第7話 突然の再会
実のところ、衛士と《ニーズヘッグ》の間に何があったのか、深雪は何も知らない。それどころか、銀賀や静紅もなぜ突然、衛士がチームから抜けたのか、その理由が分からないようだった。
ひょっとして、衛士の抱えている問題は本人が危惧しているほど深刻ではないのでは。
ところが、衛士は寂しげに視線を落とすのだった。
「それは……難しいと思います。今の亜希さんは、何ていうか……以前と変わってしまったから」
深雪は小さく息を呑んだ。
「衛士もそう思っていたのか! 衛士の言う通り、最近の亜希は様子がおかしいんだ。銀賀や静紅も理由が分からないみたいで……亜希に何があったのか、衛士は何か知らないか!?」
「それは……すみません。俺には何も分かりません」
「どんな些細な情報でもいいんだ! 亜希の異変の原因に何か心当たりはないかな!?」
深雪は身を乗り出す。
亜希が何故、東雲探偵事務所の《死刑執行人》を避け始めたか。まずはその理由を把握しないと、関係を改善させることはできないだろう。だからどんな小さな情報でも欲しかった。
しかし、衛士は戸惑ったように両手を振る。
「ま、待って下さい。俺が《ニーズヘッグ》にいた時は特に何もなかったし、亜希さんも普通でしたよ。心当たりなんて何も……!」
その返答には、何だか妙に引っ掛かりを覚えた。
何故かは分からない。だが、何となく衛士からはぐらかされているような感じがして、深雪はつい詰め寄ってしまう。
「でも、亜希が俺たちと距離を取るようになったのは、ちょうど衛士が《ニーズヘッグ》を辞めた時期と重なるんだ! 亜希に衛士がいなくなった理由を尋ねたけど、答えがひどく曖昧で……!」
思えば衛士を《ニーズヘッグ》へ連れて行ったのは深雪だった。そもそも、衛士と《ニーズヘッグ》には何の関係もなかったのに、「衛士が可哀想」という理由だけで深雪は彼を亜希たちに押し付けたのだ。深雪なりにあれこれ考えた上での行動だったが、そういった面があったのは否めない。
そして亜希は義理堅いし責任感も強いから、深雪の頼みならと衛士を受け入れてくれたのだろう。
そういった経緯を考えると、何かトラブルがあったとしても、亜希はそれを深雪に伝えにくかったのかもしれない。
「なあ、変なことを聞くけど……ひょっとして本当は、亜希と何かあったんじゃないか? 亜希の異変と衛士の《ニーズヘッグ》脱退には何か関係があるんじゃ……!」
その瞬間、衛士の顔からストンと表情が抜け落ちた。
まるでスイッチが切り替わったかのように、感情が消え失せてしまったのだ。
深雪の全身にぞわりと鳥肌が立つ。
(何だ……!?)
言葉ではこの寒気に似た感覚をうまく説明できない。
ただ、たとえば雪が降った早朝、何かがいつもと違うという予感がする。それと似ていて、微かだが、確かに気配を感じるのだ。
頭のてっぺんから足のつま先、産毛の一本一本に至るまで、全身が言語化できない違和感を訴えている。
一瞬、流れた沈黙は、永遠であるようにも感じられた。衛士のガラス玉みたいな瞳がじっと深雪を見つめている。
呼吸をするのさえ憚られるような緊迫感。
するとそこへ、シロがやって来る。
「あ、えーじだ! 無事だったんだね、えーじ!!」
シロは事務所の中から顔をのぞかせると、嬉しそうに衛士の名を呼んだ。すると衛士も一転してニコッと笑う。いつも通り、人の良さそうな青年の顔をして。
(あれ……? 一瞬、変な空気を感じたけど……俺の気のせいかな?)
