第5話 《スケアクロウ》②
唯一の個性であるペストマスクも、街中で目にしたらおそらくぎょっとするだろうが、それほど大振りなものではないので十分にフードで隠してしまえる範囲だ。
姿が分かれば少しは手掛かりが得られるかと思ったが、余計に気味の悪さが増しただけだった。
神狼も細かい分析を試みる。
「身長ハ160センチから175センチほどカ。年齢はこの歩き方だト、だいたい二、三十代くらいだろウ。性別は男であるようにも見えるシ、女であるようにも見えル。そのためニ、わざわざ体形ガ分かりにくいアウターを選んだんだろウ」
暗殺者として育った神狼は、相手の一挙一動から瞬時に情報を得る技術に長けている。だがその神狼にしても、《スケアクロウ》の正体に迫る情報までは得られなかったようだ。ほとんどの分析が推測の域を出ていないし、核心を突くようなものはない。
「徹底した秘密主義だな。よほど素性を知られたくないと見える」
奈落も半ば呆れたようにそう言った。
「姿を隠し、声まで変えているなら、たとえば正体は意外と身近にいる人だった……なんてこともあり得るね。ちょっと怖くなるけど」
深雪の指摘に、オリヴィエも同意する。
「……そうですね。今回は特に、できるだけ決めつけや思い込みは避けるべきでしょうね」
そう考えると、なかなかの恐怖だ。周りの誰もかれもが《スケアクロウ》に見えてくる。深雪の知り合いだけ取ってみても、身長が160センチから170センチ代で年齢は二、三十代などという者は山ほどいるのだから。
今のところ《スケアクロウ》の主な活動地域は《中立地帯》だが、だからと言ってストリートのゴーストとは限らない。
いや、そもそもゴーストとは限らないのかもしれないのだ。
《アラハバキ》構成員かもしれないし、《収管庁》職員かもしれない。或いは、その辺の露天商や通行人かもしれない。考えれば考えるほど、あちこちで見張られているような心地悪さを覚え、戦慄が走るのだった。
流星はさらに重要な情報を開示する。
「《スケアクロウ》に関して、もう一つ分かっていることがある。それは《Zアノン》の熱烈な信奉者だということだ。事あるごとに《Zアノン》を讃え、客にも熱心に布教しているらしい」
「ひょっとして、《中立地帯》でみんなが《Zアノン》って叫んでるのも、《スケアクロウ》が原因なのかな?」
シロは首を傾げた。
「全く関係ないとハ言えないだろうナ。みな少なからズ、《スケアクロウ》ニ感化されているんだろウ。だガ、実際にどこまでガ《スケアクロウ》の影響によるものなのかハ、冷静に見ていく必要があル」
神狼の言うことは正しいと深雪も思う。実のところ《スケアクロウ》の影響力がどこまであるのかは定かではない。ただ、もっと根本的な疑問も感じていた。
「うーん……でも、どうして《スケアクロウ》は《Zアノン》を支持しているんだろう? 絶対に誰にも自分の姿を見せないという、あの異常なまでの注意深さや警戒心の強さを考えると、陰謀論に嵌りそうにはないように思えるけど」
真っ黒いローブのようなコートにペストマスク。格好だけだとふざけているようにも見えるが、《スケアクロウ》は絶対に愉快犯ではない。徹底的に己の情報を隠していることや、エニグマやマリアらの追跡を軽々とかわしてしまった事を考えても、何らかの目的か計画があって慎重に動いていることが伝わってくる。
ならば、彼が《Zアノン》思想を広めていることにも何か狙いがあると考えるのが自然なのではないか。
「そもそもの話、《Zアノン》とは何なんだ? 何度、説明されてもワケが分からねえんだが」
奈落が顔をしかめると、流星も返答に窮したのか困惑の表情を浮かべた。
「まあ、ぶっちゃけ、俺らもよく分かんねーんだよ。何かこの世を救う正義の使者的な存在らしいが、それが個人名なのか団体名なのかも分かんねえし。まったく迷惑な話だぜ」
《Zアノン》については、深雪の方がいくらか詳しい。それをみなに説明していく。
「《Zアノン》はぺこたんという動画配信者が《突撃☆ぺこチャンネル》という動画チャンネルで広めた陰謀論だよ。『闇の政府と戦う光の戦士』とか『腐敗権力に立ち向かう正義の使者』とか、いろいろ表現されているけど、その実体はさっぱり分からない。
