第18話 氷河武装警備事務所①
実際、激しい抗争によって死者が出る例も増えている。それも、ほとんど《Zアノン》信者の暴走によるものだ。
それを考えると、今回は本当に、運が良かっただけかもしれない。
一方、《ジ・アビス》も攻撃意志を失ったらしく、無数の個体に分散すると、群れを成して一方向へ移動していった。
その先には宿主である奈落が立っている。
《ジ・アビス》の群れは、いつもは眼帯で覆われている彼の右目へと戻って行った。
深雪はシロと共に奈落に駆け寄る。
「奈落、無事だったんだ」
しかしながら、奈落は少々、機嫌が悪そうだった。愛用の煙草を取り出し、それを咥えライターで火をつけると、低い声で問う。
「……何故この場に出てきた?」
「それは……」
「言っただろう、人にはそれぞれ負うべき役割がある。お前が本当に東雲探偵事務所の所長になるつもりなら、前線にしゃしゃり出てくる癖は治した方がいい」
深雪は真っ直ぐに奈落を見つめ返す。
「奈落の言うことは分かるよ。でも俺は、きちんと現場を見ておきたいんだ。今この街で何が起きているのか、自ら動いてしっかりとこの目に焼き付けておきたい。多分、俺の『強み』はそこにしかないと思うから」
深雪には六道のように現実主義に徹し、冷徹な判断を下すほどの精神力も無ければ、京極のような溢れんばかりの才気やカリスマ性といった魅力も無い。
もし二人より優れている点があるとすれば、ストリートのゴーストを始めとした市井の人々の気持ちが分かるということだけだ。
だからそこから離れてしまったら、武器が何ひとつ無くなってしまう。
「それに今、東雲探偵事務所は人々の信頼を失っている。
まあ、これまでも、必ずしも信頼されていたわけじゃないし、恐れられていただけと言えなくもないけど……少なくとも以前はこの街の秩序を守っている存在だという認識がみなの中にあった。でも今はそれすらも失われ始めている。
そんな時だからこそ、逆に積極的にみんなの前に姿を現すべきなんじゃないかって思うんだ。
どんな時でも彼らのそばにいて、実際に脅威や問題を取り除き、行動で示すことで失った信頼を取り戻さなきゃ。それは《中立地帯の死神》の後継者である俺にしかできない事だと思うんだ」
東雲探偵事務所が厳しい状況に立たされているのは確かだ。《死刑執行人》は悪だ、汚いし醜い。そういったイメージがあまりにも拡散されすぎている。
だが、東雲六道ではそのイメージを払拭することはできないだろう。何故なら、彼こそが《死刑執行人》という存在を生み出した張本人だからだ。
であるなら――六道が動けないなら、なおのこと次期・《中立地帯の死神》である深雪が動かなければ。
すると、奈落は呆れ交じりに煙草の煙を吐き出した。
「……。お前は将には向かねえな」
「そうかな」
「そもそも《死神》を名乗るには、何もかもが甘すぎる。冷酷に徹しきれない生半可な刃はいつか必ず己に戻ってくるぞ。……そして容赦なく命を奪う。これまでそういう例を幾度も目にして来た」
「ははは、自覚はあるよ。でも心配はしていない。俺は一人じゃないから」
深雪が笑うと、シロも両手でガッツポーズをする。
「うん! ユキのことはシロたちが守るよ! ねえ、奈落?」
「フン……」
奈落は深雪を心配してくれているのだろう。だからこうして、あれこれと忠告してくれているのだ。
それは本当に有り難いと思う。けれど深雪は、守られてばかりのリーダーになりたくはない。全てを自らの手で行うのは当然無理だということは分かっているが、動くべき時は自ら動ける、そんな人間でありたい。
「ま、深雪っちの単独プレー&暴走癖はいつものことだしねー。報連相ができるようになっただけでだいぶマシ……っつーかその成長ぶりに涙まで出てくるってもんよ」
不意にウサギのマスコットが浮かび上がってそう言った。マリアは深雪たちのやり取りを聞いていたのだろう。
「マリアは大袈裟だなあ」
呑気に笑う深雪に対し、マリアはまなじりを吊り上げる。
「どこがよ!? そんくらい以前の深雪っちがヤバかったってことでしょーが!」
一方、奈落は足元に転がっている旗をタクティカルブーツのつま先で蹴り上げた。その旗は大きく引き裂かれていたが、元はZの文字が描かれていたことが窺える。
