第12話 反客為主③
「お前ら、何言ってやがる……!? 俺の顔を忘れたのか!? 盃を交わした俺のことが分からねえってのか!!」
そう怒鳴った逢坂は、ふと気づく。
《彼岸桜》の面々もまた似たような状態だった。ちょっと目を離した隙に正気を失い、《グラン・シャリオ》の拠点に乗り込んで行ったのだ。
《グラン・シャリオ》を惨殺する《彼岸桜》たちには全く感情の動きがみられず、まるで殺戮マシーンのようで、完全にいつもの彼らではなかった。
二代目桜龍会の構成員もそれと同じ状態にあるのでは。
「まさか……お前たちも京極に操られて……!?」
すると、工場の奥に広がる闇の中から、カツン、カツンと革靴の音が鳴り響く。そして力なく座り込む須賀の後ろから、浮かび上がるようにして京極が現れた。
完璧に整えられた髪に、きざったらしいスーツ。口元にはいつもの人形のような冷たい笑みが浮かんでいる。
「……逢坂忍、お前もそして須賀黒鉄も、大きな勘違いをしている。俺は彼らを操っているわけじゃない。ただ、心の奥底に眠っていた本音を炙り出してやっただけだ」
逢坂は京極へ射るような視線を向けた。
「京極鷹臣……!! やはりてめえだったか!! てめえが黒鉄や俺の部下たちを!!」
しかし京極は涼しい顔をしてそれを受け流す。
「お前たちはその事実から目を背け、俺に全ての責任を転嫁しているに過ぎない。自分たちがいかに見苦しく愚かな真似をしているか、そろそろ気づいたらどうだ?」
「ほざけ、この畜生が!! 二代目桜龍会を乗っ取ろうったって、そうはさせねえ! 部下たちにかけた洗脳を今すぐ解きやがれ!!」
逢坂は咆哮を上げた。京極に対する怒りで、すっかり頭に血が上っていた。
ところがその時、彼の後頭部に凄まじい衝撃が走る。
あまりに突然で、一瞬、何が起こったのか分からない。
転倒し床に突っ伏してから、ようやく理解する。何者かによって後頭部を殴られたのだと。
「ぐっ……ぬうう……!」
誰が自分を殴りつけたのか。
何とか身を起こして片膝をつき、後ろを振り返ると、そこには鮎沢甘助が金属バットを手にして立っていた。
いつもの快活でおどけた様子はそこにはなく、敵意のこもった目で逢坂を見下ろしている。
「甘助……まさか、お前まで京極に操られちまったのか……!?」
しかし、それなら辻褄が合わない。なぜ甘助は、わざわざ逢坂に須賀のピンチを報告しに来たのか。ひょっとして、それすらも罠だったのでは。
愕然とする逢坂を嘲るかのように、甘助は薄ら笑いを浮かべる。
「いいえ、違いますよ。俺には京極さんのアニムスはかかっていません。俺は最初から『あっち側』だったんです」
「何……!?」
「あー、つまりですね。俺の上司は逢坂さんじゃなくて京極さんなんですよ。二代目桜龍会に入るずーっと前からね」
「……!!」
つまり甘助は京極の放ったスパイだったのだ。二代目桜龍会に潜り込み、京極へこちらの情報を流していたのだろう。逢坂たちの動きは、京極に筒抜けだったのだ。
(つまり二代目桜龍会は、かなり前から京極の支配を受けていたということか……!!)
