第8話 逢坂忍の回想①
石蕗麗は深雪たちが運んできた須賀黒鉄と逢坂忍の変わり果てた姿を目にすると、呆れと怒りの入り混じった顔になった。
「お前ら……!」
石蕗麗は以前、京極との戦いで負傷した逢坂忍を手当てしている。あれから一か月も経たないうちにさらに酷い状態になって戻ってきた逢坂を見て、黙っているわけにはいかないと思ったのだろう。
しかし氷河武装警備事務所の面々が同行しているのに気づくと、何となく難しい状況であることを察したのか、言葉を呑み込んだ。
「お忙しい中すみません、先生。この人たちの治療をお願いします」
深雪が頭を下げるのも待たず、石蕗麗はさっそく須賀黒鉄と逢坂忍の診察を行った。視診・触診・聴診を交え頭部から頸部、胸部などの状態を確認していく。
「まったく……よくこれだけ傷だらけになれたものだ。片方の患者は意識があるが、もう片方の患者は意識消失。呼吸、脈拍、血圧、体温……バイタルサインはどれも正常値の範囲内。だが、全身に打撲痕とそれによる腫れや内出血が見られ、右足は骨折、頭も打っているな。口腔内にも出血あり。レントゲンとCT、もしくはMRIの用意をしよう。
おい君たち、ついでだから手伝ってくれ。こちらの患者をストレッチャーに寝かせるんだ。できるだけ頭部を動かさないようにな。そちらの君は自力で動けるか? 無理なら車椅子を用意するが」
「いえ、大丈夫です。自分で歩けます」
逢坂忍はあちこち負傷しているものの、歩行は問題なさそうだ。
一方、深雪たちは言われた通り、意識の戻らない須賀黒鉄を担架から病院のストレッチャーに移す。
氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちは共に作業を手伝ってはくれるものの、その間も欠点を見つけ出そうとするかのように深雪と逢坂を見張っている。
おかげで深雪と逢坂は、目と鼻の先にいるにもかかわらず、ほとんど言葉を交わすことができなかった。
一通り検査が終わり、逢坂と須賀の二人が放射線技術室から出てくると、石蕗麗は改めて近衛直純や西山響に訝しげな視線を向けた。
「そういえば、そちらの初対面の若造たちは何者だ?」
石蕗麗が尋ねると、近衛直純はぴしっと背筋を正す。体育系の部活動員がよくそうするように。
「自分たちは氷河武装警備事務所の《死刑執行人》です」
「そうか。それなら、君たちはストレッチャーに寝ている患者の衣服を脱がせるのを手伝ってくれ。服の布地が傷に張り付いているだろうから、丁寧にな」
あれこれと指示を受け、みなてんてこ舞いになった。
そもそも、上松組抗争の影響で街は至るところに怪我人や病人が溢れている。石蕗麗も目が回るほど忙しくしており、こうして時間を取ってもらえただけでも幸運だと言えた。
作業に追われ、氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちの気が逸れた一瞬を突き、深雪は逢坂の耳元で「あとでまた来ます」と短く囁いた。逢坂は周囲の目を警戒し何の反応も返さなかったが、深雪の声は聞こえていたはずだ。
おおよその救急処置が終わると、深雪たちは石蕗診療所を追い出される。
「うちの診療所の中には、他にも患者が大勢いるんでね。病室の中は静かにするものと決まっている……たとえお前たちがゴーストだったとしてもな。用事が終わったなら、とっとと出て行ってくれ」
診療所に須賀黒鉄と逢坂忍を残し、深雪とシロ、そして氷河武装警備事務所の《死刑執行人》は外に出た。
これで、取り敢えずは大丈夫だろう。深雪はほっとし、氷河の《死刑執行人》たちに声をかけた。
「近衛さん、西山さん。手伝ってくれてありがとうございます。助かりました」
しかし、近衛直純の反応はひどく素っ気なかった。
「礼など言われる筋合いはない。それより……意外とあっさり諦めたな。東雲探偵事務所の《死刑執行人》として、二代目桜龍会の会長とは話したいことが山ほどあったんじゃないのか?」
「逢坂さんと話をしたいのは事実ですが、多分、あなた達が想像しているものとはかなり内容が違うと思います」
「へえ? どのように違うのか、是非とも教えてもらえませんかねぇ?」
西山響は皮肉をたっぷり込めると、口の端を吊り上げる。
