第35話 宴のあと①
《新八洲特区》もまた、《中立地帯》ほどではないものの、混乱状態が続いていた。
とうとう系列組織全てを巻き込んだ全面衝突に突入した、上松組の兄派と弟派。
当初は双方とも互角の戦いだったが、徐々に弟派の方が優勢となっていく。
それは、表向きは《Zアノン》の活躍によるものと見られていたが、実のところ藤中組が密かに弟派の手助けをしていたことも大きかった。
兄派に属する有力幹部やその傘下組織は、一つ、また一つと壊滅状態へと陥っていく。鉄砲玉として入ってきた新規の構成員はもちろん、古参幹部もかなりの数が命を落とした。
やがて唯一、残るのは、上松組兄派の本家だけとなる。
まるで城のような豪勢な屋敷と庭、その周囲を弟派の系列組織の人間や《Zアノン》信者が数千人規模で取り囲んだ。中には、藤中組下部組織も混じっていたが、もはやその事を見咎めるような余裕のある者は皆無だった。
「おい、上松大悟! 聞こえるか!? てめえに上松組組長は相応しくねえ!! とっとと将人さんにその座を譲れ!!」
「そうだ、無能で世襲の二代目め! 何の苦労もせず親からの依怙贔屓で一生涯、甘い汁を啜るなど、あまりにも怠惰だ!! 貴様らのような腐敗勢力を一掃するためにも、革命が必要なのだ!!」
「正義の革命、万歳! 《Zアノン》万歳!!」
集まった弟派はみな口々に叫ぶと、上松組本家の敷地内に続々と火炎瓶や手龍弾などを投げ込む。
また、アニムスで攻撃を仕掛ける者もや、車両に乗って突っ込む者の姿もあった。
屋敷の外側は頑強な塀と深い堀で囲まれているが、それもそう長くはもちそうにない。
そんな中、邸宅内でも最も立派なつくりをしている母屋の奥の間には、兄派の面々が一堂に会していた。天海龍源や上松大悟はもちろん、生き残った上松組兄派の幹部たちもだ。
そして、大悟の妻である上松凛子と二人の子、大空と源悟も天海の指示でその場に居合わせた。別々に離れているよりは、一か所に固まっていた方が安全だろうという判断からだ。
それほどまでに、兄派は追い詰められていた。
重苦しい空気の中、天海龍源は腕組みをし、厳しい表情をして目を閉じる。そこへ構成員の一人が慌てた様子で入室すると、天海に耳打ちする。
天海はくわっと目を見開いた。
「……何!? それは本当か!?」
すると、耳打ちをした構成員は無言で頷く。彼はすっかり青ざめていた。
天海は顔を歪め、呻くようにして呟く。
「くっ……やってくれたな、志摩国光め……!!」
それから、何事かとこちらを注視している面々に向かって、重々しく口を開く。
「……みな、聞いてくれ。渡部が死んだ。小池と上原もだ。弟派の林田や宮沢に殺られたらしい。残った大悟派は、ここに集った面々のみだ」
それを聞き、生き残った幹部たちは大きくどよめいた。
「なっ……!? まさか松瓦屋の兄貴に続いて渡部の兄貴までが……!?」
「しかも、小池さんや上原さんまで……!!」
「ちくしょう、将人派の奴らめ……!! 連中は陰謀論を流布し、《中立地帯》のガキどもを扇動しているって話です!」
「組の伝統をないがしろにし、野心を満たすため、形振り構わず《ストリート・ダスト》まで洗脳して利用する……何て卑劣で姑息なやり方なんだ! 《アラハバキ》構成員にあるまじき所業! まさに外道の極みだ!!」
天海も苦虫を噛み潰したような顔をして、心情を吐露した。
