオ》のチームエンブレムは残る。たとえ《グラン・シャリオ》が壊滅し、復讐のため《エスペランサ》に入っても、聖夜は《グラン・シャリオ》のことを自分の中から消すつもりは無いんだ。それだけ《グラン・シャリオ》の思い出を大切にしているんだな)