「俺と逢坂さんは確かに今まで何度か話をした事はあります。一度目は《新八洲特区》の中で、二度目は《関東大外殻》……《壁》の近くでした。決して事前に綿密な打ち合わせをしたわけではなく、いろいろあってたまたま出会っただけです」
深雪は西山の挑発には乗らず、あくまで冷静に答える。だが、氷河の《死刑執行人》はその言葉を信じられないらしい。疑り深そうな眼をして反論する。
「……だから二代目桜龍会とは密通をしていないと言いたいのか? そんな証言だけじゃ証拠不十分だろう」
「信じられないならそれでも構いません。ただ一つ言えるのは、俺と逢坂さんが共謀して《グラン・シャリオ》を壊滅に追いやった事実は、どこにも無いということです」
無駄だということは分かっていたが、深雪は忍耐強く説明した。対話を諦めたらそこで全てが終わってしまう。シロも身を乗り出して深雪を援護する。
「シロもその場にいたから知ってるよ! むしろユキと逢坂のおじさんは、《グラン・シャリオ》のみんなを守ろうとしていたの!」
しかし当然、それくらいで西山と近衛が納得するわけがない。
「それを信じろってか? はっ……冗談だろ! サンタクロースの存在を信じるより難しいっつの!」
「それに、たとえ事実がどうであろうと、街中では東雲探偵事務所と二代目桜龍会の内通説がまことしやかに語られている。それを覆すのが難しい以上、君の言葉は聞くに値しない妄言だな」
それを聞き、深雪は氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちを真正面から見据えた。決して相手を煽るわけではないが、さりとて媚びへつらうわけでもない。正々堂々と挑むような瞳で。
「……あなた達にとっては事実が何であるかより、他人がどう言っているか、どんな噂が流れているかの方が重要なんですね。けれどそれは、わけの分からない陰謀論やフェイクに踊らされている《Zアノン》信者たちと何が違うんですか? むしろ全く同じじゃないですか」
「何だと!? てめえ、黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって! いい加減にしろよ!!」
「やめろ、お前ら!」
近衛は激怒する西山や他の仲間たちを制してから、再び深雪へ冷徹に告げる。
「何と言われようと、自分たちは所長である氷河さんの判断に逆らう気はない。我々の言動に納得がいかないなら、まず氷河さんを説得するところから始めるんだな」
「……」
「みな、行くぞ」
仲間へそう声をかけると、近衛直純は率先して歩き出す。氷河武装警備事務所の他の《死刑執行人》たちはなおも不満を浮かべていたが、近衛に続き渋々その場を去っていった。
シロは唇をへの字にして彼らを見送っていたが、すぐに深雪の方を振り返る。
「ユキ……」
(……やっぱり氷河凍雲か。氷河武装警備事務所を味方につけるためには、彼の存在は避けて通れない。彼が東雲探偵事務所を憎んでいるのは分かっている。それでも氷河所長とは一度ちゃんと話をしないと……!)
氷河凍雲に何と言えば合同事業の意義を理解してもらえるのか。実のところ、深雪は未だに有効なアプローチ方法を見出せていない。感情的なもつれは、理屈やロジックでは解決できない事を分かっているからだ。
ただ、彼が憎んでいるのは六道であって、深雪のことは特に嫌っているわけでもなさそうなのが唯一の救いだった。そうでなければ、きっと対話すらも不可能だっただろう。
かと言って、全てが丸く収まる方法があるとも思えない。
一体どうすればいいのか。
「ユキ、大丈夫?」
顔をしかめ考え込む深雪の顔をシロは心配そうに覗き込んだ。頭の上の三角形をした獣耳がぴょこぴょこと跳ねている。それが可愛らしくて、深雪は思わず微笑んだ。
「ああ、大丈夫だよ。取り敢えず、このまま巡回を続けよう」
「うん、分かった!」
それから深雪とシロは日常業務に戻った。
《中立地帯》の復興を手伝いつつ、抗争が起きたという知らせが入ると即座にそれを鎮圧しに向かう。瓦礫の撤去に物資の運搬。街中を駆けずり回って、あっという間に一日が過ぎていった。
それから日が落ちるのを待ち、事務所に戻って轟寧々と朝比奈小春に逢坂忍と再会したことを伝える。そして、逢坂の生存を喜ぶ彼女らを伴い、再び石蕗診療所へ向かった。
因みに移動はエニグマに頼み、《ベゼッセンハイト》で運んでもらう。