「おい、それより、さっきの集団の中にも例の《Zアノン》信奉者とかいう連中がかなりの数、紛れ込んでいたようだぞ」
「うん。シロの見たことがある子たち、いっぱいいたよ」
シロに続いて深雪も頷いた。
「特に目立っていたのは《ギガントマキア》のメンバーだな」
《Zアノン》信者の多くは元・《ストリート・ダスト》だ。
とはいえ、ストリートのゴーストの全員が《Zアノン》を支持しているわけではない。既存のチームの中には《Zアノン》を信ずるか否かで意見が割れ、そのままチームごと分裂してしまった例もあるようだ。
そんな中、チーム全体が熱心に《Zアノン》を信じている《ギガントマキア》は異例の存在だった。
彼らは上松組弟派だが、それ以上に《Zアノン》を強く信仰している。それもあってか、やたら結束が固く、上松組兄派のゴーストを蹴散らし頭角を現している。
すると今度は、エニグマが深雪の影から浮かび上がって実体化した。
「私が情報収集したところ、《ギガントマキア》は《スケアクロウ》から直接、情報を買っているようです。両者が取引を始めたのが、ちょうど三ヶ月ほど前……《東京中華街》で動乱が起こる前ですね。つまり《スケアクロウ》は、少なくともその頃には、この《監獄都市》で活動を始めていたことになります」
「そうなのか……っていうかエニグマ、みんなの前に出てきて大丈夫なのか?」
「ええ、私が東雲探偵事務所専属の情報屋だったということは既に《監獄都市》中に広まっていますので、今さら隠しても無意味かと」
それを聞き、シロは小首を傾げた。
「ええと……つまり、エニグマのおじさんも、これからは公式にシロたちの仲間ってこと?」
「そうですよ~。エニグマお兄さんも東雲探偵事務所の一員です。ですから、無闇に『食用』にしたりしないで下さいね」
エニグマは奈落にくぎを刺すかのようにそう告げる。奈落は《ジ・アビス》で数々のゴーストを喰らってきた。しかし自分は敵ではないのだから、《ジ・アビス》の餌にしないでくれ――エニグマはそう言いたいのだろう。
当の奈落はフンと鼻を鳴らし、紫煙をくゆらせている。その代わりというわけでもないだろうが、マリアは腕組みをし、挑発的な視線をエニグマへ向けた。
「へ~、要はあんた、深雪っちのお守りをしている間に《監獄都市》の情報屋№1の座を明け渡しちゃったってワケ? №1にしては随分とマヌケじゃなーい?」
ところがエニグマは、マリアに煽られてもけろりとしている。
「そうですねえ。しかしまあ、№1だった私が№2に転落したということは、同時に№2の情報屋だったあなたが№3に落ちぶれたということでもありますが」
「だ……誰が『№3に落ちぶれた』よ!? あたしはあんた達とは違って、サイバー空間での情報収集が主だから……そもそもフィールドが違うのよ、フィールドが!!」
「まあまあ、マリアもエニグマにはいろいろと思うところがあるのかもしれないけど、これからは一緒に力を合わせればいいじゃないか。現実空間における情報屋№1と、サイバー空間における情報屋№1が協力し合えば、最強だろ?」
深雪は二人の情報屋の間に割って入る。それを聞き、エニグマは肩を揺らして笑った。
「ふふふ……雨宮さんは口説き上手ですねぇ」
「こういうのは『口説き上手』じゃなくて、口先三寸って言うのよ!」
マリアは不服そうだが、それ以上の対立はやめることにしたらしい。あまりにも不毛だと悟ったのだろう。ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「それはともかく、例の《スケアクロウ》という情報屋は《Zアノン》の信者拡大に大きく貢献しているみたいだな」
深雪が話を元に戻すと、エニグマがそれに応じた。
「ええ、そうですね。《スケアクロウ》は《収管庁》や《アラハバキ》御三家とも取引をしていると言われています。《ストリート・ダスト》の顧客も順調に増えているようですが、《スケアクロウ》から情報を仕入れているチームほど《Zアノン》を強く信じる傾向にありますね」
「そうか……でも疑問なんだけど、何で《スケアクロウ》は《Zアノン》信仰を広めているんだ?」
「そもそも《Zアノン》って何? シロ、《Zアノン》の何がそんなにいいか、全然分かんない」
シロも唇をへの字にし、しかめっ面をする。
