第29話 崩壊の始まり①
「ふ……このバーで出会った時、最初に言ったはずですよ。俺は今の無駄が多く非効率極まりない《アラハバキ》の組織体質を変えるべきだと思ってる。年寄りへの過剰なまでの忖度や、人柄重視という名のもたれ合い文化を廃止し、能力重視の人材登用へと切り替えるべきだと考えているんです。
それくらいしなきゃ……このままじゃ《アラハバキ》は本当に終わっちまいますよ……!!」
そして冴門は将人へと身を乗り出した。
「だからこそ、俺は将人さんに跡目争いに勝利して欲しいんです。だって能力的に考えたら、将人さんの方が上松大悟より優れているのは明らかじゃないですか」
それは、半分は確かに本音だ。冴門は親の依怙贔屓で組長になった兄の大悟より、自らの力で道を切り拓く将人の方がよほど好感が持てると思っているからだ。
だが、残りの半分には別の狙いがある。
冴門の本当の目的は、上松組の内部抗争を煽って兄派と弟派、両方の体力を削らせることだ。そして弱体化した上松組を藤中組が乗っ取るつもりでいる。そのためにわざわざ高級会員制バーに通いつめ、将人に近づいたのだ。
だがもちろん、それを将人に悟られるようなヘマはしない。
将人も酔いがすっかり回っていることもあり、そこまで考えが及ばないらしい。
「……そうだ、俺こそが組長に相応しいんだ。そんな事、誰の目にも明らかだろ! それなのに……親父はいつも大悟しか見ていなかった……!!」
「ああ、そうだ。年寄りに裁量を委ねると、碌なことになりゃしねえし、こういう悲劇も起こるんだ。連中は一にも二にも保身を優先するからな。こんな悪習を終わらせるためにも、将人さん、あんたは立ち上がらなけりゃならねえ。……腹ァ括ってくれますね?」
将人は俯いて少し考え込んだあと、再び顔を上げた。そこには強い覚悟が浮かんでいる。
「……ああ。俺は上松組の組長になる。大悟にも志摩の叔父貴にも……誰にも組長の座は渡さねえ……!! 邪魔をする者には即刻、消えてもらう!! それがたとえ、血を分けた実の兄であったとしてもな!!」
将人は全身から闘志を漲らせていた。
どうやらうまく焚きつけることができたようだ。それを見た冴門はうっすらと笑みを浮かべる。
「よく言った、兄弟! これで上松組も安泰だ。将人さんと上松組の輝かしい未来に乾杯!!」
そして二人はグラスを重ね、乾杯をするのだった。
チン、という乾いた音が、薄暗い高級バーの中で響き渡った。
それから数日後、《中立地帯》でとある動画が流れた。
その動画のサムネイルには、上松組兄派幹部・松瓦屋蔵人の悪事を暴き断罪するという旨の過激な言葉が並んでいた。
おかげで動画は注目を浴び、多くの再生数を得る。
その動画の内容は、ちょうど松瓦屋がケツ持ちをしている個人店経営者にみかじめ料を払えと脅しているところだった。
しかし、その方法があまりにも酷い。
支払いを待ってくれと必死で弁明する経営者に対し、松瓦屋がやりたい放題に暴行を加えるのだ。
暴行現場は店舗の裏で、人けのない寂れた場所だ。おまけに狭く、逃げ場がない。何せ、軽自動車が一台、ようやく止められるほどの広さしかないのだ。
動画の中で松瓦屋は、ビリビリと大気を震わせるほどの濁声で相手を罵倒する。
『ああ⁉ みかじめ料を払えない、だあ!? てめえ、ウチのシマで商売させてもらってる立場だってことを忘れているわけじゃねえよなあ!? 誰のおかげでおまんま食っていけてると思ってんだ、コラァ!?』
『す……すみません! でも、今月はちょっと……いろいろと厳しくて……! お願いです、もう少しだけ待っていただけませんか!? お願いします!!』
個人店経営者らしき若者は土下座をして情けを乞う。しかし、松瓦屋はその頭を一切の容赦なく、豪快に蹴り飛ばした。
『ゴフッ……!!』
若者は盛大に鼻血を噴き出す。歯も折れたらしく、地面にそれらしき小さな欠片が落下した。それでも松瓦屋は暴力を止めない。倒れた若者の頭を掴み、何度も店舗の壁に打ち付ける。
『何言ってんだ、お前? 期限内に決められた金を払うなんて、人間として当然のことだろうが!! 何でその当り前のことができねえんだ!? てめえの脳ミソはアレか? すっからかんの空っぽか!? それともゴミでも詰まってんのか! 反省する能力も無いとは、まさに猿並みだな!!』
松瓦屋はその間も暴力を振るい続ける。若者の頭を何度も執拗に壁に打ち付け、彼が倒れ込むとその体を踏みつけたり蹴ったりを繰り返す。
店舗の壁もコンクリートで固められた地面も、全てが真っ赤な血でドロドロだ。