深雪は内心で首をひねる。奇妙な違和感を覚えたのは深雪だけだったのか。それとも、忙しさにかまけて衛士を放ったらかしにしてしまったという負い目から、少し考えすぎてしまったのだろうか。
一方の衛士は、何事も無かったかのようにシロに声をかけた。
「シロさん、こんにちは。シロさんも元気そうですね」
「うん、元気だよ! ……二人とも、亜希のことについて話していたみたいだけど、ひょっとして亜希に何かあったの?」
シロは耳がいい。先ほど深雪と衛士が交わした会話の一部を聞いていたのだろう。
「あ、いや、そうじゃないよ。亜希や《ニーズヘッグ》について何か知らないか、俺が衛士に尋ねていたんだ」
深雪が答えると、シロの耳はしょんぼりと垂れた。
「そっかあ……シロもまた《ニーズヘッグ》のみんなのところへ行きたいな。ね、えーじも行きたいよね?」
「あ……いや、俺は……」
衛士はどう答えたものかと困った顔をする。シロと会って話すのは平気な様子なのに、どうしても《ニーズヘッグ》には関わりたくないらしい。
衛士にしてはやけに頑なだった。やはり、何かトラブルがあったと見て間違いなさそうだ。
しかもそのトラブルは、《ニーズヘッグ》が直接の原因というわけではない。おそらく亜希と衛士の間に何かあったのではないか。
その辺りのことを衛士から聞き出そうと、慎重に口を開きかけたその時。
腕輪型の通信端末が軽快な音を発し、ウサギのマスコットが勢いよく浮かび上がる。
「深雪っち、事件発生よ!」
「マリア? どうしたの?」
まさか、また抗争か暴動が起きたのか。深雪が尋ねると、マリアは用件を早口で告げる。
「ついさっき、あさぎり警備会社の馬渕班から連絡が入ったわ! 神楽坂のあたりで、二代目桜龍会組長と思しき人物が出現したって!」
「二代目桜龍会の組長……まさか、逢坂さんか!?」
深雪は、ハッとした。二代目桜龍会の組長である逢坂忍は、部下である《彼岸桜》を失った直後、彼らの仇を取ると言い残したまま姿を消していた。とはいえ、逢坂が復讐しようとしている相手は、あの京極鷹臣だ。敵討ちが成功しようとすまいと、ただで済むとは思えない。そのため深雪は逢坂を心配し、行方を追っていた。
だが、これまでは、どんなに探してもその消息を掴むことはできなかったのに。
急な知らせに驚いていると、マリアはさらに険しい顔をする。
「問題なのは、氷河武装警備事務所の《死刑執行人》もその場に居合わせてるってコトね。逢坂忍と氷河の《死刑執行人》、一瞬触発ってカンジのかなりヤバめな空気で睨み合ってるらしいわ」
深雪はマリアが何故、そんなにしかめっ面をしているのか、その理由をようやく悟る。
氷河武装警備事務所の所長・氷河凍雲は東雲探偵事務所と二代目桜龍会が密通しているのではないかと疑っていた。もちろん、他の氷河の《死刑執行人》たちも同じように考えているだろう。
そんな中、深雪たちが逢坂を迎えに行ったりなどしたら、彼らがどう思うか。
ただ一つ確実なのは、非常に厄介な状況になってしまったということだ。
「そういえば、ここに来る途中、文京区との境のあたりで何か騒ぎが起きていた気がします。すげえ怖い雰囲気で近づきにくかったんで、詳細はよく分からなかったですけど」
衛士の言葉からも、事の深刻さが伝わってきた。
(まさか……本当に逢坂さんなのか……!? これまで居場所を探すヒントすら掴めなかった。居酒屋《淡路島》にまで足を運んだのに、何一つ情報を得られなかった、それなのに……!!)
どうしても戸惑いの抜けない深雪に、マリアは尋ねる。
「どうする? 流星たちに対応を任せる?」
「いや……俺が行くよ。ここで逃げたくない」
真偽はともかく、まずはこの目で確認してみなければ。
それに、《グラン・シャリオ》の件に逢坂忍を巻き込んだのは深雪だ。そして、そのせいで逢坂は《彼岸桜》という大切な部下たちを失った。
たとえ氷河武装警備事務所と衝突することになったとしても、その事実から逃げたくなかった。
「ごめん、衛士。文京区方面で起きているっていう騒動の中心にいるのは、俺の知り合いかもしれなくて……どうしても確かめたいんだ」
すると、衛士は快く頷いた。
「そうですか。だったら早く行かなきゃですね」
「落ち着いたら、また連絡するよ! 行こう、シロ!」
「うん!」
深雪とシロは大久保通を目指して走り出す。すると衛士が後ろから声をかけてきた。
「あ……あの!」
「……?」
振り返ると、衛士は不安そうな顔をしてこちらを見つめている。
「俺……またここに来てもいいですよね?」