どこで誰か目を光らせているか分からない。念には念を入れた方がいいと考えたのだ。
石蕗診療所に到着すると、逢坂と須賀の治療は既に終わっていた。二人とも淡いブルーの患者衣に袖を通しており、全身が包帯やガーゼで覆われている。
寧々は逢坂の姿を見るや否や、ベッドの端に腰かける彼の元へ駆け寄って行った。
「忍、無事だったのね!?」
「お嬢……!」
「でも、ひどい怪我……! 一体何があったの!? 誰にこんなことを!?」
寧々は箱入り娘なだけあってか、逢坂の姿に酷いショックを受けている。これほどの深刻な負傷を目にするのは初めてなのだろう。
一方、須賀黒鉄は逢坂忍の隣のベッドで眠り続けており、まだ意識が戻らない様子だった。出血もひどいが、打撲痕や刃物によるものとみられる切り傷のせいであちこち赤黒くなって腫れており、見るも痛々しい状態だ。
寧々もそれに気づき、泣きそうな顔になった。
「黒鉄は……? ちゃんと目を覚ますのよね……!?」
「先生、須賀さんの具合はどうなんですか?」
深雪が視線を向けると、石蕗麗は腕組みをし、溜息をつく。
「命に別状はない。脳や脊椎などの神経系にも損傷はなく、後遺症が残ることもないだろう。この負傷具合を考えると、まさに奇跡と言っていい」
「本当……!?」
「良かったですね、お嬢さま!」
それを聞き、寧々と朝比奈は手を取り合って喜び合った。
「ただし、これほどの怪我だ。完治するにはかなりの時間を要するだろう。また、あちこち骨折や捻挫、打撲、脱臼などしているため、リハビリをする必要もある。彼がゴーストであることを考えても、回復には最低でも三ヶ月はかかるだろう」
「そう……」
喜んだのも束の間、石蕗麗の説明を受けて寧々は再び肩を落とす。
「問題はそれだけではない。知っての通り、現在この街は深刻な物資不足に見舞われており、十分な医療品や医薬品が手に入らない。ただでさえ先日の常軌を逸した大規模抗争で大量の負傷者が続出し、どこの診療所も患者で溢れ返っているからな。まったく、一刻も早くこの異常な事態を解消し、元通りになってもらいたいものだ」
「すみません、先生。ご迷惑をおかけします。その件については、所長ともう一度、話し合ってみますので」
深雪が石蕗麗に詫びると、シロも困った顔をする。
「お薬がないと、みんな病気や怪我が治せなくなって大変だもんね」
《中立地帯》はひどい物資不足に悩まされており、中でも医薬品や医療品はもともとの数が少なかったこともあって、ほぼ争奪戦のような様相を呈している。買い占めや高額転売も横行しているそうだ。
その問題を解決することができるとしたら《収管庁》しかないが、財源が限られていることもあってか、復興計画の策定が難航しているようだ。
「黒鉄は助かるのよね……?」
不安げに寧々が呟くと、逢坂は半ば自分自身に言い聞かせるかのように答える。
「大丈夫ですよ、お嬢。こいつは……黒鉄はこれくらいのことで死ぬようなタマじゃありません」
「忍……」
「それより、お嬢。結局、《アラハバキ》には戻らなかったんですね?」
寧々は頷く。
「ごめんなさい、忍。私のために、あんなに手を尽くしてくれたのに……。でも、私、このままじゃ駄目だと思ったの。自分のためにも、みんなのためにも……! うまく説明できないのだけど、変えなければいけないと思ったのよ」
「いいんです、お嬢。謝らないで下さい。それがお嬢の選択なら俺もそれを支持します。……と言っても、俺にはもう何の権限もありはしないんですがね」
逢坂はそう付け加え、どこか自虐的に笑った。普段の逢坂の振る舞いからは考えられないほど弱々しく、疲れ切った笑みだった。寧々は戸惑った様子でそれを見つめる。
「忍……? 一体、何があったの?」
その問いに逢坂は答えなかった。代わりに、寧々の後ろに立つ深雪を見上げる。
「……雨宮、お前に話しておきたいことがある。悪いがみな、少し席を外してくれねえか?」
そのあまりにも真剣な表情に、察するものがあったのだろう。朝比奈は寧々両肩に手を添え、退出を促す。
「……お嬢さま」
「……。分かったわ」
寧々は逢坂の様子が気になって仕方がないようだったが、大人しく朝比奈に従った。石蕗麗とシロもその後に続く。
「もし患者の容体が急変したら、ナースボタンを押してくれ。いいな?」