『あひっ……ガッ……! ずびばせ……ウッ……ウグッ……!!』
若者はされるがまま。
『お前のような、決まりも守れなけりゃ金も稼げねえ、何の役にも立たねえ能無しはぁ、生きてる価値なんざねえんだよ! 分かるゥ!? ゴミよ、ゴミ!! 存在価値ゼロの産廃なんだよ、お前は!!』
『ヒッ……許……お願……次は……必ず……!!』
『次ィィ!? 次なんてねーよ、クソが!!』
そして最後に松瓦屋は若者の頭を靴で踏み抜いた。
その衝撃で、若者は頭部をコンクリートの床にしたたかに打ち付ける。
だが、その打ちどころが悪かったのだろうか。若者は意識を完全に失い、口から血の混じった泡を吹き出した。
体は激しく痙攣している。明らかに尋常な様子ではない。
壁に打ち付けた額からは大量の血がとめどなく流れ出て、大きな血溜まりを作っている。しかし松瓦屋はそれを気遣ったり介抱したりする様子も無く、若者の顔に唾を吐き捨て、立ち去っていく。
『クズは大人しく死んでろ、馬鹿が!!』
それを目にした《中立地帯》のゴーストは、松瓦屋のあまりの非道ぶりに憤った。
「ひでえ……これが同じ人間に対する態度かよ!?」
「そりゃ、百歩譲ってこの店主がみかじめ料を払えなかった点は悪いのかもしれないけど、今の《中立地帯》の壊滅的な環境じゃそれも仕方ないだろ! どこもかしこも、真っ当な仕事で金を稼ぐなんてできないほど荒れ果ててるんだからな!!」
「そうだ! それも元をただせば、上松組の内部抗争が発端じゃねーか!!」
さらに《Zアノン》信者たちが、ここぞとばかりに火に油を注ぐ。
「やっぱこいつらも、しょせんは《収管庁》と同じ、暴利を貪る『既得権益』とかいうヤツなんだ!」
「特にこの松瓦屋とかいう奴が属している上松組兄派は、実力も無いのに父親から不当に優遇されてきた連中だって話じゃないか!!」
「自分たちは、さんざん楽して甘い汁を啜ってきたくせに、立場の弱い者には厳しいノルマを課して結果を出せと脅し上げ、挙句に成果を搾り取れるだけ搾り取ろうなんて、どう考えても都合が良すぎるだろ!! ふざけやがって!!」
「やっぱり、既得権益にしがみつく奴には碌なのがいない! 悪の組織に与するものは性根から腐り果てているんだ!! だから光の戦士・《Zアノン》によって滅ぼされるべきなんだ!!」
一度ついた怒りの火はもう止まらない。
次から次へと燃え広がり、憎しみにまみれた火の海地獄と化していく。
《中立地帯》のみなが怒りを爆発させる中、特に熱心な《Zアノン》信者として知られるチーム、《ギガントマキア》の頭、荒良木が拳を突き上げた。
《ギガントマキア》は上松組弟派に属するチームでもあるので、兄派の幹部構成員である松瓦屋は不倶戴天の敵であるも同然だ。
「いや、もう《Zアノン》が動くのを待ってはいられない! 今こそ俺たちの手で《Zアノン》の理想を実現させる時だ!! 俺たちこそが《Zアノン》になるべきなんだ!!」
「《Zアノン》!」
「《Zアノン》!!」
「正義を我が手に!!」
最初、数十人だった集団はみるみる膨れ上がり、あっという間に数百人を超えた。
そしてZの旗を振り、シュプレヒコールの声を上げながら、《新八洲特区》にある松瓦屋の組事務所――上松組系二次団体、東松會事務所へ向かって行進を始める。
その頃には、怒れる群衆は数千人規模に膨れ上がっていた。
その大部分を占めるのは《Zアノン》信者だが、それ以外のストリートのゴーストも多数、混じっている。
群衆の先頭を率いるのは上松組弟派の急先鋒であり、熱烈な《Zアノン》信者でもある《ギガントマキア》だ。
街のありとあらゆる路地を埋め尽くすほどの大集団、しかもほぼ全員が何らかのアニムスを有したゴーストだ。他の《アラハバキ》組織もさすがに警戒し、様子見に徹する。
一方、上松組二次団体・東松會組長、松瓦屋蔵人とその子分や舎弟たちは、事務所のビルの真下に押しかける数百数千の群衆に戸惑いを隠せなかった。
松瓦屋は事務所の中から群衆を見下ろし、怒鳴り散らす。
「な……何だこいつらは!? ここが東松會の事務所と知った上での暴挙か!? 一体、何をしに来やがったんだ!!」
「そ……それが……最近、このような動画が出回っているようでして……」
子分の一人がタブレット型の端末を取り出し、松瓦屋に例の動画を見せた。松瓦屋が個人店経営士からみかじめ料を取り立てようとして、過激な暴行を加えている映像だ。
「な……何だこいつは!? 盗撮か!? 誰がこんな映像を流しやがった!!」