「ああ、そうだ。そして、連中の常軌を逸した貪欲な権力欲の前に、俺たち大悟派はこれぞという決定的な手を打てなかった……! 上松組の名誉を守ろうとしたことが完全に裏目に出たんだ」
今回ばかりは相手が悪かった。相手は同じ上松組のいわば身内であり、天海龍源のやり方を熟知している。その強さも弱さも、本人異常に把握していたのだ。
常に名誉を重んじ、正道を歩みたがる天海の気質を。
そして、兄派の幹部たちもまた、そういった天海の真っ直ぐな性格をこよなく愛し、慕っているということも。
集った幹部たちもまた男泣きに泣いた。
肩を震わせる者、嗚咽を上げる者。
天海もまた悔しさで全身を戦慄かせながらも、なおも兄派の幹部たちへと語り掛ける。
「ここもそう長くはもたねえだろう。けどな、どんなに窮地に陥っても、上松組組員としての矜持だけは失っちゃならねえ!! このまま大人しく死を迎えるなんざ、漢が廃るってもんだ!! そうだろう、お前ら!?」
「ああ、天海の兄貴の言う通りだ!!」
「たとえここで果てるのだとしても、ただでは殺られねえ!! 姑息な手を躊躇いもなく使う将人一派に上松組の看板を奪われてたまるか!!」
「奴らだけは絶対に許さねえ! 必ず道連れにしてやる!!」
「よく言った、お前ら! それでこそ、上松組の漢だ!! 卑怯な真似して組の看板を奪おうとするコソ泥どもに、本物の上松組はどういうものか思い知らせてやるぞ!!」
「おお!!」
天海龍源の咆哮と共に組員たちは立ち上がり、続々と部屋を後にした。もちろん、上松大悟もそれに続く。
大悟の妻である凛子、そして二人の子どもたちの大空と源悟が不安そうに身を寄せ、大悟を見上げる。
「あなた……!」
「パパ!」
「パパ、死んじゃうの……!?」
「パパは死んだりしないさ。ここでお前たちが待っている限りな」
「……本当?」
「ああ」
大悟は瞼をぎゅっと閉じ、別れを惜しむかのように妻子を固く抱きしめた。しかしその数秒後、静かに見開かれた瞳には、強い決意が浮かんでいた。
それから大悟は凛子と視線を交わす。
「……凛子、大空と源悟を頼む」
「ええ、あなたもお気を付けて」
「大空と源悟も、しっかりママを守るんだぞ」
「う……うん!」
「ボク、頑張るよ! ちゃんとお姉ちゃんやママを守る!!」
「ようし、それでこそ上松の男だ」
そして大悟は源悟の頭をくしゃっと撫でると、他の兄派幹部を追って部屋を出た。凛子やその子どもたちは大悟の背中を不安そうに見送った。
一方、廊下に出た大悟を天海龍源が待ち受けていた。
「凛子たちに最期の別れを告げてきたのか?」
「ええ。でも俺は、まだ諦めていません」
「大悟……?」
「必ず勝ちましょう、お義父さん!」
大悟の瞳には力強い光が宿っている。彼は本気でこの抗争を生き延びるつもりなのだ。どれだけ不利な状況に立たされても、最後まで諦めるつもりは無いのだ。
その勇ましい姿は、全盛期だった頃の上松将悟を思い起こさせる。
天海龍源はそれを心から誇らしく思った。
(フ……いい顔をするようになったな、大悟 確かに以前は周囲に遠慮してか大人しすぎるきらいがあった。だがこの危機を経て、大きく成長したようだ。今の大悟なら上松組を立派に盛り立ててくれるだろう。それを支えてやることが死んだ将悟兄貴への恩返しにもなる。
……こうなったら、何とかして大悟を組長にさせてやりたい。大悟の言う通り、まだ諦めるのは早いかもしれねえな……!)
