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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》動乱編Ⅱ
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第15話 別れ、再び

 鶴治(かくじ)はあまりアニムスを使うことを好まなかったが、それでも何回か行使するのを目にしたことがある。


 《天之尾羽張(あめのおはばり)》は大抗争時代においても最強と言って差し支えないほどのアニムスで、敵と味方の両方から恐れられ、同時に敬われた。


 だからよく覚えている。見間違えるはずなどない。


 《天之尾羽張(あめのおはばり)》を使う事ができるのはこの世でただ一人、(とどろき)鶴治(かくじ)だけなのだ。


 翁面の男はしばらく黙っていたが、やがて観念したように呟く。


「……隠していてすまねえな、忍」


 そして後頭部で縛った紐をほどき、面を外す。


 翁面の奥から現れた顔を見て、逢坂は絶句した。


 そこにあったのは、思いもしない人物の顔だった。


 翁面の正体は逢坂の行きつけの居酒屋・《淡路島》の大将だったのだ。確か、名前を芝山(しばやま)利吉(りきち)といったか。


 どっしりした鼻に角張った顎。口は真一文字に引き結ばれており、それが動くところを逢坂はほとんど目にしたことが無い。店にはあれほど足しげく通ったのに、言葉を交わしたことは殆どなかった。


「その顔は、まさか《淡路島》の……!?」 


 鶴治と《淡路島》の大将では、顔のタイプが全く違う。鶴治は顎の線が細く、鼻筋は通っていたが、もっと小振りだった。多少の変装ではどうにもならないほど、似ても似つかない顔をしていたはずなのに。


(いや、しかし、この人が被っていた翁面には見覚えがある! 確かに、《淡路島》の店内に飾られていたものだ! それなら、本当に《淡路島》の大将が鶴治さんだというのか……!?)


 逢坂が仰天していると、鶴治は微かに笑う。


「こいつは整形だ。『(とどろき)鶴治(かくじ)』は死んだ。代わりに俺が得たのが、芝山(しばやま)利吉(りきち)という新たな名と顔だ。轟鶴治としての人生を全て捨て、全く別人としての人生を歩む……その条件を呑むことで、俺はどうにかこの街で生きることが許されてきたんだ。

 ……無様だろう? 轟組若頭まで上り詰めた男が、今や場末の居酒屋店主まで落ちぶれたんだからな。まったく……とんだお笑い草だぜ」


 逢坂は声を荒げ、反論する。


「そんな……お笑い草だなんて、そんな事あるわけないでしょう!! だって鶴治さんは絶体絶命の危機に陥る俺の元へ駆けつけ、助けに来てくれたじゃないですか! そして見て見ぬ振りをする選択をすることもできたのに、アニムスを使ってまで戦ってくれたじゃないですか!!」


「忍……」


「鶴治さんは何も変わっていません。どれだけ整形し名を捨てても、鶴治さんは鶴治さんです!」


 きっぱりとそう言いきってから、口調を和らげ付け加える。


「それに……俺は《淡路島》で呑むのが好きでした。特にモツの煮込みと焼き鳥が絶品で……《新八洲特区(しんやしまとっく)》でも、あそこまで美味いモツ煮込みと焼き鳥を出す店は他にねえ。そんな貴重で価値のある店を『場末』などと呼ぶ奴がいやがったら、この俺がただじゃ置かねえ! ブッ飛ばしてやる!!」


 それは逢坂の心からの本音だった。


 二代目桜龍会会長としての重圧を背負うことに疲れた時、どれだけ《淡路島》で癒されたか。あそこで過ごした時間は、どれだけ大枚をはたいても替えがきかない貴重なものだと思っている。


 それを聞いた鶴治は肩を揺らして笑い始めた。


「はははは! 忍、お前も変わらねえな。名を上げて幹部入りし、自分の組を持っても、ちっとも変わらねえ。昔のまんまだ」


 そしてふと真顔になり、逢坂の瞳を見つめる。


「……やはりここでお前を死なせるわけにはいかねえ。来い、忍。《中立地帯》の近くまでお前と部下を逃がしてやる」


「な……!?」


「お前だって、ここで果てるのは不本意だろう。今はただ、生き延びることだけ考えろ」


「し……しかし、鶴治さん。俺はこれでも組長なんだ! 二代目桜龍会の子分や弟分を残しては……!!」


 逢坂自身、何としてでも逃げ切るつもりでここまで来た。須賀黒鉄だけは助けたかったからだ。


 だが、二代目桜龍会のことを想うと、やはり後ろ髪を引かれる思いになるのだった。


 このまま大事な『家族』を見捨てて逃亡する事には躊躇があるし、何より罪悪感がある。ここで本当に逃げたら、後々、後悔するのではないか。国府田(こうだ)の残してくれた桜龍会を二度と取り戻せないのではないか。


