第12話 エニグマとの再会
幼いころからゴーストとして生きてきた彼らは、ストリート・ダストとも呼ばれ、社会との繋がりが薄い。こういった凶悪事件が起こった際に、真っ先に標的にされる存在なのだ。
「安心しろ、俺が守ってやるからよ!」
銀賀は胸を張るが、静紅は冷ややかに突っ込む。
「あんた一人頑張ったって、たかが知れてるでしょ。馬鹿ね」
「ああん⁉ てめえこのアマ、人が気を使ってだなあ……」
いつもの夫婦漫才のような口喧嘩を始める二人だったが、ただ一人、頭の亞希は厳しい表情を崩さない。
「本当に怖いのは、波多洋一郎じゃないかもしれない」
「え……?」
どういう事だと深雪が眉根を寄せると、亞希はぽつりと答える。
「彼に奇妙なカリスマ性みたいなものがあるのは確かだ。波多洋一郎の再登場に触発されておかしな行動に出るゴーストが増えるんじゃないかって……今はそれが一番心配だよ」
「……」
ストリートで生きる彼らは、嫌な緊張感に包まれた街の影響を真っ先に受ける存在でもある。
街がギスギスとした雰囲気に包まれれば、必然的に衝突が増えるだろう。そして、行き場のないエネルギーは手短でより弱い立場にある存在――子ども(ストリート・ダスト)たちへと向くことになる。凶悪犯に狙われなかったとしても、鬱憤の溜まった大人たちの標的になることは、十分脅威だ。
亞希はそれを恐れているのだろう。
(彼らのためにも、早く事件を解決しなきゃいけない……!)
深雪は唇を噛み締める。
確かに、新たな被害者を出さないことも重要だ。波多洋一郎に惨殺された少女たちの遺体は、あまりにも惨たらしく、直視できないほど酷い状態だった。
しかし、傷つけられるのは彼女たちだけではない。街が不安定になればなるほど、より弱い者へとしわ寄せがいく。模倣犯は言うまでもなく、煽る者、張り合う者、それらも十分厄介だ。それだけ事件への関心度や影響が高いという事もあるだろう。
問題はそれだけではない。この街に住むのは、品行方正なゴーストばかりではない。隙あらば悪行に手を染めようと、虎視眈々と狙っている輩もいる。そういった連中は、どれだけ他人が苦しもうとも、自分さえ旨い汁を啜ることができればそれでいいと考えているのだ。
例えば深雪を襲ってきた、溶けかかった髑髏のエンブレムを持つゴーストギャング――《ディアブロ》のように。
そんな彼らに《死刑執行人》さえ事件を解決できないと思われてしまったら、どんなことになってしまうか。
あっという間に監獄都市は秩序を失って混乱し、阿鼻叫喚の地獄と化してしまうだろう。《死刑執行人》に恨みを持つ者は多い。彼らは《死刑執行人》の信用失墜に喜んで手を貸すだろう。《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》といった、巨大闇組織の動向も今より激しくなるに違いない。
他の街と違い、この街の秩序を維持することは、並大抵のことではないのだ。今も、表面上は平穏に見えるが、実際には複雑なパワーバランスの上で、辛うじて均衡が保たれているに過ぎない。
じりじりとした焦りが深雪の背中を焼く。一人ではどうしようもないと分かってはいるものの、亞希や静紅、銀賀たちと接していると、《死刑執行人》の責任の重大さを感じずにはいられない。ただでさえ、許し難いほどの陰惨な事件だ。今ものうのうと犯人が逃げ回っていると考えると、危機感と同時に激しい怒りが湧いてくる。
(……急がなきゃ)
一人で意気込んだところで、何ができるわけでもない。
分かってはいたが、それでもこの街の為に何かがしたかった。
深雪は気を引き締め、事務所への帰路へと就いたのだった。
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再び東雲探偵事務所の二階にあるミーティングルームへと招集されたのは、外出から戻って小一時間ほど後のことだった。
流星及び、奈落、オリヴィエ、シロとマリア。深雪を含め、六人が揃っていた。唯一、神狼の姿が見えないが、珍しいことではない。潜入捜査を主体とした情報収集を担っている彼は、任務の性質上単独行動が多く、ミーティングルームに姿を見せないことも多い。
深雪は卓上の液晶ディスプレイにまとめられた資料――何度も読み込んだそれに再び目を通しながら、呟いた。
