第11話 反客為主②
「ほざけ!! お前がアニムスを使って《彼岸桜》に《グラン・シャリオ》を襲わせたことは、逢坂さんから聞いている! その人の心を惑わすアニムスをみなにも使ったんだろう!!
お前ごとき、……逢坂さんの手を煩わせるまでもない! 《彼岸桜》の仇は俺が討つ!!」
ニードルガンは、短針を弾丸とする銃だ。ハンドガンとボウガンを掛け合わせたような武器だが、銃ほど殺傷能力が高くなく、ボウガンほど場所を取らない。そのため、たとえば敵の身柄を拘束する際などに、大いに活躍した。
敵は殺せばいいというものではない。捕虜にして交渉に用いたり、情報を引き出したりと、生かしておけば使いどころはいろいろとある。
もっとも、至近距離で発砲した場合、殺害することも十分に可能だ。
たとえ相手がゴーストであっても。
須賀はそのニードルガンを迷わず京極へ向かって撃った。命中すれば、即死は確実という至近距離だ。
しかし同時に、京極の瞳も赤い閃光を放つ。
「……聞き分けのない犬だ」
京極は、その整った顔から爽やかな笑みを消し去り、瞳に冷酷無比な光を宿した。
彼の発したアニムスは《ルーナ・ノヴァ》だ。アニムスの発する軌跡を全く視認させない能力で、ニードルガンの発した短針を木っ端微塵にすると、さらには須賀までも八つ裂きにせんと襲い掛かった。
「ぐああっ!!」
須賀は《ルーナ・ノヴァ》を受けた衝撃で後方に吹き飛ばされた。その弾みでニードルガンも手を離れる。スーツもシャツも、体までも一瞬にして徹底的に斬り刻まれ、傷口から大量の血がぶちまけられた。
身動きができないほどの深刻な負傷だ。
「ぐ……うう……!」
須賀の体は壁に激突し、そのまま床へずり落ちた。間髪を入れず、凄まじい激痛に見舞われる。
脳髄を揺さぶり、呼吸も不可能にさせるほどの、激烈な痛み。
たった一回、アニムスを浴びただけなのに、もはや立ち上がる事すらできそうにない。
(だが、ニードルガンさえあれば……!!)
須賀のアニムスは《無限複製》。物体複製の能力だ。
だが、何でも複製できるわけではない。複製可能な物体の種類や大きさには限りがあり、須賀にとって最も複製しやすいのがニードルガンの短針だった。
つまり、須賀の装備しているニードルガン自体はどこにでもあるありふれた武器だが、須賀はその弾を無限に補充することができるのだ。
体が動かなくとも、ニードルガンの引き鉄さえ引くことができれば。須賀は必死で血にまみれた手を伸ばす。
だが京極は、その命綱であるニードルガンを足で蹴って遠くにやってしまった。
さらに京極は、嘲笑うかのように須賀の伸ばした手を真上から踏みつける。明らかな挑発行為に、須賀は奥歯を噛みしめた。
「京極……!!」
すると京極は、先ほどまでとは打って変わり、ぞっとするほど冷ややかな声で囁く。
「……須賀黒鉄、答えろ。逢坂忍はどこにいる?」
「さ……さあな……?」
「逢坂忍はお前を信頼していた。奴の行き先について必ず何か知らされているはずだ。今すぐ吐け。そうすれば命くらいは助けてやる」
京極は須賀の胸元を荒々しく掴んで引き寄せた。しかし須賀は京極を睨みつけると、その端正な顔にプッと唾を吐きかける。
「なめるなよ、小僧! 俺と逢坂さんは『親子の盃』を交わし、強い絆で結ばれている! 逢坂さんの居所について吐くくらいなら、てめえもろとも自害することを選ぶ!!」
須賀の瞳の奥に閃く狂気。
京極は鋭くそれを察知した。
そして即座に須賀を抑え、躊躇なく彼の口の中へ己の手を突っ込むと、奥歯をゴキッと折って取り出し、床に投げ捨てる。
そこに装着されていたのは、自決用の仕込み爆弾だった。小型で威力は弱いが、人ひとりくらいなら道連れにできる代物だ。
「ガッ……アアアアアアアッ!!」
麻酔も打たず、力尽くで奥歯をへし折られたのだ。全身の負傷を掛け合わせても、なお余りあるほどの激痛だった。口中に血が溢れ、鉄に似た不快な味が広がる。
須賀は悶絶した。あまりの痛みで涙さえ出ない。
だが京極は手を緩めることなく、乱暴に須賀の顎を鷲掴みにして、冷徹に問い詰める。
「……そんなに話したくないか? そこまで守りたいか、逢坂を」
「あ……当たり前だ! 二代目桜龍会は恩や義理を何よりも尊ぶ組織だ。そして、組員を実の家族以上に大切にする。何があろうと仲間を売ったりはしねえ! たとえ逢坂さんの行方を知っていたとしても、お前にだけは話さねえぞ、京極……!!」