東松會の組員たちはそれに答えられず、困惑を浮かべるばかりだった。松瓦屋はさらに激怒し、映像の中の個人店経営者を指さす。
「そうか、映像の中のこいつだな!? 俺に殴られているこのガキを探し出して、俺の前に連れて来い!!」
「その……既に捜索したんですが、この男、見つからなかったんです。組員の誰も見たことが無いと」
「何言ってやがる! てめえら、本気で探したのか!?」
「そもそも、松瓦屋の兄貴はここ数年、みかじめ料の取り立ては行っていませんよね? そういう細かな仕事は俺ら弟分や子分が仕切らせてもらってるんで」
子分や舎弟たちからそう指摘されると、松瓦屋もようやく冷静さを取り戻した。
「ん……? そういや……言われてみりゃその通りだな。怒りのあまり、つい我を失っちまった。だが、確かによく考えりゃ、俺もこの映像のガキには全く見覚えがねえ。いくら相手が取るに足らねえ木っ端だろうと、シノギのことは忘れたりなぞしないもんだ。しかし……だったら、この映像は何なんだ?」
松瓦屋は改めてじっくりと動画を見返した。会ったこともない堅気の若者に訪れた覚えのない場所、そして言った覚えのない言葉の数々。
もちろん、そんな相手に暴行など振るった覚えもない。
動画の中で非道の限りを尽くしているのは、間違いなく松瓦屋本人なのに。
「兄貴も見覚えが無いとなると、ひょっとしたらこいつは映像そのものがでっち上げ……つまり、フェイク動画ってヤツじゃないですか?」
弟分の一人がそう口にした。東松會の組員は大きく騒めく。
「フェイク……? これが、か!?」
「どう見ても、本物にしか見えねえぞ……!」
「しかしまあ、あり得ない話でもありませんぜ。今日び、全編AI俳優で撮られた映画なんてのも珍しくない時代だ。この街にもそういった技術を持ったゴーストがぶち込まれ、何者かの手引きでこの動画を作り上げたって可能性も無きにしも非ずですよ」
それを耳にした松瓦屋は、眉を跳ね上げる。そして、額にくっきりと血管を浮き上がらせた。
「つまり、あれかぁ!? 何者かが《中立地帯》のガキどもを刺激し、この状況を作り上げるため……この俺を陥れるために、わざとこの動画を合成して流したってことか!? クソどもが、ふざけやがってェェ!!」
その時、事務所の窓に生卵が投げつけられ、ガラスに激突してべしゃ、と割れた。それと同時に割れんばかりのシュプレヒコールの声が浴びせかけられる。
「腐った既得権益を許すなー!」
「許すなー!!」
「闇の勢力には正義の裁きを!!」
「我らは正義の使者、《Zアノン》!!」
「光の戦士、《Zアノン》!!」
「正義を我が手に!!」
そして、生卵や空き缶、石礫などが事務所の窓に向かって次々と雨霰のごとく投げつける。
もともと防弾処理を施されている頑丈な窓ガラスなので、その程度の攻撃で割れることはない。だが、中にはビニール袋に詰められたペンキ、排泄物などまで投げつけられており、明確な悪意を感じさせる。
松瓦屋は舐められるのが大嫌いだ。たとえ相手が取るに足らないストリートのガキであろうとも、面子を潰す者は許さない。
「クソガキどもめ! 何が《Zアノン》だ、気持ち悪ィ!! おい、お前ら! 奴らに東松會の恐ろしさを思い知らせてやるぞ!!」
「おう! 俺に任せてくれ、松瓦屋の兄貴!!」
名乗りを上げたのは松瓦屋の舎弟の一人だった。筋金入りの武闘派で喧嘩っ早く、腕っぷしには自信がある。そして実際、強い。喧嘩や抗争で負けたことが無く、東松會の中でも将来が期待されている組員だった。
しかし、松瓦屋は首を横に振る。
「いや、連中の前には俺が出る!」
「あ、兄貴自ら!?」
「奴らがコケにしてんのはこの俺だ! ここで黙ってりゃ、男が廃るってモンだろうが!!」
啖呵を切る松瓦屋に、子分や弟分も高揚し、大きく沸き上がった。
「さ……さすが松瓦屋の兄貴だ!」
「やっちまって下さい、親父!!」
「そうだ! あんなガキども、ぶちのめして下さいよ!!」
「おう、お前らも気張れよ!!」
松瓦屋はひとり事務所の屋上へ上ると、その下にひしめく《中立地帯》の群衆を睨みつける。そして自ら上着を剥ぎ取ると、半裸になった。
肩から腕、背中に至るまでびっしりと彫られた倶利伽羅紋々が露わになる。
倶利迦羅竜王の入れ墨は精緻で美しく、そして同時に形容しがたい威圧感を放っている。
「《ストリート・ダスト》の分際でよくもまあ、これだけ集まったものだぜ! だが、てめえらの行動は少々無知で浅はかだったな!! この松瓦屋蔵人が、上松組系東松會に押しかけるってことの意味がどういう事か、骨の髄までしっかり叩き込んでやる!!