「……やっぱさ、警察が調べた以上の事ってなかなか出てこないもんだな」
流星たちはともかく、深雪は新入りで完全にずぶの素人だ。二時間ドラマなどでは、タクシードライバーや家政婦がちゃっちゃと事件を解決したりして爽快だが、実際にはなかなかそうはいかない。
「私たちの方も、過去二十件の殺人事件の被害者の身辺をもう一度調べているのですが、これと言って目新しい情報はありません」
オリヴィエが表情を曇らせると、流星も顎に手を当て、顔を顰めている。
「まあ、三年経ってるってのもキツイよな。事件現場がどちらも人けの無い廃ビルだったってこともあって、目撃情報も今のところ入っていない。マリア、そっちの状況はどうなんだ」
「ぱっとしないわね……そもそも波多洋一郎は《アラハバキ》の中でも、それほどランクの高いゴーストじゃなかった。ここからのハッキングじゃ、得られる情報にも限りがあるわ」
マリアに至っては、新しい情報が出てこず、硬直状態に陥っていることが不満で仕方ないようだった。いつも人を食ったような調子でしゃべる彼女が、今日は少し苛々としている。
「頼みの綱は神狼って事か……」
しかし、現状を考えると、神狼の収穫に多大な期待を寄せるわけにもいかないだろう。流星が呻くと、それまでまるで関心が無いかのように無言を貫いていた奈落が、突然言葉を発した。
「おかしな点はある」
「何ですか?」
やはり奈落が口を開いたのが意外だったのか、オリヴィエも少し驚いたような顔をしていた。奈落はそれに構わず、卓上のタッチパネルを操作して、被害者の女性たちの顔写真を順に並べていく。
「殺された女たちの特徴だ。三年前の二十件の殺しの被害者は、黒目で黒髪のストレート、アーモンド形の目、……どれも姿形が似通っている」
「そうね。化粧も薄いし、美人よね。全体的に。いわゆる大和撫子ってヤツ?」
マリアは相槌を打つ。それに対し、奈落は最近起こった二件の被害者を取り出した。
「それに比べて山下ヒロコはうっすらと茶髪で化粧が濃いめ、一方の永野エリは童顔過ぎる」
「ああ、それ俺も気になってた。犯人の好みが変わったのか……?」
流星は奈落の指摘に同意して頷いた。
言われてみれば、山下ヒロコと永野エリは二十年前の被害者たちと比べると、少し毛色が違う。あくまでも年齢や全体的な雰囲気は同じで、ほんの僅かな差でしかないのだが。
例えば、似たような年齢、似たような雰囲気の少女たちが集まったアイドルグループのメンバーでも、必ず個性的な子はいるものだ。顔立ちが目立ったり、髪を染めていたり。
そんな感覚に似ているだろうか。
ところが、マリアはそれに冷ややかなリアクションを見せたのであった。
「あっきれた! 男って、そういうトコ見てるんだ」
「一緒にしないでください、マリア。まったく、嘆かわしいですね」
オリヴィエも引き気味にそう言った。
「おいおい……二人して、汚いものでも見るかのよーな目はやめろって」
そういう扱いをされてしまったら、流星は苦笑するしかない。
「でも確かに、プロファイリングの世界なんかじゃ、犯人の趣向は重要視されるけどね」
マリアはまじめな表情に戻ってそう言った。奈落は隻眼を眇める。
「もしこれが快楽殺人なら、被害者の容姿は犯人にとって最重要事項の筈だ」
「自分が犯人だって気づかれたくなくて、わざとそういう選択をしたんじゃないの?」
深雪は自分の意見を口にした。犯人は、故意に今までとは違うタイプの女性を狙ったのではないか――そう思ったのだ。
ところがウサギのマスコットは腕組みをし、難しい表情をして答える。
「でも、それにしては雑っていうか……そこまで緻密なこと、考えてる感じじゃないのよね~」
「ただ……ゴースト犯罪においては、従来の犯罪心理学が必ずしも有効であるとは限らないということは、世界的にも実証されていることです」
オリヴィエの言うことも、また確かだった。
ゴーストは人間とは違う。最も大きな相違点は、アニムスがあることだ。時に凶器にもなり得るそれは、ゴーストの個体によって大きく違う。その為か、ゴースト犯罪者の行動は普通の人間の犯罪者より読みにくいと言われている。