気づかなかった。毎日同じ事務所に詰めていたのに、何ら異変を察知することができなかった。
逢坂は二代目桜龍会の会長であるにもかかわらず、組の危機を阻止することができなかったのだ。
全ては水面下で進行し、いつの間にか完結していた。
悔しさのあまり顔を歪める逢坂。
一方、甘助は黒光りするハンドガンを取り出すと、それを床に滑らせ、逢坂の元へ投げてよこす。
「……これは何だ? どういうことだ!」
逢坂は全身を強張らせた。だだっ広い工場内に、警戒の滲んだ声が響き渡る。それに対し、京極は素っ気なく要求のみを口にした。
「逢坂忍、その拳銃を使い今すぐこの場で自害しろ。そうすれば、須賀黒鉄の命は助けてやる」
「何だと……!?」
「聞こえなかったか? ここで死ねと言っているんだ」
「ナメるなよ、このクソガキが!! 《彼岸桜》の命を弄んだてめえの言うことを、俺が信じるとでも思ったか!? そもそも俺が邪魔ってんなら、直接俺だけを狙えば良かっただろうが!! こんな形で黒鉄や他の部下を巻き込む必要などなかったじゃねえか!!」
《彼岸桜》の《リスト執行》や二代目桜龍会構成員の洗脳。京極はそれだけでは飽き足らず、須賀を半殺しにまでした。逢坂を殺すために逢阪自身には手を出さず、周りの人間を餌食にしたのだ。
それが何より許せなかった。憤るなという方が無理な話だ。
しかし、京極はやはり冷ややかに嘲笑するのみだった。
「そちらこそ、思い上がりが甚だしいにもほどがある。俺の狙いがお前にあると、本当にそう思っているのか? まさか自分の存在にそれほど大きな価値があるとでも?」
「何ィ……!?」
「逢坂忍、お前がどうなろうと俺には微塵も興味がない。俺が必要なのは下桜井組という組織であって、末端の木っ端幹部の一人や二人、どうなろうと知った事じゃない。ただ、下桜井組を内部崩壊させる種を仕込むのに、お前の存在はすこぶる使い勝手が良かった。だから近づいて利用したまでだ」
それを耳にした逢坂は、眉根を寄せる。
「……!! ちょっと待て、組を内部崩壊させる種だと……!? そりゃどういう事だ!!」
《彼岸桜》が《リスト執行》された後、逢坂は通信端末を介し、京極と雨宮深雪が交わした会話の内容を聞いていた。だが、その全てを聞くことができたわけではない。要所要所はマリアによってモザイク音をかけられていたからだ。
逢坂が把握していたのは、《彼岸桜》を操り《リスト執行》されるよう仕向けたのは京極だという事実だけだ。
そのため、逢阪はずっと、京極の狙いは自分なのだと思ってきた。自分の地位を奪い、乗っ取ることが目的なのだと。
だが、それは間違いなのではないか。京極の目的は、もっと別のところにあるのでは。
すると京極は、ようやく気付いたのかといわんばかりに、酷薄な笑みを浮かべる。
「ふ……こういう事だ! 現実を思い知るがいい!」
その声と共に、再び廃工場の暗がりから二人の人物が姿を現す。
一人はいかにも高そうなスーツを纏った、見覚えのある白人男性。
京極の隣に立ったのは《ノヴス・オルド》社のリゾート事業部門・経営戦略部・新規事業開発部長、リチャード=ローズだった。
その更に奥には乙葉ダニエルの姿もあった。逢坂は乙葉ダニエルのことはよく知らないが、彼が《ノヴス・オルド》社から派遣された十三人からなるリゾート開発プロジェクトチームの一人だということは覚えている。
「あ……あんたは《ノヴス・オルド》社の……!? そうしてここに……!!」
ただただ呆気に取られ、目を見開くしかない逢坂に対し、リチャード=ローズはやたら楽しげな様子で京極に言った。
「Oh! タカ、これがかの有名なセップクとやらかな? ジャパニーズ・サムライ・ショー! 実にアメイジング!!」
まるで、初めてサーカスに連れて来てもらった子どものようだ。
だが、乙葉ダニエルは半眼でそれをばっさり切り捨てる。
「そんなわけないでしょ。ただのゴロツキの処刑だよ、こんなの。少し空気読めば?」
「あらら、ザンネン……でも、それはそれで面白そうだね。タカ、是非とも僕たちを楽しませてくれ!」
リチャードはアッシュブルーの瞳に残忍な光を宿した。ひげを蓄えた口元には上品な笑みを浮かんでいるが、その実、血が見たくて仕方がない。それが彼の本性なのだ。
京極もまた残忍な笑みを浮かべ、それに応じた。
「ああ、もちろんだとも、リチャード。もっとも、この男は娯楽としても三流以下の粗悪品だがな」
リチャードと京極は随分と親しげだった。よほど息が合ったのか。少なくとも、昨日今日、出会ったばかりというような余所余所しい雰囲気ではない。そしてそれは、奥に立つ乙葉ダニエルも同じなのだろう。