兄派幹部が廊下へ踏み出すと同時に、弟派がとうとう敷地内に雪崩れ込んできた。両者はさっそく激突する。
互いに怒声を上げ、相手を罵りながら躊躇なくアニムスを放ち、敷地内はたちまち集中爆撃を受けたかのような惨状へと陥った。
また、実際に銃器を乱射したり、手当たり次第に火炎瓶や手榴弾を放り投げる者もいる。
その結果、あちこちで爆発が起き、たちどころにして火炎や煙が吹きあがった。
兄派は健闘していたが、いかんせん乗り込んできた相手の方が、圧倒的に数が多い。弟派の上松組構成員に数千もの《Zアノン》信者が加わっており、おまけに藤中組も陰ながら支援している。
そして何と言っても、弟派はこれまで他の多くの兄派幹部を倒してきており、勢いがあった。
兄派幹部は次々と手足をもがれ、ある者は首から上を吹き飛ばされ、またある者はまた八つ裂きにされて臓物をぶちまける。
兄派の数が半減するのに時間はかからなかった。
自陣営の敗北を悟った天海は、近くでアニムスを放ち奮戦する大悟に声をかける。
「……大悟! ここはもう駄目だ! 来い!!」
「お義父さん、しかしまだ組のみなが……!」
「いいから来い!」
天海は大悟を引きずるようにして廊下を進むと、奥の間へ戻った。そこでは凛子と二人の子どもたちが息を潜め、互いに抱き寄せ合って心細げに身を震わせている。
凛子と子どもたち三人は天海と大悟の姿を目にすると、安堵した様子で駆け寄ってきた。
よほど不安だったのだろう、みな目を潤ませ、涙を浮かべている。
「パパ!」
「おじいちゃん……!!」
「大空、源悟! 無事だったか!?」
大悟が畳に膝をつくと、二人の子どもたちはその胸に飛び込んでくる。
「うん、何ともない!」
「ボク、パパと約束した通り、ママとお姉ちゃんを守ったよ!」
「そうか、いい子だ」
大空も源悟も、縋りつくようにして大悟に抱き着いてきた。大悟もまた、二人の子どもを抱きしめ返す。
無言でその様を見つめる天海に、娘の凛子が近づいて来た。
「お父さま、このお屋敷は……」
天海は無言で首を横に振る。それを目にした凛子は、大きく目を見開くと、途端に顔を覆って泣き崩れてしまった。
「ああ……そんな……!!」
凛子の反応も無理はなかった。天海はこの可憐な我が子を、普通の娘として育てたからだ。
花嫁修業こそ厳しく課したものの、《アラハバキ》の組織運営や揉め事にはほとんど関わらせなかった。ひとえに凛子のため、彼女の幸せを思っての措置だった。
だから、こういった非常時には為す術が無いのだ。他の一般人がそうであるように。
天海は大悟へ告げる。
「大悟、よく聞け」
「お義父さん……? 何でしょう」
大悟は天海を見上げる。その顔は、先ほどの激しい戦闘によって煤で汚れていた。
「この屋敷には外へ出られる道が地下にある。先代の組長・将悟兄貴と舎弟頭の俺しか知らない、隠し通路だ。《休戦協定》以前の大抗争時代では、いつ《レッド=ドラゴン》から抗争を仕かけられるか分からないという、毎日が生きるか死ぬかの状態だったからな。万が一の時を考えてと、将悟の兄貴が地下に避難路を用意しておいたんだ。大悟、そして凛子。お前たちは子どもを連れ、密かにこの屋敷を出ろ。そして轟組を頼れ」
「轟……轟虎郎治総組長を、ですか?」
「ああ。《アラハバキ》の御三家及び轟組は、基本的に身内の事情に関しては相互不干渉だが、今回の将人派のやり方はあまりにも卑怯で仁義にも背いている。それをうまく総組長に説明すれば、匿ってもらえるかもしれない。轟総組長は卑劣な手段で《アラハバキ》の秩序を乱すことを極度に嫌うからな。事情を知れば、きっと助けてくれる」
「お。お義父さん、でも……!」
嫌な予感を覚えたのか、大悟は勢いよく立ち上がった。天海は懐に忍ばせたものを取り出し、大悟の胸元へ差し出す。