その結果、とりわけゴースト犯罪においては、それまでの従来型の犯罪心理学が通用しないケースが頻発していた。警察などの機関がゴースト犯罪の捜査を苦手としている理由も、そこに一因がある。これまで積み上げてきた経験が、通用しない場面が多々あるからだ。
しかし、今回の事件ばかりは誰が担当しようとも、容易な解決は見込めそうになかった。
ミーティングルームに煮詰まった空気が流れる。
すると、それを打破するかのように、部屋に灰色のパーカーにジーンズの、見知らぬ若者が入ってきた。
「波多洋一郎は三年間から行方不明だ」
これと言って特徴のないのっぺりとした顔立ちに、ネイビー色の地味なキャップ。目にした三秒後には、出会ったことさえ忘れそうな、見事なまでに存在感の薄い若者だった。その若者が、ここにいることが当然とばかりにずかずかと部屋に押し入ってくるのだ。
「だ……誰?」
ぎょっとして思わず疑問を口にすると、シロは頭上の三角耳をぴょんと跳ねさせ、嬉しそうに言った。
「あ、神狼だ!」
「へっ……神狼⁉」
驚く深雪の前で、灰色のパーカーを着た若者の姿が急に、受信不良のテレビ映像の様に激しくぶれる。
そして次の瞬間、若者は黒いチャイナ服をまとった少年――神狼の姿になっていた。
「知ってると思うけど、神狼のアニムスは《ペルソナ》。他人の容姿をコピーすることが出来る能力なの。声や仕草、癖までコピーしちゃうから、ちょっとやそっとでは見破られることはないわ。潜入捜査にはピッタリでしょ?」
ぱちんとウインクするマリア。神狼のアニムスが姿形を変えるものだということは深雪も知っていたが、ここまで完全に模倣することができるとは。何度目にしても、驚かされる。そしてその完全なる変装を見破ったシロの勘も、相当なものだ。
感心しきって神狼を見つめると、神狼の方も深雪をじっと見つめていることに気づいた。
「………」
「な……何だよ?」
しかし、神狼は何も言わず、すっと深雪から視線を外す。
(な……何なんだ……⁉)
今までにも同様の視線を、神狼から感じることが何度かあった。それは特に、あの温室での出来事があってから増えたように感じる。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに、と思うが、だからと言ってこちらから根掘り葉掘り尋ねても、暗器が雨あられと襲ってくるだけなのは分かりきっている。そこで深雪は敢えて何も聞かず、そのままにしていた。
(こっちからわざわざ、地雷を踏みいくのも馬鹿らしいしな)
当の神狼は深雪の方など一顧だにせず、会議用デスクへと近寄っていく。流星は、待ってましたとばかりに、神狼に質問を浴びせた。
「……それで? 三年前から行方不明って、どういうことなんだ」
「波多は二十件の猟奇殺人を起こした後、《アラハバキ》の幹部から制裁、受けた。表向きの理由は、仕事をしくじったから。波多は《アラハバキ》に飼われている殺し屋だった。でも、猟奇殺人の影響、ある。犯行が組織の為でなく、完全に波多の個人的嗜好によるものだったから。それが、理由」
「なるほど……まあ、あそこは妙に潔癖なところあるからな。良くも、悪くも。組織内の秩序の維持の為に、切り捨てられたってところか」
流星のその言葉で、深雪も大方の察しがついた。《アラハバキ》がどれだけ危険な組織であるか。新参者の深雪にはまだ理解できていない部分もある。だがさすがの彼らも、己の快楽の為だけに猟奇殺人を繰り返す波多洋一郎を持て余したのだろう。
波多洋一郎が調子に乗って、派手な行動を取れば取るほど、《死刑執行人》に睨まれ、確執が深くなることとなる。《アラハバキ》にとって、波多洋一郎は厄介者でしかなかった筈だ。
「その時、波多洋一郎は《アラハバキ》から除籍処分、受ける寸前だった。辛うじてそれは免れる。でも、それ以来《新八州特区》から姿、消した。奴を知るゴースト、居辛くなったのだろうと、言っていタ」
神狼の説明を聞き、今度はオリヴィエが口を開く。
「――という事は……波多洋一郎は現在《新八州特区》ではなく、《中立地帯》にいるという事ですか」
「それが妥当だな。華僑だらけの《東京中華街》に行ったとは考えにくいしな」
《アラハバキ》を追い出された波多洋一郎が向かう先は、《中立地帯》以外にあり得ない。どうやら、そういう事のようだった。ところがそんな流星の返事を受け、、ウサギのマスコットは短い手足をバタバタさせ、暴れ始めた。