逢坂は動揺し、声を震わせた。
「ま……まさか、てめえら手を組みやがったのか!? 一体なぜ……組の出した条件は《ノヴス・オルド》社にとって決して悪いものじゃなかったはずだ!!」
京極は半ばあきれ顔で吐き捨てる。
「この期に及んでまだそんな質問をするとは、愚劣極まりないな。まだ分からないのか。リチャードは甘助と同じ、最初から『こちら側』だったということだ」
「――……。な……何だ、それは……? 最初から……? 組と《ノヴス・オルド》社が商談をするずっと前から、お前らはグルだった……!?」
「その通りだ。礼を言うぞ、逢坂忍。お前のおかげで、俺たちはこれ以上ないほど計画をスムーズに進めることができたのだからな」
「俺が……!? 何なんだてめえら、さっきから何の話をしてやがる!?」
京極と《ノヴス・オルド》社員が共謀関係にあったというだけでも、十分、驚愕に値する事態なのに。これ以上、何があるというのか。狼狽して声を荒げる逢坂に、京極は淡々と告げる。
「覚えていないのか? 俺はお前の前で幾度となく《アラハバキ》下部構成員の窮状を口にしただろう。そうすれば、何だかんだで面倒見の良いお前は、必ず動くと考えたからだ。
案の定、《アラハバキ》若手の貧困を解決しようと、お前は下桜井組組長に直談判した。下桜井蝉はその訴えに心を動かされ、新たな大規模観光開発に着手することに決めた。
……重要なのは、この街が《監獄都市》というひどく閉鎖された環境にあること、そして下桜井組幹部の多くが中露同時侵攻を経験した世代だということだ。幹部が強烈な中露嫌いであるため、取引先の選択肢は必然的にアメリカ四大国家企業を含めた数か国に絞られる。
《監獄都市》の中から出ることができない故に、満足な情報収集ができず、おまけに外部とのコネクションも持たない《アラハバキ》であれば、中でも最もわかりやすい大企業を選ぶはず……そういった俺の読みは悉く的中した。お前たちの思考や行動はこの上なく単純で分かりやすい。おかげでこちらも、労なくして成果を得ることができた。
あとはお前たちが接触を図るであろう《ノヴス・オルド》社に、リチャードとダニエルを配属させておけば完成だ」
逢坂は半ば放心状態でリチャードを見つめた。
「どういうことだ……? つまりあんたは、偽物の《ノヴス・オルド》社員だったということか!?」
リチャード=ローズは優雅に肩を竦め、首を横に振る。
「それは少し違うよ。僕とダニエルが《ノヴス・オルド》社の社員であることに間違いはない。僕たちにとって、《ノヴス・オルド》社社員であることと京極の部下であることは、十分に両立し得ることなんだよ」
「何だそりゃ……わけが分からねえ……!!」
逢阪は両手で顔を覆って呻いた。
分からない。
京極が何を言っているのか、何をやってのけたのか。理解ができない。
いや、頭ではちゃんと理解している。だがそれを本当に何の破綻なく実行できるものなのか。何せ、逢坂を唆しただけで、京極は全てを思い通りに動かしたのだ。普通の人間にできる芸当ではない。まさに神のなせる業だ。
――何て怖ろしい奴だ。
そしてそれ故に、逢坂には己の過ちが大きくのしかかった。
「……俺のせいなのか? てめえが言っていた『下桜井組を内部崩壊させる種を仕込んだ』ってのは、俺が親父に直訴した事だろう。組の将来のため、どうか新規事業を始めてくれ、と。要するに俺がまんまと、てめえの思い通りに動いたことで、組に経済的損失を与えたどころか、組の存続を脅かしかねない深刻な危機まで招いちまったってことだろう!?」
「ようやく気付いたか。お前は自ら良かれと考え動いたのだろうが、その行動が却って下桜井組を滅びの道へと突き落としたんだ」
そう答える京極の声からは、微かに憐れみが感じ取れた。だがそれは、決して優しさからくるものではない。己より下等な存在に対する侮蔑に起因した感情だ。
「……!! くっ……!!」
逢阪はぎりぎりと奥歯を噛みしめた。自らの行動が間違っていたとは思えない。このままではいずれ《アラハバキ》は先細り、足元から瓦解していく。それは明らかだったからだ。
しかし良かれと思って行動を起こした結果、逢坂は《彼岸桜》を失い、幹部の座を追われ、下桜井組からの信用も失い、二代目桜龍会まで乗っ取られてしまった。逢坂の下桜井組を思う気持ちを京極にまんまと利用されるという最悪の形で。
そして大型観光開発事業の末路もまた、今の自分の立場と同じく惨憺たる結果になるであろうことは想像に難くなかった。
(俺の選択が二代目桜龍会を、そして下桜井組を崩壊させる……!? 俺が判断を誤ったせいで……!!)