須賀は歯を食いしばって呻き声を呑み込み、血走った眼で京極をねめつけた。
殺れるものなら殺ってみろ。そういう、強い覚悟が宿っていた。
しかし京極は特に心動かされたふうもなく、下等な生物を眺めるような酷薄な目をして須賀を見下ろし、吐き捨てる。
「……。そうか。それほど逢坂忍や二代目桜龍会が大事か。……それなら、その大切な仲間の手で、お前自ら逢坂の居場所を喋りたくなるようにさせてやろう」
京極がそう言い放った途端、《ヴァニタス》で操られた二代目桜龍会の組員たちは須賀を取り囲んだ。見慣れた面々のはずなのに、どの顔もこれまで見たこともないほどの殺気に満ちている。
おまけに須賀は足の神経か腱を痛めてしまったらしく、足を動かすことができない。
二代目桜龍会構成員たちの手には、金属バットやゴルフクラブ、刃物といった武器が握られており、部屋の照明を反射して禍々しい光を放っている。
須賀もさすがにぎょっとし、叫んだ。
「……やめろ! お前たちは京極に操られているんだ! 俺たち二代目桜龍会の組員が互いに争い合ってどうする!? 目を覚ませ!! このままでは京極の思うツボだぞ!!」
ところが、二代目桜龍会の組員たちは虚ろな瞳をさらに濁らせ、それを極限まで見開くのだった。
どこからどう見ても正気ではない。
黒々とした虚無が須賀を捕える。
「何言ってんだ、須賀さん? これは他の誰でもない、俺たち自身の意思だ! 俺たちはあくまで自分の考えに則って動いているんだ!!」
「京極さんは組に希望をもたらしてくれる、真に正しい存在なんだ! その京極さんの考えを否定し拒むなら、須賀さん……たとえ若頭のあんたであっても許してはおけねえ!!」
そう叫ぶと、組員らは武器を須賀めがけて振り下ろす。
容赦の無い一撃だった。
ゴキッと骨の砕ける異様な音が響く。
「ぐっ……あああああああ!!」
須賀はたまらず絶叫した。しかし、組員たちの暴行は止まらない。頭部や内臓など、致命傷に至る可能性の高い箇所こそ避けてはいるものの、かつて慕った相手に対する振る舞いとは思えないほどの辛辣な攻撃を加えていく。まさに滅多打ちだ。
須賀も最初こそ悲鳴にも似た呻き声を発していたが、徐々にその声も聞こえなくなっていく。おそらく、意識を失ってしまったのだろう。
鮎沢甘助は、事務所の物陰に隠れ、その一部始終を目撃していた。
彼の顔は吹雪に遭ったかのように蒼白になっており、全身もガタガタと震えていた。ただ、両手で己の口を塞いで悲鳴が外に漏れないようにするので精一杯だ。
二代目桜龍会の構成員ですら震え上がるほどの、異様な光景だった。
「ひっ……! な……何でこんなことに……!?」
逢坂との連絡役を命じられ、忙しく動き回っていた甘助は、たまたま須賀と京極が対峙する現場に居合わせなかった。
須賀に命じられた用事を済ませ、二代目桜龍会の事務所に戻ると、何だかいつもと様子が違う事に気づく。
足音を忍ばせながら事務所に入ると、京極と須賀の怒声が聞こえてきた。そしてあれよあれよという間に須賀への暴行が始まった。
できるなら今すぐ須賀を助け出したい。
二代目桜龍会の構成員なら、若頭を守って当然だ。
甘助は須賀に取り立ててもらってきたから、余計に悔しく、腹も立つ。
ただ残念なことに、甘助はそれほど戦闘力の高い方ではなかった。どちらかと言うと、事務処理や雑務を器用にこなすことで成り上がったタイプだ。
ここで自分が飛び出して行っても、ほぼ間違いなく須賀を助けることはできない。それよりは会長である逢坂にこの事実を知らせるべきではないか。
そう判断した甘助は、断腸の思いで事務所を抜け出し、江戸川区・西小岩にある逢坂の潜伏先まで必死に駆けてきたのだった。
それが、甘助が逢坂にした説明の全てだった。
逢坂は衝撃のあまり、すぐには言葉が出ない。ひたすら茫然とするしかなかった。
京極が動くであろうことは優に想像がついた。あれは逢坂を追い落して満足するようなタマではない。だが、それにしたって早すぎる。
(京極が幹部会に……!? くそ、やられた! 瀬戸島さんはここ数年、病床に伏せっていたこともあり、組の仕事から遠ざかっていた。その一方、長年のライバルだった越智の兄貴は若頭の座に王手をかけている。瀬戸島さんはさぞや功を焦っていることだろう……! 京極がつけ込むにはもってこいの相手だ!! そして奴は俺のいない間にまんまと二代目桜龍会を乗っ取ろうとしている……!!)