 自分は組長なのに、組も守れないなんて。


 あまりにも情けなさすぎる。


 しかし鶴治は首を振って逢坂に決断を迫った。


「詳しくは話せねえが……《新八洲特区》はこれから今以上に荒れるだろう。残ったところで、お前には何も……いや、誰にもどうすることもできねえんだ。できる事があるとしたら、それはただ一刻も早く逃れることだけ。……だから悪いことは言わねえ、今すぐ身を隠せ」


 もしそれが本当なら、ますますこのまま《中立地帯》に向かうわけにはいかない。何故なら、当初の目的であった、京極を倒すという目的が達成できなくなってしまうからだ。


 あいつだけは許すわけにはいかない。


 《彼岸桜》を操り、二代目桜龍会まで奪ったあの男だけは、どうしても生かしてはおけない。


 逢坂の胸の内で、再び復讐の炎が燃え上がる。廃工場で受けた屈辱の数々が、さらにその炎に油を注ぐ。


 逢坂は鶴治へ言った。


「……。それでも俺は残ります。鶴治さんは黒鉄を《中立地帯》まで運んでやってください」


「忍」


「俺は……俺は京極の野郎とケリをつけなきゃならねえ。あのクソ野郎のせいで死んだ大切な子分たち……《彼岸桜》の無念を晴らしてやらなきゃならねえ! そうでなきゃ、何のために盃を交わしたんだ!? 俺は……刺し違えてでも京極を殺す!!」


 しかし鶴治は、逢坂の眼の前に立ち塞がる。


「……やめておけ。お前ひとりじゃ、どうあっても奴には勝てねえよ」


「……!? 鶴治さん、京極のことをご存じなんですか!?」


 逢坂は驚いてそう尋ねた。逢坂が京極と出会ったのは、鶴治が死んで何年も後のことだ。鶴治と京極の間に接点があったとは思えないのだが。


 すると鶴治は、苦々しげな口調で答えた。


「ああ。実際に会ったのはこの《監獄都市》の中が初めてだが、その前から()()が何なのかはよく知っている。……アレはもはや人間じゃねえ。似たような皮を被った全く別の生物(なにか)だ。俺も同じだからよく分かる」


 鶴治の表情は険しい。その瞳には、驚くほど冷たい光が宿っている。実直に包丁を握る、居酒屋《淡路島》の大将・芝山利吉からは想像もできない姿だ。


「鶴治さん……?」


 鶴治は再び逢坂へ視線を向ける。その時には、いつもの穏やかな面持ちに戻っていた。


「ああいう手合いとは関わらねえ、近づかねえのが一番だ。それでも……何が何でも京極と戦うというなら、同志を探せ、忍。何もかも一人でやり抜こうとせず、仲間を集めるんだ。たとえば野生の狼はバイソンを襲って喰う。だが、群れと化したバイソンは、逆に協力し合って狼を追い払うようになる。どんな脅威も寄せ付けない、バイソンの群れになれ」


「……」


「生きろ、忍! お前の望みを叶えるためにも、まずは《中立地帯》で態勢を整えるんだ。部下ともにそんな満身創痍じゃ、《新八洲特区》に戻ったところでせいぜい犬死するだけだろう。今は後悔も怒りも怨恨も、全て胸の中にしまい撤退するんだ。退く時は退き、然るべき場所で力を蓄える。それも将の重要な役割だ」


 そして鶴治は逢坂の元へやって来ると、須賀の垂れ下がった腕を自らの肩に回し、共に担ぐ。


「自暴自棄にはなるな。人間、手放すなんてのはいつでもできる。何も難しいことはない。全てを諦め、何もなかったかのように忘れて心穏やかに暮らすんだ。この俺がそうしてきたように、世界の全てに目を背け、死んだように生き続ける……そんな人生も決して悪くはねえぞ。

