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東亰PRISON  作者: 天野地人
監獄都市収監編
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第6話 東雲探偵事務所①

 次に意識が戻ったのは、静かな部屋の中だった。


 洋室風に拵えられた木造の部屋は、壁が白い漆喰で塗られ、渋い色調のアンティーク家具でシックに整えられている。天井の照明ライトは地味なキャンドルタイプの真鍮製で、家具も収納棚が二つと本棚が一つあるだけだ。部屋の中央にはテーブルとソファの応接セットが置いてあり、その下にはやはり落ち着いた色合いの絨毯。


 古いが洒落っ気はあまりなく、どちらかというと簡素で重厚な印象を受けた。


 深雪はその部屋のソファに寝かされていた。


「ここは………」

 上半身を起こそうとするが、後頭部が鈍く痛む。思わず顔をしかめた。

 ここは、どこか。一見したところ危険な場所には見えないが、ただの民家というわけでもないだろう。深雪の服装は東京に来た時の格好――黒のフードつきコートにジーンズのままだ。どうやら、気絶した後、そのままどこかに運ばれたらしい。目に入ったそばの窓から外を見ると、すでに黄昏時に差し掛かり、外は薄暗くなっていた。


 徐々に記憶が戻って来る。赤神は、シロと呼ばれた少女はどこに行ったのだろうか。不審に思っているとその時、死角から何かが飛び掛かってきた。


「おっはよ~~~!」

「う……うおああああああああああああ⁉」


 深雪は驚いて飛び上がる。ソファに横になった深雪の上に、何かが乗っかってきたのだ。慌てて見上げると、こちらを嬉しそうに見下ろすシロと目が合った。シロは深雪に馬乗りになり、こちらを覗き込んでいる。


「目が覚めた? 怪我してない?」

 シロは深雪の様子にすぐに気が付き、心配そうな表情になった。別にどこか痛いわけでも怪我をしたわけでもなかったが、突然馬乗りになられ、すっかり気が動転していた。

「な、な……何なんだよ、お前⁉」

 上擦った声で怒鳴ると、シロはぷくっと頬を膨らませ、抗議の声を上げた。

「お前じゃないよ、シロだもん。東雲シロ」

「い……いいから、とにかくどけよ、そこ!」

「えー、どうして?」

 深雪はシロを退かせようとするが、シロは何故そうされるのか理由が分からないらしく、ますます不思議そうな顔をするばかりだ。


「シロ、驚かせてはいけませんよ」


 不意に声がし、深雪はそちらへ視線をやる。部屋には二か所ドアがあり、そのうちのひとつから人影が現れたのだ。それは西洋系の外国人だった。すらりとして背が高い。百八十はあるだろうか。流れるような、砂金のような金髪は背中のあたりまである。眼鏡の奥の瞳は理知的で、優しそうに微笑んでいた。 


 彼は上から下まで真っ黒の服にマフラーの様なものを肩からかけている。手には白い手袋。そして、その手は盆を持っており、紅茶の注がれたティーカップが三つ乗っていた。

 綺麗だ――それが男に対して深雪が抱いた感想だった。男に対して綺麗だというのは何だかおかしな気もするが、他に言葉が見つからなかったのだ。ただ、容姿が整っているというだけではない。どこか浮世離れした、神聖さのようなものを纏っていた。近づき難い神々しさとも違う、穢れの無さ。それはシロの持つ無垢さとはまた別種のものだ。


 男は何者なのだろう。彼もまたゴーストなのだろうか。その外国人からは、敵意は全く感じられなかったが、それが余計に深雪を戸惑わせた。


 一方の男は、深雪の表情を特に気にした様子も無かった。澄んだセルリアンブルーの瞳を深雪とシロに、順に向ける。そして、ちょっと怒ったような表情になった。

「シロ。聞こえませんでしたか?」

「……はーい」

 シロは男に注意され、大人しく深雪の上から降りると、ソファに座り直す。すると、外国人はよく出来ましたとばかりに、にっこりと笑った。まるで小学校の先生と生徒のようなやり取りだ。おかげでようやく深雪も体を起こすことができた。