京極が瀬戸島に近づいたのはただ一つ、利用しその地位を奪うためだ。おそらく、逢坂にしたことをそのまま瀬戸島にも仕掛けるつもりなのだろう。
だが、瀬戸島はその事に気づいていない。
自分が標的にされていることなど露知らず、ライバルである越智を蹴落とす絶好のチャンス程度にしか思っていない。
あの上品ななりをした優男に悪魔のような心と頭脳が潜んでいることなど知りもせず、利用しているつもりで逆に利用されているのだ。
そして、どうにもならなくなるまでその事に考えを巡らせもしない。
逢坂は改めて京極のしたたかさに戦慄する。
だが今は、何よりも須賀黒鉄の安否が気がかりだった。体を張ってまで二代目桜龍会と会長である逢坂を守ろうとした彼はどうなったのだろう。
「……それで、黒鉄はどうなった!? 無事なのか!? それとも、まさか……!」
強い口調で問い質すと、甘助は顔を強張らせた。
「わ、若頭は、無事……とは言えませんが、生きてます。ただ、京極とその部下に連れてかれちまいまして……!!」
「連れていかれた? どこにだ!?」
「それが……墨田区にあるうち名義の廃工場跡地です!」
「!! 墨田区の廃工場跡地だと……!?」
その場所もまた、この潜伏先である廃ビルと同じで、先代の桜龍会会長から受け継いだものだった。
工場とはいえ、機械や設備はとうの昔に撤去されている。人目につかない場所であるため、長年、裏切者や敵対者の処刑場として用いてきた場所だ。
京極も二代目桜龍会の組員からその存在を聞き出し、須賀をそこへ運んだのだろう。
つまり京極は、須賀を殺すつもりなのだ。
「こうしちゃいられねえ……!!」
もはや、ここでこそこそと隠れ続けている場合ではない。逢坂はスウェットを脱ぎ捨てスーツに着替えると、ネクタイを締めるのもそこそこに部屋を飛び出す。
甘助は驚いてその場を飛びのいたものの、慌てて後から追いかけてきた。
「ま、待って下さい、逢坂さん! 一体どこへ向かうんで?」
「決まっているだろう、黒鉄を助けに行くんだよ!!」
「で……でも、これは罠かもしれませんよ! 逢坂さんを誘い出すための……!!」
逢坂とて、当然その可能性に考えが及ばないわけがなかった。
いやむしろ、「罠かもしれない」であるどころか、これは明確に罠だろう。姿をくらませた逢坂を誘い出すための。
京極の事だ。大方、「須賀黒鉄を使って逢坂忍をおびき寄せ、まとめて葬り去るのが効率的」などと小賢しいことを考えているに違いない。
……だが。
「それが何だってんだ?」
「え?」
「罠だったら、何だって言うんだ!? そんな理由で黒鉄を見捨てろと言うのか! 京極に粛清されても俺を信じ続けてくれた黒鉄を!! そんなこと……何があってもできるはずがないだろう!!」
そして逢坂は再び走り出す。甘助も、こけつまろびつ、それを追う。
「ま……待って下さい、逢坂さん!!」
(黒鉄、死ぬな……絶対に死ぬなよ!!)