「そうだよな。《Zアノン》信者の行動を見る限り、《Zアノン》の存在はデマや陰謀論の類に極めて近いように思える。そんな不確定な情報を流すのは、情報屋としての信頼を失いかねない行為だと思うんだけど」
ところが、マリアは肩を竦め、深雪の考えを否定するのだった。
「そうでもないわよ。昔からデマと分かりきっている怪しげな情報を敢えて流して金を稼ぐ連中は一定数いる。情報屋だからって性格が良いのばっかじゃないってことよ」
「まあ、それはお前を見てりゃ明白だがな」
奈落は余計な茶々を入れる。それを耳にしたマリアは、案の定その言葉に噛みついた。
「うっさいわねー、脳筋! あたしはデマを流したことは無いっつの! 嘘情報を垂れ流すなんて情報屋のプライドが許さないし。
……でも、そういう矜持を抱いた奴ばっかじゃない。以前にはそういった悪質な情報屋が一斉に《リスト執行》されたこともあるわ。
特に閉ざされたこの《監獄都市》しか知らない若いゴーストには、何が嘘で何が真実か知る手段が無いってのもあるしね。そうでなくとも、そもそも人間は認知バイアスの罠に嵌りやすいよう出来てるし」
「認知バイアス?」
「そ! もともと人間って自分に都合のいい事を信じやすいっていうか、要は先入観や思い込みに振り回されやすいとこがあるってことね。認知バイアスにもいろいろあるけど、具体的な例を挙げるならハロー効果やバンドワゴン効果、確証バイアス、内集団バイアスあたりじゃない?」
マリアは深雪にそれぞれの意味を教えてくれる。
ハロー効果とは、一部の顕著な印象に引きずられ、全体の評価が歪んでしまうこと。
バンドワゴン効果は、多くの人々が選択した意見と同じものを自分も選択すべきと思い込んでしまうこと。
確証バイアスは自分にとって都合のいい情報ばかりを無意識に集めてしまい、反対意見や都合の悪い情報を無視したり軽視したりすること。
内集団バイアスとは、自分の属するグループのことは好意的に評価しがちで、他集団には否定的な評価を下す傾向のことだ。
ただ、それらは悪いことばかりではない。よく考えてみると、どれも人が当たり前のようの持ち併せている性質ばかりだからだ。深雪の中だってそういう部分はある。それを利用して、逆にうまく事を進めることもできるだろう。
ただ、特に《監獄都市》で生まれ育ったゴーストには、認知バイアスのマイナスの影響が表れやすいのかもしれないと深雪は思った。
以前から感じていたことだが、《監獄都市》はただでさえ外界から隔絶されている上、ネットで得られる情報も限られていたり偏っていたりするため、自分が接している情報が正しいのかどうか、判断する術が無い。
それが陰謀論の広まりやすい土壌となっているのかもしれない。
(それなら、なおさら《Zアノン》をただの陰謀論と片付けてはいられないな。デマの発生源から何とかしないと)
ともかく、《スケアクロウ》という情報屋のことをもっと知りたい。一体、どういう人物なのか。そして、何が目的で《Zアノン》などという陰謀論を広めているのか。
「エニグマ、何とかして《スケアクロウ》と接触できないかな?」
深雪はそう尋ねるものの、エニグマは困った顔をするのだった。
「それは何とも……どうやら向こうもこちらのことを警戒しているようですし、雨宮さんは次期・《中立地帯の死神》として顔が知られているので余計に難しいかと……」
「《スケアクロウ》が俺たちを警戒している……?」
深雪が眉根を寄せると、マリアは素っ気ない口調で吐き捨てた。
「大方、自分がやっていることはヤバいと分かった上で、フェイクやデマを拡散しているんでしょ」
「でも……」
ところがその時、シロの耳がぴくりと反応する。
どうしたのだろう。深雪が疑問に思う間もなく、シロは日本刀に手を添えて身構えた。抜刀こそしないものの、慎重に当たりの気配を探っている。
同時にエニグマは再び深雪の影に潜り、奈落もスッと目を眇めた。
「……おい」
奈落が向ける鋭い視線の先を辿ると、数人の男性が崩れかけた瓦礫の上に立ち、深雪たちを見下ろしている。
もしかして、《Zアノン》信者が強力な援軍を連れ、報復に戻ってきたのでは。
俄かに緊張する深雪だったが、すぐにその警戒を解く。
新たに表れた集団の中心にいるのが《収管庁》で見た顔だったからだ。
(あれは……氷河武装警備事務所の所長、氷河凍雲……!)