「念のため、こいつを持って行け」
「これは……!」
天海が大悟に手渡したのは、愛用の拳銃だった。大抗争時代を共に生き抜いて来た、分身ともいうべき大事な相棒。天海にはもう、必要のないものだ。
「俺はここに残る。お前らが逃げる間、少しでも時間を稼ぐためにな」
「……!!」
青ざめ、言葉を失う大悟の両肩を、天海はがしっと掴む。
「いいか、大悟。何があっても生き延びろ。おそらく、一時は、将人が上松組を乗っ取るだろう。だが、組長の正統な後継者はお前なんだ。先代組長である将悟兄貴の遺言にもそれは明記してある。どれだけ理不尽な思いを味わったとしても、ひたすら耐え忍び機が熟すのを待て。そして必ずお前が上松組組長になるんだ。分かったか?」
「お義父さん、それはいけません! 凛子や子どもたちを逃すことは俺も賛成です。ですが、俺は逃げるなんてまっぴらごめんだ! お義父さんと共にこの場に残ります!!」
「大悟、しかしな。ここでお前を死なせるわけには……!!」
だが、大悟は激しい剣幕で食い下がった。
「上松組は、お義父さんや他の組員たち皆がいてこそです! 俺だけが残って組長に練っても、『家族』がいなけりゃ意味がないじゃないですか!! だから……だから俺もこの場に残ります! そして最後までみなと戦います!! その結果、上松組が果てるというなら、俺も喜んで命運を共にする……それが組長ってものでしょう!!」
天海は息を呑んだ。
「大悟……!!」
幼いころから何かと面倒を見てきた天海にとって、大悟は息子同然の存在だった。
ついこの間まで手を引いてやらねば、守って支えてやらねばと思っていた。だが目の前に立つ男は、すっかり一人前の面構えをしている。
そこに、天海が兄と慕った上松将悟の面影が重なって見えた。いや、今の大悟の考え方や言動は、まさに将悟そのものだ。
将悟が大悟を選んだのは間違いではなかった。将悟は息子がこのように成長することを予見していたのだ。
――間違っていなかった。
将悟も自分も、決して間違ってはいなかった。
天海は感極まって何度も頷く。
「ああ……ああ、そうだ。大悟、上松組組長はお前だ……!!」
しかしその時、不意に異質な声が奥の間に響き渡った。
「残念だけど、そうはいかないんだよね」
男性か女性か、子どもか老人か。何一つ分からない、不気味な機械音声。
「なっ……!?」
「だ、誰だ!?」
大悟と天海は、驚いて後ろを振り返る。そこには異様な姿をした人物がひとり立っていた。
くるぶしまで丈のある黒いロングコートで全身を覆い、頭にはすっぽりとフードを被っている。パンツも黒、ブーツも黒、そして手にも黒いグローブ。その中で、唯一、顔面に装着したペストマスクだけが白く浮かび上がっている。
まるで物語に出てくる、ローブをまとった悪い魔法使いみたいだ。
そのあまりのグロテスクさに、二人の子どもたちは怯えて凛子にしがみつく。
「ま……ママ!」
「怖いよ……!!」
「大丈夫よ、二人とも。ここにはお祖父さまも、お父さまもいらっしゃるのですから」
子どもたちを抱きしめ、必死でそう励ます凛子だったが、ペストマスクをつけた侵入者は鼻で彼女たちを嗤う。
「あんたら上松組兄派は滅びる。これはもう、既定路線で修正は不可能なのさ。どう抗っても変えられない、確定した未来なんだ。
だからさー、そういう安っぽいクソみたいな家族ドラマ見せられると、マジでイラつくんだよね。どうせみな死ぬのは決まってんのに、この期に及んで覚悟決めた真似をしたり、相手を主やっている風を装ったり。何そんな無駄に盛り上がっちゃってんの? ……ってね」
天海は鋭い眼光で、じろりとペストマスクを睨みつける。
「貴様……情報屋の《スケアクロウ》か。ここへ何しに来た? 貴様には以前、この屋敷の出入りを禁じたはずだぞ」