……覚悟しろ! そして思い知るがいい!! 大抗争時代を生き延びてきたこの松瓦屋蔵人有ずるアニムスが、いかに残忍で強大かをな!!」
そして、松瓦屋の瞳に赤い閃光がほとばしった。
松瓦屋のアニムスは《烏枢沙摩明王》だ。
松瓦屋が両手を広げると、その上空に大きな炎の塊が出現する。それは一瞬にして変形すると、車輪のような形となった。直径は三メートル近くある。炎でできた巨大な法輪だ。
松瓦屋はその炎でできた法輪を眼下の群衆に向かってぶち込んだ。
投げ込まれた法輪は大爆発を起こしたあと、大きな火柱と化す。一瞬の静寂の後、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。何人か爆発に巻き込まれ、焼かれたのだろう。煙と共に、焦げ臭いにおいがあたりに充満する。
さすがに《Zアノン》信者たちも動揺したらしく、Zの旗をその場に放り出して逃げ出したり、後退したりする者も現れた。だが、集まった人々があまりにも密集しているため、すぐには逃げられない。
眼下はパニックに包まれた。
それでも松瓦屋が手加減することはない。
さらに《烏枢沙摩明王》のアニムスを群衆に向かって放つ。
「オラッ! 来いよてめえら!! 全員、皆殺しにしてやるからよ!! 東松會は、売られた喧嘩は必ず買い、倍にして返すのが信条だ!! 骨の一片も残さず破壊し尽くしてやるぜ!!
……おっと、そんな事をしていいのかって? 心配は無用だ! 正当防衛とでも言や、《リスト登録》は免れるからな! いわゆる、お前らの大嫌いな既得権益ってヤツさ! 《収管庁》と繋がりがあると、なにかと優遇措置が受けられんのよ!!
……くひゃひゃひゃ、悔しいか!? 悔しいだろう!!」
高笑いをしながらも、松瓦屋は攻撃し続けた。手当たり次第に炎の法輪を投げ込み、どんどん焼け野原が広がっていく。
最初こそ圧倒されていた群衆も、そのあまりの残虐さに、より一層、反発心や敵対心を募らせていくのだった。
「くそっ、やはり《Zアノン》が言っていたことは本当だった!」
「もはや世界は腐りきっていて、取り返しのつかないところまで来ている!! 血と破壊による革命でなければ、浄化することなどできないんだ!!」
「革命だ!」
「革命だ!!」
「血を流せ! 全てを破壊しろ!! 今こそ真なる革命の刻だ!!」
怒りと闘志は彼らの心をさらに強く結びつけ、団結させた。口々に革命の雄叫びを上げながら、《Zアノン》信者たちは松瓦屋の事務所へ突入する。
そして入口を塞いでいた分厚い鉄板をアニムスで破壊すると、内部へ侵入していった。
驚いたのは東松會の組員たちだ。これまで《ストリート・ダスト》が《アラハバキ》の事務所に乗り込んできたことなど無かった。
まさに前代未聞の事態だ。
「くそ、こいつら突入してきやがったぞ!!」
「おうおう、ナメられたもんだな、ああ!? ここがどこだか知らねえわけじゃねえよなァ!?」
「ガキどもがイキりやがって、死に晒せぇ!!」
不意を突かれたとはいえ、彼らも百戦錬磨の《アラハバキ》構成員だ。東松會組員たちは、侵入者を排除しようと、《Zアノン》信者に向かってアニムスを放つ。《アラハバキ》の組員だけあり、殺傷能力の高い能力だ。
それらは、乗り込んできた《Zアノン》信者たちの体を容赦なく斬り刻んだ。切断された腕や足、首などが血をぶちまけながら宙を舞う。
「ぐはははははは! 馬鹿どもめ、己の身の程を思い知ったか!?」
しかし、《Zアノン》信者は止まらない。
何故なら、そもそも《Zアノン》信者は死を恐れないからだ。