氷河凍雲も深雪に気づいたようだ。色付きサングラスの向こうで、意味ありげに目を細める。
「やれやれ……中規模抗争が勃発したという報告を聞いて駆けつけて見りゃ、東雲探偵事務所……おたくが鎮圧した後だったとはね。こりゃ引きたくも無いババを引いちゃったな」
すると、氷河凍雲の隣に立つ部下がすかさず声を上げた。
「いや、むしろ良かったですよ~。凍雲さん、すぐ無茶するんだから」
「そうですよ。氷河さんは所長なのに働きすぎです。たまにはうちの事務所の中とかで、ゆっくりと『おしるこ』でも飲んでて下さい」
「あ~、そんな君たちに残念なお知らせです。悪いけど俺、当分現場から引退するつもりないから。それと二ノ宮、俺が好きなのはおしるこじゃなくてコーンスープの方ね」
「あ、すいません、氷河さん。ぶっちゃけ、それはどっちでもいいです」
どうやら氷河凍雲が、所長という立場にあるにもかかわらず現場で自ら《リスト執行》を行うという話は嘘ではないらしい。
それに随分と他の《死刑執行人》たちに慕われている。上司と部下というよりは、先輩後輩みたいな気安さだ。
東雲探偵事務所の体制を考えると、まさに真逆の雰囲気だった。
一方、氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちは周囲に視線を走らせる。彼らのほとんどが二十代の若者だ。《死刑執行人》だけあり、体も鍛えられている。服装も機能性重視らしく、動きやすいミリタリーファッションに身を包んでいた。
「血痕は多数残っているが、死者は無し……か。これだけ爆発や戦闘の痕跡が残っているのに犠牲を最小限に抑えられるところは、さすが東雲探偵事務所といったところか」
部下の分析を聞き、氷河凍雲は口元に笑みを浮かべつつ、瓦礫の上から滑り降りる。
「まあ、そうだろうね。東雲探偵事務所の《死刑執行人》はどんな無理難題も当然のように完遂することを求められる。何より大事なのは社会の秩序の維持! その理想を実行するためなら、《死刑執行人》にかかる負担など無かったことにされてしまうってこと。……君も心当たりあるよね、《中立地帯の死神》後継者の雨宮深雪クン?」
「……」
氷河凍雲はそう言いながらゆっくりと近づいて来ると、深雪の前まで立ち止まった。
深雪の後ろにはシロと奈落、そしてウサギの姿をしたマリア。
それに対し、氷河凍雲の背後には氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たち。
両者は面と向かって睨み合う。
「雨宮クンさあ、何で東雲探偵事務所に入ったのかは知らないけど、そこの事務所に深入りするのはやめときなよ。悪いことは言わない、東雲探偵事務所だけはやめた方がいい。そもそも、この街に来て一年ちょっとの君が次期・《中立地帯の死神》ってどう考えてもおかしいででしょ、絶対。何か裏がある……そう考えるのが普通だ」
「……そうですね。でも、裏があっても構いません。俺は自分の意思で《中立地帯の死神》の後継者になると決めました。だから……」
深雪が全てを言い終わらないうちに、急に氷河凍雲が距離を詰めてきた。
彼は深雪の顔を覗き込むと、ぞっとするほど無表情になって囁く。
「死ぬよ、キミ」
「え……」
「このまま東雲探偵事務所にいると間違いなく死ぬ……殺されるのさ、骨の髄まで《死神》であるあの男に。現に俺は、何度もその光景を目の当たりにして来た。何人も……何人も死んだんだ。数えきれないほど何人も……!
だがあいつはな、部下が死んでも絶対に涙を見せなかった。どれだけ死のうと悲しむ素振りすら見せなかった……!!」
「凍雲さん……」
氷河凍雲の部下たちは彼の凄絶な言葉に息を呑むばかりだった。
「東雲六道は真正の《死神》だ。あいつは周りに集まってきた人間をみな死の縁へと叩き落とす。雨宮深雪、お前もそれから逃れられないだろう。このまま東雲探偵事務所に居続けるのならな……!」
色付きサングラスの向こうから、氷河凍雲の大きく見開かれた目が深雪を凝視した。
そのあまりの迫力に、深雪は自身が審判にかけられているかのような錯覚を覚える。
お前は本当に《死神》になる覚悟があるのか、自らの生をかけてまで《死神》になる価値があると本当に思っているのか――と。