でも、その方が何かと都合がいいんだよ。何せ陰謀論だからね。《Zアノン》を支持している人たちも、《Zアノン》に対して抱いているイメージはバラバラで、自分の都合のいいように解釈しているんだと思う」
人は幻に夢を見る。だからこそ、幻はぼんやりしているくらいが丁度いい。解像度が上がってしまったら、そこに夢を見出すことができなくなってしまうからだ。
「『何だか世の中を良くしてくれそうな存在』というイメージ頼みデ広まっテ、世の中に不平や不満を抱いている層ガ訳も分からずそれヲ持て囃していルという事カ」
神狼が腕組みをして呟くと、オリヴィエも表情を曇らせた。
「私が言うのもなんですが……まるで新手の宗教のようですね」
「だから宗教と陰謀論はくだらねえと言うんだ」
奈落が舌打ちと共に毒づくと、オリヴィエは一転してムッとした顔をする。
「いや、それとこれとを一緒にしないでいただけますか!?」
「何だ、今お前自身が言ったんだろう。極端な陰謀論はまるで宗教のようだと」
「た……確かに言いましたが、それをあなたに言われると、こう……いろいろと腹の底からムカムカするのです!!」
何やらごちゃごちゃと言い争いを始めるオリヴィエと奈落。
一方、深雪には《Zアノン》について他にも気がかりなことがあった。
(ぺこたんは、京極と繋がっていた。そして半ば京極に洗脳され、《Zアノン》の陰謀論を拡散したんだ。つまり京極こそが《Zアノン》の生みの親とも言える)
そして実際、《Zアノン》信者によって上松組兄派は壊滅させられたのだから、その効果は絶大だと言っていいだろう。
もともと《ブギーマン事件》でも、《中立地帯》のゴーストが迷信や陰謀論に対する耐性が弱いことは分かっていた。
京極もまたその脆弱性を見抜いていて、見事にそこを突いたのだ。
(問題は、《スケアクロウ》が京極と繋がっているかどうかだ。ただの支持者ならそれでいい。でももし、もっと直接的に繋がっているなら、《スケアクロウ》の行動すべてが京極の意志によるものである可能性がある)
そしてもしそれが事実であるなら。
京極の事だ、《Zアノン》信者が上松組兄派を壊滅させたのはまだまだ惨劇の序章に過ぎないだろう。これからもっと恐ろしい事が《Zアノン》信者によって引き起こされる可能性もある。
だが、みなの前でその事は言えなかった。みなを迂闊に京極へ関わらせるべきではないと思うからだ。
それに関しては六道も同じ考えであるらしい。今のところ、彼が事務所の《死刑執行人》を積極的に使って京極に仕掛ける気配はない。
もっとも、流星やマリアは薄々、京極の特異性を察しているようだし、シロに至っては対面までしてしまっているが。
「……ああ、そうそう。因みにその《突撃☆ぺこチャンネル》、今は完全に更新が止まってるわね。配信者がやる気を無くしたのか、それとも病気か何かで更新ができない状態になっているのか……それは分からないけど」
「そうなんだ。それは知らなかったな」
マリアの情報に深雪は驚く。
正直なところ、最近はあまりにも忙しく、ネットで動画を見ているような暇すらなかった。
ぺこたんは今、一体どこで何をしているのだろう。あれほど熱心だった動画も投稿しなくなってしまっただなんて。
執拗につきまとわれて随分迷惑したし、火澄を誘拐した件や《グラン・シャリオ》の虐殺生放送の件は、はっきり言ってまだ許していない。
だが、彼もまた京極に騙され、仲間を失ったことを知っているからこそ、心の底から憎む気にはなれなかった。
「とにかく、《Zアノン》ブームはあくまで一時的なものに過ぎないということですね?」
オリヴィエは、どことなくほっとしたようにそう言った。しかし、マリアは短い人差し指を立て、チッチッ、とそれを横に振る。
「それが、そういうわけにもいかないのよ。《突撃☆ぺこチャンネル》の代わりに、《突撃☆ぺこチャンネル》をパクった別動画が多数出現して、《Zアノン》動画を拡散しまくってるからね。
見つけた端からアカウントごと削除してってるんだけど、いかんせん拡散スピードが速すぎるし、《Zアノン》を広めている動画配信者のアカウントもすぐに復活しちゃうし。モグラたたき状態でキリが無いのよ」
つまり、既にネット上ではぺこたんの信奉者が出現しているのだ。しかもマリアの話から察するに、それは一人や二人ではない。