逢坂が須賀黒鉄と出会ったのは、まだ先代の桜龍会会長・国府田学人が存命だった頃のことだった。
当時から須賀はその優秀さで有名だったが、何故か他者と行動を元にすることが無く、はっきり言って桜龍会の中でも浮いていた。
若頭だった逢坂は、放っておくわけにもいくまいと考え、須賀に声をかけるようになる。
そうして接するうちに、須賀が組織に馴染めない理由が何となく分かってきた。端的に言うと、彼は何でも理詰めで考えすぎるのだ。古い価値観を好む《アラハバキ》構成員にとって、物事を進めるのにいちいち数字を出してくる奴は、賢しらな頭でっかちでしかない。
だが、よくよく話をしてみると、須賀は決して性格に難があるわけでも、人情を理解していないわけでもなかった。ただ、他の構成員とは反りが合わないだけで、決して冷淡なわけでも道理を理解していないわけでもない。
こいつは信用できる。
そして将来、必ず桜龍会にとって必要になる。
そう判断した逢坂は、須賀を重用するようになる。
やがて逢坂が二代目桜龍会会長になるころには、須賀は頼りになる右腕になっていた。
義理や人情に重きを置く逢坂と、冷静冷徹に物事を進める須賀。
一見すると二人の性格は正反対だ。実際、二十代の頃は、お互い若かったこともあってよく喧嘩をした。だが正反対であるからこそ、互いを補い合い、支え合うことができたのだ。
須賀がいなければ逢坂が最年少の下桜井組幹部などという異例の出世を遂げることもなかっただろう。
逢坂にとって須賀は、苦楽を共にしてきた大事な仲間だ。なくてはならない、唯一無二の相棒だ。そして、二代目桜龍会にとっても欠かせない若頭。
ここで京極などのために、失うわけにはいかない。
逢坂は、荒れ果てた東京東部の街中を走り続けた。ところが、江戸川区から墨田区に移動する道中、何人か《アラハバキ》構成員と思しき集団を見かける。《アラハバキ》構成員は身なりが良く、独特の雰囲気を纏っているためすぐにそうだと分かるのだ。
中にはよく見知った顔もあった。甘助の説明から判断するに、彼らは下桜井組の組員たちだろう。組長である下桜井蝉に命じられ、逢坂を探しているのだ。
東雲探偵事務所との内通疑惑も晴らしていない中、今ここで彼らに掴まるわけにはいかない。逢坂は慎重に身を隠しつつ、目的地目指して移動し続ける。
そしてようやく墨田区にある廃工場跡地に到着した。
すでに大型設備や工作機械などは撤去されており、残っているのは工場を支える柱や鉄骨だけだ。工場内はがらんとしており、おまけにひどく薄暗い。
しかし床に目を向けると、夥しい血痕があちこちに残されている。どれもすっかり乾いて黒ずんでいた。今まで、大勢の人間がこの場所で死んできた。その証だ。
その広々とした殺風景な空間の中央に、ぽつんとパイプ椅子が立っていた。
そこに後ろ手に縛られた須賀が座らされている。がくりと頭を垂れ、白いワイシャツは血まみれだ。遠目に見ても全身に凄まじい傷を負っている。足に至ってはあらぬ方向へ完全に折れてしまっていた。
これほど酷い有り様では、もうとっくに生きてはいないのでは。
一瞬、最悪の事態を考えてしまうほど、須賀は深刻な重傷を負っていた。
だがよく耳を澄ますと、時おり獣の唸り声のような呻き声を漏らすのが聞こえてくる。肩が微かに上下しているところを見るに、呼吸もしているようだ。
須賀は辛うじて生きている。
「黒鉄、生きていたか……!! 黒鉄! 返事をしてくれ、黒鉄!!」
逢坂は須賀へ駆け寄ろうとした。
一刻も早く、彼に治療を受けさせなければ。その事しか頭になかった。
しかしそれは、途中で容赦なく阻まれる。屈強な男たちが数十人現れ、逢坂の目の前に立ちはだかったからだ。
しかもそれはみな、逢坂にとってこれ以上もなく馴染みのある顔――二代目桜龍会の構成員たちだった。つまり逢坂の信頼した弟分や子分たちだ。
「お前ら……ここで何をしてやがる!?」
「……」
「そこをどけ! 黒鉄がどんな状況か……お前らも分からないわけじゃねえだろう!!」
「……それは断る。若頭を見張り、誰も近づけるな……それが京極さんの命令だ」
二代目桜龍会の構成員たちは、冷酷にそう吐き捨てた。逢坂は、思わずカッとして叫ぶ。
「馬鹿野郎!! 忘れたのか、お前らは二代目桜龍会の組員だ! 本来なら京極などじゃなく、若頭の命令に従うべきだろう!! それをあろうことか、裏切ってまで敵対組織の側につき、挙句の果てには若頭の私刑に手を貸すとは……! 自分たちがどれほど仁義を欠いた行いをしてるか……恥を知れ!!」
ところが、二代目桜龍会の構成員たちは、逢坂の顔をまじまじと見て首を傾げるばかりだった。
「……っつーか、そもそもあんた何者だ? 余所者に俺たちの組について、とやかく言われる筋合いなんざねえんだが?」
「なっ……!?」
「どこの誰だか知らねえが、若頭に手を出そうってんなら、てめえは間違いなく俺らの敵だ。若頭もろともブッ殺す。それが京極さんの指示なんだからな!」
「俺らが従うのはこの世でただ一人、京極さんだけだ!!」
逢坂はそれを聞き、愕然とする。二代目桜龍会の構成員たちはみな真顔だ。冗談を言っているふうではないし、そもそもくだらない事を言って親分をからかうほど礼儀知らずな奴らでもない。
甘助の説明でみなの様子がおかしいことは知ってはいたが、ここまで酷いとは。




