第20話 抗争激化
若者はもちろん、幼い子どもや中年層、お年寄りなど、被害者の年齢層は幅広い。
切り傷や捻挫、骨折、打撲といった軽度の負傷だけでなく、中には手足が欠損していたり、ひどい火傷を負っている者もいる。
また、見かけは大したことが無いように見えても、内臓などに深刻な損傷を負っている者もいるだろう。
「一刻も早く手当てをしなければ!」
「シロも手伝う!」
オリヴィエとシロの二人はさっそく負傷者の救出や手当てを始めた。ただ、ここにいる《死刑執行人》が総出で救助に当たっても、とても人手が足リるとは思えない。それほど被害者の数が多い。
さすがの馬渕も、険しい顔をしている。
「俺たちが到着した時には、既にこの有り様だった。天沢と犬飼の二人が、アニムスをぶっ放していたゴーストたちを蹴散らしたが、多くが負傷しておりこの場に残った」
言われてみると、瓦礫の山の向こうから大勢の悲鳴や怒声が聞こえてくる。天沢伊吹や犬飼虹子が今もなお《ストリート・ダスト》を追っ払っているのだろう。
時おり、火の手も上がる。犬飼虹子のアニムス、《火炎放射》だ。
馬渕は説明を続ける。
「今、確認できているところで死者は五人。この様子だと、これからもっと増えるだろうな。うちの会社の方で医療態勢を確保できないか、《監獄都市》の医療関係者と調整を行っているが、どうも難航しているようだ。ほとんどが負傷者の受け入れを拒んでいるらしい」
「どうして……俺たちがゴーストだからですか? それとも……もしかして、上松組を恐れているからですか?」
「まあ、後者が原因だろうな。ゴーストじゃなくても、この街の権力構造はみな大方、理解している。最近、頻発している抗争が、上松組の跡目争いによるものであることもな。触らぬ神に祟りなしってことなんだろう」
受け入れた患者の中にもし上松組の兄派、もしくは弟派ゴーストが含まれていたら。対立する勢力から、「何故、助けた」と難癖をつけられるかもしれない。下手をすれば、診療所ごと潰される可能性もある。
しかも、そういった『組関係者』と一般人を見分けるのは難しい。だから余計に受け入れを躊躇してしまうのだろう。
まさに、君子危うきに近寄らずだ。
そう考える気持ちも分からなくはない。ただ、負傷者の大半はあくまで一般人なのに。
いろいろと納得のいかないことはあるが、今は愚痴をこぼしている場合ではない。深雪は腕輪型端末を操作し、マリアに連絡を取る。
「マリア、麗先生に連絡を取れないかな? 石蕗診療所なら、もしかしたら受け入れてくれるかもしれない」
「オッケー、分かったわ。他にもいくつか伝手のある診療所に当たってみるから、そっちは任せて」
あちこちから負傷した人々の嗚咽や呻き声、泣き叫ぶ声が聞こえてくる。年齢層や格好からして、ただ巻き込まれただけの通りすがりの人々も多いようだ。
深雪と馬渕も手分けして怪我人の手当てや誘導、搬送などに取り掛かった。石蕗麗に教えてもらったので、応急処置の基本は身につけている。
もっとも、そんな処置では足りない者の方が圧倒的多数だが。
(オリヴィエの言う通り、本当に酷いな。むしろ死者が五人で済んだのが不思議なくらいだ。
以前はこのレベルの大規模抗争は月に一回あるかないかくらいだったのに……どんどんエスカレートしている。
この調子だと、本当に《死刑執行人》や《リスト執行》の存在が有名無実化してしまうかも……いや、既にそうなりかけているのかもしれない……!)
分かっていても、打つ手がないのがもどかしい。
一刻も早く合同事業をまとめたいところだが、東雲探偵事務所の悪評は広まるばかりで、誰も深雪たちの言葉に耳を傾けない。
また、巡回や抗争の鎮圧など忙しくなるばかりで、ゆっくりと話し合う時間さえ設けられないのが実情だった。
今はただ、街が崩壊に向かってひた走るところを見つめているしかない。
(どうしてなんだ……! 犠牲になるのはいつだって弱い者たち、それだって放っておけばいずれ必ず『強者』にも及ぶ。この狭い街では、誰か一人だけが助かるなんてあり得ない。みな等しく共倒れになるだけだ。それは火を見るより明らかなのに……!)