もちろん逢坂は京極の罠に嵌められたのであるが、それは全く言い訳にはならない。《アラハバキ》では汚い陰謀や策略を用いて相手を陥れ、のし上がるのは決して珍しいことではないからだ。生き残るためには、そういった陰謀や策略も自力で掻い潜っていかなければならない。それを含めての実力なのだ。
だから、逢坂はこの時点で京極に敗北を喫したと言って間違いない。
それどころか自分の失態のせいで親兄弟はもちろん、組まで危機に晒してしまった。取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだ。
茫然自失とする逢坂に、京極は宣告する。
「逢坂忍、もしお前にまだ良心と理性が残っているなら、組への恩義に報いるため、そして自らの失策に対する責任を取るためにも、今ここで自らの命を持って落とし前をつけるべきじゃないか? そうすれば、さすがに兄貴分の越智太獅や組長である下桜井蝉も、お前の過失を咎めたりはしないだろう。お前が可愛がっている二代目桜龍会の部下たちの身の安全も保障する」
それから京極は悪魔のごとく囁きかけた。
ぞっとするような優しい声で。
「……さあ、そのハンドガンの銃口を自らの頭部へ向け、トリガーを引け! お前が決断さえすれば、何もかもが丸く収まるんだ……!」
「……」
逢坂は無言で床に転がったハンドガンを拾った。
一瞬、それで自分の頭をぶち抜くべきかと考える。
そうすれば黒鉄は助かるだろうか。組に対する過ちも償う事ができるだろうか。
しかしすぐに《彼岸桜》の面々を思い出した。
そして彼らが最後に残した言葉も。
――あなたは《アラハバキ》にとって必要な人だ。二代目桜龍会を、そしてみなのことを頼みます。どうか末永くお元気で。
逢坂が考えを改めるのには、それだけで十分だった。
「ふざけるな……そんな戯言で俺が死を選ぶとでも思ったか!? お前が卑劣にやってのけたこと……《彼岸桜》の心を操り《グラン・シャリオ》の大量虐殺という罪に手を染めさせた事実を簡単に忘れるとでも思ったか!! 舐めんじゃねえ……舐めんじゃねえぞ!! ここで死ぬのはてめえだ、京極!!」
そう叫ぶと、逢坂は手にした拳銃を京極へ向ける。ところが、二代目桜龍会構成員たちが京極を守るようにして逢坂の前に立ちはだかったのだった。
「お、お前ら……!? そこを退け! 京極は……そいつは寄生虫だ! 無害な顔をして組織に入り込み、内臓を食い尽くして隅々まで乗っ取っちまう! いま京極を殺らなけりゃ、《アラハバキ》は取り返しのつかないことになるんだぞ!!」
だが、二代目桜龍会の組員は相変わらず、通りすがりの他人に向けるような敵意に満ちた視線で逢坂を睨みつける。
「……はあ? 何言ってんスか、おっさん!?」
「おう、うちのリーダーを罵倒するたぁ、覚悟はできてるんだろうなあ!? いくら《アラハバキ》構成員でも許せることと許せないことがあるんじゃ、ボケがぁっ!!」
そう叫ぶと、二代目桜龍会構成員――逢坂の元部下は、錆の浮いた鉄パイプで思いきり逢坂の背中を殴りつけた。
「ガッ……!!」
全く手心の加えられていない、容赦の無い一発だった。その衝撃は内臓まで貫通し、凄まじい激痛が全身を駆け巡る。
呼吸さえままならず、激しく咳き込んだ。そこには血が滲んでいた。
喘ぎながらも、逢坂は声を振り絞る。
「お前ら……本当に俺のことが分からなくなっちまったのか……!? 一緒に二代目桜龍会を盛り上げてきた仲間であり親兄弟であり、そして家族だっただろう!!」
「だからさあ、こっちにはそんな記憶、最初からねえんだよ! いい加減、ありもしない昔話を事実かのように語るんじゃねえ、気持ち悪ィんだよ!!」
そして逢坂は二代目桜龍会構成員らによって取り囲まれ、さらに激しく殴られた。何度も何度も、執拗なほど殴打され続ける。
鉄パイプや金属バット、ハンマー、ナックルダスター。
不思議と鈍器ばかりでその中に刃物はなかった。アニムスも使わない。京極の指示だろうか。
ただ、打撲傷でも決して侮れない。打ち所が悪ければ死に繋がるからだ。
逢坂は頭部を庇い、必死で耐え続けた。
反撃をしようと思えばできなくもない。逢坂は《ツイスト》というアニムスを持っている。
だが、《ツイスト》は殺傷能力が高い。どんな物体でも、一瞬にして絞った雑巾のように捩じってしまう。《ツイスト》を喰らって生き残った人間はいない。相手が自分の子分や弟分であればこそ、軽々しくその能力を使うわけにはいかなかった。
どんなに辛くとも、されるがままになるしかない。