「分かりました」
深雪が頷くと、病室の扉が閉められた。部屋には深雪と逢坂、そして眠り続ける須賀の三人だけが残される。
深雪は壁際に置いてあったパイプ椅子を引き寄せると、それに腰を下ろす。そうすると、ちょうど逢坂と視線の高さが同じくらいになる。深雪は顔を俯ける逢坂に対し、慎重に尋ねた。
「俺に話とは何ですか、逢坂さん? ひょっとして……その負傷と関係があることですか?」
すると、視線を伏せた逢坂の眉間が一気に険しくなる。
「まあ、その通りだ。端的に言うとな、こいつは京極の野郎にやられたんだ」
「……! やはり京極に会ったんですね!?」
深雪は息を呑み、身を乗り出す。
「ああ。だが、俺が会ったのは京極だけじゃない」
「それは、どういう……?」
「あの夜……本性を現した京極と戦い、この診療所で手当てを受けた後、俺は単身で《瓦礫地帯》に向かった。《リスト執行》された《彼岸桜》……部下の遺体を埋葬するためにな」
それから、逢坂忍は訥々と語り始めた。
《中立地帯》で《Zアノン》信者が暴れ回り、《新八洲特区》で上松組が血で血を洗う跡目争いに明け暮れていた間、自分が何を体験したかを。
✜✜✜
雨宮深雪と共闘し、京極鷹臣を退けたあと、逢坂忍は子分である《彼岸桜》の仇を討つべく単独行動を始めた。
その逢坂が初めに行ったのは、《リスト執行》された部下、《彼岸桜》たちの埋葬だ。
この《監獄都市》において、《リスト執行》された凶悪犯ゴーストの遺体は数日間、放置されるのが一般的である。何故なら《リスト執行》は犯罪抑止を狙った公開処刑という面を持つからだ。重大な犯罪に手を染めた者がどういう末路を辿るか、実際に大勢の衆目に晒すことで、できる限り犯罪の意思を挫く。中世における晒し首のようなものだ。
当然、《リスト執行》対象者に対する尊厳など無いに等しい。逢坂もそれは理解していたが、愛しい子分たちがそのような恥辱を受けるのはとても耐えられなかった。
彼らは京極に利用され、その命を踏みにじられたのだ。死んでもなお辱めを受けるなど、あまりにも酷すぎる。
幸い《リスト執行》が行われたのが《瓦礫地帯》であったため、誰にも知られず埋葬を行う事ができた。ようやく見つけた細谷史文や椎奈青葉、杉原迅太の遺体を、全て地中に埋めてやった頃には天上に日が昇っていた。
ただ、大槻凱と高瀬照門の死体は、結局、最後まで見つからずじまいだった。よほど悲惨な殺され方をしたのだろう。
《彼岸桜》たちの悔しさはいかばかりか。
それを思うと、逢坂は涙が止まらなかった。
子分たちの命を奪った東雲探偵事務所の《死刑執行人》が憎くなかったわけではない。むしろ、なんて血も涙もない恐ろしい奴らだと、《アラハバキ》構成員ながらに戦慄したほどだ。
だが、そうなるように仕向けた真の黒幕が他にいる。
そう、《エスペランサ》の経営者、京極鷹臣だ。
逢坂はその事に改めて激しい怒りを感じた。あの澄まし込んだ顔を思い出すたび、はらわたが煮えくり返るほどの強烈な憤怒がマグマのごとく沸き上がる。
京極は逢坂にとって、これまで手厚く援助し、引き立て面倒を見てやってきた、いわば弟分とも言える存在だった。それをこのような形で裏切られたのだ。逢坂に対し、恩を仇で返したというだけならまだしも、大切な家族に手を出した。何よりもそれが許せなかった。
このまま京極鷹臣を生かしてはおけない。子の仇は、親である自分が必ず討つ。
そしてまた、逢坂自身、そうせざるを得ない状況に追い込まれていた。何故なら、逢坂には東雲探偵事務所との内通疑惑がかけられていたからだ。
逢坂はその事実を兄貴分である越智太獅から聞かされた。そして実際、逢坂は部下の《リスト執行》を免除してもらうため、東雲探偵事務所へ向かわざるを得なくなった。
《監獄都市》は狭い街だ。逢坂の取った行動はいずれ下桜井組にも伝わる。遅かれ早かれ、その内通は事実であると組に判断されるだろう。
下桜井組に迷惑をかけず、自力で自らに関する疑惑を払拭し、そして同時に無惨に殺された部下の復讐をする。それらを全て満たすためには、京極を自らの手で殺すしかない。
何故なら、逢坂の直面した問題の全てが京極の手によって引き起こされているからだ。
そして諸悪の根源である京極さえ排除できれば、少なくとも下桜井組幹部の地位は維持することができるだろう。