倒れ込んでいる人々に声をかけていくが、想像以上に返事がない。もう息をしていない者もいるが、呼吸があっても目を覚まさない者も多い。
そのレベルになると、深雪にできる応急処置など、何の役にも立たなかった。
できるここといえば、怪我の程度が比較的軽い人々と協力して、重傷者を炎の勢いが及ばない場所まで運ぶくらいだ。
やがて、マリアが救助を要請した医療従事者が駆けつける。
中には石蕗麗の姿もあった。
さらにマリアは《収管庁》にも支援要請を出したらしく、救急車や消防車もやって来る。
深雪たちは彼らの指示に従って、重傷者を担架で運んだり、軽症者を誘導したりする作業を手伝った。
あらかたの救助が終わる頃には、日が傾きかけていた。
深雪と馬渕は再び集合する。
「……これで生きている者は、だいたい助け出せたな」
「そうですね」
とはいえ、周囲は完全に焼け野原と化していた。
抗争によって上がった火の手はさらに燃え広がり、近くにある《瓦礫地帯》まで巻き込んで火の海と化している。そのせいで、あたり一帯には、息をするのも苦しくなるほどの煙が立ち込めていた。
消防隊員が消火活動を続けているが、鎮火するにはまだ時間がかかるだろう。
しかも焼け焦げた瓦礫のあちこちに《Zアノン》の旗やプラカード、垂れ幕などの残骸が混じっている。
この騒ぎを起こしたのが誰なのかは明白だ。
深雪はそれを苦々しく思いながら馬渕に尋ねた。
「……抗争を主導したのは《Zアノン》信者ですか」
「ああ。確かにここ最近の急激な抗争の件数増加は、上松組の跡目争いに端を発していた。だが今や、抗争の主役は完全に《Zアノン》信者だ。
連中はこの街で起こる抗争のほとんどに関与しており、人死にが出るほどの衝突を、自らの主義主張を披露するパフォーマンス会場にしてしまっている」
「こちらでも《Zアノン》信者の特定を進めてはいるのですが、熱狂的に《Zアノン》を支持しているコアメンバーの他に、何となくの空気やノリで参加している集団もかなりいて、全体の把握は難航しています」
たとえば、《Zアノン》信者として最近頭角を現しているのは《ギガントマキア》だが、その《ギガントマキア》に同調し《監獄都市》の体制に怒りを抱いている者もいれば、そういった他者の動きとは関係なくただひたすら《Zアノン》の存在を信じている者もおり、また、ただ単純に騒ぎを楽しんでいて暴れたい者もいる。
一口に《Zアノン》信者と言ってもそれぞれ温度差がある。
外からその温度差を見分け、有象無象の中から《Zアノン》信者のコアメンバーを炙り出すのは難しい。
それに《ギガントマキア》を排除しても、それに代わる新たな《ギガントマキア》が誕生する可能性は否定できない。
「……なお悪いことに、《Zアノン》信者の殆どが元をただせば上松組弟派に与した《ストリート・ダスト》であるため、奴らを抗争から完全に切り離すことが難しい」
馬渕の指摘に、深雪も頷く。
「上松組の跡目争いに決着がつかない限り、《Zアノン》信者は何かと理由をつけて暴れ続けるということですね」
そこへマリアが会話に割って入った。
「聞くところによると、抗争が一切収まる気配がないことに、《収管庁》も業を煮やしているみたいね。『《死刑執行人》に対し、もっと積極的に《リスト執行》をさせるべき、そのためにも《リスト登録》の件数を増やすべき』なんて声も上がり始めているそうよ」
その話は初耳だった。深雪は眉根を寄せる。
「それは……どうなのかな。この抗争は激化する一方だ。ただでさえ誰も事態をコントロールできていないのに、《死刑執行人》に責任を丸投げしたくらいで収拾するとは思えない。そもそも《収管庁》はこれまで一貫して《リスト執行》には消極的だったのに……」
「ま、あいつらもさすがに、自分たちの考え方を変えざるを得ない状況だと判断してるってことでしょ。やる気が無いよりあった方がいいのは確実だけど、あんま口出しはして欲しくないってのが正直なとこよねー。あいつら現場を知らないから」