「じゃあ、今まであたしがやってた作業って、思いっきり無駄骨じゃん‼」
「そう怒んなって。《中立地帯》なら、情報もずっと集めやすいだろ。良かったじゃねーか」
流星はそう言って宥めるが、マリアは到底納得できないといった様子で、地団太を踏んでいる。
「良くないっっ! 行方不明者の捜索なんて、電脳空間でできるか‼ っていうか、人海戦術やるにしても、《中立地帯》の面積と人口考えたらどえらい事よ⁉」
「確かに……逆に厄介な事になってしまったかもしれませんね」
オリヴィエも困惑した表情だ。
曲がりなりにも一つの秩序だった巨大組織である《アラハバキ》と違い、《中立地帯》には星の数ほどのゴーストギャングが犇めいている。ここ新宿だけでも、大小合わせて百近くのチームが存在するといわれているほどだ。
その中から波多洋一郎を探し出そうとするなら、いかに時間と手間がかかるか。想像するだけでうんざりしそうだった。
深雪は再び強い焦りが沸き上がるのを感じていた。
(こうしている間にも、誰かが犯人の餌食になっているかもしれないんだ)
事件が起こってから何日も経つのに、波多洋一郎の尻尾すら掴めていない。明らかに捜査は行き詰まり、暗礁に乗り上げていた。本当にこの調子で進めていていいのだろうか。深雪は懸念を感じずにはいられない。もっと違う角度から、切り込んでいった方がいいのではないか。
しかし、だからと言って何か有効な手立てがあるわけでは無い。それが、余計に居ても立ってもいられない心地にさせられる。
「いい方向へ考えようぜ。とにもかくにも今回の件、《アラハバキ》が噛んでる可能性は、ほぼなくなったと見て良い。後は波多洋一郎を探し出すだけ……切り替えていくぞ」
流星はそう言ったが、深雪はとてもそんな心境にはなれないのだった。
それからさらに二日ほど経った。
波多洋一郎の行方を探し求め、東雲探偵事務所の面々はあちこち捜索の手を広げていた。しかし、波多洋一郎の情報はなかなか手に入らない。神狼によると、波多を知るゴーストも、彼が《アラハバキ》を出てどうしているかまでは知らないようだという事だった。
ゴーストには住民票や戸籍など、身元を保証するものが全くと言っていいほど無い。それらはゴーストになった瞬間、全て剥奪されるからだ。
(本当にこんな状態で、波多洋一郎を捕まえられるのか……?)
情報が得られないまま、日にちだけが過ぎる。焦っても仕方のない事と分かってはいても、じりじりと焼けるような焦燥感を拭うことはできない。唯一の救いは、猟奇殺人の新たな被害者が出ていない事だ。しかし犯人が捕まらないせいか、街中は緊張した状態が続き、いつもに増して喧嘩や事故などが増えているという。《ニーズヘッグ》の頭、亞希が恐れていた通りの事態が起きつつあった。
その日も一日中歩き回り、日が落ちる頃にはへとへとになっていた。深雪は街中で奈落と別れると、自室のある事務所へと向かう。
そして寂れた路地裏を歩いていた時だった。塀の上から不意に猫の鳴き声が聞こえてきた。
「にゃぁお」
「猫……?」
それは見覚えのある黒猫だった。以前、深雪に接触してきた情報屋・エニグマが連れていた子猫だ。赤い首輪と鈴をつけた黒猫は、ててて、と軽快に走ると、塀を飛び降り、暗がりに消えていく。
すると、丁度それと入れ替わるようにして、その暗がりの中から黒づくめの男が姿を現した。
間違いない、情報屋のエニグマだ。
情報屋を自称する男は、濃いサングラスが顔の大半を覆い、相変わらず怪しい事この上ない。おまけにニヤニヤと口元に慇懃な笑みを浮かべ、芝居がかった大仰な動作で無遠慮に深雪に近づいてくる。先ほどの黒猫はその男の肩にちょこんと居座っていた。
深雪は、さっと警戒感を浮かべる。
「あんたは……!」
「いやあ、奇遇ですねえ、雨宮さん。こんなところでお会いするなんて」
そう言うと、エニグマはわざとらしくおどけて見せた。そうまでされると、もはや馬鹿にされているようにしか思えない。深雪は冷ややかな態度で、エニグマを睨む。
「ここで張ってたんじゃないの。……何の用?」
「そう邪険にされると、悲しくなっちゃうじゃありませんか。私の事はお嫌いで?」
「知らないところで、勝手に情報を売ったりするんだろ」