 外国人は紅茶を運んで来ると、深雪の真ん前にあるテーブルにそれを置く。そして深雪の傍のソファ……一人掛け用の椅子に腰かけた。

「どうぞ。昔、とある人に教わりまして。紅茶には少し自信があるのです」

 深雪は紅茶には手を出さなかった。その代わり、男の胸元に目を留める。そこには十字架がかけられていた。外国人の方も深雪の視線に気づいたらしく、優雅に微笑む。


「……オリヴィエ=ノアといいます」

「オルは神父様、なんだよ!」

 シロが横から、嬉しそうにそう付け加えた。先ほどマフラーだと思ったのは、キャソックだったのだ。深雪は余計混乱し、思わずオリヴィエに尋ねた。

「ここは……教会、か?」

「教会ではありませんよ。ここは東雲探偵事務所です」

「探偵……事務所……?」

「ええ」

「……。あんた達も……ゴースト、なのか……?」

「そうです」

 オリヴィエは微笑を浮かべたまま、あっさりと肯定する。

「シロもゴーストだよ!」

 シロはティーカップに注がれた紅茶に、角砂糖を入れながら無邪気にそう言った。


 やはり、彼らはゴーストなのか――深雪はどきりとし、内心の緊張を押し隠すために両手を握りしめた。オリヴィエの透き通った瞳が、そんな深雪の様子をじっと見つめる。


「私たちが怖い……ですか?」

 不意にそう尋ねられ、深雪はその視線から逃れるように顔を俯けた。

「別に……。ただ、ゴーストのせいで人が死ぬのは……嫌なだけ」

「そうですか。……良かった。私も同じです。ゴーストであろうと人であろうと、誰かが死ぬのは悲しい事です。――だから……私はここにいる」


 言葉の最後にちょっとした違和感を抱き、深雪は顔を上げる。オリヴィエの瞳はこちらに向いていたが、どこか遠くを見つめるかのようだった。明るいブルーの瞳が、先ほどより幾らか翳って見えたからかもしれない。

 しかし、それも一瞬の事だった。オリヴィエは深雪と目が合うと、再びにこりと微笑む。そして、次いで何か憂えたような表情になった。

「ただ残念ながら、この監獄都市にはそうは思っていないゴーストがいることも確かですが」

「赤神って奴の事……?」

 深雪が尋ねると、オリヴィエは笑って首を横に振った。

「流星はああ見えて、ちゃんとした人です。元警察官ですから」

「警官……? あれで……⁉ 信じられない……」

 深雪は驚く。確かに赤神は悪人にも見えなかったが、その赤い髪と飄々とした言動のせいか警察官というイメージにもそぐわなかった。そもそも警察官は規律がとても厳しいと聞く。あんなふざけた格好では、採用試験はおろか、警察学校すら入れないのではあるまいか。


 するとオリヴィエは、少し困ったような顔をして続けた。

「詳しくは私もよく知りません。ただ、そうだというのは本人から聞いた事があります」

 深雪は、「そうなんだ」と小さく答えた。確かに赤神も謎だが、何故、神父のオリヴィエが探偵事務所にいるのか、それも充分謎だ。しかし、深雪がその疑問を口にする前に、オリヴィエが口を開いた。


「……問題はもっと目つきが悪くて素行も悪く、ついでに性格まで悪いので完全に社会的害悪と化してしまっている人格破綻者の事です。ええ、誰とまでは言いませんが」

 オリヴィエはあくまでにこやかだったが、何故だか突然、その言葉の中に毒が混じった。


(えっと……気のせい、じゃないよな……?)

 何か怒らせるような事をしただろうか。深雪がどう答えていいか分からず固まっていると、不意に背後から低い男の声が聞こえてきた。


「誰とは言いませんが、じゃねえよ。それ、完全に俺の事だろ」


 自分たちの他にも、人がいたのか――深雪はぎょっとして視線を走らせる。確かに数分ほど前までは、この部屋の中にいたのは深雪とシロ、オリヴィエの三人だけの筈だ。


 しかし、気づかぬ間に、部屋の中にもう一人、男がいた。

(いつの間に――気配を全く感じなかった……)

 深雪は固唾を飲んで、男を見つめる。


 シルバーの短髪に、緋の瞳。それ以外は、とにかく黒い。右目には黒い眼帯をし、手には黒い革手袋を嵌めている。やはり漆黒のミリタリーコートは、長身のせいか妙に圧迫感がある。

 鼻筋の通った顔立ちは日本人離れしているように感じたが、どこかアジア的な雰囲気もなくはない。どこの国の人間と特定し辛い風貌だった。上背はオリヴィエと同じくらいかそれ以上はあるだろうか。ただ、オリヴィエと違うのは、いかにも鍛えられた体格だという事だ。引き締まった体躯が、分厚いコートの上からでもよく分かる。

 特徴的なのは赤みを帯びた鋭い眼光だ。元の瞳の色はおそらく違う色だったのだろう。ゴーストはアニムスを使用する際、瞳孔の縁が赤く光る。アニムス値の高いゴーストは、瞳孔の色そのものが赤く変色してしまうのだという。


 一瞬だけ男と目が合う。何の感情も無い、冷ややかな視線だった。野生の獣が獲物を観察するのに似ている。敵か味方か――冷徹に秤にかけているのだ。分かりやすい憎悪や嫌悪感を示されるよりも、却って背筋が凍った。深雪は慌てて視線を外す。 


『目つきが悪くて素行も悪く、ついでに性格まで悪いので完全に社会的害悪と化してしまっている人格破綻者』――どうやら先ほどのオリヴィエの毒舌は、彼に向けられたものらしい。深雪は気づかなかったが、オリヴィエは男が部屋に入って来るのに気づいたのだ。