深雪は軽く眩暈を覚えた。
やはり、《Zアノン》信者の暴走はこれで終わりではない。
彼らは今もこの街のどこかで増え続けており、大きな集団となって恐ろしい暴徒と化す日が、必ずまたやって来るのだ。
「それで結局、《スケアクロウ》とやらノ目的は何なんダ? それガ分かれバ、もう少し的ヲ絞って調査できるんだガ」
神狼はもどかしそうに口にする。彼にしても、《龍々亭》の営業を再開させるために、《Zアノン》信者がいつ再び暴れ出すか分からないという危険性をできるだけ排除しておきたいのだろう。
けれど、マリアはお手上げポーズをして溜息をつく。
「残念だけど、そこはまだ分からない。ただ一つだけ間違いないのは、《スケアクロウ》はウチをやたら敵視してるってことね。街中でも東雲探偵事務所に関する悪評を流しまくってるみたいだし、ウチの……っていうか、《死刑執行人》や《中立地帯の死神》の信頼を失墜させたいんでしょ」
「そう考えると、《Zアノン》信仰とやらを広めていることには、やはり何か裏がありそうすね」
オリヴィエが含みのある言葉を発すると、流星もそれに同調する。
「もっとも可能性が高いのは、一般ゴーストと《死刑執行人》の間に疑念という楔を打ち込むことだな。事実、ストリートでは《Zアノン》を支持するゴーストほど《死刑執行人》を嫌悪し、憎むようになっている」
「……」
それは深雪も感じていた。
もともと《中立地帯》のゴーストは《死刑執行人》を嫌っていた。いつ狩られるか分からないという彼らの恐怖を考えれば、それも当然のことだ。
実際はいくらゴーストとはいえ、よほどの重大犯罪を犯し《リスト登録》されるのでもなければ、《リスト執行》されることはない。だが、頭では分かっていても、常に死と隣り合わせであるというストレスはなかなか避けられないものだ。
自分たちは不当に貶められ、苦しめられている――ストリートのゴーストがそういった苦痛を日常的に感じていたとしても無理はないだろう。
もともと燻っていたその火種に《Zアノン》思想が火をつけてしまったのだ。
(この街は長年、恐怖と抑圧で強引に秩序を維持してきた。その反動がいま来ているのかもな)
そういった面を考えても、やはり《死刑執行人》に秩序の維持を頼るのはリスクを伴う。
人間には感情があり、どれだけそれが不安定で間違っていたとしても、簡単に切り離すことはできない。
いくら治安の維持に《リスト執行》が必要だと分かっていても、目の前でそれが行われれば怖いに決まっているし、どうしてたって抵抗や反発を覚えるのだ。
街を守る事さえできるなら、どんな手段を用いてもいいわけではない。
世界の革命を謳いながら、街を混乱に陥れる《Zアノン》に正義など無いのと同じように。
今のこのシステムには限界が来ている。これまではどうにか騙し騙しやり過ごすことができたかもしれないが、永遠に続けるわけにはいかない。ともあれ、その点に関してはすぐにどうこうできる問題でもなく、今は目の前の課題を解決するのが先だと、深雪は意識を切り替える。
一方、あまりにも手掛かりが少ない事に業を煮やしたのか、奈落はエニグマを問い質した。
「そういやお前、元はとはいえ、一応は《監獄都市》№1の情報屋なんだろう。少しは何か掴んでいないのか?」
「それが、恥ずかしながら何も。何度か《スケアクロウ》と思われる人物を尾行してみたのですが、ことごとく撒かれてしまいましてね」
エニグマは申し訳なさそうに、人差し指で頬を掻く。
「ちっ、役に立たねえ野郎だな」
奈落は容赦なく悪態をついた。オリヴィエはすっかり呆れ顔で、その傲慢な態度を咎める。
「何を言っているのですか。あなただって戦闘以外では大して役に立っていないのに」
「おい、てめえがそれを言うんじゃねえ、エセ神父!」
「もう、喧嘩はダメだよ! 今は仲良くしなきゃ」
シロはぷくっと頬を膨らませる。《ニーズヘッグ》の年少組を怒る時と全く同じだ。さすがにシロに怒られては面目が立たないのか、奈落とオリヴィエの口喧嘩はすぐに鎮静化してしまった。
それを見計らって、エニグマが口を開く。
「これは私の憶測なのですが、おそらく《スケアクロウ》はこういったことに慣れているのではないかと思うのです」