「もちろんだよ、衛士。俺も忙しくてなかなか時間が取れなくて……でも、必ず相談に乗るよ!」
深雪としても、衛士の無事が確認出来たらそれだけで嬉しい。上松組の跡目争いに端を発した抗争で、大勢の人たちの死を目の当たりして来たから、余計にだ。むしろ、東雲探偵事務所の業務に追われて衛士にきちんと向かい合えていないことを申し訳なく思っている。
すると、衛士は安堵の笑顔を浮かべ、手を振った。
「あざっす! 二人とも、気を付けてくださいね!」
深雪とシロも衛士に手を振り返すと、再び目的地に向かって走り出す。
大久保通に出ると、東に向かって真っすぐに進んだ。このあたりも二十年ですっかり寂れてしまった。それでも、他の街に比べると人口が多く栄えている方だが、昨今の《Zアノン》信者による暴動や抗争の被害を受け、あちこち焼けてしまっている。
神楽坂のあたりに差しかかるにつれ、衛士の言っていた通り何やら騒がしくなってきた。表通りから閑散とした路地に入ると、人だかりができているのも見える。
深雪とシロは顔を見合わせ、その集団に駆け寄った。
通りの一角をぐるりと取り囲んでいるのは氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちだ。以前、何度か所長である氷河凍雲と行動を共にしているところを見かけたことがあるから間違いない。
ただし、そこに氷河凍雲の姿はなかった。たまたま別行動をしていたのだろうか。
若い氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちはざっと数えたところ十五人ほど。みな殺気立ち、怒声を上げている。
彼らが囲んでいるのは、確かに逢坂忍だった。
若頭である須賀黒鉄を担いでいるが、そちらの方はぐったりとしている。
もしかすると、意識が無いのかもしれない。二人ともひどい傷を負っており、体のあちこちに血が滲んでいるのが服の上からでもよく分かるほどだから、そうであったとしても不思議はない。
逢坂忍にしても、立っているのが不思議なほどの満身創痍ぶりだった。
(あれは……間違いない、逢坂さんと須賀さんだ! でも、二人とも何であんなに、全身傷だらけなんだ? 一体何があったんだ……!?)
氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちは今にもアニムスを放たんとする勢いで、次々と逢坂忍に詰め寄っている。
「もう一度聞く! お前は二代目桜龍会会長の逢坂忍だな!? ここで一体何をしている!? 何の目的で《中立地帯》まで来た!!」
「《中立地帯》は《アラハバキ》の内部抗争のせいで、一週間以上も燃え続けたんだぞ! 昨日、ようやく完全に鎮火したばかりなんだ!! それなのに……また《中立地帯》に災厄をもたらすつもりか!?」
「黙っていないで、何とか言ったらどうなんだ!!」
しかし逢坂はそれらに一切答えず、しゃがれた声で淡々と告げた。
「……そこを退いてくれ。俺は急いでるんだ。一刻も早く黒鉄に治療を受けさせねえと……!!」
逢坂は頬がこけ、ひどくやつれ果てた顔をしており、声にも覇気がない。深雪の知る逢坂忍とは別人のようだ。
しかし、氷河武装警備事務所の《死刑執行人》は彼の言葉に全く耳を貸さず、容赦なくその行く手を阻む。
「動くなと言っただろう!!」
氷河武装警備事務所の《死刑執行人》にとって、逢坂忍は危険な《アラハバキ》構成員でしかない。その対応も無理はないだろう。
中でもリーダー格の一人と見られる《死刑執行人》の一人が逢坂忍の顔を下から覗き込み、挑発するように言った。
「……なあ、逢坂さんよ。《グラン・シャリオ》を虐殺した《彼岸桜》ってのは、おたくの部下だったそうじゃない。……つまりさ、あんたが部下に命令したんだろ? 《グラン・シャリオ》を皆殺しにして来いって。そんで部下が《リスト執行》されるのを黙って見てたってワケだ。いや、なかなかの外道ぶりだよね? そんな外道に《中立地帯》をウロウロさせらんねーんだよねー」
「……っ!!」
逢坂は怒りのあまりか、カッと目を見開いた。《彼岸桜》を誰よりも可愛がっていた彼にとって、氷河の《死刑執行人》の言葉は屈辱以外の何ものでもなかった。
だがすぐに逢坂は唇をぐっと噛みしめ自制する。
瀕死の状態である須賀黒鉄のことを考えても、ここで《死刑執行人》と事を構えるわけにはいかないと判断したのだろう。