「おかえりー、奈落!」

 シロは男にも微塵も動じた風が無く、嬉しそうにそう言った。一方のオリヴィエは冷ややかに目を細めて言った。

「自分がそうだという自覚はあったんですね。意外です。ついでに言わせていただきますが、気配を消して部屋に忍び込むのは止めてください。……ニンジャや空き巣じゃあるまいし」


 奈落と呼ばれた男は、オリヴィエの皮肉を意に介した様子もなく、コートの中から煙草を取り出し、火をつける。そして、挑発的な口調でやり返した。

「……一々説教はやめろ。ここは教会じゃないし、ミサの時間でもない」

「安心してください。今のはただの苦情です。私も一応聖職者の端くれですが、絶望的なまでに救い難い人間をどうこうする程、暇ではありませんので」

「そりゃ残念だ。お得意の洗脳活動を拝んでやろうと思ったんだがな」

「我々が行っているのは、信仰に基づいた真っ当な布教活動ですよ、失礼な」

「宗教なんて、どれも詐欺同然だろう。免罪符と一緒に怪しげな壺でも一緒に売ったらどうだ。さらに儲かるぞ?」

「インチキ呼ばわりをするのはあなたの勝手ですが、他人に難癖をつける前に先ず、自らのマナーをわきまえるべきですね。子どもの前で堂々と喫煙するなんて……!」


 二人は負けじと応酬を繰り広げた。この二人がどういう関係なのか分からないが、どうやら互いに随分毛嫌いしているようだ。彼らが空中で見えない火花を散らし合っているのを感じたが、初対面の深雪に為す術があろう筈もない。


(大丈夫なのか、この二人放っといて?)

 シロに視線を送ってみるが、いつもの事と言った様子でけろりとしている。仕方が無いので、深雪も黙って成り行きを見守ることにした。僅かな沈黙の跡、奈落は泰然とした動作で煙草の煙を吐きだした。

「おい」

「……何ですか」

「おいって言ったら、茶だろ」

 オリヴィエは一瞬何を言われたのか理解できないと目を瞬かせ、どうやら奈落が本気であるらしいと見てとると、不愉快そうに渋面を作った。

「……何ですって? 私は自動販売機ではありません!」

「早くしろ、役立たず。無能か?」

 奈落は涼しい顔をし、事も無げに言い放つ。今度は、はっきりとオリヴィエの額にひびが入ったのが見て取れた。オリヴィエはもはや何も言う事なくそのまま立ち上がり、足早に入ってきたのと同じドアへ姿を消してしまった。


「……それで? そいつは何なんだ」

 オリヴィエが部屋から去ると、奈落は深雪に視線を向けて言った。

「ユキはね、迷子だよ。だから事務所に連れて来たの」

 冷ややかな視線にぎくりとした深雪に代わって、シロがにこにこと答える。すると奈落は、ふんと鼻を鳴らした。

「迷子だぁ? そりゃ保健所の管轄だろう」

 俺の扱いは同じ迷子でも犬猫並みか――思わず半眼になった深雪は、胸中で付け加える。

(俺だって、保健所の方がここより少なくとも数倍は寛げるだろーよ)

 

 すると、深雪の心の内を敏感に察したのか、奈落はすっと隻眼を眇めた。その様子は明らかに、こちらに向かって威嚇している。深雪は全身からだらだらと冷や汗が流れ、生きた心地がしなかった。


 暫く刺々しい空気が部屋に満ち、深雪は針の筵状態だったが、やがてオリヴィエと入れ違いに、別のドアから赤神が入ってきた。 

「おーい、貴重な新人いびんなって。怖えぞ、お前」 

 呆れたように言うと、奈落は赤神をじろりと睨む。そして、これでもかと物騒な低い声で「遅え。殺すぞ」と凄んだ。深雪はぎょっとするが、赤神の方は慣れているのか、動じた風も無い。うんざりとした身振りで奈落に答えた。


「しゃーねえだろ、この時期はよ。テンション高え《囚人》どもが、《新入生ちゃん》獲得の熾烈な争奪戦に火花を散らしまくって、完全に全面抗争状態と化してんだぞ。おまけにびびった新入生ちゃんは、容赦なく且つ豪快にアニムスぶっ放してくれる始末だしよ。おかげさまで死傷者が三十人以上出た。こっちはメシ食う暇もありませんよ」


 どうやら深雪がゴロツキに囲まれ、体験した事と似たような事があちこちで起きているらしい。赤神はそれを鎮圧して回っているのだろうか。しかし、それは探偵事務所の業務というよりは警察の仕事のような気もする。この事務所は一体、どういうところなのだろうか。


 ゴロツキは赤神を《死刑執行人(リーパー)》と呼んで怖れていた。一体それは何なのか。


 すると赤神は次に深雪に目をやり、起き上がっているのに気づいて笑いかけてきた。

「お、目が覚めたか。気分はどうだ?」

「あ……うん……悪くは無いけど……」

 しかし、深雪は開きかけた口をすぐに閉じる。

 赤神の後ろにもう一人人影がいる事に気づいたからだ。



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