もちろん、全員がそうではない。《収管庁》の都市整備局交通政策・物流課、調整担当で、《紅龍街》の開拓に尽力してくれた本間のように、《監獄都市》の人々やゴーストに寄り添ってくれる職員もいる。
しかし残念なことに、今のところは少数派だ。
深雪は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「《収管庁》の人たちの考えも分かる。でも今、《リスト執行》を増やすのは絶対に逆効果だ。
《中立地帯》のゴーストは立場の違いに関係なく、みな等しく感情的になっている。おまけに毎日のように発生する抗争に煽られ、同時に《Zアノン》信者によって《収管庁》や《死刑執行人》への不信や苛立ちを植え付けられていて、余計に火が付きやすくなっている。そんな中で《リスト執行》が増えれば、彼らの燃え上がった憤怒を逆撫でするようなものだ。
みなの怒りが一度に爆発したら、いかに《死刑執行人》といえど抑えきれない。《監獄都市》最大の抑止力である《リスト執行》がその効力を失えば、この混乱は完全に収拾がつかなくなってしまう……!」
「しかしな、他に何か妙案があるってわけでも……」
言葉を濁す馬渕に、深雪は語気を強めた。
「やはり、これからは《死刑執行人》事務所どうしの連携が必要不可欠です。これまでは各々が独立して業務を行い、成果を競っていればそれで良かった。でも、いつまでも別個に活動していたのでは、これからますます増加し大規模化していくであろう抗争に対応できません。今までのやり方を変え、みなで協力し合わなければ……」
ところが、突如として軽薄な口調がそれを遮る。
「いやいやいや、それ、マジで言っちゃってる? 無理でしょ、ムリムリ。今の《中立地帯》で東雲探偵事務所が何て言われてるか、知らないわけじゃないッスよね、雨宮くん?」
振り向くと、そこには馬渕の部下、天沢が立っていた。犬飼も一緒だ。どうやら、ストリートのゴーストはすっかり追い払ってしまったらしい。
「……天沢」
馬渕は窘めるようにその名を呼ぶ。しかし天沢は懲りた様子もなく、皮肉交じりの笑みを浮かべつつ両手を上げた。
「だってそうじゃないッスか。東雲探偵事務所に関する噂がどれだけひどいか、馬渕さんも知ってるでしょ。
……《収管庁》と癒着し《監獄都市》を蝕む腐った巨悪の権化だとか、既得権益に胡坐をかき市井の人々の痛みを分かち合おうともしない、血も涙もない外道だとか。さらには、自らの利益のために《リスト執行》という名の粛清を独断で行い、罪もない人々を虐げ殺戮してきた恐ろしい独裁者……なーんて罵倒されることもあるみたいですよ。
ま、一時期は《中立地帯の死神》の新しい後継者に対し、期待する声もありましたけどね。今やそれも完全に過去の話ってヤツで。最近の東雲探偵事務所に関して良い話を聞くことはまずないっスね。
そんな悪評にまみれている事務所と敢えて手を組みたいかっつったら、それはまー難しいって話にもなりますよ。ねー、虹子ちゃん?」
「あ? そんなもん知らねー。オレは馬渕さんがやれと言ったらやる、それだけだ」
犬飼が即答すると、天沢は肩を揺らして笑う。
「うひゃひゃ、さっすが狂犬・虹子ちゃん! けどまあ、普通の人はそんなシンプルにはできてないんだよねー」
「んっだあ、天沢ァ!? そりゃどういう意味だ、ゴルアァァッ!?」
気の短い犬飼は、天沢に向かって人差し指を突き付けると、その先端から《火炎放射》のアニムスをぶっ放す。
一方、天沢は涼しい顔をして《エスクード》のアニムスを張り、それを防いだ。《エスクード》は他のアニムスを防御する能力だ。
攻撃の犬飼と防御の天沢。
アニムスの相性は良いが、性格の方は完全に水と油だ。
「やめろ、二人とも!」
馬渕は二人を一喝してから、深雪の方へ視線を戻す。
「すまんな。気を悪くしないでくれ、雨宮。ただ……天沢の言い方は不適切だったかもしれないが、言っている内容は概ね事実だ。《死刑執行人》に限らずみな東雲探偵事務所に不信と反感を抱いている。余程のことがなければそれを覆すことはできないだろう。既に知っているだろうが、特に氷河武装警備事務所は難しい。所長である氷河凍雲の東雲嫌いは界隈でも有名だからな」