「……俺のことは何と侮辱しようと構わない。《彼岸桜》を失っちまったのは事実だ。だが……こっちの部下だけは手当てを受けさせてやってくれ‼ 頼む、黒鉄だけは……!!」
「ああ!? そうやって情を誘って、何か企んでるんじゃ……」
深雪は人だかりを掻き分け、両者の間に割って入った。
「逢坂さん!!」
「!! 雨宮……!!」
逢坂忍は、弾かれたように顔を上げた。彼の瞳にあるのは敵への憎しみではない。それどころか、助けが現れて安堵したような気配さえある。
その一瞬で深雪は悟った。逢坂はおそらく、深雪を頼って《新八洲特区》からここまで来たのだ。
ところが、氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちが、そうはさせるかと深雪の前に立ちはだかった。
「……お前、東雲探偵事務所の《死刑執行人》だな。ここへ何しに来た?」
「そういや、東雲探偵事務所と二代目桜龍会は裏で繋がってるって、今ちょうど噂になってるよね? おたくがここに来たってことは、アレってやっぱ本当だったってこと?」
氷河の《死刑執行人》は剣呑な空気を隠そうともしない。
深雪の隣に立つシロは彼らを警戒し、日本刀の柄に手を添える。深雪は「大丈夫だよ」と彼女を片手で制しながら、氷河の《死刑執行人》と対峙する。
「……。あなた達は、確か氷河武装警備事務所の《死刑執行人》ですよね?」
すると、ひときわ背が高く、いかにも気真面目そうな《死刑執行人》がそれに応じた。立ち振る舞いが堂々としており、経験も豊富そうだ。
「ああそうだ。自分は氷河武装警備事務所・武装警備部一課の近衛直純だ」
「同じく武装警備部二課の西山響でーす。ヨロシク~!」
西山響は先ほど逢坂を挑発した《死刑執行人》だ。言動には常に軽薄さを漂わせており、やたらと他人の神経を逆撫でにするが、これでも実力は確かなのだろう。そうでなければ、チームを任されるはずがない。
深雪もまた、慎重に自己紹介をする。
「既にご存知でしょうが、俺は東雲探偵事務所の雨宮深雪です。彼女は東雲シロ。……すみませんが、そこを退いてください。逢坂さんと須賀さんを安全なところまで運ばなければ……!」
すると、氷河の《死刑執行人》たちは途端にその言葉に反応した。
「おい、安全な場所とはどこの事だ?」
「まさか、この二代目桜龍会構成員の二人を東雲探偵事務所で匿うつもりとか言うんじゃねーよな?」
氷河凍雲が東雲六道を憎んでいるからか、氷河凍雲の部下たちも深雪たちに容赦の無い視線を向ける。蛇のように粘着質で冷徹な疑念の目。適当な嘘や誤魔化しはとても通用しそうにない。
深雪はぐっと顎を引き、負けじとその目を見返した。
「……俺たちがどこへ向かうか、そんなに気になりますか?」
「当たり前だろ! 《グラン・シャリオ》を壊滅させた黒幕どうしで今度は何をこそこそ悪巧みをしようってのか……《死刑執行人》としては放っておけん!」
「ちょうど良かった。どうか氷河武装警備事務所の皆さんの力を、俺たちに貸してください」
深雪が答えると、氷河の《死刑執行人》たちは一瞬、虚を突かれた顔をする。
「何だと……!?」
「俺とシロだけじゃ逢坂さんたちを運べませんから。もし近衛さんや西山さんたちが手伝ってくれるなら、こちらとしても心強いです」
そして深雪は、特に負傷の度合いが深刻な黒鉄を視線で指し示す。
「特にこちらの彼は重傷で、一刻を争います。急ぎましょう!」
武装警備部二課の西山響は顔を歪めて反論する。
「はあ!? 何で俺たちがそんな事しなきゃなんないんですかねえ!?」
「嫌ならそれでも構いません。ただ、俺たちも勝手に動きますけど」
「て……てめえ、何様のつもりだ、コラ!?」
深雪の開き直ったような態度に、西山響はとうとう激昂した。近衛直純がそれを制止する。
「ちっ……西山、やめとけ」
「近衛さん、でも……!」
「こいつの挑発に乗るのは癪だが、《死刑執行人》として東雲の《死刑執行人》と《アラハバキ》構成員を監視しなければならん。……凍雲さんならきっとそうする」
「……へいへい、分かりました」
氷河凍雲の名を出されると、西山も逆らえないらしい。それだけ氷河凍雲を信頼しているということなのだろう。
それから、氷河武装警備事務所の《死刑執行人》は嫌々ながらも深雪たちを手伝い始めた。
担架を手配し、須賀黒鉄をマットに寝かせてから安全ベルトで固定すると、深雪と氷河の《死刑執行人》たちで交代しながら運んでいく。
逢坂は自力で歩けるようなので徒歩で移動してもらった。シロが横から彼を支える。
目指すは石蕗診療所だ。