 だが……忍、お前はまだ諦められねえものがその胸に残ってるんだろう? そいつは火種となり、お前自身を激しく燃え上がらせているはずだ。その炎を絶やすな、忍。次にチャンスが来た時、大輪の花を咲かせるためにも、今は胸の中に大事にしまっとけ」


 そして逢坂の肩をポンと叩く。現役時代、喝を入れる時や励ます時によくそうしてくれたように。


 逢坂が昔と変わっていないように、鶴治もまた変わっていないのだ。


 顔や仕事は変わっても、彼が逢坂を思う気持ちに変わりはない。


 それを悟り、逢坂の胸に熱いものが込み上げる。


「鶴治さん……!!」


 逢坂は歯を食いしばった。


 京極への報復や二代目桜龍会会長としての責任を考えると、いても立ってもいられない。すぐにでも飛び出したい衝動に駆られる。


 しかしその一方で、ここまで命を張って助けに来てくれた鶴治の想いをないがしろにするのも抵抗があった。


 鶴治は姿や名を変え、己の素性を隠して生きてきた。かつて子分であった逢坂にさえその正体を明かすことはなかった。事情はよく分からないが、そうせざるを得ないほどの厳しい状況に置かれていたのだろう。


 その彼が、秘密がばれるのを承知で逢坂を助けに来た。


 生半可な覚悟でできることではない。


 鶴治は芝山利吉としての人生すらも失うことを覚悟の上で、窮地に陥った逢坂の元へ駆けつけたのだ。


 その気持ちを裏切りたくはなかった。


「……分かりました。鶴治さんがそこまで言ってくれているんだ。俺は鶴治さんを信じます」


「忍……!」


 鶴治は頷いて、逢坂に言った。


「さあ、行こう。一刻も早く、お前の弟分を助けてやらなきゃな」


 結局、逢坂は鶴治と共に須賀を担ぎ、《中立地帯》を目指すことにした。いったん地上に出てから、周囲をよくよく確認し、隅田川を渡る。それから再び地下に潜ると、暗渠や地下道などを駆使して街中を進んでいく。


 かなり複雑なルートだが、鶴治には馴染みの道であるらしく、足取りに迷いはない。また、おかげで追っ手に追われることもなかった。


 須賀は完全に意識を失っており、運ぶのも一苦労だったが、鶴治が手伝ってくれたのでどうにか進むことができた。


 道中は互いに無言だった。


 何故、鶴治はこうして生きているのに、死んだと嘘をつかなければならなかったのか。


 この十年、何を思い、考えて過ごしてきたのか。


 話したいことは山ほどあった。だが、何となく聞くのは躊躇われたし、実際そんな余力も残ってはいなかった。須賀を背負ったまま歩を進めるので精一杯だったのだ。


 どれほど歩き続けただろうか。


 やがて、暗い地下道から地上に出ると、T字路にぶち当たった。


 左右に道が分かれている。鶴治は口を開いた。


「この道を右へ行け。そうしたら《中立地帯》に出られる」


「ありがとうございます。でも、鶴治さんは一緒に行かないんですか?」


「俺は《新八洲特区》から外には出られない。そういう契約になっているんだ。……それに、俺はもうこの世にゃ存在しない人間だからな。素性を知られている者は極力少ない方がいいんだよ」


「鶴治さん……」


 逢坂は何と言っていいのか分からなかった。同情するのは違う。鶴治もそれを望んではいないだろう。だがそれなら、何と声を掛けたら良いのか。


 すると鶴治は困ったように笑う。


「まあ、そういうわけだからよ。俺に会ったことはできるだけ他の人間には明かさないでくれ」


「……。分かりました」


 逢坂もそれ以上、深くは詮索しないことにした。互いにとって今はそれが一番いい。


「さあ、行け。ここにもいずれ追手が来る。どこにいても奴らはお前を追いかけてくるだろう。お前ら二人が聞き残るためにすべきことは……後は言わなくても分かるな?」


「ええ。たとえ《死神》にすがってでも身を守れ……ですよね?」


「ああ、上出来だ」


 逢阪が須賀を背負うのを手伝うと、鶴治はすっと身を離した。


「じゃあな、忍。くれぐれも……死ぬなよ」


「鶴治さんも……どうかお元気で。全てが片付いたら、必ずまた《淡路島》へ行きます」


「おう、待ってるぞ」


 そこで二人は分かれた。


 鶴治は《新八洲特区》へ、そして逢坂は《中立地帯》へ。


 再び会える日が来ることを願いながら。






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