深雪は眉根を寄せて聞き返した。
「慣れてるって……尾行とか情報収集をされることに?」
「ええ。これはちょっとした仮定の話なのですが……もし彼がただの情報屋ではなく、洗練されたスキルを持つエージェント――つまり諜報員であるなら、ここ最近、《監獄都市》で起きている騒ぎの正体が何であるのか、説明がつく気がするのです。
諜報員の多くは何らかの情報機関に雇われており、彼らの指示で動きます。そういった諜報員の役割は、諜報活動や工作活動などといった水面下で密かに行われるものばかりではありません。時には大規模な情報戦を仕掛けることもあるのです。
珍しい話ではありません。たとえば他国に自国のいい部分だけを宣伝したり、逆に敵対国の悪評……しかも捏造された偽情報を喧伝したりすることもある。それもまた情報戦の一環という事です」
「あれ……? そういえば、《スケアクロウ》も東雲探偵事務所の悪評をしつこいくらい広めまくってるよな!? それだけじゃない、拡散のスピードも異様なまでに早かった。気づいたらいつの間にかって感じで……!」
思えば、《ブギーマン》事件の時もそうだった。気づけばいつの間にか《中立地帯》で怪しいおまじないが流行っていた。
それらは結局、ゴーストの子どもを誘拐して生業を立てる犯罪組織の仕掛けた罠だった。彼らはおまじないを利用して、子どもたちを誘き出していたのだ。
ひょっとすると、今回もそれと同じなのではないか。
一つ確かなのは、《監獄都市》は良くも悪くも《関東大外殻》によって隔絶された狭い世界だということだ。情報にしろ物流にしろ、本気で断とうと思えばいくらでも断てる。
それができないということは即ち、そこに何らかの人為的な作用が働いているということだ。
「何より違和感を抱いたのは、《Zアノン》信者たちの言葉の中身だ。《中立地帯》のゴーストはみな学校に行けないから、難しい言葉や言い回しは避ける傾向がある。それなのに、急に『権力の腐敗』とか『既得権益』とか小難しい言葉を使い出して……そのせいか、どうしても嘘っぽさが拭えないんだ。彼ら自身の言葉というより、誰かに言わされてるっていう感じがして……!」
もちろん、ストリートのゴーストが《死刑執行人》に不満を抱いているのは確かだろう。誰かがそこに言葉を与え、さらに思想を植え付けて憎悪を育て上げ、扇動しているのではないか。
エニグマも頷く。
「そうですね。いくら相手が子どもとはいえ、ああも簡単に《Zアノン》思想が広まったのはどう考えてもおかしい。ですが、その道のプロフェッショナルであれば話は別です。《スケアクロウ》は何らかの組織から諜報や工作活動の訓練を受けている諜報員なのかもしれません。そしてターゲットとなる工作員がゴーストであった場合の対処法まで完璧に身につけている」
だから、エニグマの尾行もことごとく撒いてしまったというわけか。
深雪は顎に手を添え、小さく唸った。
「つまり《スケアクロウ》は、俺たちよりは、陸軍特殊武装戦術群である雨宮や碓氷に近い存在だという事か……」
彼らに《スケアクロウ》のことを相談してみようか。
深雪はそう思いつくものの、実行するには躊躇もあった。雨宮や碓氷たちには、これまでにもさんざん助けてもらっている。あまり彼らに頼りきりになるのもいかがなものかと思ったのだ。
いくら同じ研究所出身とはいえ、彼らの親切心につけ込むのは良くない気がする。《スケアクロウ》に関して、自分の力でできる事は他にもあるはずだ。
そんなことを考えていると、今度は神狼が口を開いた。
「あト、妙に気になる情報ヲ手に入れタ。《スケアクロウ》に依頼するト、《中立地帯》や《新八洲特区》だけでなク、《東京中華街》内部の情報まデ得られるそうなんダ」
その話には、マリアも驚いて飛びあがった。
「《東京中華街》の!? あの街は今、徹底的に封鎖されていて、あたし達ですら内部の状況を探れず困ってんのに!?」
「本当か? 箔をつけるために《スケアクロウ》が嘘をついているとかじゃねえよな?」
流星も俄かには信じられないという表情をする。
無理もない。深雪たち東雲探偵事務所は、これまで何度も《東京中華街事変》が起こった後の《東京中華街》の様子を探ろうとしてきた。
だが、それはことごとく失敗に終わってきたからだ。