「……」
深雪は何も反論することができなかった。
馬渕たちは、《死刑執行人》の中ではまだ深雪たちに好意的な方だ。その馬渕でさえ、今のままでの連携は難しいと見ている。
それは深雪自身がさんざん痛感してきたこととも合致していた。
そこへオリヴィエとシロがやって来る。二人とも、さすがに疲れの色が隠せないようだった。煙の煤と怪我人の血で、全身どろどろだ。
もっとも、それは深雪や馬渕らも同じだが。
「深雪、葬儀会社への手配が住みましたよ」
「みんなで何のお話をしているの?」
「……いや、何でも無いよ」
オリヴィエとシロの問いに、深雪は曖昧に笑ってそう答えた。
二人とも、いつも《死刑執行人》として頑張ってくれている。シロはもちろん、オリヴィエも教会の仕事の合間を縫って、最大限、働いてくれている。そんな二人に東雲探偵事務所のネガティブな情報を知らせたくなかった。
一方の馬渕は退却の頃合いと見たらしい。
「それじゃ、この辺で俺たちは引き上げさせてもらう」
「あ、はい。お疲れさまです」
深雪が答えると、天沢もピースサインを額に当てながらウインクする。
「それじゃあねー、雨宮くん」
「おい待て! 逃げんじゃねえ、天沢ァァァァッ!!」
先頭を歩く馬渕とそれに続く天沢、そして天沢を追いかける犬飼。あさぎり警備会社の《死刑執行人》三人組は騒々しく去っていく。
深雪はそれを見送りつつも、現状に強い危機感を抱いていた。
(何だろう……すごく嫌な感じだな。何者かによって四方八方を全て塞がれている……そんな感じがする。今こそ《中立地帯》のみなで団結しなければならない時なのに……! こんな状態で、本当に五大《死刑執行人》事務所の合同事業を実現させることができるのか……!?)
後ろを振り返ると、三十人近くの遺体が横たわっている。手当たり次第に布をかき集め、上から被せたものの、その悲惨さが緩和されることはない。
それを目の当たりにしているせいか、深雪は強い焦燥感に駆られるのだった。
思うように事が進まない苛立ちや、先行きが見えないことに対する不安も湧き上がってきて、息苦しささえ覚える。
まるで何者かの見えざる手によって雁字搦めにされているかのようだ。
すると、オリヴィエとシロが、それを見透かしたような言葉をかけてくる。
「焦ってはなりませんよ、深雪。逆風が吹いている時こそ、辛抱強く一つ一つの課題を克服していくべきです」
「そうだよ。シロたちも一緒だよ!」
「……もしかして、さっきの話、聞こえてた?」
「全て聞いていたわけではありませんが、深雪の表情を見れば、およその内容は想像がつきます」
オリヴィエは微笑んだ。
自身の疲労も濃いだろうに、彼は深雪の様子をよく見ている。その冷静な観察眼には、救助の際にも大いに助けられた。一見、平気そうにしている負傷者に深刻な怪我が潜んでいることを、見抜いてくれたからだ。
もちろん医療関係者の判断が一番だが、彼らだけでは処置しきれないほど被害者の数が多かった。
シロも獣耳をひょこひょこさせながら励ましてくれる。
「ユキ、毎日すっごく頑張ってるし、事務所のみんなも頑張ってる。もし東雲探偵事務所のみんながいなかったら、ストリートの子たちはもっともっと酷い目にあってたと思う。分かってる子は分かってるよ。だからきっと、怒ってる他の子たちもいつか冷静さを取り戻して、ユキのことを認めてくれるよ!」
「……ああ、そうだよな。ありがとう、二人とも」
ネガティブな感情に流されやすいのは深雪の悪い癖だ。深雪は自らに喝を入れるかのごとく、両手で自分の頬を叩く。
(オリヴィエやシロの言う通りだ。逆風を跳ねのけるためにも、今は腐らず少しでも前進しないと……。確かに氷河武装警備事務所の理解を得るのは難しいかもしれない。でもそれなら、せめて他の事務所……PSC.ヴァルキリーや東京アイアンガード・セキュリティーオフィスは味方につけたい)
奇しくも街がさらに不穏さを増すことで、そのチャンスが訪れる。




